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鉄食い女

 富士見野健児と高遠雅は同じ高校の同じクラスにいた友人同士であった。健児が車にひかれて魔物化するまで、彼らは平穏だが退屈な学生生活を送っていた。


「それは東京での話ですか?」


 食堂で唐突に現れたその依頼人からその辺りの話を聞いたギャレンは、自分の向かい側に座った雅にそう問いかけた。雅は彼を見たまま無言で首を縦に振り、それを見ていたケイトは片方の眉を吊り上げながら呟いた。


「あの城壁に囲まれた町にいたのか」

「まあ普通の人間はあそこに住みますよね」


 ケイトの横にいた幸子がエルフの言葉に反応する。それまで自分もそこにいた健児はその幸子の声にあわせて頷きながら言った。


「あそこは魔物化していない人間の最後の砦だからな」

「一応地方にも小さな町はあるがな」


 それに対してギャレンが補足を入れる。その後ギャレンは続けて「日本で真人間だけの大都市として残ってるのはあそこくらいだが」と言った。それからギャレンは雅の方を向き、「では本題に入りましょうか」と話しかけた。

 雅は再度頷き、それを見たギャレンが話を切り出した。


「今日はどういった用件で?」

「私の友達を助けてほしいんです」


 健児が僅かに体を震わせる。ケイトは長い耳を揺らしてそれに気がついたが、彼女は彼を横目で見るだけでその場で問い詰めたりはしなかった。

 一方でギャレンはテーブルの上で両手を組み、じっと雅を見ながら言った。


「警察ではなく私達に頼んできたという事は、それは神器絡みの話であると思っていいのですね?」

「はい」


 雅は小さく、しかし確かに頷いた。それから雅は神器審問団ヒイラギがどのような存在なのか、自分の知る限りの範囲で彼に告げた。


「この世界に存在する神器を探しだし、危険と判断した物は回収していく。警察や軍隊とは独立した、人外の力を持った人達だけで構成された特殊部隊。ですよね」

「まあその通りです。概ね当たってます。その情報はどこで?」

「昨日テレビでやってたんです。ニュースの特集であなた達のことを放送してたんです」


 ギャレンからの問いに雅が答え、そのまま雅が健児の方を見る。その時テレビであなたを見たよ。彼女の目は健児にそう告げていた。健児は少し恥ずかしくなって彼女から顔を逸らした。

 一方でギャレンは小さく「まあそこまで知っているなら話は早い」と言った後、気を取り直して一つ咳払いをしてから、また雅に尋ねた。


「ではその神器がなんなのか、見たり聞いたりはしていますか?」

「いえ、直接見たりはしてないです。ただその友達が時々私に、その神器の話をしてくるだけでして。それである日、私にその友達が言ってきたんです。ついにやった、あの神器の謎を解き明かしたんだ、と」

「そして次の日、消息を絶った?」


 ギャレンが静かに問いかける。雅は一瞬心の底を見透かされたように驚いたが、すぐに顔を元に戻して頷いた。


「その友達は大学に進学してからずっと一人暮らしをしていたんです。それで彼の住んでるマンションに電話をかけてみたんですけど、全然反応がなくて。ご両親に連絡を入れても、向こうも何も知らないみたいで」

「そのマンションには行ってみたのか?」

「う、うん。でも鍵がかかってて、中には入れなかったの」


 途中から言葉を挟んできた健児に雅はそう答えた。未知の世界の中で唯一見知った者の存在を確認した事で、その声は心なしか安堵しているようにも聞こえた。

 そんな雅に幸子が問いかける。


「そのマンションの管理人には会いましたか? 管理人ならマスターキーか何か持っていると思いますが」

「は、はい。一応管理人の人にも会いました。それで合い鍵をもらって、一緒に部屋に行きました」


 幸子からの質問に、雅は彼女の方を向きながらそう答えた。この時雅の視線は幸子ではなく、彼女が持っていた中身の半分無くなった酒瓶に向けられていた。

 それを見ながら雅が幸子に続けて言った。


「鍵は開いたんです。開いたんですけど」

「けど?」

「扉が開かなかったんです」

「え?」


 幸子が怪訝な表情を浮かべる。ケイトが雅に尋ねる。


「鍵は開いたのだろう?」

「はい。鍵穴に鍵を差し込んで、ちゃんと回りました。ロックが外れる音も聞こえました。でもその後でドアノブを掴んで回しても、扉は開かなかったんです。まるでまだ鍵がかかっているみたいに、押しても引いてもびくともしないんです」


 そこまで言って、雅は言葉を区切った。ヒイラギのメンバーは皆一様に難しい表情を浮かべながら無言を保った。しかしその頭の中では、全員が同じ結論を抱いていた。


「これはもう決まりじゃないですかね」


 その時、食堂の奥にある厨房から出てきた天音がこちらにやって来ながらそう言った。彼女はこの時両手にお盆を持ち、その上に人数分の湯飲みを載せていた。湯飲みからは湯気が立ち上り、そして彼女が近づいてくるにつれて、そこから日本茶の匂いが漂ってきた。


