城塞都市
地球とヘンディミオが繋がり、そして地球に満ちる魔力によって人間の魔物化が進んでから、それまでの人間の築いてきた版図は大きく塗り替えられることとなった。ある場所では都市が消滅して複数の小規模の自治体へと拡散し、またある場所では近隣にある複数の町が合併して一つの大都市となったりもした。中には一つの国そのものが消滅し、隣接する国に取り込まれたりもした。
これらは全て、まだ魔力に侵されていない純粋な人間が魔物を始めとする未知の存在を恐れるが故であった。そして同時に、自分達を魔物へと変える「魔力」から自らと同胞の身を守るためでもあった。
東京もそうして姿を変えた都市の一つであった。今現在「東京」と呼ばれている場所は、世界がこうなる前にかつて存在していた「東京二十三区」を丸ごと一つの都市として併合し、その吸収合体された一個の領域を「東京」と呼称していたのであった。
そして現在、新たに生まれ変わったその「東京」はその周囲を高い城壁で囲まれていた。鉄筋とコンクリートで作られた分厚い壁に守られた東京を指して、現在ではそれを「城塞都市東京」と呼んでいた。
「着いたぞ」
健児達の乗るジープはのどかな田園風景を暫く走り続けた後、その件の城塞都市の目の前までやってきた。目の前には高々と築かれたコンクリートの壁がそびえ立ち、それは今までの穏やかで開放的な空気とは正反対の、無機質な息苦しさを見る者全てに与えた。
「高さ七十メートル。厚さ五メートル。魔力を利用しないでコンクリートと鉄骨だけで作られた、重厚な壁だ」
「何度見ても刑務所みたいですね」
ジープに乗ったままギャレンがその正面に広がる壁の作りを解説し、続けて幸子が昔を懐かしむように呟いた。幸子の目は壁そのものではなく、その下の方に向けられていた。その視線の先には東京の中に入ろうとする者達の長蛇の列と、それら一人一人を審査している入都管理官がいた。壁の中にめり込むように詰め所が建てられており、管理官はその中に座りながらガラス越しに審査を行っていた。
それを見る幸子の目はどこかもの悲しげだった。
「あ、あの」
雅はそれに気づいて幸子に目を向けたが、それから彼女が幸子に問いかけるよりも早く、ケイトがその壁の一角を指さしながら言った。
「見ろ。珍しいのがいるぞ」
それに全員が反応してケイトの指さす方に目を向ける。そこには壁に寄りかかるようにしてその前に立つ、一人の巨人がいた。壁より巨大な背丈を持ったその巨人は腰簑だけを身につけ、背中には巨木をそのまま削り出した無骨な棍棒を背負っていた。
「巨人だ」
「あれも魔物化した人間なんですか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。人間が変化した奴かもしれないし、ヘンディミオにいた巨人が地球にやってきたって可能性もある」
健児が反射的に声を出し、それに続いて雅がギャレンに問いかける。ギャレンはそれに答え、さらにケイトがそのリーダーの言葉に続いて言った。
「東京を覆う壁は、ああした魔物を不用意に町に入れないためにある。今の東京は純粋な人間のためにある町だからな」
「で、でも、東京はそこまで排他主義の強い場所じゃないんですよ。ラスベガスとか北京とか、他の町みたいに魔物の侵入を徹底的に拒んでる訳じゃないんです」
そしてそのケイトの発言に、雅が必死になって養護の言葉を返す。自分の身を守るかのように、自分の生まれ育った町を守ろうとしていた。しかしそれに対して健児は小声で「歓迎はされないけどな」と捨て鉢な調子で答えた。
そんなやりとりをしている内に、件の巨人は壁から離れ、肩を落として町から離れていった。壁の上にもいた専門の審査官から拒絶され、家に帰れと言われたのは想像に難くなかった。
「巨人族は大抵の場合ああなる。入るのを許されるのは人間と同じ程度の大きさを持つ者だけだ。それと人間の姿から大きくかけ離れた形をしている者も入るのを拒まれる。ここで大半の魔物は弾かれる」
「有翼人種も下手に壁を越えて中に入ろうとすれば、即座に射殺される。そして町の中で魔物化してしまった者も、すぐにとは言わないまでも遅かれ早かれ町の外に追放される。厳しいのはどこも一緒だ」
