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「人間性ですよ」
ホールから続く長い廊下を通って食堂に辿り着いた後、そこでテーブルの一つを占領した健児達は、厨房に引っ込んだキャサリンを待っている間に本題ーー御堂明の件とは別の話をして時間を潰す事にした。なおキャサリンは消える前に「何かお腹に入れる物を作ってきます」と言い、レッツィーはそれに続くようにして「ご主人様の料理は絶品でございますよ」ととても嬉しそうに言った。
「あなたも食べるつもりなのですか?」
「奉仕に対する見返りをいただいてもバチは当たらないと思うのですが」
「抜け目ないですね」
「魔族ですから」
そう胸を張って得意満面に言ってのける鶏頭の魔物を見ながらキャサリンは呆れたようにため息をついた。しかし彼女はその魔族のふてぶてしい態度に対する憤りを見せたりはせず、むしろ駄々をこねる子供に辟易する母親のような生暖かい視線を向けながら「仕方ありませんね」と困ったように言った。
「では、あなたの分も作るとしましょう。そこでヒイラギの皆様と一緒に待っていてください」
「ありがたき幸せ」
ここでレッツィーがまたしてもわざとらしい動きで礼を述べる。キャサリンはため息をつきながら、それでも嫌味の類は一つも漏らさずに厨房へと向かっていった。
そしてキャサリンが料理を作っている間、彼らは何か別の話をして彼女を待つことにしたのであった。
「じゃあ一つ気になったことがあるのですが」
そこで雅は、ここに来る前に疑問に思っていた「なぜここの魔物は無駄にフレンドリーなのか」ということについて尋ねた。それに対して健児達をここまで案内し、そしてちゃっかり自分もテーブルについていたレッツィーは、初めてここに来た真人間に対してそう答えた。
「人間性を手に入れたのですよ」
「人間性ですか?」
「そうです」
レッツィーからそう返された雅は、いまいち要領を得ないように首を傾げた。するとその雅に向けて、幸子が持参の酒瓶をそのまま呷りながらそれに答えた。
「昔の魔族は、それこそアニメやゲームに出てくるような、ただのモンスターだったんですよ。話し合いも通じないし、そもそも理性も良心もない。ただ本能のままに人を襲い、その肉を食らう。まさに人間の天敵だったのです」
「今みたいに呑気にお喋りなんか出来なかったって訳だ」
その幸子の説明に健児が補足を加える。雅は驚いたようにレッツィーを見やり、対してレッツィーはおどけたように肩を竦めながら「驚きでしょう」と言ってのけた。
すると今度は、自分の前髪をいじりながらケイトが言った。
「その状況に変化が起きたのは、ヘンディミオが地球と接触した時からだ。互いの交流が始まって、地球が魔法を取り入れて、そして地球の人間が魔力の影響で魔物化し始めた頃から、魔物にも変化が起きた」
「それが、さっき言ってた人間性云々ってことですか?」
「そうだ。何が原因でそうなったのかはわからんが、ある日いきなり魔物が大人しくなったんだ」
ケイトはそのまま説明を続けた。その時まで人間と戦争をしていた魔物はいきなり戦いを止め、そして人間の目の前でいきなり人語を話し始めた。それまで血走った目で人間達を睨んでいた魔族達が、唐突に理性の宿った眼差しを向けるようになった。
「そして異変が起きた一週間後、魔物の方から人間達に宣言を出した。人間を襲うことはもうしない、人間とは戦わないと言ってきたんだ」
「いきなりですか?」
「そうだ。いきなりだ。人間達にとっては寝耳に水だった。そして魔物と戦うために人間と同盟を組んでいたエルフやドワーフも同様だった」
最初は誰も信じなかったが、それから何十年経った後も、魔族が人間を襲うことは一度も無かった。ケイトは続けてそう言った。そこまで聞いた雅は、視線をそのエルフに向けて彼女に尋ねた。
「それで、今はどうなってるんですか? 共存とか同盟とか、そういうのは結んでるんですか?」
「魔族の方はそれを望んでいる。だが人間は、魔族との停戦を未だに拒んでいるのが現状だ」
「それはどうしてですか?」
「宗教ですよ。今のヘンディミオに住む人間達は、その殆どが聖光教団と呼ばれる宗教組織に属しているんです。そしてその教団は、魔族を討ち滅ぼし、この世に光をもたらすことで、初めて人類は平和を手に入れることが出来ると語っているのです」
雅とケイトのやりとりにレッツィーが割って入る。雅の意識はレッツィーに向けられ、そして彼女の視線を受けたレッツィーは相手を見返しながら言った。
