三 最低。
第一章 帰宅同好会!!
三 失うもの
「おい、またいるぞ、結局その女誰なんだよ」
朝のHRの途中で、俺に向かってそう話しかけてくる城ヶ崎には目を向けず、俺は黒板の前の先生に意識を集中させていた。
——コツン……コツン
「おい、なんか窓コツコツやってるぞ? 返事してやれよ。喧嘩中か?」
おい。いつから俺はあいつと喧嘩するほど仲良くなったんだ。それと、HRの途中に扉を叩かれる事に慣れるんじゃない。
——ゴツッ!
「おい! 今のはダメだろ流石に!? 結構鳴ったぞ? HR中だぞ!!」
なかなかの音の大きさに、周りからの注目を浴びるもんだと思ったが、案外そうでもない。俺の凪璃への小声ツッコミを聞いて横でニヤニヤしているやつは大注目だが。
やっと俺と目が合った凪璃は嬉しかったのか少し微笑み、何やらゴソゴソし始めた。
——こいつ……また紙になんか書くつもりかよ。
昨日と同じく、凪璃は小窓に文章の書かれた紙を押さえつけ、俺に読めと目で合図してくる。
「また来んのかよ……まだ返事決まってねえぞ」
昼休みまた来ます。そう書かれた紙を小窓から離し、俺の横で手を振る城ヶ崎に向かって軽く会釈した凪璃は、小走りでどこかへ行ってしまった。
「いいなああんな可愛い子。 俺、ちゃんと認識してもらっちゃった」
「いいなあってなんだよ。俺とあいつは別に何もねえぞ。あと、それで喜ぶのなんか悲しくなるからやめろ」
「かなしくなんかねーよっ」
ニヤニヤしている城ヶ崎は、とても目障りなので放っておく。
「まあでもあの子、最近サッカー部のイケメン先輩に告ったらしいじゃん」
その場が突然凍ってしまったかのように、俺たちの間に冷たい風が吹いた事は言うまでもない。
「はあ!? おま、どこの情報だ」
予想外の発言に、無視していたことを忘れて食い気味に城ヶ崎へ問い詰める。
「い、いやお前、食いつき早いな。どこのって言われたって、チラッと小耳にはさんだだけだよ。あの子、そのせいで今大変な事になってんぞ」
俺は、その話を詳しく聞くのに一時間目の授業を費やしてしまった。
聞いたところ、まあまあな大事になっているらしく、事の発端はもちろんサッカー部のキャプテンだが、大事になった原因はそのキャプテンの彼女にあるらしい。
何を思ったかキャプテンは、凪璃に告白された事を彼女に伝えてしまったらしい。
あの時、彼女を待たせているとかなんとか言っていたから、遅れた原因を説明するために話してしまったのだろう。
——まあ、告白ってのはキャプテンの勘違いなんだが。
そして、それを聞いた彼女は激怒。自分の彼氏を奪われそうになった事への怒りだと城ヶ崎は言っていたが、よく分からない。
そして、その話は彼女からその友達へ、さらにその友達へと流れていき、高山 凪璃と言う名が、泥棒猫として流出しているらしい。
既にSNSでも拡散され、凪璃にとってかなり不利な状況になっているるらしいが……
——もう手遅れじゃないか?