ケイトとギャレンがそれぞれ言った。よく見れば壁の上には無人の対空機銃がいくつも設置されていた。さらには機銃だけでなく、堅固な体を持つ者を確実に処分できるようにミサイルの発射台まで置かれていた。それらの存在は全て異分子への殺意に満ち満ちていた。
それを見た雅は心が締め付けられるような、複雑な表情を浮かべた。
「でも、いい町なんです。とっても住みやすい場所なんです」
雅が苦しげに言った。ギャレンはジープのエンジンを切りながら、雅に顔を向けながら「責めてるわけじゃない」と返した。
「ああしているのは人間が人間として生きていくためにしていることだ。別に魔物を虐めて楽しんでるんじゃない、必要だと判断したからやっているんだ。だから俺は別に、あそこのやり方を責めたりはしない」
「向こうも向こうで必死なのはわかってるよ。それに魔物化を気持ち悪く思うのもわかる」
健児もそれに続けて言った。二人の言葉を聞いた雅はその表情を少し和らげ、誰にも聞こえないくらい小さな声で何かを呟いた。誰もそれには反応せず、代わりに幸子が雅に尋ねた。
「ところで、あなたは魔物を気持ち悪いとは思わないのですか? 東京の人は大半が魔物を嫌がると聞いたのですが」
雅はそれを聞いて、まず無言で首を横に振った。それから彼女は幸子の方を見て言った。
「それはまあ、ちょっとびっくりすることはありますけど。でも嫌がるだけじゃなくて、自分から理解していかないと駄目かなって思ったりもするんです。それに私だけじゃなくて、人間と魔物は必ずわかりあえると思うんです」
「それは素晴らしいことだ。そのまま真っ直ぐ、自分らしく行きなさい。嫌味をいう人もいうだろうが、私達は君を支持する。応援しているぞ」
雅の主張を聞いたギャレンが自分の事のように嬉しさを見せながらそう言った。他のメンバーも同様に頷き、雅はその顔に自信を漲らせた。
「さて、そろそろ行くか。いつまでもここにいても仕方ないからな」
そこでケイトが声を放つ。他の面々もそれに同意し、ジープのエンジンを止めて全員がそこから降りる。そして入都管理官の審査を待つ列に並び、自分達の番を待つことにした。
基本的に東京の中に入れる外部の人間は、全体の六割と言われている。そして幸運なことに、健児達はその全員が都市内に入ることを許された。彼らが魔物であることを知った担当の管理官は苦い顔を浮かべたが、ギャレンとその連れはそれを無視した。
「壁の中は変わらないな」
そして町の中に入った彼らは、そのギャレンの言葉と同じ感想を抱いた。雅だけは自分の馴染みの場所に戻れたことに安堵を覚え、表情を緩めていた。
彼らの目の前にあったのは、まさにコンクリートジャングルとも言うべき摩天楼だった。町を囲う壁より高い建物は無かったが、それでも壁の外に点在する村や町に比べたら遙かに近代的で、ヘンディミオと繋がる前に存在していた東京そのままの姿を残していた。
「過去の栄光を忘れたくないって感じだな」
「今の人間には縋る物が必要なんだ。周りが魔物だらけになってる今はなおさらな」
その魔法に浸かる前の物質文明そのままの姿を残す町並みを見たケイトが呆れたように呟き、それに対してギャレンが弁護するように返す。幸子は周りの視線を気にせずに持ってきたバッグから酒瓶を一本取り出し、素手で栓をこじ開けてからそれを豪快にラッパ飲みした。
そんな光景を見て、雅は苦笑するしかなかった。そしてその雅の肩に手を置きながら、健児が彼女に問いかけた。
「ところで、そのマンションはどこなんだ?案内してくれないか」
「は、はい。わかりました。こっちです」
雅の案内に従って、彼らは目的のマンションまで歩いていった。目的地はそれまで彼らの立っていた所から歩いて数分の位置にあり、辿り着くこと自体は苦ではなかった。しかしその道中、彼らとすれ違う人々が一様に彼らを怪訝な目つきで見つめてきたのが、彼らの神経をわずかながら逆撫でしていった。
放っておけ。そんな視線を向けてくる連中に対して何度かケイトが彼らに牙を剥こうとしたが、その度にギャレンが彼女を制止した。ケイトはそのリーダーの言葉を聞いて渋々ながら踏みとどまり、結局彼らは何の問題も起こさずにそのマンションに到着したのだった。
