心を開けない本当の理由
季節は春、そして早くも5月中旬。もうそろそろ暖かくなってきても良い頃だろうが、生憎私が寒がりなせいか「ああ寒い寒い」と言いながらブレザーの下にカーディガンを着込む生活は変わらない。通学路には真夏と大差のない服で登校する生徒の姿も見えたが、私からしてみればその姿は異様だ。
「あ、紅葉さん。おはよう」
「…おはようございます」
そしてその異様は彼女も同じ。通学路を速歩きで歩く彼女はブレザーどころかベストもカーディガンも着ておらず、上はカッターシャツ、下は夏用スカート。ああ、彼女は風邪をひきたいのか?私にはそうとしか思えない。
私が魔法少女になった日から2,3週間程が経った。その間ゾンビギークは必ず週に5回、1日に1体から3体、欠かさず出現する。週に2回ちゃんと休みがあるあたり、ゾンビキルのホワイティさが伺い知れる…なんてことはどうでもいい。
因みに現れるゾンビギークは、決まって強さが両極端だ。200〜500円クラスの弱いゾンビギークか、1200〜1500円の強いゾンビギークか。恐らく、前者はゾフィーが、後者はサイが作り出したものだろう、多分。
「ねぇ、紅葉さん。」
「…はぁ。」
私が彼女の名前を呼んでも、言葉でなくため息で返されることもしばしば。何故そこまで拒むのか…その理由は最初に会ったとき聞いたのだが、それではいまいち納得がいかないような、どこか腑に落ちないと思うところがあった。
『私は彼女達のような人とは関われない』
あの日、そう彼女は吐き捨てるように言った。私は、紅葉さんの言う『彼女達のような人』なのだろうか。魔法少女を小遣い稼ぎとしか考えない、平気で人徳に背き、人を見下し、力の弱い者を仲間外れにする…
違うと言い切れたらなぁ、楽なんだろうけど。私は自分が良い人だと言える自信がない。そんな気持ちも飲み込んで、私は紅葉さんに話しかける。
「私と紅葉さん以外にさ、魔法少女っているの?」
「ええ、いますよ。少し離れた所にですが…まぁどなたも、私よりは弱いと思いますけど…。」
「あー、なんか前クリストがこの町1番の魔法少女がうんたら言ってたのは、紅葉さんのことだったのかな?」
「…そうでしょうね。」
なるほど、確かに紅葉さんは強い。それは私でも分かる。あれから何度も共闘したが、1500円クラスのゾンビギーク相手にでも臆すことなく、相手により有効な武器で挑む彼女の冷静さ、判断力、正に聡明という言葉が相応しい。
私はそんな彼女を、打ち負かしたのだ。強そうな剣を持った彼女を、安物の槍で。
「それがどうかしたんですか?」
「…ん?あ、ああ…え、えーっと…なんだっけ…あーそうそう!…えっとね?」
紅葉さんに話しかけられ、我に返る。自分が先程までしようとしていた話が考え事に乗っ取られ、危うく何の話をしようとしていたのか忘れるところだった。
「あ…そう、もしその…私が町を出て出かけてる間にゾンビギークが出現したらどうなるのかなって」
「私が倒します」
「…じゃあ紅葉さんも出かけてたら!」
「この町にいる他の魔法少女に倒してもらうか、即刻帰ってくるかでしょうね。」
「そっかー…じゃあ2人で出かけたりとかできないね!」
紅葉さんの足が止まる。私も立ち止まる。何もそこまで拒絶することないだろうに…眼鏡越しに嫌悪感を漂わせながら、こちらを睨む。半端ない威圧感。私はなるべく彼女の目を見ないように、目を逸らし、何もない空を半笑いで眺めた。
「…例えばの話ね?」
その言葉を聞き終えると、紅葉さんは何も言わずにかなりの速歩きで私の前を歩いて行った。…あと今なんか舌打ちが聞こえた気がするぞ。
「はぁ、女の子の考えることは分かんないねぇ」
「…君も女の子じゃないのかい?」
後ろから聞こえるのは言わずもがなクリストの声。スカートのポケットに手を突っ込んで指輪を忘れていないことを確認した後、紅葉さんの後を追いかけた。