「また聖光教団は同時に、この地球とヘンディミオの接続による一連の混乱は、全て魔族が仕組んだものであると吹聴しているのです。ヘンディミオの人間はそれを信じ切っている」
「魔族に対する友好度は最低ってことだな」
健児が事のあらましを要約するように言った。ギャレンもそれに続いて「だから今も戦争が続いている」と言った。
「今度は人間の方から魔族に宣戦布告した。魔族は応戦してはいるが、それでもあくまで自衛に留まっている」
「終わる様子は無いんですか?」
「当分は無いだろうな。はっきり言って、現状では質でも量でも魔族の方が遙かに優勢だ。そしてその魔族が、今は本気で相手を殲滅しようとはせず守りに徹している。おそらく人間は派手に負けたりはしないだろうが、このままの状況が続けば勝つこともないだろう」
「ジリ貧ですな」
レッツィーが他人事のように言葉を挟む。雅は何かを考えるように複雑な表情を浮かべ、健児はそれを見て何かを言おうと口を開いた。
しかし彼が喉奥から声を放とうとしたその瞬間、キャサリンが料理を載せた配膳用のカートを押しながら彼らの前に現れた。
「お待たせしました」
白を基調としたエプロンドレスを身につけたキャサリンが、笑みを浮かべながら彼らの前に姿を現した。そして彼女はカートの上に載った皿を手に取り、それを彼らの前にそれぞれ置いていった。
「本日のメインは羊肉のステーキでございます。それとマッシュポテトとトマト、コーンスープです。デザートには野苺のシャーベットも用意してありますから、楽しみにしていてくださいね」
そうして配膳を行いながら、キャサリンが今日のメニューを告げていく。その姿は見るからに楽しげであり、つい先ほど神器に乗っ取られた部下を惨殺した死神と同一人物だとは思えなかった。
「おお、これはまた美味そうだ。ご主人様は多芸にあらせられる」
「お世辞は下手だな」
目の前に並べられた料理を見てレッツィーが舌なめずりする。ギャレンはその鶏頭の魔族に向けて呆れたような言葉をぶつけたが、レッツィーは気にすることなくナイフとフォークを手に取った。
「さて、これで全員分行き渡りましたね。話は食事をしながらすることにしましょう」
一方でキャサリンは最後に自分の座る席に料理を置いた後、カートを隅に置いてエプロンを外しながら自分の席に座る。そして全員で手を合わせて「いただきます」と言ったーー雅は魔族までもが日本式の作法を行ったことに対して軽く驚いたーー後、暫くは全員が無言で食事を進めた。誰もがまず話よりも食欲を優先した。
「さて、そろそろ本題に入るとしましょうか」
そうしてキャサリンが話を切り出したのは、全員がステーキを殆ど食べ終え、それぞれの前にシャーベットが置かれた頃の事だった。ギャレンがそれに最初に反応し、シャーベット用のスプーンを置いた死神に向けて声をかけた。
「俺達はある人を捜してる。御堂明という名前の人間だ。志帆もその流れで俺達と一緒にここに来てる」
「色々紆余曲折はあったんだけどね」
ギャレンの説明に志帆が苦笑を漏らしながら言った。キャサリンは志帆に対して「無理はしないようにね」と心配するように言った後、今度は表情を引き締めてギャレンに言った。
「つまり、ここに来たのはその人間を追いかけるために来たということですか?」
「そういうことだ。最初は地球で調べていたんだが、そこにはいないという結論が出てな。それでもしかしたらこっちにいるかもしれないってことでヘンディミオに向かうことにしたんだ」
「なるほど」
そこまで聞いて、キャサリンが顎に手を当てて考え込む。健児と雅は興味深げにそれを見つめ、幸子は新しい酒瓶を取り出してグラスに注ぐこともせずにそれをラッパ飲みした。ケイトは誰より早くシャーベットを食べ終えた後、ついでとばかりにそれまで自分が使っていたスプーンを貪っていた。
「何か手がかりはありますか?」
それからキャサリンがギャレンに問いかける。ギャレンは黙って首を横に振り、それを見たキャサリンは続けて言った。
「そうですか。なるほど」
「探すのは難しいんですか?」
「無理という訳ではありません。少し時間がかかるとは思いますが、しかし出来ない訳ではありません」
「出来るんですか?」
雅が食い入るように見つめる。キャサリンはその雅の必死な表情に微笑みを返しながらそれに答えた。
「魔族に不可能はありません」
「人間とは違ってね」
レッツィーが言葉を挟む。その後頭部をキャサリンが軽く小突く。そして「下手なことを言ってはいけません」と鶏に言ってから、再びギャレンの方を向いて彼に言った。
「ジェイに頼んでみましょう」