「こっちです。ついてきてください」
そのまま雅の案内に従い、彼らは目的の部屋に到着した。その扉の横には「三〇二号室」と書かれていた。
「ここが?」
健児の問いかけに雅が静かに首を縦に振る。その間、幸子はギャレンの視線を受けて扉の前に進み、おもむろに酒瓶を持ってない方の腕を持ち上げてその扉に掌を押し当てた。
「ああ、これは幻ですね」
そして手で触れた瞬間、幸子は確信めいた調子で言った。雅は驚いたが、幸子の仲間は特に動揺はしなかった。ケイトが幸子の後ろに立ちながら彼女に問いかける。
「間違いないか?」
「はい。これは幻です。この奥の空間を隠すために張られた魔法の幻覚です」
「じゃあ、押しても引いても扉がびくともしなかったのは」
「元々扉が無かったからですね。最初からそこに無い物なんてどうしようもありませんよ」
震えた声で話しかける雅にそう答えた後、幸子は扉から手を離してそれまで飲んでいた酒瓶を口につける。口の端から酒がわずかにこぼれ、それを腕で拭ってから幸子が続けた。
「ですがこの幻はごく初歩的なものですね。何かを封印している訳でもなさそうです。単純に人の目を誤魔化すために作られたものでしょう」
「解除は出来そうか?」
「朝飯前です」
酒瓶の中身を飲み干してから、幸子がギャレンからの問いにこともなげに答える。そして彼女はその空になった酒瓶を持ったまま再び扉に近づき、一度深呼吸をしてから瓶を持った手を高々と持ち上げた。
「ふん!」
何をする気なんだろう。そう思った雅の眼前で、幸子は勢いよく腕を振り下ろして酒瓶を扉にぶつけた。甲高い音が周囲に響き、空の瓶が粉々に砕け散る。そして瓶が砕け、雅が怯えた声を出した直後、彼らの前にあった扉が霧に紛れるように消滅していった。
「やりました」
そうして幻の消滅を確認した後、瓶の先だけを握りながら幸子が何事もなかったかのように言ってのける。ギャレン達もそれに満足したように頷き、ただ一人何が起きたのか把握できずにいた雅が健児に尋ねる。
「ね、ねえ、あの人何をしたの?」
「幻を破ったんだよ」
「あれで? 魔法は魔法でしか解けないんじゃないの?」
「普通はな。魔法に対抗できるのは魔法だけだ。でも幸子は、その魔法に物理的に接触することが出来るんだよ」
「つまり?」
「飛んできた火の玉を掴んで投げ返したり、魔法の壁を素手で引きはがしたり、今みたいに幻覚を力ずくで打ち破ったりすることが出来る」
健児の説明を聞いた雅は驚きに顔をしかめた。そしてその表情のまま「なんでもありってこと?」と返し、健児は頷いてそれに答えた。
「幸子という存在が魔力そのものと化した、と言えばいいかな。大量の魔力が一カ所に集まって、幸子という姿を取っていると言うべきか。だから魔法に直接接触しても、比較的軽度の損傷で済むことが出来る」
「それも魔物化の影響なの?」
「本人はそうだと言ってるな。ただまあその代償として、定期的に酒を飲まないといけない体になったけど」
「なんでお酒?」
「それは知らん」
幸子からの問いに健児が答える。そして時を同じくして、それまで彼らの目を欺いていた扉が完全に消滅し、そこには虹色に光る渦が残されていた。
「これが本当の入口か」
「入ってみる?」
感心したようにギャレンが呟き、ケイトがそれに答える。しかしそれに健児が反応した直後、彼らの眼前でその渦は消えていった。これもまた扉の幻と同様に、霧に紛れるような消え方であった。
「そんな」
雅が目に見えて肩を落とす。手がかりが眼前で消えたのだ。気落ちしない方がおかしかった。
他の面々も同じように力を抜いたが、彼女と違い、すぐにその体に力を取り戻した。それに気づいた雅は彼らの方を向いてそれを尋ねた。
「まだ何か策があるんですか?」
「ああ。落ち込む程じゃない」
「ここはギャレンの出番ですね」
健児が雅に答え、そして幸子が続く。彼らはそのままギャレンの方を向き、自称英国紳士はその視線を受けながら言った。
「まだ遠くまでは行ってないはずだ」
「彼の出番?」
「ああ。ガイアに手伝ってもらおう」
誰? 雅の問いに、健児は彼女の方を向いて答えた。
「見ればわかる」