君の好きなもの
オタクというのは、金のかかる生き物である。
特に学生オタクともなると、社会人より限られた資金の中でグッズやゲームを買い漁ろうものなら、年中金欠に悩まされることだろう。私に限ることではない。それ故魔法少女というのは、オタクが多くたっておかしくないのである。
紅葉さんもその1人。彼女は私とはまた違った種類のオタクだが…ボーイズラブなんかを好む、いわゆる腐女子。魔法少女になった理由も私と同じで、その趣味を嗜むための資金稼ぎだそうだ。
私が親から貰うお小遣いは、比較する友人がいないから推測だが…中学生にしては結構多いものだと思う。月に母から2000円、祖父母から2000円。その4000円も、オタクの私にすれば少なく感じる。
ゲーム1本買うとしたら5000円以上はするし、ゲーム機本体はもっと高い。年中アーケードゲームに打ち込んでいるからいつの間にか財布から100円玉はなくなるし、ソーシャルゲームに課金しようものなら10連分だけで月の小遣いがほとんど吹っ飛ぶ。
だが、そんな悩みが解決してしまった。
「や、や、やば、やばい」
ゾンビギーク1体あたり、平均1000円。多くの場合は紅葉さんと共闘するので、平均500円なのだが…先日あったように、1体で2000円とかいう頭のおかしい額が手に入るゾンビギークもいれば、1200円クラスが3体現れることもあれば、200円クラスが1体だけ可哀想に放り込まれていることもある。
ともかく平均は1体500円。それが週に5回、たまに複数現れることも考えて週7体。計算上の報酬は、こうなる。
週3500円。月15000円。年収にして180000円。
その上月々のお小遣いとお年玉も変わらず手に入るのである。
「やばい…やばさしかない…」
1ヶ月に10連分課金し、ゲームを2本買い、週2で筐体に500円使ったとして、それでも1000円程お釣りが出る。とにかく、やばいのである。
ちなみに20歳OLの平均年収は241万。
「クリスト、これもう中学生が持っていい額を超えてる気がするんだけど」
「え、何?給料返してくれるんだったら喜んで頂戴するけど」
「んなこと言ってねぇよジビエにすんぞ」
命を懸ける対価としては安いのかもしれない。というか、絶対安い。しかし、リムジン貸し切りで豪遊するわけでも札束風呂に入るわけでも0.001%が出るまで延々ガチャを回すわけでもなく、ちまちまとしか金を使わない私からすれば、それはもう充分な額だった。
「あんまり通販で買い物し過ぎると家族に怪しまれるよ」
「大丈夫大丈夫、お母さん警察官で忙しいし、ほとんど家にいないしいても寝てるし。」
「…君のお母さんの職業を今初めて聞いたんだけど。それと、君には弟がいるだろう」
「あー…稔はなぁ、リア充だし。オタクがどれほど金かかる生き物かなんて知らんだろ、多分。」
欠伸をしながら、カレンダーを見る。テストが終わり、ようやくのんびり過ごせる土曜日がやって来た。ベッドの上でゴロゴロしながら、ゲームをするだけの最高の休日。
「今日は外に出ないのかい?」
「出ない。だって休みの日なんだから」
「いつものアーケードゲームはしに行かないのかい?」
「平日ボーナスつかないから今日は行かない。何だお前は、私にそこまで外出して欲しいのか」
「外出とまでは行かなくても、せめて部屋から出たらどう?」
「無理」
クリストはいつも、まるで親の如く私の引きこもりを心配してくる。だが、週5で学校に行っているし週2で近所のスーパーに行っているんだからこれはもう引きこもりではないだろう。土日ぐらい家でゴロゴロさせて頂きたい。
そう思ってクリストを部屋の外につまみ出そうとした瞬間、玄関からピンポーンと、呼び鈴の音が聞こえた。
「ほら、神が部屋の外に出ろと言っているよ」
「クソか」
どうせ郵便だろう。重い腰を上げ、ドアを開けると、同じタイミングで隣の部屋のドアが開いた。
「あれ、お姉ちゃん起きてたんだ」
「うん、まぁ…」
「あれ郵便かな」
「あ、私が出るから稔いいよ」
折角立ち上がったのに再び戻るのも面倒だし…そう思って、階段を駆け足で駆け降りる。ドアを開けると、配達員のお兄さんが、大きなダンボール…ではなく、封筒を持って立っていた。
「簡易書留でーす」
慣れた手つきでサインをし、封筒を受け取って2階へ戻る。てっきり私が注文したゲームが届いたものだと思ったから、若干の落胆を胸に階段をとぼとぼ歩く。
「稔ー?なんか簡易書留だってー。青い封筒だったけどこれお母さんのかな?」
「あ、それ俺の!!」