美男美女のそのカップルは、周りからの評判も良く、お似合いカップルとして賞賛されていたらしい。
だからか、他の人からの信用も厚い。三年生の殆どが凪璃の敵と言っても過言ではないだろう。
——そもそもあいつに友達はいるのだろうか。
思えば、俺はあいつの事をほとんど知らない。知っていることと言えば——足が遅い。そのぐらいか。
——まぁ、知らなくたっていいか。
チャイムがなり休み時間に入った時、
「あの子、そんな悪い子じゃないと思うんだけどな。多分、その告白ってのもなにか理由があってしちゃった事なんじゃないかなって思うんだよ。そもそも、告白したってのも本当かわからないしな」
俺が凪璃の絶望的な状況をあたまのなかで整理していると、珍しく真面目な顔をした城ヶ崎がそんな事を言ってきた。
「お前……割といいやつなのか? ウザイけど」
「おい! 割とって何だ! それに最後の一言余計だろ!」
不本意だが、城ヶ崎のようにまだ凪璃の味方についてくれている奴もいるはず。だから、この状況もなんとか……
——俺、何考えてんだろ。
凪璃なんて、この間はじめて会ったばかりなのはずだ。
——なんで俺、何とかしようとしてんだよ……。そもそも、あいつの自業自得じゃないか。
「あいつが自分で招いた事だ。俺には関係ないよな」
「おい! お前それでも友達かよ!」
「友達じゃねーよ」
何か言いたげな城ヶ崎だったが、授業が始まるチャイムが鳴り響き、返事は聞こえてこなかった。
城ヶ崎がどんな表情だったか、反対側を見ていた俺に はわからなかったが、そんな事も俺には関係ない。
——友達なんて。
俺は黒板に書かれたただの文字列を、無心でノートに書き写した。
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「お前……どうしたんだその格好」
目の前の凪璃の格好は、学校では場違いとしか思えないものだった。
「どうしたって、くまの着ぐるみよ! 可愛いと思うけど」
「いや、学校でその格好はやばいだろ」
「わかったよ、着替えますよ着替えます」
「いや、ちょっと待て、こんな所で……」
「なに? 照れてるの??」
「て、照れてなんか」
「おーい!! 智也! どこいったあ!!」
「城ヶ崎……今せっかくいい所なのに……」
「おい! 智也! 聞いてんのか? 智也」
「ちょっと待ってろって今いいところなんだから……」
「寝ぼけてんのか?」
「……んあ?」
気がついたら俺の前に凪璃はおらず、俺は自分の席に座っていた。隣では城ヶ崎がこちらを見ている。
時刻を見て、昼休みだという事と自分は寝ていたという事に気がつく。
——夢か。まあ夢だよな。夢じゃないわけないよな。
「いつまで寝てんだよ。ほら、来てるぞ、有名人凪璃ちゃん」
「わ、私は有名人なんかじゃ」
扉の方へ振り返るとそこには、さっきまでくまの着ぐるみを着ていたはずの凪璃が、制服姿で立っていた。
「またあそこで話さない?」
俺は寝起きで面倒だったが、仕方がないと立ち上がる。長時間同じ体制でいたためか、しびれている足に苦痛を感じ狼狽える。
「ヒューヒュー」
隣で茶化す城ヶ崎は無視したまま、俺は徐々に痺れが取れていく足を踏み出し階段の踊り場へ移動した。
「なんか、大変なことになってるみたいだな」
俺はとりあえず、黙ったままの凪璃に今一番気になっていることを聞いてみた。
「別に、そんなことない」
強がっているのか、気づいていないのかはわからないが、俺に何か話があることは確かだ。
その時、俺の頭の中にあの説が浮かび上がった。
その名も、こいつ俺に惚れてんじゃないか説。
——いやいや、そういう事を考えるのは本当に良くない。どうせ違うんだから。
——いやでも、わざわざ二日間も連続でこんなところに呼び出して一体どういうつもりなんだ?
——やっぱりこれは……。
「先輩」
初めて後輩に先輩と呼ばれた気がする。
初めてというところに切なさを、呼ばれたことに喜びと驚きを感じ、それに浸っている俺に向けて、凪璃は話を続ける。
「あの、えっと……」
何この感じ、告白か?どうしよう、告白なんてされたことないから知らなかったけど結構焦るなこれ。
——やばい、心臓のバクバクが止まらねえ……。
「結局、うちの同好会に入ってくれる気になりましたか?」
「まあそんなことだろうとは思ってたよ?」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
見たか全国の男ども、これが現実だ。
「同好会には、入らない」
「そ、そう……わかった」
「なんか悪いな。誘ってもらったのに」
本気で落ち込む凪璃を見て、俺は少し罪悪感を感じてしまった。入らないとはじめから決めていたはずなのに、何かが胸に引っかかる。