「ジェイ?」
「あいつか」
「マジかよ」
その名を聞いたギャレンが鸚鵡返しに答え、その魔物の姿を脳裏に思い浮かべたケイトが納得したように呟く。健児は露骨に嫌そうに顔をしかめ、幸子が気にせず酒を飲んでいた。
そんな面々の反応をよそに、キャサリンはどんどん話を進めていった。
「彼女に頼めば大体のことはわかるでしょう。悪い提案ではないと思いますが」
「では今すぐ呼びましょうか? 向こうも多分暇してるでしょうし」
「それもそうですね。お願いします」
レッツィーの提案にキャサリンが頷く。そして彼女の承諾を受けたレッツィーは「呼べば一秒で来ると思いますよ」と言ってから懐から呼び鈴を取り出し、それを軽く振った。
涼やかな鈴の音が食堂に鳴り渡る。
「呼んだか!」
それから一秒後、彼らの囲んでいるテーブルの上に一人の少女が立っていた。
「おい! 私を呼んだのは誰だ! どいつだ! 私に何の用だ!?」
小柄で貧相な体をタンクトップとホットパンツで包んだその小さな少女はせわしなく頭を動かして周囲を見回し、一束にまとめた長い水色の髪を尻尾のように振り回しながら大声で叫んだ。
その顔には元気が満ち溢れ、全身からは太陽のようにエネルギーと活力を放っていた。そして彼女の声もまた音量調節機能が壊れたかのように凄まじくやかましく、それはまさに「ソーラーノイズ」であった。
「なんだよなんだよー! 誰も私を呼んでねーのかよー! ふざけんなよー! こっちだってヒマじゃねーんだよー!」
「私が呼びました」
そうして周囲の迷惑そうな視線もお構いなしに雑音をまき散らす少女に、キャサリンが静かに声を放つ。少女はそれまでの動きをぱったりと止め、そして即座にキャサリンの方を向いて言った。
「おおお前か! なんだキャサリン様か! なんだそこにいたのか!」
少女はまるで、その時になって初めてキャサリンの存在を認知したかのように楽しげに騒ぎ立てた。レッツィーはその不遜な態度を前に顔をしかめたが、キャサリンはいつも通りの涼やかな表情で彼女に言った。
「ジェイ、あなたに頼みたいことがあるのです」
「頼み? なんだ?」
キャサリンの言葉を受け、一転して静かになったジェイがどかりとその場に腰を落とす。それまでテーブルの上に載っていた食器のいくつかが尻とぶつかってテーブルから落ち、あちこちから短い悲鳴と罵声があがる。
ジェイはそんな批判などどこ吹く風と言わんばかりに澄まし顔のままキャサリンを見つめていた。そして視界の隅に映っていた雅のシャーベットを素手で引ったくり、それを丸飲みにしてからキャサリンに尋ねた。
「私に何をさせたいんだ? 言ってみろ。私はなんでもやるぞ」
「人を捜してほしいのです」
「人か。誰だ?」
「地球の人間です。名前は御堂明。こちらの世界に移っている可能性が高いです」
「よしよし、わかったぞ」
ジェイがキャサリンの要求を二つ返事で了承する。それからジェイは反対側に映っていたレッツィーのシャーベットを手掴みで奪い取り、まだ手つかずだったそれを一息に口の中に運ぶ。デザートを奪われたレッツィーはまるで世界の終焉を目の当たりにしたかのような絶望の表情を浮かべ、それを横目で見たキャサリンは「また新しいのを作りますから」と優しく言ってからジェイの方を向いて彼女に言った。
「よろしくお願いしますね」
「よし任せろ。私に任せれば千人力だぞ」
ジェイは上機嫌にそう言った後ですっくと立ち上がった。そして今度は全身で健児の方を向き、満面の笑みを浮かべて彼に言った。
「お前にも手伝ってもらうぞ」
ジェイの問いに対し、健児は露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
「あの人誰なんですか?」
その健児とジェイの姿を見ながら雅がギャレンに小声で尋ねた。ギャレンは雅の方を向き、同じく小声でそれに答えた。
「彼女はジェイ・ジュード・ジィーニャ。シャドウウォーカーだ」
「シャドウウォーカー?」
「影が実体化した悪魔だよ」
そこまで聞いて、雅が恐る恐るといった具合にジェイに視線を送る。その雅にギャレンが続けて言った。
「彼女は影そのものと言っていい。影の中に潜り込み、影の中を自由に動き回れる。だから相手にバレることなく対象を探したり、尾行したりするのは大の得意なんだ」
「そうなんですか」
「まあ態度は全然日陰者って訳じゃないんだけどな」
ギャレンがジェイに視線を向ける。そして自分もジェイを見つめながら雅が言った。
「不思議な人ですね」
「奇人の類さ」
ギャレンは呆れたように笑って答えた。