私が大きめの声でそう言うと、廊下の奥からドタドタ音を立てて稔が走ってきた。私の手から封筒を奪うようにぶんどって、そしてそのままUターンして部屋に戻っていく。稔は無言で、バタン、とかなり大きな音を立てて部屋のドアを勢い良く閉めた。急激に静かになった廊下に残された私。足元を見ると、いつの間にやらクリストがいた。
「どうしたんだあいつ?何か見られたくないもんでも入ってたのかな?エロ本?」
「簡易書留に本を入れる人は多分いないんじゃないかな…」
「…そうだね」
反抗期だろうか。それにしてはマイルドだけど。そもそもあいつ、反抗期なんてあったか?そろそろ反抗されてもおかしくない筈なのだが、稔は聞き分けが良すぎて逆に心配だ。だからあれくらい、気にせず放っておくべきなんだろう。何があったのか知らないけど。
「さぁ、晩飯まで引きこもるぞ」
「…君ってやつは、本当に家にいるのが好きなんだね」
「家にいるのが好きなんじゃなくて、外に出るのが嫌いなんだよ」
うるさいクリストを部屋に入れないよう、部屋に入ってすぐにドアを勢い良く閉めた。
「さぁ〜て…スタミナ消費するか…」
スマホの電源をつけ、イヤホンをして、日課のスマホゲームへと勤しむ。半ば義務と化したその日課は、私の時間の多くを割いているものだ。特にイベント中、推しイベなんかが来たときには、多分私はゾンビギークよりゲームを優先しそうな気がする。
「まぁ私の推しはボイスすらついてないし来ないだろうけどねぇ」
可愛らしい女の子の声がイヤホンから聞こえる。その瞬間から私は、現実世界を離れて2次元の世界に入り込んでいるようなものだ。でも今日は、その私だけの世界に、ある思考が割り込んで来た。言うまでもなく、稔のことだ。
中学1年生の、12歳。親や私に生意気な口を聞いたことも喧嘩をしたことも駄々をこねたことも一切ない、そんな思春期の男子がいるだろうか。よくよく考えれば、稔は私の趣味を理解しているが、私は稔がお小遣いを何に使っているかなど知らない。稔は女子の友達が多いが、彼女はいるのか?逆に男子の友達はいるのか?謎は深まるばかりだ。
「あいつ趣味とかあんのか…?休みの日に出かけるときどこ行ってんだ…?」
独り言を言いながら、慣れた手つきで音ゲーをする。最高難度より少し難易度の低い譜面を、ところどころ間違えながら。普段の弟がどんな人なのか、想像を膨らませるも、納得のいく像は出来上がらない。
従来の私のイメージでは、こうだった。明るくクラスの人気者で、モテ男で、リア充。料理上手で乙女心が分かって、聞き上手な出来る男。しかし、本当にそうなのか?この世のイケメンのほとんどは、性格が悪いか、頭が悪いか、何かヤバい欠点があるか、何かヤバい性癖があるか、とにかくどこか欠けているものだ、私のイメージでは。ましてやこの私と血を分け合っている兄弟が、普通のモテ男なわけがない。
「まぁ弟のことなんて、放っておくべきなんだろうけど…」
スタミナ消費が一通り終わり、イヤホンを外す。ゲームセンターのように大音量で流れる音楽から開放され、いつも通りの、生活音と外ではしゃぐ小学生の声しか聞こえない世界…ではなかった。
「紗千、紗千?外で君の弟とお母さんが喧嘩してるけどいいの?」
「…は?」
そもそも、いつの間にお母さん帰ってきてたんですか??
廊下で稔とお母さんが言い合う声。イヤホンをしていたとはいえ、何故気付かなかったのかを疑問に思うほど、双方ともかなりヒートアップした様子だ。そしてそれを、随分落ち着いた様子で報告してくるクマ。
「お母さん!!稔!!どうしたの喧嘩なんか珍しい…ど、どうしたの?何があった?」
ドアをこれでもかというぐらい大急ぎで開け、2人のほうを見る。稔もお母さんも普段怒っているところを見ないので、まずどうやって止めたらいいのかが分からない。
「お姉ちゃんは黙ってて!!」
「紗千は黙ってなさい!!」
私の言葉も、見事なまでにシンクロした2人の言葉によりかき消される。お母さんは恐らく帰ってきたばかりで、スーツ姿のまま稔と口論していた。
「あのさぁ2人とも、私別に何か文句言ったわけでも怒ったわけでもないし、ただ何があったの?って聞いただけなのに黙ってろって、そりゃあちょっと感情的になりすぎじゃないの?」
「だってお姉ちゃんに言っても分かんない話だもん。これは俺とママの問題であって、お姉ちゃん全く関係ないでしょ?」
「そりゃそうなんだけど…お前は仲裁って言葉を知らんのか?」
「紗千、あんたが入ってきても仕方ないから、部屋戻ってて」
「お母さんまで…」
なんで喧嘩しているのかは知らないが、この『部外者の言葉は聞かん』というスタンス、確実に大人げない感じしかしない。とりあえず何があったかを聞いて、そこからなんとかしたいのだが…私は完全に邪魔者のようである。