「いいの。何やるかも決まってないんだもん、でも、いつかそっちから入りたいって言ってくるぐらいの部にするから」
なんなんだよ。こいつ。帰宅同好会だぞ。入りたくなるわけないだろ。
それにこいつは今、嫌われ者の悪役だろ。そんな状況で同好会に他の生徒勧誘したって、陰口言われて傷つくだけだろ。
胸が熱い。何かが俺の胸からこみ上げてくる。
先程の鼓動とは違う、別の鼓動が、俺の胸を襲う。
「もうやめとけよ……」
「え?」
「そんな同好会、やってても意味ねえだろ」
「またそれ? 意味無いなんてこと……」
「意味なんてないだろ!!」
胸から喉にこみ上げてきた何か。それが何かは分からない。告白じゃなかった八つ当たりだろうか、いや、そんなんじゃない。
だがそれは、俺の感情を悪い方向へと引き立て凪璃にむかって飛んでいき、突き刺さる。
突然の大声に驚いたのか、目を見開いたままこちらを見つめる凪璃。
「意味なんてないんだよ。そんなことやったって、頭おかしいヤツだって馬鹿にされるだけだ。それに、お前にはもうできねえよ」
俺はこみ上げてきたなにかに任せ、喉から溢れるように飛び出す言葉を、無修正のまま凪璃に投げた。
「……そんなの……そんなの! やって見なきゃわかるわけないじゃん!!」
凪璃の目から雫が次々と流れていくを見て、俺はその目から視線を逸らす。再び罪悪感に襲われ、誤った方がいいと察する。だが、俺の口から言葉が出ることは無かった。
ばか。そう言わずに振り向いて、俺から遠ざかっていく凪璃を見て、何故か胸が苦しくなる。
こんな気持ちは昔一度味わったことがあるが、もういつの事かは忘れてしまった。
「どうでもいい奴のはずだろ。俺とは無関係なはずだろ」
そう自分に言い聞かせるが、胸の苦しみは治まらない。いつの間にか頬を伝う水滴に気が付き、俺は制服の袖でそれを拭った。
「なんで……なんで俺まで、くそ……なんでなんだよ!!」
こうやって俺は、いつも何かを失う。
珍しく誰も通らないその階段の踊り場は、昨日よりも静かで、とても暗く感じた。
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放課後、俺は教室に残り、いつものように勉強を始めた。昼休みの事はもう忘れてしまった。自然に忘れたというよりは、忘れたくて忘れたとも言うべきか。
早く忘れたかったのだ。凪璃を泣かせたのはロッカーの件を合わせて二回目だが、今回はあの時とはわけが違う。
計算式を解き始めたが、ほとんど集中出来ないまま時間だけが過ぎていく。
——飲みもんでも買いに行くか。
勉強を始めてしばらく経ち、俺は席を立った。
二年生のフロアは二階のため、一階にある自販機までは少し距離がある。
教室から足を踏み出し、少し暗くなってきた廊下を歩いていく。
スリッパの音がよく聞こえ、この学校に、今自分一人だけなんじゃないかという錯覚に襲われる。
校舎の外から聞こえていたはずだった部活中の生徒の声も、もう聞こえてこない。
階段を降りたところにある掲示板。そこには、新一年生のために作られた、部活動紹介のポスターが掲載されていた。
「これ……」
帰宅同好会。そう書かれたポスターが一枚、端っこの方に貼られていた。
「凝ってんなあ、帰宅する人の絵を本気で描いてやがる」
無駄に上手く描けているそのポスターに微笑。左下には小さく、高山 凪璃と書いてある。
「名前見られたら、ビリビリに破かれるぞこのポスター」
高山 凪璃の噂は、今では三年生だけでなく、二年生や一年生にも及んでいるらしい。
実際、今日うちのクラスでその話をしている女子達の話が聞こえてきた。
噂が出回るたびに話を盛られてきたのか、今ではその前にも何人もの男性に告白していただの、振られたあとすぐにキャプテンの悪口を言っていただの、もう収集のつかない状況に陥っていた。
俺は薄暗い自販機コーナーにたどり着くと、いつものあったかレモンのボタンを押し、ゴロンと音を立て落ちてきたペットボトルを手に取った。そして近くのベンチに腰掛け、今日何度目かわからないため息をつく。
「やりたい事、結局見つかんなかったな」
姉から聞いたやるべき事の話も、城ヶ崎から聞いた待っていちゃ見つからないという話も、今の俺にはよく分からなかった。
今思えば俺は、自分勝手で情緒不安定で、友達もいなくて口が悪くて。
「最低じゃないか」
思わず口から出ていたその言葉は、俺の今までの人生全てに言える言葉だった。
家では姉に迷惑かけっぱなしで、お父さんの事を全部任せてしまっている。
エロ姉には人間関係の事でいつも心配させてしまっているし、城ケ崎だって、いつも話しかけてくれているのに、冷たい対応をしてしまっている。
凪璃にだって……。
——それが、俺なんだよな。
再びついたため息を押し殺すように、俺はジュースを飲みほした。