変化
「アラタちゃん!元気になったんだ!」
退院してから、すぐ学校に来たアラタをクラスメイトは迎えてくれた。
「心配かけてごめんね。私全然元気だから!」
「でも、貧血で入院なんてアラタちゃん、血が足りてないんじゃない?レバー食べないとレバー!」
アラタが入院した理由は放課後に貧血で倒れたという事になっていた。これもおそらくアラタの父親の手が回ってのことだろう。アラタはそれについて特に何も言わないほうが良いと直感的に思い、話を合わせていた。と言うのも、入院中にアラタは父親と話をしていなければ会ってもいなかったのだ。
「お父さん・・・。」
アラタは父親というものが一体何なのか、わからなくなっていた。
・・・・・・・・・
「・・・となるので答えはX=2となる。ではそれを踏まえた問題の解き方を使うのが次の練習問題1-(1)だ。これを・・・五橋、教科書見ながらでいいから黒板でやってみろ。解らなければ教えてやるから。他の皆は当然予習してるはず。黒板と自分の答えを照らし合わせて、確認しておけよ。」
「はい。」
アラタは言われた問題を見た。入院中には一切教科書を開かなかった。初めて見る数学の問題。
「あれ?・・・これって・・・あ、わかった。」
アラタは教科書を持たず、黒板の前に立ち、スラスラと答えを書いていく。
「ご、五橋?」
書き終えると、アラタはハッとした。
「あ、あれ?先生これで、合ってますか?」
「あ、あぁ、いやなんだ、正解だ。お前数学苦手だったよな・・・?」
「は、はい。あ、入院中にたまたま暇だったんで予習してたんですよ!あはは。私真面目だったんですよ!」
「そうか、すまん、突然書き出すから何事かと思ってしまった。正解だ。みんな、この証明で解らないことがあったら手を上げてくれ。」
アラタは少し俯き加減で席に戻った。
「アラタ・・・?あんた数学の教科書・・・入院中に持ってなかったよね・・・。」
ミカが不安そうに声をかける。
「うん・・・。なんか、できちゃった。私才能あるのかも。あはは・・・。」
アラタは苦笑いをしていた。
・・・・・・・・・
「あー・・・この場面でアラタちゃんかぁ・・・。」
「2アウト満塁の崖っぷちのチャンス・・・。くぅ・・・何とか打ってくれぇ!アラター!」
体育の授業でのソフトボールだったが、運動の不得意なアラタに悲観する声がちらほら聞こえてきた。しかしアラタにとってはいつものことだったので、慣れてはいた。
「そんなに嘆かなくたっていーじゃない・・・。がんばるよー!」
バッターボックスに入り不格好な構えのアラタ。とてもじゃないが打てるような雰囲気には見えない。それを見た相手チームのピッチャーがほくそ笑む。
「そんな構えで・・・打てるわけないじゃない!」
かなりのスピードのボールがいい音を立ててキャチャーミットに収まる。
「ットラーイ!」
「アラター!腰引けてるよー!もっと堂々としなさーい!」
ベンチから根性論に近いアドバイスが飛ぶ。
「そ、そんなこと言ったって・・・・。」
「アラタ!とにかくボールをみて振るんだー!」
「ふん、今更遅いんだよ!3球で仕留める!」
ピッチャーがボールを放った。
「ボールをよく見て・・・・振る!」
「ットラーイ!ツーッ!」
またしてもストライク。だったが今度はアラタのバットが空を切った。そのスイングを見てピッチャーの表情が変わった。
「なんだ今のスイングは・・・。完全にバットに体重が乗っていた。腰が引けていたと思ったら瞬時に腰が据わり、テイクバックからの体重移動、バットの軌道、空振りした後のフォロースイング・・・。バカな!当たっていればただじゃすまなかったかもしれない・・・!」
二球目で全く別人のようなスイングを見たピッチャーは驚きを隠せなかった。空振りを取った筈なのに、謎のプレッシャーが彼女を襲っていた。
「な、なんかあの人険しい顔でブツブツ言ってるけど・・・。怖い・・・。」
「とにかく!これで仕留める!」
ピッチャーが全身全霊をかけて渾身の一級を投げ込んだ。
「あれ?ボールを見てって言われてから、見るようにしたけどよく見えるなぁ・・・。っていうかゆっくりに見える。なるほどなるほど、そしたら、テレビでよく見る野球選手の真似して打てば当たるかな。確か・・・こんな感じで・・・。よいしょ!」
甲高い音を放ち痛烈な当たりが大きな放物線を描いてとんでいった。
「な・・・・、ばかな・・・!!」
「アラター!すごーい!まわれまわれー!」