「あの、とにかく何でこうなってんの?ただ何が起こってるか分かんないから、一旦状況整理させてくれる?」
2度同じ質問を繰り返す。しかしそれが逆に稔の逆鱗に触れたようで、普段温厚な弟はみるみるうちに怒りのゲージが上昇していった。
「だからお姉ちゃんは関係ないでしょ!!お姉ちゃんにもママにも、俺のことなんか何にも分からないんだから、話したって仕方ない!!それを分かることみたいに言ってくるの、お姉ちゃんの悪いとこだよ。他人のことなんか誰も分かんないんだから!!」
半分怒りながら、半分泣きながら。初めて見た弟の反抗らしい反抗かもしれない。稔は言い捨てるようにそう叫んで、振り向きもせずに1階へ走っていく。しばらくすると、玄関からドアがバタン、と閉まる音が聞こえた。
「ちょっと稔!!」
「いいよ紗千、止めなくても。元はあいつの自分勝手と自己責任なんだから」
「…あのねぇ、大人げないよ、お母さん。お母さんも親なんだから、自分の3分の1も生きてない稔と同じフィールドで戦わないの」
追いかける素振りも心配も見せず、いじけたのか拗ねたのか、頬を膨らませながら自分の部屋へ戻っていった。あんなでかい子供みたいなのが我が母でいいのか。
「…あ、クリストいたんだ」
「いたよ、ずっと。大変だねぇ君も。ところであの弟くんは、追いかけなくていいのかい?」
「そうだね、まぁ、腹減ったら帰ってくるでしょ。知らないけど」
今まで反抗らしい反抗なんてしてこなかった子だし、どうしたらいいのか分からないというのもあるけど、とりあえず、放っておいてあげよう。反抗させておいてあげよう。暗くなるまでに帰ってくるか友達の家に泊めてもらうことを祈って、信じて待とう。
「…って、本来はこういうことお母さんが考えるべきなんだろうね」
うちの母は最近ますます大人げないというか、それすら通り越してむしろ子供っぽい。ていうか、幼児退行。家事はたまにやってくれるというレベルだし、母というより、父だ。
「君たち姉弟って、面白い関係だね。お互いがお互いの親代わりみたいだ。」
「あー…言われてみれば、確かにそうかも。稔は料理上手でお母さんみたいだし、私はその、怒ったり叱ったりでお父さんみたい…あれっ」
…どうやら我々は、産まれてくる性別を間違えたようだな。
「とにかく、まだ昼だし外明るいし慌てる時間じゃない。じゃ、私はゲームするからお前部屋入ってくんなよ」
「…前から思ってたけど君さ、なんでそんな頑なに僕を部屋に入れたがらないの?」
「お前に限らず部屋にはだいたい入れたくないんだよ」
そもそも、あんまり可愛くない正体不明のクマのぬいぐるみもどき(声は完全に青年)がすぐ近くにいるというのが、とても気味が悪いんだけど。
本日何度目か分からないクリストつまみ出し作業をし、念のためドアの鍵もかける。ベッドに寝転がり、再びスマホゲームをしようと電源をつけるも、稔のことが気になってあまりゲームをする気にはなれなかった。口では放っておくと言いつつも、やっぱり万が一何かあったらと考えると心配だし、とにかく心配だし、まぁ心配で心配で仕方ないし、とりあえずヤバいぐらい心配だ。語彙力!!
「はぁ〜…稔…携帯持って出てった気がするけど連絡したら出るかな…出ないよな…」
大きなため息をつき、ベッドの上で無意味にゴロゴロと転がった。特別弟と仲が良いわけでもないのだが、今までずっと、クリストが言うようにお互いの親代わりをしてきて、まぁ二人三脚のような感じで暮らしてきた片割れなわけだから、いなくなったら自然と心配してしまうわけだ。
「やっぱ探しに行こうかな…」
何時に帰ってくるかも知らせず出て行くなんて、稔らしくない。今からでもチャリ漕いで探し回るべきだろうか…いやでも過保護過ぎやしないだろうか…2つ歳上の姉にそこまでされたら引くだろうか…
「紗千、紗千ー?ちょっと開けてもらっていいかい?」
「…何」
ドアを開けるのも億劫で、私はドア越しにクリストに返事をした。少しこもって聞こえるクリストの声は完全にどこにでもいる青年の声で、向かいにいるのがクマだということを忘れそうな気がしてしまう。
「弟くんが心配だろう?」
「…うん」
「じゃあ探しに行けばいい」
「でも」
鬱陶しがられたら…とか、色んなことを考えた。多分クリストは、それを分かっていただろう。声だけで分かるほど自慢げに、クリストはこう言った。
「僕に任せなよ」
「うぉぉおおわわ!!やっべ!!」
