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橋架けスイッチ

 ドアを開けてその部屋の中に入ってきたのは、灰色のビジネススーツをかっちりと着こなした一人の女性だった。背は高く、癖のない黒髪を長く伸ばし、顔立ちは綺麗に整い、その目には怜悧さと知性の光が宿っていた。胸元は豊かに膨らみ、腰は引き締まり、臀部も肥満体型となじられない程度に程良く肉が付いていた。

 まさに理想の体系であった。その顔と体つきは、グラビアモデルと言ってもいいくらいの美貌を持っていた。雅はそんな目の前に現れた女性を、次に自分の貧相な体躯を見て、言いようのない敗北感を味わった。


「あら、ヒイラギの皆じゃない」


 一方でその女性はちょうど玄関口に集まっていたその面々を見て、親しげにその表情をゆるめた。そして彼女は迷わずギャレンに視線を向け、その無駄な肉の無いすらりと伸びた腕を腰に当てながら彼に尋ねた。


「どうしてここにいるのかしら? もしかして、新しい依頼を受けたとか?」

「そんなところだ。ちょっと人を捜してる。どうも神器絡みで姿を消したみたいでな。こうしてそいつの住居にお邪魔してるって訳だ」


 対するギャレンも、親しげな調子でその女性にそう答えた。ビジネススーツの女性は片手を腰に当てたまま、もう一方の手を顎下に持って行きながら「狙いは同じってことか」と考え込むように呟いた。


「あの、そちらはどなたですか?」


 その時、今の状況についていけずにいた雅が耐えきれないとばかりに声を放つ。女性とギャレンは同時に雅を見据え、そしてスーツ姿の女性はすぐにギャレンに向き直って彼に言った。


「この子は?」

「今回の依頼人だ。行方不明になった友人を探してほしいと頼まれたんだ」

「御堂明君ね」


 女性がさらりと返す。片眉を吊り上げながらギャレンが尋ねる。


「なんで知ってるんだ」

「私もその子の捜索をしているからよ。あなたと同じでね。もっとも依頼人は違うけど」

「そうだったのか。で、その依頼人は誰なんだ?」

「御堂君のご両親よ」

「高遠の質問にまだ答えてないぞ」


 ギャレンと女性のやりとりに健児が口を挟む。それを聞いた女性は「ああそうだった。ごめんなさい」と雅に向かって素直に謝った後、彼女の目を見ながら続けて言った。


「私は新庄志帆。東京管理委員会直属の超常現象調査員よ。よろしく」





 新庄志帆は雅に自分の名前と素性を明かした後、「ここで立ち話もあれだから」と言って場所を移すことを提案した。他の面々もそれに従い、彼らはマンションを離れてその近くにある人気の無い公園に向かった。

 しかしそこに向かうまでの道中で、ギャレン達は自分とすれ違った通行人の何人かから白い目を向けられた。しかし彼らはそれを無視し、目的の場所へ進んだ。

 なお、彼らの中で最も注目を受けていたのは幸子であった。彼女は公園に向かう途中でバッグから酒瓶を取り出し、白昼堂々それをラッパ飲みしていたからだ。

 周りの人間は一人も良い顔をしなかったが、健児達も志帆もそれを咎めたりはしなかった。彼らの全員が、それが幸子にとって重要な燃料補給であることを理解していたからだ。


「魔物化した人間は、東京の中にある店を利用することは出来ない」


 そしてその大して広くもない公園の隅にある屋根付きの休憩所に全員で腰を下ろした後、雅がぽつりと呟いた。その顔は暗く打ち沈み、まるで自分が悪いかのように罪悪感に満ち満ちていた。


「君が悪いんじゃない。そんな気に病むことじゃない」


 それを見たギャレンが雅に優しく言い放つ。そして「その通りよ」とギャレンの言葉に同意した後、志帆が続けて言葉を放った。


「委員会の連中が過剰に気にしてるだけよ。あなたが悪い訳じゃないわ。悪いのはあの老人共よ。まったく、何が衛生面で問題があるから魔物は店に入れられない、よ」

「上司嫌いなのは相変わらずだな」

「出世出来ませんよ?」


 そして雅をフォローしていたはずがいつの間にか自分の上司への愚痴をこぼし始めていた志帆の姿を見て、ケイトと幸子が揃って苦笑をこぼす。それを見た雅は顔から陰鬱さをいくらか消し、その代わりに疑念を見せながら彼らに問いかけた。