「君は毎朝僕を置いて学校へ行くのが日課なのかい?」
「いや」
「じゃあ何で置いていくの?」
「楽しいから…」
クリストに目をやることもなく、紅葉さんを追いかける。今の私は、いかにして紅葉さんと仲良くなるか…ということしか考えていない。
「どうしよっかな〜…」
早足で歩く紅葉さんの背中は段々小さくなり、曲がり角で私の視界から消えた。私は追いかけるのも面倒になってきて、どうせ教室でまた会えるし…と少しゆっくりめに歩いた。
紅葉彩葉、14歳。私と同じ3年8組の生徒で、図書委員。因みに出席番号は私のひとつ後ろの28番なので、班でも席でも何かと一緒になることが多い。誰にでも敬語を使う、よく言えば礼儀正しい、悪く言えば堅苦しいといったところか。喋っていてどこか壁を感じるのは、私に限らず多くの生徒が彼女に抱く最も多い印象で、それが彼女の代名詞と言っても過言ではない。休み時間は自分の席で何かしらの本を読んでいるが、だいたい私にとってはなんだかよく分からない本である。国語の教科書に出てきそうな人とか。
そしてそれは今日も同じだった。ブックカバーをかけて表紙は見えないが、文庫本サイズの本を静かに読んでいる。時折カチャリ、と音を立て眼鏡に触れる仕草といい、凄くアホらしい言い方になるが…超頭良さそう。それは決して、ただ眼鏡をかけて本を読んでいるからではなく、彼女自身の立ち振舞いや雰囲気から来るものでもある。
私はそんな紅葉さんの目の前の席に座る。気にしたことなどなかったが、魔法少女はこんなにも近くにいたのか。リュックから教科書を出し、机に突っ込みながら後ろの気配を感じる。あまりにも静かで、意識しなければ分からない、今にも消えそうな存在感。そんな小さな存在が、私達の住む世界を守っていることはきっと誰も知らないし、この先知ることもないんだろう。
私と彼女はまるで正反対だと思った。口を開けば余計なことしか言わない、頭も悪い、口も悪い、語彙力がない、世界一嘘がつけない私と、物静かで知的で、ミステリアスで、丁寧口調で、自分の周りに壁を作ってひとりでいる、そんな彼女。共通することは、友達がいないことだけだろうか。
「はぁ…疲れた…」
登校しただけなのに、妙な疲労感。恐らく、そんなに良くもない頭で考え事をし過ぎたせいだろう。昨日何時に寝たっけ…なんて考えながら、睡魔に誘われ重たい瞼が閉じられる。周りの音が聞こえなくなるほどの欠伸をして、冷たい机に倒れ、筆箱を枕代わりに眠りに落ちていく。窓から射す光、適度に吹く風、何もなさすぎる青空。絶好の昼寝日和だ。朝だけど。
「おやすみなさ〜い…」
私はそのまま瞼を閉じ、落ちるように眠りについた。
「…紗千。そろそろ、起きたほうが…」
「…んん〜?」
頭上で声が聞こえる。クリストの声だ。ひょっとして、授業がもうすぐ始まるのだろうか。
「ん〜…今何分…?」
「1時前」
「えっ」
「1時前だよ」
「えっ…?」
1時前。昼時。私が寝た時は8時20分頃だから、3時間以上寝ていたということになる。いやいや、おかしい。
「えっ何、1時間目から4時間目まで寝てたってこと?」
「そうだよ」
「掃除と弁当…」
「今日は短縮授業だよ」
「そうだった」
「最近ゾンビギークと戦ったりして疲れてたんじゃない?」
「にしても4時間目まで寝るのはおかしいだろ…」
立ち上がって周りを見ると、皆下校準備をしている。いや、起こせよ。今日私が学校へ来て得られたものって出席点だけだよ。求む、ノートを写させてくれる友人。
「友人…友人…ではないけど…そうだ」
思い出したように後ろを見る。紅葉さんは私に見向きもせずに本を読んでおり、どうやら既に帰る準備は出来ているようだった。紅葉さん、前の席の人が1時間目から4時間目までずっと寝てたら起こそうよ。