変身する前よりも少し短い、肩まで伸びた髪が荒れ狂って視界を時々遮る。母の働く警察署さえ私の目線より低いところにあるのは、少し不思議な気分だが、開放感はバッチリだ。そして私の右手は、クリストの胴体をガッチリ掴んでいる。
「チャリより速い!!」
「当たり前だよ!!」
自由に空を飛ぶのが夢だと言う人もいるだろう。私は何故か今、弟を探すためにクマの力で空を飛んでいる。ちょっと自分でも言っている意味が分からない。分からないのだが、クリストが「弟くんに見つからないよう弟くんを見つけ、そしてバレないよう後をつければいい」と言われ、言われるがまま空を飛んでいる。
「でもさでもさクリスト!普通人が空飛んでたら目立つでしょ!大丈夫なのー!」
「大丈夫だよ紗千!僕が君以外の人間に見えないのと同じ仕組みで、今の君は魔力を多く持つ人にしか見えないんだー!」
「何て言ってるのか全然聞こえないけどありがとー!」
ありとあらゆる空を飛ぶものよりかなりの低空飛行だが、それでも空は飛んでいる。ベランダから飛び降りてから数分、家の周辺を見渡す。稔らしき少年はいない。
「場所の検討はついてるかい?」
「分からん!けど自転車は置いてったみたいだからそんな遠くには行ってない!」
「じゃあ人のいるところ、全部見て回ろうかー!」
近所の商店街のほうへと飛んでいく。土曜日なので人は多い。商店街の中は屋根がついているので飛ぼうと思うと結構大変だが、それはどうするのだろう…と考えていたが、その必要はなかった。
「いた…稔」
スマホを握りしめ、部屋着のまま無表情で立ち止まっている。道の端に寄り、人の波を遠くからぼーっと眺める姿。家出したもののやることがなかったのか…見てるだけで悲しくなりそうだ。
「なんか覗き見してるみたいで申し訳ないなぁ」
「とにかく無事でよかった。もしゾンビギークとかになってたらもっと面倒だったね」
「それな」
空中に立ち止まり、一歩も動かない稔を眺めた。不思議な体験だ。風の音も、通行人の喋り声も、聞こえていたはずなのにどこか静かで、物寂しい時間。クリストを抱え、じっと下を見つめ続けていたのだが…その静かな時間が、突然止まった。
「…ねぇクリスト、あれ」
稔に話しかけた1人の男。稔も知り合いなようで、先程までの無表情とは打って変わって笑顔で応対する。電柱の影に隠れて、目をこらして彼の顔を見た。黒ずくめの服に藍色のマフラー、冷たそうな黒い手袋。それは紛れもなく…ゾンビキルの幹部、サイだった。
「ねぇ…なんでサイが稔と喋ってるの?知り合いっぽいけどどこで会ったの?」
「落ち着いて、紗千。今の君は普通の人には見えないけど、サイには見える。追跡するならまず身を隠さないと…」
「稔をゾンビギークにするつもりとかじゃないよね?違うよね?」
「ねぇ紗千、聞いてる?」
ゾンビギークにするつもりなら、別に話す必要なんてないだろう。なら何故稔に干渉したのか、どこで出会ったのか、どうやって怪しまれずに近付いたのか。
「クリスト、ちょっと降ろしてくれない?」
「…サイと戦うつもりかい?街中でとなると通行人を巻き込むかもしれない。それに…サイは、強いよ。」
クリストは、サイの強さを知ってるんだろうか。私もそれはなんとなく分かる。いつだか紅葉さんがサイを杖で殴ろうとしたときのあの立ち回り、あれだけで私は、サイがただの色男じゃないってことぐらいは分かった。
「でもそんなのどうでもいいから。稔が危険かもしれないんだよ?」
「…とりあえず、今は普通に話してるだけだから、しばらく様子を…」
私を止めるつもりだろうか。話している途中のクリストを、私は近くの民家の屋根に、躊躇いもなく投げた。
「ちょっ…君、死にたいのか!?」
「死ぬわけねーじゃん!!」
休日はいつも指輪を身に着ける習慣をつけておいて良かった。屋根より高い高さから落下しながら、ぼそぼそと呟くように早口で、あの言葉を唱えた。
「アインジーギンフズィーはよ変身しろや!!!!」
通行人はびっくりだろう。突然空から女の子が出てきたと思ったら落ちてきて、かと思ったら光り出してち突風ぶわーなんて。
「いってぇ!!!…く、ない?」
落下する私を包み込むように、突風と光が発生する。もっとこう…地面に叩き付けられる痛みを想定して身構えていたが、何かに支えられるような感覚しかしなかった。
「愛しのサチさん、空から降ってくるなんて物語みたいですね」
「死ね」
何かに支えられる感覚の正体はサイだった。それはそれはもう、気持ち悪いぐらい笑顔で、腹立つほど爽やかな笑顔で。視界のほとんどは、サイの顔。男の顔。何故お前は空から降ってきた敵をお姫様だっこしようと思ったんだクソが!!