「どういうことですか?」

「まあ、はみ出し者ってやつだな。実力はあるが、上からの受けは悪い。横からも下からもな。おかげで十分功績はあるんだが、今も下っ端のままだ」

「同じ超常現象調査員の中で、神器や魔物に理解を示してるのは彼女くらいだ。俺達とも前に何度か一緒に仕事をして、その度に協力してくれている。でも、だから嫌われてるんだ。東京じゃ魔物は基本的に敵扱いだからな」


 雅の疑問にギャレンと健児が答える。それを聞いた雅は「そうなんですか?」と親しみのこもった目で志帆を見つめた。東京での魔物の扱いがどうなっているのかは最初から知っていたし、その上で志帆が自分と同じ思いを抱いているとわかって、雅はこのテーブルを挟んで自分の反対側に座っていた女性に親近感を抱いたのであった。


「こちらの高遠さんも魔物と仲良くなりたいと思っているようでな。色々と話も合うんじゃないかな」


 その雅を見ながらギャレンが志帆に言った。志帆は少し驚いた後、興味深そうに目を細めて雅を見つめた。その瞳の奥には自分の同類を見つけた喜びの光が灯っていた。


「お互い仲良くなれそうね。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」


 そして突然志帆から声をかけられ、若干緊張した調子で雅が返す。その声はうわずっていたが、それを言い終えた後の雅の顔には確かな喜びが映っていた。


「そろそろ本題に入ろうか」


 その時、ケイトがおもむろに志帆に問いかける。問われた志帆は表情を引き締め、自分に声をかけたエルフに向き直ってそれに答えた。


「そうね。まずは何から始めようかしら」

「まずは初心に帰ろう。第一歩目だ。君が御堂明の両親から依頼を受けた経緯を知りたい」


 ギャレンがそれに答える。志帆は軽く頷いた後、呆れ顔で言った。


「それは簡単よ。うちの息子から連絡が無くなった。だから探してくれと頼まれた」

「警察ではなく?」

「御堂明は委員会役員の息子だからね。下手に警察に頼んで、そこからボロが出たりしたら面倒なことになる。自分達のキャリアに傷が付く」

「だから、委員会直属の超常現象調査員に頼んだ。別に神器や魔術が絡んでるからじゃない。何かまずいことがあったとしても隠蔽が容易に出来るから」

「そういうことよ」


 ギャレンの返答に志帆が同意の言葉を返す。健児は志帆と同じくらい呆れた表情を作って天井を見ながら言った。


「さすが公務員様だ」

「それで、お前がやってきた訳か」

「ええ。別に向こうにとっては御堂明が消えた原因はどうでも良かったのよ。ただ息子がヘマをやらかしたという事実を消せればそれで良かった。それに私も、まさかこれに神器が絡んでるとは思ってなかった。でも私が現場に向かったら、そこにあなた達がいた」

「確信した訳か」


 健児に次いで問いかけたケイトに志帆が答える。それを聞いたケイトは腕を組みながら言い放ち、志帆も「そういうことよ」と言った。


「それで、これからどうする? 後は俺達に任せるか?」

「これでも一応超常現象調査員よ。ここまで来てあなた達に丸投げする気は無いわ」


 ギャレンから問いに志帆が即答する。健児は腕を組んで「仕事熱心だな」と返し、志帆は肩を竦めて「給料は上がらないけどね」と答えた。

 そんな志帆に対して、今度は幸子が声をかけた。


「では、志帆さんも我々と一緒にヘンディミオへ?」

「なるほど、結局そっちに行ったのね」

「ガイアがこちらにはいないと申しておりましたので。おそらくはそちらでは無いかと」

「いいわ。付き合うわよ。最後まで協力してあげる」


 志帆は苦笑混じりにそう答えた。幸子は「あなたがご一緒してくれると助かります」と笑顔を浮かべ、その後続けて彼女に言った。


「では、転送の方はあなたが?」

「もちろんこっちで用意しても良いわよ。ていうか、あなた持ってきてないの?」

「はい。持ってきてないです」

「じゃあその荷物は?」

「お酒です。まさかヘンディミオまで行くとは思っていませんでしたので」


 恥じらいも無く幸子が言い切る。志帆は乾いた笑みを浮かべるしか無かった。そして一通り笑った後、志帆はスーツとその下に着たシャツのボタンを外して緩めた胸元に手を突っ込みながら言った。