気が抜けたように椅子に座り、私としてはつい先程リュックから取り出したと思っている教科書を引き抜いてリュックに突っ込んでチャックを閉める。そこでひとつ息を吸い込んで、勢い良く振り返り紅葉さんに話しかけた。無論、ノートを写させて貰う為だ。
「あの、紅葉さん」
「起こさなかったことについて怒るならそれは見当違いというものです。恵己さんは起こしても起きなかったのですから。」
「ああ、そうなの…じゃなくて」
「ほら、もうすぐ終礼が始まりますから」
「そうじゃなくて」
紅葉さんに促され、教卓の方へと体を向けた。クラス委員の2人が前で連絡事項などを喋っており、皆興味のなさそうな顔で聞いている。その間紅葉さんは、ずっと本を読んでいた。
「起立、礼」
さようならとやる気のない挨拶を交わし、そのまま教室を出て行く生徒たちと、残って弁当を食べ始める生徒たち。後者は部活動があるのだろう。私は帰っていく生徒に紛れ早歩きで教室を出る紅葉さんを追いかけ、呼び止めた。そうだ、ノートを貸してもらえたら、一緒に帰ろうと提案してみようか。誰かと一緒に帰るなんて、小学生の頃以来だが。
「あの、紅葉さん」
「急いでるのでまた明日」
「そうじゃなくて今日の…」
今日の授業のノートを写させてくれ、と言い終える前に、紅葉さんはそのままダッシュして廊下を突き抜けていった。そのまま曲がり、階段を猛スピードで駆け降りていく。何をそんなに急いでいるのか。もしくはそんなに私が嫌か。
「まって紅葉さん!!ノート写させて!!!」
その言葉は、騒音だらけの廊下では一文字も伝わらなかっただろう。私も彼女の後を、たいして速くもないが俊足ゾンビギークから逃げて鍛えられた足で追いかける。3階から1階までを全力ダッシュで駆け降り、そのまま下足室で靴を瞬時に履き替えて紅葉さんを追いかけた。
「いや!そこまで逃げる必要性!!」
紅葉さんも決して、足が速いというわけではない。しかしそれは私も同じなので、私が追いつくでも彼女が逃げ切るでもなく、ただただ終わらない追いかけっこが続く。道幅の狭い歩道を下校する生徒たちをかき分け、紅葉さんと私の攻防は続いた。
「それ以上追いかけてきたらぶっ殺しますよ!!」
「それ以上逃げるようだったら私もそういった手段を取らざるを得ないよ!!」
「なんでそこまで追いかけてくるんですか!!」
「紅葉さんはなんでそこまで逃げるの!!」
質問に質問で返す、これ以上ない鬱陶しい返答だろう。紅葉さんはこちらを向いて嫌悪感と敵対心丸出しで睨んだ後舌打ちをして、人通りの少ない裏道へと逃げていった。私も少し遅れて裏道へと入って行ったが、そこには仁王立ちした紅葉さんが、指輪をはめて手を天にかざしていた。
「セルペンテ・モールデン・ピカート!」
「…な、なんたる能力の私用!!しかも変身セリフかっこいい!!」
巻き上がる突風。青紫色の光。眩しさと風圧で後ろにのけぞり、目をぎゅっと瞑った。目を開けるとそこには、もう既にお馴染みのダークヒロイン。そしてその傍には…宙に浮いている、パンダのマスコットがいた。
「…ねぇ彩葉。ゾンビギークいないのになんで変身したの〜??」
「うるさいパーシー。あと何でいつも変身したらすぐ来るの?」
「え〜…そりゃだってボク彩葉の相棒だもん…」
普段敬語しか使わない紅葉さんが、ため口で喋っている。紅葉さんの貴重なため口…!!などと思っている場合ではない。てかそこのパンダ、お前空飛べんのかやべぇな。
「…無駄話をしてる場合ではありませんでした。私は急いでますので、これ以上追いかけてくるようでしたら…」
紅葉さんはどこからともなく魔導書を出し、ページを私に見せつけるようにこちらに向けた。そして次の瞬間、ページから飛び出したのは、大量の矢。
「…いやいやいややめて死ぬから!死ぬから!!中学生の喧嘩に魔法使っちゃ駄目でしょ!!死ぬから!!」