「いっぺん死んでみろやゴルァ!!」
サイの肩をつかみ、膝蹴りをお見舞いしようと体を浮かせる。サイはそれを片手で受け、優しく突き放した。
「あなたのお姉様は、随分お行儀が悪いですね」
「お、お姉ちゃん何してるの…?あと何その格好」
稔が困惑するのも当然。今の私は、魔法少女の格好で黒ずくめの男と戦っている。大勢の人の前で。弟もいる中で。
「おい紗千!!何してるんだよ!!」
「何してるって、戦ってるんだよ!!」
「通行人がいるだろう!!」
「知るか!!」
少し遠くから聞こえるクリストのいつもより口が悪いお叱りに、いつも通り適当な受け答えをする。呆れた様子で屋根から私を見ていたクリストは、仕方ない…といった様子で、通行人を指差した。
「見なかったことにしてもらうの、割と面倒くさいんだよ?」
こちらを見ている者全員が、一瞬にして気を失ったように倒れた。かと思うと立ち上がり、軍隊のように統率のとれた歩き方で、皆商店街の中へと移動していく。一瞬にして商店街の入口付近は、無人に近い状態になった。その様子を、私と稔とサイは、今この状況すらも忘れて見入ってしまった。
「え、クリストこんなこともできんの…」
「そりゃあね、当然。これで思う存分戦いなよ。彩葉呼んできたほうがいい?」
「どっちでも」
「分かった」
どっちでも、に対する答えが何故「分かった」なのかは分からないが追求するのも面倒なので何も言わず、戦闘再開。変わらず笑顔で佇むサイに殴りかかるも、避けられる。続いて蹴り、その辺に落ちてたビニール傘で斬り上げ、そのタイミングで舞い降りてきた槍を握りしめて刺すも、ひとつも当たらず華麗にかわされる。
「残念ですがサチさん、その槍では僕を倒すことなど出来やしませんよ」
「え、何?何なのお前?私がお前倒せないのを何で1回槍のせいにした?いや確かにボロいけど!最初の戦闘で折れたけど!てか前より短くなってるけど!あと傘はいいの?傘は!!」
傘と槍の二刀流で、サイに斬りかかる。それらはサイの着ているコートにすら掠ることなく綺麗に空振り続けるため、ますます苛立ちが募る。顔面めがけて振りかぶった傘は、勢いのあまりどこかへ飛んでいった。
「こうなったらもう槍もいらないから!!その綺麗な顔面クレーターにしてやんぞゴルァ!!」
槍をその辺に投げ捨て、壁際に寄せて止めてあった自転車を両手で掴んだ。私が愛用する折りたたみ自転車よりも重い、前カゴのついたママチャリ。私はそれを少し力を入れて浮かせ、逆さに持ち上げた。
「…サチさん。その…自転車を、どうするんですか?」
「どうするって、こうするんだよ!!」
自分の叫ぶ声が、耳に張り付くようにはっきりと聞こえた。コツンと地面を蹴るブーツの音も、風を切る音も、全てが冴えて聞こえる。多分今の自分は、ヤバい。だって自転車が物凄く軽いんだから。世界中に存在する、ありとあらゆる魔法少女の中で、ママチャリでゾンビキルの幹部を殴ろうとするような奴は他にいるだろうか。驚くサイの顔。少し後ろで見ている稔。なんだか動きがスローに見える。私はその自転車を、勢い良くサイに振り下ろす…
「お姉ちゃん、やめて!!」
ピタリ、と私の動きは止まった。それと同時にスローで動いていた景色は正常に動き出し、軽かった自転車が急に肩に来始めた。
「何で止めたの、稔?お前、こいつが何してる奴か分かってんの?」
自転車を地面に降ろし、投げ捨てた槍を拾いに行った。今度は仕留めようとサイのほうへと振り向くと、サイの前には両手を広げた稔が立ちはだかっていた。
「ミノリさん…?」
「サイさんは悪い人じゃないから。何か誤解してるんだよね、お姉ちゃん?」
サイに殺意を向ける私を、落ち着かせるように。稔らしい言い方で、稔は私の前に立ちはだかった。
「あのさぁ稔、お前こいつの何を見て悪い人じゃないって言えるの?いや、寧ろ人ですらないから。血も涙も無いようなクソみてぇな奴なんだよ?」
「まぁ、それは…人でない全ての生き物を軽蔑するような言い方ですね。」
稔の肩に手を置き、静かに一歩前へ出たサイ。稔の顔を見て微笑み、今まで私に向けることのなかった殺意を、始めて私に向けた。
「いいですか、サチさん」
「よくない」
「ミノリさんは、自ら選んで僕の力になると言いました。昨日のことです」
「知らん」
「彼には悩みがある。だけどそれは誰にも理解されないのだと、悩んで、そして僕を頼りました。あなたより、僕を」
「死ね!!」
槍をサイの喉元を狙って、投げるように突く。それはサイに当たりはしなかったが、サイのマフラーに刺さり、私が槍を引き抜くとマフラーは一緒についてきた。
