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個性といじめと

作者: 城花


 日本の学校は、生徒の個性を認めてくれない。人と違うことをすれば叱られる。笑われる。ハブられる。


 それはとても辛いことで、大抵の人は耐えられない。自分にとっては、思ったことを言っただけで、正しい行動をしたつもりで、その事を否定される。その時は笑っていても、心では泣いている。


 そして学ぶ。「人と違うことをしてはいけない。みんなと同じことをしなければいけない。違うことはいけないこと。同じであることは正しいこと。」



 日本には、素晴らしい詩がある。金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい」だ。日本人であれば、ほとんどの人が知っているだろうこの詩。小学校の教科書にも出てくるだろうし、教育番組でも出てくるかもしれない。私も、この詩を就学前にテレビで知った。祖母に意味を教えてもらって、とても感動したことを覚えてる。何度も何度も謡った。


 この詩には、わたしと、小鳥と鈴が出てくる。わたしは空を飛ぶことができない。わたしは綺麗な音を出すことができない。でもわたしは速く走ることができるし、沢山の歌を知っている。みんな同じではない。けれど、それで良い。


 一人ひとりの個性を大切にする詩だ。これは、今の日本に一番大切なことではないか。私はそう思った。


 私は、小学校、中学校で辛い経験がある。私は人前で発表することが苦手だった。人前に立つだけで緊張して、頭が真っ白になって、どうすれば良いか分からなくなった。それでも、言わなければいけない。なんでもいいから言葉を発さなければいけない。


 それは朝の会のスピーチの時間で、私はあるの人のスピーチに対して質問をしなければいけなかった。何を質問すれば良いのか分からなくて、緊張と焦りで何も考えられなくなって、フリーズしてしまった。みんながこっちを見ているのが分かる。私が何か言わなければ進まない。結局その日は、先生が助け船を出してくれた。


 違う日には、道徳の時間、こわかったけれど勇気を出して手を挙げた。そして発表した意見は、他の人と違っていたらしく、場の空気がシーンとした。それ以来、自分から発表したことは無い。


 中学校に入っても、変わらなかった。一番酷かったのは、生徒会の公約を考えているとき、先生の質問に正直に答えたら、笑われたことだ。その時は下校時刻で、周りに生徒が沢山いた。


 泣きそうになってしまった。けれどここで泣くのは恥ずかしいと思い、家の自分の部屋に入るまで我慢した。


 私は、みんなに会わせる事の平和さを知った。みんなと同じことをしていれば大丈夫だと分かった。自分の思いを押し殺し、偽り、波風を立てないようにしてきた。辛い事だったが、あんな経験をするくらいなら、ずっとマシだった。


 その我慢も高校で限界を迎えたが。




 話題は少し変わるが、日本はいじめが多い国だ。その理由は、人と違うことを良しとしないからだ。みんな同じであることが良いこと。集団行動ができないことは悪いこと。合わせられないことは悪いこと。空気を読めないことは悪いこと。他にも沢山の悪いことを排除していくと、同じような、個性の無い人間が沢山できる。誰も劣っていない。けれど、誰も飛び出して優秀ではない。同じ事しかしない。同じ事しかできない。こうして社畜が大量生産されていくのか。だから日本は過労死が多いのか……。


 「みんなと同じ」から少しでもはみ出せば、いじめの対象とされる。精神的な攻撃から物理的な攻撃、ネットを使ういじめも増えてきていると聞く。


 日本は個性を認めてくれない。いじめもそうだが、他の学校教育でもそうだ。義務教育の間で、子供たちは個性を潰される。個性を否定される。教師たちからすれば、同じ行動をしてくれる生徒達は扱いやすいだろう。みんなおなじということは、問題児がいないということだからだ。しかし、学校は子供たちを育てる場であって、大人たちの職場の選択肢の一つではない。あくまで子供たちが主役だ。


 それなのに、大人たちにとって都合の良い生徒しか評価されない。それはおかしい。


 子供たちの個性を潰してはいけない。個性は大切に守り、育てなければいけない。その個性が将来、新しい発見に繋がるかもしれないのだ。子供たちは未来そのものだ。個性を潰してはいけない。


 いじめは大人が変わらない限り無くならない。教師もそうだし、親も変わらなければいけない。しかし、それはなかなか難しい。



 私が考えるいじめへの対策法は、二つ。一つは、認識、考えを変えること。みんなちがって、みんないいを実現させること。これは、とても大切なことで、とても難しいことだ。口だけでは簡単だが、それを理解し、実行できるか。一部だけが変わっても意味が無い。それでは直ぐに元に戻ってしまう。人間は楽な方に引き寄せられる。そして、大勢の方へいくと安心する。全員が変わることが必要なのだ。


 二つ目は、国がいじめを厳しく禁止すること。これは、対策が始まっているようだが、その効果がどうなのか、私には分からない。私は法律に詳しくはないが、いじめ自体を取り締まる法律が必要だと思う。「万引きは犯罪です」というポスターがあるように、「いじめは犯罪です」というポスターを作り、学校で講習会のようなものも開催するべきだと思う。


 この二つを並行することが、私の考えるいじめの対策法だ。私にはこんな事しか思いつかない。しかし、どんなことでも良いから、一人ひとりがいじめについて考えることこそが一番の解決法なのだと思う。



 日本の教育は、世界でも遅れていると言われている。日本の教育が変わるために必要なのは、個性を認めることだ。誰一人として同じ人間はいない。みんな違うこらこそ社会が成り立っている。


 確かに、集団行動ができることは大切だし、空気を読むことは、社会にでて必要なスキルの一つだろう。しかしそればかりではいけない。必要最低限のことができれば、それ以上は身につけなくても良い。それより個性を育てろ。



 今こそ、「みんなちがって、みんないい」の時代だ。



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