「皆さんもそう思ってらっしゃるんでしょう? 私も調べてみても損はないと思いますよ」


 そして彼女は彼らの集まっていたテーブルの上に湯飲みを置きながらそう続けた。それに背中を押されるようにして、ギャレンが自分の膝を叩きながら言った。


「よし、じゃあ行ってみるか」


 それを聞いた全員がその英国人に目を向ける。全員の視線を受けながら、その紳士は自分のチームの面々に視線を向けて言った。


「ケイト、出発の準備だ。車を用意しておいてくれ」

「いつものようにジープでいいか?」

「それでいい。それと幸子は使えそうな資料を適当に集めておくんだ」

「適当でいいのですか?」

「何が来るかわからないからな。とりあえず使えると思った奴だけを持って行っておけ。健児は武器の方を頼む。懐に隠せる程度に小さい奴だ」

「これもなんでもいいのか?」

「普通の武器でも神器でもいいが、あまり強すぎる奴はやめておけよ。下手に扱って都市が丸ごと消えるのは冗談でも笑えないからな」


 ギャレンの指示は迅速で淀みが無かった。そして最後にギャレンは天音の方を向き、「後かたづけをお願いします」と言った。天音はそれに素直に頷き、それから「お気をつけて行ってきてくださいね」と激励の言葉をかけた。

 その的確な動きに雅が見とれていると、不意にギャレンはその雅にも視線を向けて彼女に言った。


「それから高遠さん。あなたも我々と一緒にそのマンションに向かってほしいのですが、いいでしょうか?」

「あ、はい。大丈夫です」


 いきなり問われた雅は困惑したが、すぐに気を取り直してそう答えた。ギャレンは満足そうに「それは何より」と答えた後、ゆっくりと腰をあげながら言った。


「じゃあそれぞれ準備にかかってくれ。準備ができ次第、車庫で合流だ」

「ああ」

「わかった」

「わかりました」

「高遠さんは私と一緒に。車庫で待っていましょう」

「は、はい」


 慣れきったように返事をする健児達とは対照的に、雅のそれはまだまだ固かった。緊張するのも当然か。ギャレンはそう思った後、彼女の肩を軽く叩いてから続けて言った。


「それではこちらへ。車庫まで案内します」

「お、お願いします」


 まだ緊張した調子で、雅はギャレンの後をついていった。そして食堂を離れた二人は、そのまま民宿を出てその横に置かれた車庫へと向かった。





 民宿「やまや」と車庫はすぐ隣同士にあった。外に出て一分もしない内に、二人は車庫の閉め切られたシャッターの前に辿り着いた。そしてギャレンはシャッターの横に取り付けられた装置の上に手のひらを押し当て、それから二人は少し後ろに下がって静かにシャッターが開いていくのを見つめていた。


「ここはとても静かなところですね」


 その沈黙に耐えかねたのか、雅がシャッターに背を向けて正面の光景を視界に収めながら言った。彼女の前には一面の田園風景が広がっていた。規則的に田畑が並び、その中で農夫が一生懸命に作業をこなしていた。そんな光景と頭上に広がる健やかな青空が相まって、ここにはのどかで穏やかな空気が漂っていた。それまで自分のいた都会とは大違いであった。

 そしてその田畑を耕しているのは、その大半が魔物化した人間であった。辛うじて人間の形を保っている者もいれば、頭が魚になっていたり、下半身が蛇になっている者もいた。そして彼らはギャレンと雅を目敏く見つけ、親しげに彼らに手を振った。

 雅はそれらを前にして、当然ながら驚いた。話に聞いたりテレビで見たりはしていたが、実物を実際に目の当たりにするのはこれが初めてだったからだ。しかし当人を前にしておおっぴらに驚いたりするのは失礼と思い、表情や態度には出すまいと努めて平静を装った。


「魔物化した人間はコンクリートジャングルを無意識のうちに避ける傾向があるんだ。みんな大都市を離れて、田舎の方に向かうんだ。そしてそこが木造家屋の多い場所なら、彼らは喜んでそこに定住する」


 一方でその雅の発した呟きに対し、ギャレンは自らもシャッターに背を向けながらそう返した。彼も雅と同じ光景を目の前にして、腕を組みながら続けて言った。


「これについては人間を魔物化させた原因である魔力が、ヘンディミオから来たのが大きな理由だとされているな。ヘンディミオには東京やワシントンみたいな、摩天楼のそびえ立つ高密度の大都市は存在しない。大きな町もあるにはあるが、そこの大半を占めているのは煉瓦や木をメインにして作られた建物なんだ。中世ファンタジーのような、言ってしまえば簡素で古臭い家だな」