大慌てで横にジャンプし間一髪でかわす。それと同時にポケットから指輪を取り出し、すぐに指にはめる。
「…なんだっけ、えっと…あ、アイン・ジー・ギン・フズィー!!」
巻き起こった突風が、矢の追撃を吹っ飛ばす。光と風で何も見えない状況が終わるのを待ち、槍を握りしめて紅葉さんのもとへと走っていこうとしたのだが、数歩進んだあたりで彼女がもうどこかに消えていることに気付いた。
「え、え…?」
あたりをきょろきょろと見回してみるも、人影すら見当たらない。ふと後ろを見ると、とぼとぼ歩いているクリストがいた。
「紗千、何で変身してるの?」
「紅葉さんに襲われたから…なんか本から矢がぶわーって…ぶわーって」
「うん…伝わるから2回も言わなくていいよ」
変身を解き、クリストを抱きかかえる。人から見れば私は腕を組んでいるようにしか見えんだろうが。
「紅葉さんにノート写させて、あと一緒に帰ろうって言おうとしたら攻撃された」
「よっぽど嫌われてるんだろうね」
「そうは思いたくないけどそうなんだろうな…」
はぁ…とため息をつき、肩を落とす。ノートについては明日聞くとするが、それよりもあそこまで全力で拒絶されたことのほうが傷付く上に理由が気になる。
「…で?どうするんだい、紗千。」
「どうするもこうするも…」
うーん…と数秒ほど唸り考える。これ以上紅葉さんにつきまとってもうざがられるだけだろうし…。そう考えていたが、ふと、我に返ったように、1番簡単な方法を思いついた。
「よっしゃクリスト、行くぞ」
クリストを抱きかかえたまま、下校中の生徒をかき分け通学路を全力でダッシュした。
誰もいない家に大急ぎで帰り、ブレザーとリュックを置いて自転車の鍵を持って家を出る。そのまま自転車で全力疾走し、私の家より少し学校から遠い、紅葉さんの住むマンションの前で物陰に隠れた。
「…それで紗千。何してるの?」
「何って、張り込み」
「どうして彼女の家を知っているんだい?」
「小学校一緒だったし、校区一緒で集団下校とかしてたから」
「ああ…そう…」
決して再び紅葉さんにしつこくつきまとうわけではない。ただちょっと後をつけて、何故あそこまで急いでいたのか、それとも急いでなどおらず単に私を巻くための嘘だったのか…それを確かめる為だ。
いや待て、これストーカーだな。
「まぁ…相手は私を2度殺そうとした人だからストーカーぐらいどうってことないよね」
「君の発言は物騒だね」
「全校生徒眠らせて記憶消したお前のほうが物騒だろ…あ、ほら紅葉さん出てきた」
小さめの肩掛け鞄を持ち、私服姿でマンションから出てきた紅葉さん。自転車を駐輪場から出し、そのままどこかへ去っていった。それもかなり急ぎめのスピードだ。
「よしクリスト、後を追うぞ」
恐らく私の自転車のほうが性能はいいだろうから追いつこうと思えば追いつけるのだが、バレないように一定の距離を保ちながら紅葉さんの後を追う。彼女が私を全力で拒絶してまで、行きたかった場所とはどこなのか…
「…コンビニ?」
彼女が向かった先は、至って普通のコンビニ。私に気付く気配もなく、自転車を止めて店内へと入っていった。私はバレないよう遠くから紅葉さんの動きを観察していたのだが、店内の様子はあまり見えない。
「なんか…買ってるね。」
「…あの、紗千。」
「ん?何?」
「お忙しいところ、申し訳ないんだけど…」
クリストは私のカーディガンの袖を引っ張り、遠くを指差す。素直にそちらを見ると、何やら影が奇妙な動きをしている。影はくねくねと動き回り、そして次の瞬間変形すると、こちらに向かって猛突進して来た。
「…ってあれゾンビギークじゃーん!!!!!!」
「そうだよ!!ゾンビギークだよ!!しかもあれ、2000円クラスだよ!!」