「まあいいわ。いつものことだしね。転送の準備はこっちでするわ」


 そう言い終えた志帆の手には、一個の青い石が握られていた。彼女は胸元から取り出したそれを持ったまま席を立ち、おもむろに外へ歩き始めた。他のメンバーもそれに続いて席を立ち、最後に雅が一拍遅れる形で立ち上がって彼らに続いた。

 雅が公園の真ん中まで来た時、志帆は健児達に囲まれた状態でそこに片膝をついていた。そして健児達に混じった雅の眼前で、志帆は手にした石を片手で握り潰した。


「扉よ来たれ」


 志帆が立ち上がり、拳を緩めて指の隙間から石のかけらをまき散らす。砕かれた青い石の欠片は風に乗って宙を舞い、そして自ら意志を持つかのように軌道を変え、次々と志帆の眼前に集まっていく。


「あれは?」

「空間に穴を開ける道具だ。ヘンディミオで作られてた奴だ」


 雅の問いに健児が答える。彼らの眼前で太陽光を反射してキラキラと光るそれらは、志帆の目の前に集まると同時に一個の物体へと姿を変えていく。そして光を放つ微少な欠片の集まりは、やがて縦に伸びる一本の青い線へと変化した。


「道を示せ」


 志帆が一歩前に踏み出し、その目の前に浮く縦線を両手で掴む。その状態で一度深呼吸をし、気持ちを落ち着けてから目の前のそれを一気に左右にこじ開ける。

 線が上下の端を繋げたまま二本に割れる。そうして生まれた裂け目の奥に広がる空間が志帆の視界に収まり、そこから放たれる光が彼女の全身を紫に照らす。

 それは紫色に染まった、毒々しい光景だった。その裂け目の向こうに広がる紫は蠢くように形を変え、見ているだけで気分を害する有様であった。


「これは?」


 震えた声で雅が問いかける。眼前の紫色の領域を視界に収めながら志帆が答える。


「次元の狭間よ。地球とヘンディミオの間にある空間と言うべきかしら」

「ここを通ってヘンディミオに向かうんだ」


 志帆の言葉に健児が補足を加える。雅は自分の耳を疑った。


「こんな所を歩いて通るの?」

「安心しろ。大丈夫だ」

「でも次元の狭間って、よくわかんないけど、なんか危なそうじゃない」

「そりゃ危ないよ。下手に踏み込んで落ちたら命はない。でもちゃんと手順を踏めば普通に通れる。大丈夫だよ」


 健児が雅を安心させようと声をかける。雅は苦い表情を浮かべたままだった。そんな雅に志帆が近づき、胸の内ポケットから何かを取り出してそれを彼女に手渡した。

 それはグリップの上に一個のボタンが据えられた小さな装置だった。志帆からそれを受け取り、グリップを両手で握りながら雅が尋ねる。


「これは?」

「空間を安定させる装置よ。原理は複雑なんだけど、簡単に言えば、そのスイッチを押すことで次元の狭間を安全に行き来することが出来るのよ。自分で行きたいと念じた場所まで自動でね」

「それも神器の一つなんですよ」


 志帆の説明に付け加えるように幸子が声をかける。雅は驚いた顔で手の中にある装置を見て、次に顔を上げて幸子を見ながら言った。


「これが? どんな力があるんですか?」

「空間に足場を作る能力です。こちらとあちらを繋げる足場、橋を架ける感覚に近いでしょうか。それはスイッチさえ押せば、どこでも一瞬で橋を造ることが出来るんです。地球でもヘンディミオでも、それこそ次元の狭間でもです」

