一 勘違い
第一章 帰宅同好会!!
一 勘違い
俺の名前は林篠 智也
虎西高校に通う高校生。ついこの間二年生になり、今は花粉ブームだ。
友達はおらず、部活にも入っていない。
別にいじめられているとか、ハブられているとかではない。ただ友達がいないのだ。
話しかけられることはたまにあるが、自分から話しかけることはほとんど無い。二年生になりクラスの人間がガラッと変わったことで、人間関係がリセットされたが、友達なんてものはできないだろう。
——まあ、高校生活なんてそんなもん。
——ただの通過点だ。
昨日、とんでもない状況に陥った。高校に入ってから一番衝撃的な出来事と言っても過言ではない。
可愛い女の子に掃除道具の入ったロッカーの中に押し込まれ、涙ぐんだ上目遣いで罵倒されたのだ。
——俺は……Mなのかもしれない。
走って教室を出ていくあいつを見送った後、固まったままロッカーの中に入っていた。
しばらくして我に返って帰り支度をし、そのまま帰宅したのだが、
——名前ぐらい聞いときゃよかったな。
「とも! ご飯できたよ? ……って、何ニヤけてんの」
朝起きて、昨日の教室での出来事を鮮明に思い出し、自分の部屋でにやけているところに俺の実の姉、林篠 愛華はノックの音も立てず入ってきた。姉は俺の事を、智也を略してともと呼ぶ。
それとなにより姉よ。俺の右手とエクスカリバーが、活発になっていたらどうするつもりだ。ノックぐらいしてくれ。危険すぎるぞ。
「にやけてないで、さっさと下降りてきなさいよ」
そう言って、姉は部屋から出ていった。
俺は今、姉と二人暮しをしている。
母は数年前亡くなり、父は出ていってしまったが、父は俺達の生活費を振り込んでくれる。
めんどくさい支払いの事は、すべて父に任せているため、俺達がする事は最低限の家事で済んでいる。毎日三食ご飯を作ったり服を洗濯したりなど、日常的な家事だけだ。
お小遣いは無いため、遊ぶのに必要なお金はバイトして稼ぐしかない。
ちなみに俺は、父と仲が悪い訳ではない。でもそれはきっと、何も事情を知らないからなのだろう。
だから、事情を知る姉は父の事を嫌っているのだ。
俺は何も知らない。出て行った父の事も、
亡くなった母の事も。
朝ごはんを作るのは姉の仕事だ。
朝ごはんは、と言ったものの、お弁当を作るのも夜ご飯を作るのも姉の仕事。俺は基本、それ以外の家事をこなしている。
食器洗いに風呂掃除。洗濯に買い物。そんでもって、俺にはバイトなんかしている時間は無い。
まあ、誕生日なんかに姉に買ってもらったゲームだけで一年中遊べて、友達もいない俺にとって、バイトなんてものは不要なのだが。
部屋にあるパソコンと数々のラノベ、そしてゲームさえあれば俺は、
って、なんか引きニート気味てんな俺。
部屋を出て階段を降り、俺は一階のリビングへと向かった。
「いただきます」
俺の部屋とは違い、清楚で綺麗なリビングの中央に置かれた大きなテーブルの上に、毎日朝ごはんが用意されている。
至ってシンプル。だが、とても美味しそう。姉の作る飯は美味しく、毎日満足しているのだが、一つだけいつも言いたいことがある。それは、
卵焼きだけめちゃくちゃ不味い。
これほんとに卵焼き?ってぐらい不味い。
見た目だけ卵焼きの虫じゃねえの?ってぐらい不味い。
残さず食べてはいるが卵焼きだけは牛乳と一緒に流し込むように食べている。
そうしないとせっかく今まで食べていたものを全てリバースしてしまうのだ。そのぐらい不味い。大事なことだからもう一度。
卵焼きだけ、めちゃくちゃ不味い。
——感謝はしてる。でも不味いんだ……
制服に着替え、学校の用意をまとめる。前日に準備しようと思っていたが、ゲームに熱中し寝落ちしてしまったなんて事は日常茶飯事だ。