「…は??平均が1000円なのに2000円クラスとか、頭おかしいんじゃないですか???」
見た目からして確かにあれはゾンビというより、ヤバいタイプの化物だ。ポケットに手を突っ込み本日2回目の変身。襲いかかるゾンビギークから自転車で逃げながら、いつもより控えめな声で叫ぶ。
「アイン・ジー・ギン・フズィー!」
かつて自転車で爆走しながら変身した魔法少女がいただろうか。ともかくずっと逃げていても仕方がないので、コンビニの傍に自転車を止めて、いつものことながら舞い降りた槍を握りしめ突進する。
「クリスト!!あとでそこのおどおどしてるコンビニ店員の記憶消しといてよ!!あと紅葉さん呼んできて!!」
「分かったから戦って!!」
今まで戦ってきたのとは桁が違う巨体。スライムのごとく変形し、私に襲いかかる。私はその場で大きく跳び上がり、槍を敵の頭上から真っ直ぐ突き刺した。
「…いやもう、でかすぎてどこ攻撃していいか分からん」
近距離でのビーム攻撃と、突き刺し、斬り上げを繰り返してなんとかダメージを与えようとするも、怯む様子が伺えない。それどころか私に見向きもせず、コンビニのほうへと体を向けた。
「…ま、まさかあいつ私そっちのけで一般人攻撃するつもりかクソが!!」
コンビニのほうを見ると、紅葉さんが荷物を抱えてコンビニから出てきた。ゾンビギークを見上げ、その強さを悟ったのだろう、かなり驚いた顔をしていたが…その一瞬の隙を見て、ゾンビギークは紅葉さんめがけて、思いっきり飛びかかった。
「…紅葉さん!!逃げて!!」
「ひっ…きゃっ!!」
全力で走る。ゾンビギークの全身をとにかく刺し、少しでも怯ませようと絶え間なく攻撃する。それでもゾンビギークの攻撃は少しもずれることなく、紅葉さんに命中した。私はすぐに、彼女のもとへ駆け寄った。
「紅葉さん!!」
「恵己さん…大丈夫ですよ、攻撃を一発食らったぐらいで死ぬ人はいません」
「いないけど!!いないんだけどね!!それでも痛いから!!ほら何か血出てんじゃん!!もうどっか行ってて!!休んでて!!」
「…だからと言って、このクラスのゾンビギークを1人で相手するというのは…いくら何でも、無茶ですよ。」
そう会話している間にも、ゾンビギークは紅葉さんを狙って攻撃してくる。私はそれを跳ね返すように、槍でひたすら斬りまくった。
「あのねぇ紅葉さん!!怪我人と病人はね!!労らないといけないんだよ!!」
「…この場合、怪我人を労っているとあなたが怪我人になりますよ。怪我人で止まったらいいんですけどね、死人になったら」
「怖いこと言わないでやめて!!」
ゾンビギークは影を形成し、拳のような歪な形にして私の頭上に振り下ろした。受け流そうと槍を構えるも、そう簡単に受け流せる攻撃ではない。槍は思いっきり、どこか遠くへ飛んでいった。
「あっやべっ」
思わず素で声が出た。いや、いつも素で生きてる人間だから大差はないけど。
しかし、槍がなくなったぐらいで焦ることはない。迫り来るゾンビギークの攻撃を、蹴りで跳ね返し、そのまま敵の懐にグーパンチを決めた。
「筐体プレイ20回分の金と化せ!!ゾンビギークが!!!」
私の右手は敵を貫き、ぽっかりと穴をあける。左足を踏み込み、かつて紅葉さんにもお見舞いしたあのキックを、躊躇いなく食らわせた。
『グ…ググァアアアアアア!!』
「あ、あれ?まさか、結構効いてる?」
次の瞬間、ゾンビギークは轟くような叫び声を発しながら、その場に倒れ込んだ。
「これだけ攻撃して一切効いていなかったら、逆に怖いですけどね」
「よーし!じゃあこの調子でもう一発決めてくるか!」
「いえ、ここは私が…」
そう言うと紅葉さんは荷物を置いて立ち上がり、指輪をはめて大きく息を吸った。
「セルペンテ・モールデン・ピカート!」