「…返してください」
笑顔が引きつり、怒りで歪む。サイがマフラーを掴み、私も槍が刺さったマフラーを掴み、綱引きのような状態になる。
「千切れるじゃないですか」
「お前はマフラーより自分の心配しろよどんだけ寒がりなんだよ」
「これは帝王に貰ったものなので」
「ゾフィーのパパ?あっそ」
きっとこのマフラーは、サイにとって大事なものなんだろう。ずっと笑顔で振る舞っていた彼の顔が、この日初めて歪んだ。私は少し考えてからなるほど、と思い、右手に持っていた槍でマフラーを貫き、引き裂いた。
「あっ…」
サイの戸惑うような間抜けな声。手を静かに伸ばしたまま静止し、絶望と怒りが混じったような光のない視線がこちらに向けられる。私はそれを気にも留めずマフラーをもう一度ぶっ刺し、今度は縦に裂く。サイが端を握っていたのも引き剥がし、更にボロボロになるまで引き裂く。少し小さくなって床に落ちたマフラーだったものを、私は躊躇いなくブーツで踏みつけた。
「あーあ、ボロボロだったから裂けちゃったわー!また新しいのパパ帝王に買ってもらいなよ?今度はこんなクッソダサいのじゃなくてもっとカッコイイ奴にしようね〜!サイちゃーん?」
「…悪人面、ですね」
「ダークヒーローっぽくっていいっしょ?なんつってね、アッハハハハ!」
止まらぬ高笑い。消え入るようなサイの暗い声。後ろで戸惑い怯える稔の姿が見えたが、そんなことはどうでもいい。話は、サイをフルボッコにしてからだ。
「マフラーボロボロにされてそんな悲しいかクソナンパ男!!日頃の行いが悪いからだよ!!死ね!!次はお前がああなる番だ!!」
マフラーを風に煽られてどっか行け、と思いながら蹴り飛ばし、そのままの勢いで槍の矛先をサイに向けた。今度はその分厚いコートを引き裂いてやろう、その思いで、槍を感情任せに振り下ろした。
「…よくも、そんなことを」
カキン、と刃と刃がぶつかった音。私はその音を聞いてはっと我に返った。調子に乗ってはならない。サイはクリストの言うとおり、強いだろう。今までずっとゾンビギークを作り出す以外の攻撃をしてこなかったし、攻撃しようとしても素手で受け流すばかりだったが、きっと私よりももっと戦闘の心得があるのだ。そしてそれは…今、証明されようとしている。
「あなたのほうが悪役に向いているかもしれませんね。どうして魔法少女なんかやってるんですか?」
彼は手袋をしたその指で、レイピアの細い刀身を撫でた。先から柄まで銀色に染められたそれは、いつどこから出てきたものか分からないが…きっとそれは、私の持つ槍と同じ理屈だろう。
「あなたの武器が刺すものなので、僕も刺すものにしてみました」
しかし、理屈は同じといえど、武器を扱う上でサイと私には決定的過ぎる格差がいくつもある。ひとつは、私は魔法少女になって1ヶ月だが、彼はそれ以上の戦闘経験があると思われること。まぁ、多分年上だし。
ヒュンと鳴る綺麗な音と共に、レイピアが風を切った。まっすぐ私に向けられた殺意、レイピアが、私の顔面のすぐ前まで迫る。ピタリとそこで止められたそれはすぐに引き下がり、再び襲いかかる。私はとっさに槍でレイピアを弾き、下を向いた刃を踏み潰すように蹴りを入れた。
「あんたレイピア使ったことないだろ」
「バレましたか」
「使ったことある人こんな試し切りみたいなことしないよ」
少し折れたレイピアを投げ捨て、彼はくるり、とその場で舞うように回る。ダイヤモンドのような銀のような、そんな輝きを纏い、その光の中から2つのレイピアが出現する。
サイと私の戦う上での格差…2つ目は、サイだけでなく紅葉さんも出来るが、私には出来ない。魔法を用いて、複数の武器を作り出すことだ。サイによって生み出された2つのレイピアは、私めがけてまっすぐ向けられる。
「あなたは鋭い。戦いのセンスがあります。クリストさんも素晴らしい人材を見つけたものだ」
「普段どんな戦い方してんの?」
「普段通り戦いましょうか?そうなると、あなたは確実に負けますけれど」
「やっぱ手加減してるんだね、怒ってんのに」
レイピアの二刀流に、木の棒みたいな槍で応戦する。流石に限界を感じたので、先程のビニール傘を拾おうと左手を伸ばすと、左手に吸い付けられるように、勢い良く傘が飛んできた。
「何だ今の!?」
「まぁ、1ヶ月でそこまで習得したんですね。魔力の少なさを格闘技の心得でカバーしてるような人かと思っていたんですが」
「何だテメ喧嘩売ってんのか」
飛んできた傘で、レイピアを弾き飛ばす。2度殴るとレイピアは飛んで行き、もう1つはお得意の蹴りで歪ませた。
「手加減しなかったら勝てたと思うけど最後までそれかよ」