階段を降り切り、キッチンに置かれた置き手紙とお弁当に目をやる。
『今日のお弁当は力作よ! 行ってらっしゃい。』
「毎日力作じゃねーかよ。 行ってきます」
置き手紙を読み微笑しながらツッコミを入れると、俺はお弁当を鞄に詰めた。
——今日もあいつに会えるかな。一応謝っときたいんだが。
結局、告白に失敗したのが俺のせいではない事は分かってはいるのだが、微妙な空気にしたのは俺のシャーペンのせいでもある。まあ、八割はあいつが悪いんだが。いや、九割五分か。
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「いってきます」
誰もいない二階建ての家にもう一度そう告げると、俺は玄関を後にした。
姉は先に家を出た。理由は簡単。俺と違い学校が遠いのだ。俺は遠くに行くのが面倒だったから近所の高校を選んだ。姉とは学力に差がある訳では無いが、姉の方が学歴は遥かに良い。
「やべ、これ遅刻じゃね」
田舎とも、都会とも言えない中途半端な並木道を小走りで進み、学校へ向かう。
近道をしようと、いつもは通らない裏道に入ると、そこには懐かしい景色があった。木々に囲まれた、小さな公園。昔はここで、姉とよく遊んだものだ。
年を重ねるにつれて、そんなことはなくなってしまったが。
姉と俺は三つ違いで、姉は今大学に通っているらしい。詳しいことはあまり知らない。バイトもしているらしいが、そのへんもよく知らない。美味しい餃子屋さんで働いているらしいが、よく知らない。今遅刻しそうなんてことも知らない。
「お! 久しぶりだね元気してた? 弟君」
——この声は……
目の前の女は、バイクにまたがったままヘルメットを外した。
「やっぱり……エロ姉」
「エロ姉言うな!」
俺の姉の友達、小早川 美咲。通称『エロ姉』。
とにかく胸がでかい。とは言っても、姉よりはと言うだけでそこまででかいわけではないのだが。
ちなみに俺は、胸がでかいと言うだけで『エロ姉』と呼んでしまうほど失礼な奴じゃない。
昔っから、俺と姉とエロ姉の三人でうちで遊んでいたりしていたのだが、この人はとにかくボディータッチが多い。
めちゃめちゃくっついてくる。胸が当たる。
しかも天然。
全くそのつもりがないのはわかる。俺が意識しなければいいものなのだが……。
——無理でしょ。可愛いし。
「弟君。学校遅刻じゃない? 後ろ乗ってく?」
「神ですか。あんた神ですか」
俺はすぐさま後ろに乗り、受け取ったヘルメットを被った。
家から出たばかりだが、学校までの距離はそう長くはない。全力で走れば間に合う時間ではあるが、ここはお言葉に甘えよう。
「ほらあ。ちゃんとギュッてしな。落ちちゃうよ?」
「い、いや別に落ちないですよ」
こういうところだ。
こういうところが男をダメにしてしまうのだ。この天然さは卑怯。
後ろから見える腰あたりまで伸びた茶色い髪はサラサラで、ほんのりいい香りがする。
——こんなに近くで見たのは久しぶりだな。
状況がどうであれ、ギュッてしろなんて言われたらエロ姉に慣れてる俺じゃなかったら惚れてんぞ全く。
言われた通りエロ姉の腰に手を回すも、軽く触れるぐらいで、ギュッとは出来ない。
慣れてるとは言ったものの、照れくさいことに変わりはないのだ。
「どう? 友達できた? 女の子とかは??」
エロ姉は風の音に負けないよう、前を向いたまま大声で俺に質問を重ねてくる。
「え、いや、いませんよ。どっちも」
「まーだいないのか。友達は大事だよ?」
学校の近くに到着し、バイクを止めたエロ姉は、俺に向かってそう言った。
「そんなの……わかってますよ」
ずっとそうだった。小さい時からエロ姉は、俺の友人関係の心配をしてくれている。