光を纏いながら、紅葉さんは堂々たる態度でゾンビギークの前へ歩みを進めた。スニーカーがコンクリートの床に擦れる音が、高貴なハイヒールが鳴らす音に変わる。天から舞い降りた魔導書を手に取り、私を助けたあの日と同じように、杖を召喚した。
「煩わしいですね」
私に背を向けそう言い放った紅葉さん。表情こそ伺えなかったが、声はどこか嬉しそうに聞こえた。杖を起き上がりかけた敵に向け、青紫色の光を纏った蛇の幻影を、大砲の如く勢いでぶっ放した。
「わぁ…何回見ても強そう」
ゾンビギークは光に包まれどろどろと溶け、そのまま跡形もなく消えた。光と煙の隙間からは、コンクリートの地面に倒れ込んだ子供の姿が見え、思わず目を疑う。
「え…女児?幼女先輩?」
「せ、せんぱい?」
「あ、いや…何でも」
近付いて顔を見ると、一度見たことがある顔だ。恐らく女児向けアーケードゲームをやりにスーパーに行ったときにでも会ったのだろう。
「子供でもゾンビギークになるの?」
「ええ。寧ろ子供のほうが手強いですよ。持って生まれた魔力が失われていない可能性がありますから」
「まじか…ああ、なんかそれクリストが言ってたな…人は本来魔力持たないけど突然変異で魔力持って生まれる的な」
「ええ、その通り。」
ようやく緊迫感から解放され、思わず気が抜ける。大きな伸びをし、腰を伸ばすも、紅葉さんは何やらまだ警戒するような表情であたりを睨んでいる。
「どうしたの、紅葉さん。まだ何かある?」
「…恵己さん、あれ」
紅葉さんが指差したほうに振り返ると、こちらへ向かってゆっくり歩いてくる人影が見えた。私はそれが誰なのか一目見てすぐ分かったので、ゾンビギークにぶっ飛ばされた槍を走って拾いに行き、そいつに向けた。紅葉さんも私の隣で、杖を構えている。
「黒ずくめロリコンナンパ男だ」
「…恵己さん、そのセリフはそんなに真剣な口調で言うことではないかと…」
私の与えた不名誉すぎる称号にも、彼はにっこりと微笑んだ。それから一礼し、私の目の前にまで歩み寄る。
「お久しぶりです、サチさん。会えて光栄です」
「退却の際、軍隊の後方で援護に任ずる部隊」
「その後衛ではなく」
「役所が経営すること、地方自治体が直接間接に経営すること」
「その公営でもなく」
「子孫」
「その後裔でもなくてですね…」
私の唐突過ぎる絶え間ないボケに、控えめに突っ込みながら彼は困り顔で笑った。敵である私達に、何故そこまで笑顔を向けるのか。それに今、彼は私が槍で刺そうと思えば腹を突き刺せる程の距離にいる。もし敵を警戒していたら、武器も持たずにこんな近付くなんて出来やしないだろう。
「僕のことを、覚えていますか?」
「サイだったっけ?初対面の中学生を口説く厚着の兄ちゃん」
「…認識はどうあれ、名前を覚えていただけたのならとても嬉しいです。イロハさんも、お久しぶりですね」
紅葉さんの顔を見ると、私を拒絶していたとき以上に怖い顔をしていた。持っていた杖を躊躇いなくサイの目の前に突きつけ、より一層睨む。
「また魔法少女を誑かして遊んでるんですね、サイさん」
「まぁ、そんなに怒っては美しい顔が台無しですよ」
紅葉さんは突きつけた杖で思い切り殴ろうとしたが、サイはそれを素手で受け止めた。反撃するわけでもなく、握った杖を紅葉さんに返し、乱れたマフラーを直す。
「…それでは、僕はそろそろこの辺で。今日の戦闘、お見事でしたよ。まさかゾンビギークと素手で戦うなんて思いませんでした。」
「あっそう、帰れ」
「そうですね、帰ってください」
「…はい。」
サイは私達に背を向け数歩歩くと、ヒュン、と静かな音を立てて跡形もなく消えた。厨二病の人が喜びそうな立ち去り方だ。
「何だったんだあいつ」
「サイさんは以前からあんな人ですから…特に気に留める必要もありません」
「紅葉さんも口説かれたことあんの?」
「ええ。ただ3回口説きに来て無理だと思ったのか、そのまま諦めて帰ったんですけどね」