サイの喉に槍を突き付ける。反射的にサイは喉を左手で抑え、右手は上げ、笑いながら降参のポーズをした。
「年下相手の割には本気になり過ぎてしまいました」
怒りは静まったのだろうか。彼の顔からは余裕が感じられる。私が一歩前へ出ると、彼も後退りをした。喉に手は当てられたまま。私がとどめを刺そうと槍を少し引くと、再びサイはレイピアを召喚した。しかしそれと同時に…私とサイの間を、銀のレイピアが貫く。
「…稔、何やってんの」
それは間違いなく、私が傘で弾き飛ばしたサイのレイピアだが、それは別にどうでもいい。レイピアを震えた手で握り、私に何かしらの反抗をしようとしている稔はとても弱そうで、別に恐れの対象ではないのだがとにかく湧き出るのは疑問。圧倒的、何やってんだお前感。
「ねぇ、2人とも何喧嘩してるの?何か誤解してるんだよね?とりあえず話し合おうよ、ねぇお姉ちゃん?」
「は、はぁ」
ヤバい、こいつ頭おかしい。そりゃ人のマフラー引き裂いて踏んづけて高笑いするサイコパス一歩手前JCの弟なんだからさ、そりゃ多少は変だろうけど、こんな決闘みたいな争いを「喧嘩」で済ますとは何たるKY。
「あのねお姉ちゃん、サイさんは俺の悩み相談に乗ってくれたり、一緒に買い物行ってくれたり、とにかく格好良くて、すっごく優しい人なんだよ。」
「ああ…そうなんだ…じゃなくて」
「サイさんもお姉ちゃんがどんな人か分かってる?口は悪いけど駅でお婆ちゃん助けるし、パパの前でだけ甘えたさんだし、宿題手伝ってくれるし、俺が何かなくしたら絶対一緒に探してくれるよ!」
「今さっき僕のマフラー引き裂きましたけどね」
健気な弟が喧嘩の仲裁に入ろうとしている姿は、手に持っている物騒なものを見ないようにすれば微笑ましい限りだが、私からしてみればヤバい弟。何故かずっと喉を抑え続けているサイが、今度は右手で頭を抱え始めた。
「あの、稔。そもそもさぁ、悩みって何なの?」
「…それは」
「見ず知らずのよく分かんない外国人かツノ生えた動物みたいな名前の厚着で割と日本人顔の男には言えて、お姉ちゃんには言えない悩みってどんな悩みだよ」
稔の表情は曇る。やはり元凶はその悩みとやらだろう。
「じゃあこれをまず先に聞こう。何でそれを言わなかったのか」
「お姉ちゃんには、分からない悩みだと思ったから」
それはまぁ…学校でも家でも異性に囲まれて育った弟だけに、同性の友人に憧れるのも自然だし、同性にしか打ち明けられない悩みもあるだろう。
…でもそれで、人間に攻撃してる組織の幹部と仲良くなるとか断固有り得ん!!
「言わなきゃ!!分からないこともあるのに!!言ってみなきゃ!!分かってくれるかどうかなんか分からないのに!!なんで言わない!!姉弟だよ!?ちょっとやそっとじゃドン引かないよ!!」
「お姉ちゃんは分かってないからそういうこと言えるんだよ」
「大丈夫だよ稔!!この世にはアスファルトに欲情する人もいるから!!アスファルトのひび割れと性交渉しようとして救急車呼ばれた人もいるから!!そういうレベルでも私引かない自信ある!!なんなら私チワワの飼い方って本でオ」
「サチさん、もうやめましょう。ミノリさんがドン引いてます」
冷静になってみれば、ここでサイが止めてくれて良かったと思うだろう。敵に変なところで借りを作ってしまった…。
「…それで、悩みって何なの?」
ストレート過ぎて気遣いとか何もない聞き方だが、稔は話す気になってくれるのだろうか。彼の顔を少し覗き込むと、歪んだ表情は徐々に泣きそうな顔へと変わっていった。
「…か…ないよ」
か細くて、小さな声。すすり泣く音の合間に、必死に喋ろうとする弟の感情が見えた。その言葉を聞こうと、私は稔の前で、少ししゃがんで顔を覗き込んだ。
「お姉ちゃんには…お姉ちゃんみたいな、アニメの女の子しか好きじゃない人には分からないよ」
「…は?」
レイピアは稔の手から滑り落ち、コンクリートとぶつかって綺麗な音が鳴る。半泣きのその表情が深刻さを漂わせ、私も息を飲んで見守っていたが…どうにもその悩みは…予想していた展開とは、大きく違った。全日本くだらない弟の悩みグランプリがあったら、間違いなく金賞が取れるレベルにはぶっ飛んでいるだろう。
「分かりっこないよ!!男なのに男のアイドルばっか追いかけて!!それで友達も女子しかいないなんて!!分かり合えるかなって期待したお姉ちゃんも、萌えアニメばっか見てるし!!その上コンサートのチケット代払ったらグッズ買えなくてママにお金ちょうだいって言ったらお金ないのに申し込んだお前が悪いって!!」
…なるほど、それで喧嘩してたのか。…じゃなくて!!