「それじゃ! またいつかね!」
ひらひらと波のように綺麗に靡く長髪と共に、エロ姉はだんだんと見えなくなっていった。
「友達……か」
すぐそばに見える校門へ俺は小走りで向かっていく。
「これならぎりぎり間に合いそうだな」
「はぁ、はぁ……これならぎりぎり間に合いそうね……」
「「……ん?」」
俺の隣には、同じようにして小走りで走るあの女が居た。
「あんた……昨日のロッカー男」
「ロッカーに押し込んだのはお前だろうが! というか、お前も遅刻しそうだったのかよ」
「はぁ、はぁ……私は毎日遅刻しそうよ! 今週は一度も歩いて登校してないし……んぐっ……はぁ、常に全力疾走よ」
「なんて言うかその、朝から大変だな」
「うっさい! ばか!」
そう言って、あいつは立ち止まった俺を置いて、低速ながらも、全力疾走で校門へ向かっていった。
「あ! おい!」
——謝るのも名前聞くの忘れてた。
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結局、変な女とおしゃべりしていたせいでかなりギリギリの着席となったため、来てすぐに始まった朝のHR。
HRとはホームルームの略で、一限目の授業が始まる前と六限目が終わり帰る前に設けられた、今日の予定や連絡の話を先生の方から受ける時間である。
これに間に合えば一応遅刻にはならない。
——あれ?
俺の席は廊下側の一番後ろ。何故かずっとここである。
何回席替えしてもその席で、一年の時から二年生の今まで、ずっとそうだ。
この呪いは悪いものではなく、扉が近く冬は寒いことや黒板が見ずらいこと、一人でいるところを朝教室の前を通る人に見られることなどを我慢すれば良い席である。
ちなみに逆に言えば、廊下を通る生徒がよく見える席でもあるのだが……。
——なんでそこにいるんだよ……
さっきの女。全速力低速系女子が扉の前に立っている。
俺以外は気づいていないのだろうか、先生の方を見て話をしっかりと聞いている。
ガッツリ目が合っているが……まあいいか。
あっていた目をそらし、先生の方に目を向ける。
——コツッ
扉についた小窓を叩いた音がして、思わずそちらへ振り向く。
「馬鹿野郎っHR中だぞ! と言うか、HR中になんでお前がいるんだよ! 問題児すぎだろ!」
小声で扉に話しかけるという、傍から見たらかなりの奇行ぶりを披露しているが、先生の話が終わり友達とざわざわしているクラスメイトたちには気づかれてはいないようだ。
ちょっと待って、そういうニュアンスで右手を挙げサインを出した問題児は、紙とペンを取り出して何やらゴソゴソしている。
そして、小窓に紙を手で押さえつけ、これを見ろと言う目で俺に合図をだしてくる。その紙には、一文。性格には合わない割ときれいな字でこう書かれていた。
『昼休みにまた来る』って、まじかよ。
俺が口を開けポカンとしていると、問題児はどこかへ走り去って行った。
「おい! ちょっと待って」
扉を開き、廊下を見渡した時にはもう遅く、その姿は曲がり角へと消えていった。かろうじて見えたのはスリッパだけ。
「スリッパ緑色って……一年か」
あの時は暗くてよく見ていなかったが、一年生だったとは。
うちの高校は、スリッパの色で学年がわかるようになっている。
ちなみに、一年生が緑。二年生が赤。三年生が青だ。
これは常に一年生が緑色という訳ではなく、次の一年生は青色で、その次の一年生は赤色というようにローテーションしていく。
だから俺はずっと赤色とというわけだ。
「さっきのアイツ、誰? 彼女? 可愛くね?」
と、急に席が隣のやつが話しかけてきた。
こいつの名前は城ヶ崎 忠次
俺のクラスメイトで、こんな俺に話しかけてくれる唯一の生徒。