「便利ですね。ちなみにこれの名前は?」

「橋架けスイッチです」


 幸子の解説を聞いた雅は目を点にした。あまりにも安直なネーミングでどう反応すればいいのかわからなかったのだ。

 一方で幸子はその雅の顔を見て、予想通りとでも言うように愉快そうに微笑をたたえた。それから彼女は雅を見たまま、「ですが、気をつけてくださいね」と言ってから続けて説明した。


「そのスイッチは、自分を押した人間に自分が造った橋を渡ってほしいと思っているんです。自分を使ってほしいと切に願っているんです。そしてそのためならば、スイッチは手段は選ばないのです」

「どういうことですか?」

「もしスイッチを押して橋を造った場合、そのスイッチを押した人間は必ずその橋を渡らなければならなくなるんです。もし橋を渡ることを拒絶しようものなら、その場でスイッチに体の自由を奪われて、無理矢理その橋を渡らされるんです」

「え、何それは」


 雅が唖然とした表情を浮かべる。そして雅は空間の穴を、次いでスイッチに目をやり、そのスイッチにそっと親指を添える。雅の肩が僅かに震える。

 それを見た健児達が表情を固くする。雅はそれ以上に困惑した顔を浮かべていた。雅の親指はスイッチに触れたまま離れず、その内に装置を握る雅の手がガタガタ震え始める。

 異変に気づいた健児が雅の肩に手をおく。


「どうした」

「動かないの」


 雅が震える声で告げる。目を細める健児に雅が続ける。


「手が動かないのよ。自分で動かせないの」

「どういう意味だ」

「勝手に手が動くのよ」


 雅がそう言った次の瞬間、彼女の親指がスイッチを押した。健児が驚いて目を見開き、雅が顔を上げてその健児の顔を見る。私じゃない。その雅の表情はそう告げていた。


「スイッチが押させたんだ」


 何が起きたのか気づいたギャレンが声を上げる。


「さっさと橋を造ってほしかった。業を煮やしたんだ」


 直後、志帆の開けた紫の空間の中に、奥へとまっすぐ伸びる緑の橋が出現した。

 そして橋が架け終わると同時に、雅の体が橋へ向かって動き始めた。


「え、な、なに?」

「まずい!」


 雅の顔は混乱と恐怖に満ちていた。しかしその体は本人の意志とは無関係に動き、穴の縁をまたいで次元の狭間に架けられた橋へと踏み出していく。


「どこへ行くつもり?」

「どこでもいい。追うぞ!」


 志帆が驚き、健児がそれに答える。それから互いに顔を見合わせた後、二人して雅の後を追おうと動き出した。

 最初に志帆が、その後に健児が続く。そして志帆の後に続くようにして穴の縁を跨いで橋に足をかけた所で、健児が後ろを振り返り、後に続くギャレン達に手を向けて制止させる。


「そっちは別ルートで来てくれ」

「どうしてだ?」

「雅は無心でスイッチを押したはずだ。だからこの橋がどこに続いているかもわからない。御堂明から遠く離れた場所に続いていたとしてもおかしくはない」


 ギャレンは健児の言わんとしたことを即座に理解した。そして健児をまっすぐ見つめて彼に言った。


「わかった。そっちはお前に任せる」

「雅を助けたらこっちも御堂の捜索を始める。向こうで合流しよう」


 それだけ言って、健児は前へ向き直って橋の上を走り始めた。彼が駆け出すと同時に穴が塞がっていき、やがて穴は一本の青い縦線へ、そして線から欠片の集まりへと回帰していく。結合を解かれたその欠片はそれぞれが風に乗り、ギャレン達の眼前で四方に飛び散っていった。


「仕事が増えたな」


 ケイトが神妙な面持ちで呟く。ギャレンは平静を保ちながら、横にいた二人を交互に見ながら言った。


「やれることをやるだけだ。戻るぞ。俺達は俺達で御堂明を捜すんだ」


 リーダーの言葉に二人は頷いた。そして彼を先頭にして公園を離れ、後には静寂だけが残った。

 

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