「ノッカー」
お題【恍惚】のワンドロで書いた作品です。
嗚呼、なんて美しいのだろう。
深く嘆息した後、手のひらの中で煌めく惑星を見て、その輝きを眼に焼き付ける。
美しい。それ以外に……いや、それ以上に、その様子を表す的確な表現は(少なくとも私には)できなかった。
美しい石を見たとき、私はいつも自分の語彙の少なさを恥じる。そしてその度に本を読み、美しさを讃美する言葉を学んできたのだが……いざ宝石を目の前にすると、どうも駄目だ。いつも頭が真っ白になって、ただ、”美しい”としか言うことができない。
今、私の目の前にあるのは、タンザナイトという青い石だ。サファイアほど深い青ではないが、ラピスラズリよりはずっとずっと暗い色だ。なお一般に、タンザナイトの色は単純に青、というよりは青紫というが正しい。色味としては、アメジストが一番近いかもしれない。
大きさは、ちょうど片手で握りしめられる程度。つまりは手のひらサイズだ。特にでかい、というわけではないが……この石は、普通のものより青みが濃ゆい。この色合いでこの大きさなら、かなりの値がつくはずだ(もっとも、売る気はさらさらないのだが)。
このように。落ち着いて観察すれば、その姿について語り続けることは、そう難くない。
だが、初めて石を見るときは……掘り出した原石から泥や土くれを削ぎ落とし、研磨してその色を見た瞬間には、やはり、”美しい”という言葉しか浮んでこない。そして、えもいえぬ満たされた気分になるのだ。
気付けば、結構な時間が経っていた。洞窟内では陽が見えないので憶測でしかないが、お腹の空き具合から察するに、もう昼をまわり、夕方に差し掛かるぐらいの時間と思われる。そろそろ帰らねば。
名残惜しく思いつつ石を丁寧に梱包し、ピッケルをはじめとする採掘道具や研磨剤などを片付け、いつもの儀式を行う。
鞄から取り出したのはサンドウィッチ。タマゴとマヨネーズ、それにハムとレタスをパンに挟んだ、シンプルなものだ。
空腹で鳴りそうな腹を根性で押しとどめ、持ってきたサンドウィッチを床に置く。そして……素敵な出逢いを提供してくれた”相棒”に挨拶をして、その場を後にする。
「ありがとう、”ノックス”。また、お願いね!」
洞窟を出たとき、コンコンッと壁を叩く音が、洞窟内を反響して聞こえてきた。
お題【恍惚】
書いてから見ると、「恍惚」より「魅了」のほうが近いような……。
"ノッカー"は鉱山に棲むとされる妖精の一種です。
また、作者は知らずに書いてましたが、タンザナイトの石言葉は「誇り高き人(高貴)・冷静・空想」だそうです。