「諦め方が潔い」
サイの後ろ姿があったところを2人で並んで眺めながら気の抜けた会話をする。それにしても今日は随分返事がまともに返ってくる率が高い。どうしたんだろうか。
そろそろ変身解こうか…と2人同時に指輪を外し、思い出したように振り返ると2匹並んで歩くクリストと例のパンダ。クリストは何やら一仕事終えた…みたいな顔をしているので、目撃者の記憶を消してくれてたんだろう。多分。
「お疲れ、紗千。それに彩葉も。」
「おーキミが紗千か。ボクはパーシー。あれキミさっき会ったよね。」
「お、おう…」
パンダ、もといパーシーは、クリストよりも少し背丈が低く、喋り方からも幼い印象を覚える。そして何やら荷物を抱えている。肩掛け鞄と、コンビニの袋のようだ。
「はいこれ、店の前に置いてたけど彩葉のだよね?」
どうぞ、と小さな手で差し出すパーシーから、紅葉さんは一瞬むっとした顔を見せ、それらを奪うように取り上げた。
「…じゃあそろそろ帰りましょうか。」
「紅葉さん、自転車はそっちじゃないよ」
「…失礼。」
早歩きで自転車を止めている場所へ向かう紅葉さん。何やら動揺しているようにも見えるが…と思って見ていたら、途中何もないところでつまずいて、ばたりとずっこけた。
「だ、大丈夫、紅葉さん…?攻撃されたとこまだ痛いんじゃない?」
「…大丈夫です。大丈夫ですので。」
大丈夫の一点張りで、私の手を借りることなく立ち上がろうとした紅葉さん。途中、肩掛け鞄に無理やり詰め込んでいたコンビニの袋が落ち、私はそれを紅葉さんに渡そうと拾った。
「…って、あ…これ」
袋から透けて見えるイラスト入りクリアファイル。店の前でのぼりを掲げているアニメとコラボした1番くじの商品だ。私が見ているアニメとはかけ離れた、いわゆる女性向けなのだが、タイトルは聞いたことがある。
「か、返してください!!!」
数秒の間を置いて袋は思い切りぶん取られる。そこまで自分の趣味を隠したいのか…まあ別に普通か。
「あ、あの…紅葉さん?」
恐らく私は非オタだと思われているのだろう。紅葉さんは再び鞄に袋を突っ込み、大急ぎで帰ろうと自転車のほうへ走って行った。
「さ、さようなら!また明日!今日の分の報酬は全部恵己さんの手柄でいいです!」
「いや、いいけど別に…口止め料のつもり?」
「…見たんですかさっきの!?」
「見てないと思ってたのか…」
「…だ、誰かに言ったらぶっ殺しますからね!!私の魔導書の錆と化してもらいますからね!!」
「いや魔導書錆びないから」
普段冷静沈着な紅葉さんのこの焦りよう。そこまで自分の趣味を隠したいのか…なんだか切なくなるな。
「あのね紅葉さん、ちょっと落ち着いて話聞いてもらっていい?」
「何ですか!!取引ですか!!」
「落ち着いてっていうの聞こえなかった?」
私の中の紅葉さんのイメージが崩れていく。真後ろではクリストのため息とパーシーの笑い声が時々聞こえ、なんだか愉快だ。
「そ、そうですよ!!私はオタクです!!腐女子なんです!!ボーイズラブが好きなんです!!コンビニに1番くじを買いに来たんですよ!!悪いですか!!」
ほぼ逆ギレも同然に趣味嗜好を告白されるという謎の状況。そして女性向けアニメを見ていたからといって腐女子だとは限らないのにわざわざカミングアウトしてくれてありがとう、紅葉さん。ならば私も、事情を説明せねばならない…。
「あのね紅葉さん、私もね、オタクなんだよ」
「…えっ?」
「そう。でも腐女子とかそっちじゃなくて、男性向けジャンルとか女児向けとか、萌えアニメとか百合ね。NLも見る」
「え、え…」
紅葉さんの中での私のイメージが壊れていっているようだ。一体私をどういう人間だと思っていたのかいまいち腑に落ちないが。
「だからね、私にはそんな必死になって隠すことないよ…別に誰にも言わないし、何とも思わんから…」