「え、え、え、おま、お前…それをサイに相談してたの?」
「うん…」
「く、くだらねぇ…」
どうりでここ数年部屋に入れてくれなくなったと思ったら…きっと私の如く、壁一面ポスターでも貼っているのだろう。
私の前で泣きじゃくる稔。何故か武器を捨て背中をさすってあげているサイ。よく考えろ、紗千。私は稔の姉であり、同時に彼の親代わり。彼を受け入れ、慰めてあげるべきだろう。
「稔?」
頭にポン、と手を置く。ブーツのおかげで稔より少し背が高くなり、お姉ちゃんらしい身長差に見えなくもない。槍を地面に置き、両手を稔の肩に置く。にっこり笑い、落ち着いた声で。語りかけるように、こう言った。
「気付いてあげられなくて、ごめんね」
「お姉ちゃん…」
溢れ続ける涙をごしごし袖で拭き、乱れる呼吸を時間をかけて整えた。俯いていた稔は、自分の顔を覗き込む私と目を合わせようと、ゆっくり顔を上げる。私は母のように微笑み、泣き顔から少しずつ笑顔に戻っていく稔の頬を、何の躊躇いもなくグーで殴った。
「なんて言うと思ったかクソガキィ!!!」
…平手打ちにしたほうがよかった気が。よく考えなくても、ゾンビギークを素手で倒した人のグーパンチは流石に痛かったかもしれん。
「だいたいお前なぁ、どーせ分からなーい、分からなーいって言ってるからヤバいやつなのかと思ったら、全然アレじゃねぇかよ!!ビビらすなよ!!そりゃひょっとしたら?アニオタは3次元のアイドル嫌いな人いるかもしれんけど?だからと言ってそれでゾンビ生成集団みたいなのに相談とか頭湧いてんじゃねぇの!?」
「サチさん…言葉足らず過ぎて内容が入ってきません」
稔は左の頬に手を当て、口をポカンと開ける。何に対してかは分からないが、静かに涙を流していた。
「この世にはいっぱい人がいて、それぞれ好きなものと興味ないものと嫌いなものがあるわけ。そりゃ私は男は興味ないけど、だからと言って男が好きな奴に、『なんでそんなクソみたいなのが好きなの?』とか、『金の無駄だしやめときなよ』なんて言う権利はない!!誰かが好きなものは何も言わず認める!!嫌いな奴は距離置いて過ごす!!オタクが平和に過ごす術はこれだよ、稔!!」
口下手だし口悪いし、何も良いことなんて言えないけど、出来るだけ稔に今の私の気持ちを分かってもらえるよう、感情任せになりながらも頑張って言葉を選んで喋った。
「だからさ、稔。あの、えっと…」
「うん、分かった。分かったから。ありがと、お姉ちゃん。」
少し腫れた頬を撫でながら、天使のような無邪気な笑顔で稔は笑った。ずっと抱えていたものがなくなってすっきりしたようで、涙の跡を指で拭いながら、心からの笑みを溢れさせていた。だがその笑みが、急に止まる。稔があれ、と小さく呟くと、その次の瞬間に矢が飛んできた。サイの顔の少し横を飛んだ
「チッ…外しましたね」
「彩葉、世界一可愛いボクが応援してるから頑張ってー!」
「紗千、彩葉とパーシーを呼んできたよ」
サイに向けて矢を射る紅葉さん。連続して放たれる矢はサイに当たるギリギリのところを掠め続け、サイは避け続けるのは困難と考えたのか背を向けて走り出した。
「あ、こら待ちなさい!!」
杖を出し、サイを追いかけ走り出す紅葉さん。しかしそのサイは、数メートル先で静かに消えた。
「…逃げられましたか。」
指輪を外して変身を解く紅葉さん。私も指輪を外す。しばらくすると、私達のまわりだけ人がいなかったのが、すぐに人が戻ってきた。
「あ、あの、お姉ちゃん…いまのは」
「え?あ、あぁ…あの、これはだね……うん、帰ってから説明しよう」
苦笑いし、そういえば窓から出たから靴を履いていない、とまた笑う。帰ったら、まずどこから説明すべきだろうか。魔法少女になったこと?サイがヤバい敵だよってこと?あと紅葉さんも魔法少女仲間だよって紹介しとく?いや、その前にお母さんと仲直りするのが先決か。
「うん、帰ろっか。靴、俺の貸そうか?」
「いや、いいよ。サイの千切れたマフラースリッパにして帰るわ」
「この姉頭おかしい」
「…ていうかその汚れた布切れサイさんのマフラーだったんですか?」
うーん…そうだな、まずは、稔にお小遣いをあげようか。チケット買ったらグッズ買えないとか嘆いてたし。それから、ゆっくり色んな話をしよう。全く興味はないが、どんなアイドルが好きなのかも聞いてやろう。『仲が良いわけでも悪いわけでもない姉弟』から『そこそこ仲良い姉弟』ぐらいにはなれるように。
「お姉ちゃん、ありがとう」
稔は笑う。私も笑う。どのくらい話を理解しているのかは分からないが、紅葉さんも微笑ましい家族を見守るように静かに笑ってくれた。私と、稔と、紅葉さんと、クリストとパーシーも入れて皆で歩いて帰る。趣味に打ち込んでいるときとは違う、言葉で言えない幸福感が味わえた。
「…チワワの話しなくて良かったな」
出来過ぎた弟の一度きりの反抗は、こうして笑顔で終幕となった。