その優しさは嬉しいが、ちょっとしつこいのが難点だ。まだ二年になったばかりで、名前を知っているぐらいだが、よく話しかけてくる。
ちなみに、こんな俺……と言うのも、
「誰って、俺が一番聞きてえよ。それに、お前には関係ねえだろ」
「まあ、そうだけどさ」
俺のこういう所が、きっと友達ができない一番の原因だ。
今まであまり人付き合いがなく、小学校の頃虐められていたこともあり、口が悪くて、空気も読めなければあたりも強い。
虐められていた時は姉やエロ姉に遊んでもらっていたから、男同士の付き合いというものをほとんど知らない。
まあとりあえず、典型的なうざいやつであることは間違いない。
それは自分でもわかっているのだが、中々上手くはいかない。
そんな俺を見て友達になろうとしてくれる奴はきっと少なからずいただろう。城ヶ崎もそうだ。でも、こんな俺に愛想を尽かし、すぐに離れて言ってしまう。 まあ、城ヶ崎は持ち前のしつこさと心の広さで、まだ俺に話しかけてはくれるが。
二年生がスタートしクラス替えがあったのにもかかわらず、話し相手ほぼ皆無。ぼっち特有のオーラでもあるのだろうか。
俺のことを嫌っているやつもいる。見ていればわかるのだが、そういう奴は放っておくのが一番だと思っている。
俺には友達がいないが、そもそも俺は友達を必要としていない。
だから、このままでいてもなんの不自由もない。唯一困るのは修学旅行の班決めぐらいだ。それもまあ、一年生の校外学習の時のように気を使って俺を入れてくれる班があるだろうから、そこに入れてもらうのが無難だな。その辺は神頼みだ。
チャイムがなり、それぞれ授業の準備を始める。
一時限目、俺は授業に集中することが出来ず、ずっとソワソワしていた。
——昼休み、また来るって言ってたよな……。
また来る。という事はこの教室に来るということだろう。一体何が目的なのかはわからない。
告白に失敗したからって俺に八つ当たりか?
いや、でもあれは俺のせいじゃないし、そもそもお相手に彼女がいたから失敗する事はほぼ確定だったはずだ。
八つ当たりだとして、俺に何をするつもりだ?
またロッカーに閉じ込めるのか?そして水攻めか?
他に俺がされそうな事って言ったら……
いつの間に昼休みになってしまったのだろう。俺の目の前には、朝の約束通りに教室に来たあの女がいた。
「おい……私のおでこに当たったのはこのシャーペンだな……?」
「は、はい。そうだと思います……」
目の前に居る、鬼と化した女は、俺の筆箱の中からシャーペンを一本取り出し、
「お前のせいだぁぁぁあああ!!!」
鬼はそう叫びながら、俺のおでこに向けてシャーペンを振り下ろしてきた。
「うわっ!」
ビクッと体が跳ね上がり、俺は机に伏せていた頭を上げた。
周りがざわつく中、俺は辺りを見渡したが、あの女の姿は無い。
「おい、林條。どんな夢見てたんだ?」
城ヶ崎が、俺に向かってニヤニヤしながら話しかけてくる。
「うるせえ」
俺は周りの視線を感じると、恥ずかしくなり再び机に伏せた。
——どうか正夢になりませんように。
そう願いながら、俺は再び眠りについた。
そしてその後の授業も、全く集中することが出来ないだけでなく、自分の死亡フラグを立てまくり、そして今、昼休みへ繋がるチャイムが鳴り響いた。
俺はシャーペンを筆箱から出し、両手で握ると、
「殺されるぐらいなら……」
そう呟きながら自分の喉にペン先を向ける。
「おい、何やってんのお前。お客さん来てるぞ?」
隣の城ヶ崎が指を指した方。つまり、廊下に目を向けると、そこには、夢で俺を殺した犯人が立っていた。
「待ってくれ……気持ちはわかる。でもな、命だけはたすけ」
「おいあんた! 絶対なんか勘違いしてるだろ!」
目の前の殺人鬼は、眉を寄せてそう言った。