ベンチからは大歓声。逆転の満塁ホームランだ。
「おおー!初めて当たったけどよく飛ぶんだねぇ・・・。あ、走らなきゃ。やったよー!みんなー!」
塁を回って帰ってきたアラタを皆が祝福した。
「アラタちゃんすごいね!あんなの私初めて見た!」
「アラター!あんたコソ練してたでしょ!何よあのスイングは!」
「いやそんなことないって!たまたまだよたまたま!」
しかし、その様子を見ていたミカは不安そうな顔をしていた。いつものアラタじゃない。ミカはアラタの変化を具体的に言葉で表現することはできなかったが、何かが起きていると確信していた。
・・・・・・・・
「はー、学校ってやっぱり体力使うんだよね・・・。疲れた・・・。」
放課後アラタは机に突っ伏した。そのアラタにミカが声をかける。
「アラタ・・・。ちょっといい?」
「・・・ミカ・・・。うん。」
アラタはミカに手を引かれ、学校を出る。帰り道、ミカは一言もしゃべらず、またアラタも何か悟ったような表情でついていく。人込みをかき分けビルとビルの間を抜け、駅に入り電車に乗る。すべての騒音がいつもと同じように聞こえているはずなのに、アラタの耳には何も入っていなかった。ミカが何を話すのか、自分に何を聞きたいのか、予想は少しついていたが、その一言目を決して聞き漏らすまいと。
「アラタ・・・。」
「うん。」
ミカが漸く喋ったのはミカの家の前だった。
「とりあえずあがってって!」
「うん。」
アラタはミカの家に入っていった。お邪魔しますとアラタは一声ミカの母親に声をかけ、階段を上がり、ミカの部屋に入る。
「アラタ、あたしが聞きたい事、わかってるよね?」
「うん。」
「第一問。」
「え!?」
「1939年4月1日から1975年11月22日まで、続いたスペインの体制は?」
「んーと・・・フランコ独裁体制。」
「第二問。人類初の人工衛星計画は?」
「あぁ、スプートニク計画ね。」
「第三問。モンゴルの国名。その意味は?」
「何事にも恐れぬ勇気!意外とかっこいいよね。」
「第四問。あたし、愛子 美香の身長体重スリーサイズは?」
「ん~・・・158cm、46kg、上から82-60-83。」
「ぶふッ・・・。ふふふ・・・あんた誰よ!ほんともー!」
ミカは最後の問題まで正解したアラタを見て思わ吹き出した。
「うん・・・・。」
対してアラタは俯いた。
「アラタ、一応確認させてもらったけど、あんた自分の身体になにが起こってるかわかってないんでしょ?」
「全然わからない。でも知っているんだよ。例えばだけど、今ミカが出したクイズさっきまで答えは知らなかった。でも、知っていた。私が知っていたというより・・・・自然と頭の中に浮かんできた。誰かが知っていた、誰かが持っていた記憶のような沢山の引き出しが、私の頭の中にあるんだと思う。」
「ふーん・・・テストになったら便利なことこの上ないわね・・・。うらやましいわ、全く。」
「でも・・・。」
「でもこんなアラタはアラタじゃない。」
被せるようにミカは話した。
「あの日、アラタがあの親子を助けた日、その日からアラタの身体に何かが起こり始めた。」
「うん。」
「あたしの知ってるアラタは、勉強は並、運動音痴、おしゃれそこそこ、スタイルまぁまぁ、恋愛経験0、あ、アンタ絵は上手いわね、磨けば光るだろう原石的な可愛さ、そこそこノリのいい、お人よし、でも・・・どこか頼りないくせに・・・それでもあの日みたいな突飛な行動力・・・そして、いつも優しくて・・・あたしが甘えても、引っ張りまわしても、文句ひとついわないで・・・それが・・・アラタなんだよ・・・。」
ミカは泣いていた。
「でもね・・・・。今、目の前にいるアラタもアラタなんだって。今日はずっとそう言い聞かせていた。」
「うん・・・。わ・・・私は・・・。」
そう言いかけたアラタの口を人差し指でミカが塞いだ。
「でも!それでも!やっぱりアラタはアラタだって。言いきかせる必要ないって決めた。今決めた。アラタ、あんたにこの先何があっても、あたしはあんたの味方だよ。何が起こるかわからないし、そりゃアラタがアラタじゃなくなっちゃうかもしれないから怖いけど。あたしはアラタを信じてる。」
「ありがとう・・・・ありがとう・・・ミカ・・・・・・。私・・・・・ずっと泣いてばっかだ・・・・・。」
都会の明かりに照らされた夜。この街から見えるはずの星々がほとんど見えない。しかし、その暗闇に抗うように季節外れの天の川が少し輝いていた。