「えっ…え、ま、マジ?」
「マジのマジだよ」
静かに風が吹き、誰も喋らない沈黙がしばらく流れた。紅葉さんの脳内で情報処理が追いついていないのか、いままでに見たことがないぐらいの間抜けな顔をしている。
「あ、あの…紅葉さん?」
「め、めぐ、めぐ、恵己さん…」
大丈夫かー、と、下を向いたままの紅葉さんの顔を覗き込む。重たい沈黙の中、微かに紅葉さんの鼻をすする音が聞こえた。
「めぐみざん…!!あだじずっどおだぐだっでいえるどぼだぢがいなぐでごごろぼぞぐで…!!」
「…ちょ、ちょっとストップ。何言ってんのか全く分からん」
「めぐみざんぼぜんぜんおだぐどがじゃないどおぼっでだがらあだじうれじぐでずびばぜん…!!!」
「ああ…うん。それは、よかった…」
後ろを見ると、クリストがクスクスと、パーシーがゲラゲラと笑っている。そら笑うわな、普段あんなにクールビューティーな紅葉さんがこうなったら。
紅葉さんはしばらくあのテンションで泣きまくった後、落ち着いたのか、ごほんとひとつ咳払いをし、再び喋り始めた。今度は、落ち着いた口調で。
「すみません…取り乱してしまいました。ですが、これだけは言わせてください。先程、ゾンビギークと戦っていた恵己さんを見て確信したんです。強い敵にも臆すことなく果敢に挑む勇気、武器をなくしても尚戦い続けるしぶとさ、そして怪我を負った私を守ってくれたこと…。恵己さんなら、絶対に私を置いて逃げ出したりしないって。安心して背中を預けられる、って。それに…」
彼女は私の前に数歩歩み寄り、顔を覗き込むようにしてかがんで、ニコッと笑った。まるで、萌えアニメのヒロインのように。
「腐女子でもいいって言ってくれましたからね」
初めて見た紅葉さんの笑顔。クラスの誰も知らないであろうその表情は、思ってたよりずっと可愛げのあるものだった。まぁ、言ってることはそんなに可愛くもないのだが。
「まぁ、仲良くなれたのなら、何より…」
私は愛想笑いか苦笑いか分からない声で笑い、キラキラの眼差しを向けてくる紅葉さんから全力で目を逸らした。
「あのさクリスト」
紅葉さんと別れ、なんとなく自転車を押して帰る。前籠にすっぽり収まっているクリストは、前を見たまま、なぁに、と返事をした。
「魔法少女って傷病手当とか出るの?」
「…唐突だね、そして現実的だね。うん、まぁ…傷病手当は出ないけど、怪我をした魔法少女がいたら、1日以内には回復魔法が使える獣人族を派遣する義務が僕らにはあるよ。」
「…獣人族?」
「ああ、僕やパーシーみたいな種族のことね。訳あってこういう姿になってるけど…本当はもっと背も高いし強そうな見た目だから。」
自慢げにクリストはそう言ったが、その見た目で言われても見栄っ張りのように聞こえてしまう。
「彩葉の怪我が心配かい?」
「まぁ」
「あの程度ならすぐに治るよ。大丈夫」
「それもあるけど…紅葉さんのこと、守れなかったから」
立ち止まり、ぼーっと風に吹かれた。金の為に命を懸ける。それは私が思っている以上に重たいことなのかもしれないし、紅葉さんが言っていたとおり、怪我人どころか死人になるかもしれないのだ。半端な覚悟じゃいられない。
「君は優しい。その優しさと強さがあれば大丈夫だ。彩葉も、その優しさに救われたんだよ、きっと。」
「私が優しいとか、よく言えるなぁクリスト。」
「本当にそう思ったから言えるんだ。」
クリストはそう真っ直ぐな言葉で言った。こいつはいい奴なんだろうなぁ、ちょっと雑だけど。
でももしクリストの言う通り、私が紅葉さんを救うことが出来たのなら。ずっと独りで戦ってきた彼女に、手を差し伸べられることが出来たのなら。
「…もっと、紅葉さんと仲良くなれたらいいな」
私はコンビニのほうへ引き返して、その日の報酬で1番くじを引いて帰ることにした。