「だから、同じような家の並ぶ田舎に惹かれるってことですか?」

「そうだとは言われている。出稼ぎに都会まで来た人間が、故郷を偲んでホームシックに陥るような感覚だ。もちろんこれはまだ仮説の域を出ていないが、それでも一番有力な説だともされている」

「魔力に晒されて魔物になった人間が、その魔力の生まれた故郷に帰りたがっている?」


 ギャレンの説明を聞いた雅が小さい声で言った。その声色にはまだ半信半疑の気配が強く残っていた。一方でギャレンは「まあトンデモな話なのは確かなんだがな」と言ってから、再びシャッターの方へ体を向けた。


「ケイト、準備はいいか?」


 そしてその車庫の中にいたケイトに向けて、ギャレンが自身も車庫の中に入りながら声をかける。雅もギャレンに続けて中に入ったが、そこは車庫だというのにも関わらず車の類は一つもなく、ただその空間の中央にタイヤの上に腰掛けた女エルフがいるだけだった。

 そのエルフは手に鉄パイプを持ち、そのパイプには歯形が残っていた。雅はそれに対して深く考えようとはしなかった。

 雅がそんな事を考えていた一方、ケイトはギャレンの問いかけに頷きながら答えた。


「ああ。私ならいつでもいいぞ。あとは幸子と健児が来るのを待つだけだ」

「そうか。まああいつらもすぐに来るだろう」

「すいません。お待たせしました」


 そしてギャレンとケイトがそうやりとりを交わしていると、外から幸子の声が聞こえてきた。車庫の中にいた面々は外に出ようとしたが、それよりも前に幸子と、彼女と共にやってきた健児が車庫の中に入ってきた。和服姿の幼げな女性は背中と右手にそれぞれ大きなバッグを持ち、タンクトップの上から薄手のベストを羽織った不死人ノスフェラトゥは彼女とは対照的に腰にポーチを身につけただけという極めてラフな格好をしていた。

 その二人を前にして、健児よりも幸子に強い反応を示した雅が目を丸くしながら彼女に問いかけた。


「その荷物はなんなんですか?」

「お酒です。資料の方は大概頭の方に入ってるんで、持ってかないことにしました」

「バッグの中に入ってるの全部お酒なんですか?」

「いつものことさ。二人とも準備は?」


 幸子の返答を聞いて唖然とする雅にギャレンがさらりと返し、さらに驚きの度合いを強める依頼者の横でそのまま幸子と健児に問いかける。後からやってきた二人は共に頷き、それを見たギャレンは再度ケイトの方を向いて言った。


「じゃあケイト。頼む」

「わかった。皆、少し離れていてくれ」


 ケイトの言葉に従い、全員が彼女から離れていく。そして雅を含めた全員がそれぞれ車庫の隅の方に移動すると、それを見てケイトはおもむろに両手で腹を押さえ、まるで腹痛に苦しむかのように背を丸めて地面に顔を向けた。


「あの、何を」


 ケイトが唐突に呻き声をあげたのは、不安になった雅が声をかけたその時だった。驚いて声のする方へ目を向けた雅の眼前で、そのエルフは顔を足下に下ろしたままえづき始めた。口からは唾液が垂れ流され、その顔は力みすぎて真っ赤に染まっていた。

 そうして暫く苦悶の表情を浮かべた後、やがてケイトは口から一つの塊を口から吐き出した。それは黒く染まった、歪な形をした無機質な物体であり、そしてその物体は地面に落ちると同時に生きているように蠢き始めた。

 ひいっ。それを見た雅が無意識の内に小さな悲鳴をあげる。それに気づいた健児が彼女の後ろに達、その背をそっと支える。その間にもケイトの吐き出した塊は蠢動を続け、ついにはその形を変えながら風船が膨らんでいくかのように肥大化していった。


「そろそろ完成だ」


 その時、口元の涎を腕で拭いながらケイトがおもむろに言った。そして彼女がそう言った直後、黒い塊もまたその蠢動を止めた。

 そしてその黒い物体が蠢動と肥大化を止めた時、それまでそれがあった場所には一台のジープが停められていた。車体はカーキ色に染まり、ルーフは無く頭上が吹きっさらしになっており、飾り気のない無骨な外見をしていた。


「これはいったい?」

「ケイトの能力だよ」


 その変形したジープを見ながら呆然と呟く雅に対し、その後ろにいた健児が説明を始めた。雅はそれを黙って聞いていた。


「彼女は普通の食事の代わりに鉄を食べて生きているんだ。別に鉄じゃなくでも、無機物なら基本的に何でも食える。そして一度食った物は、こうして自分で新たに生み出すことが出来る。ケイトは腹の中にリサイクル工場を持ってるようなものなんだ。だから自分で生み出したそれを食べて、腹を満たすことも出来る」

「それも、その、魔物化の影響なの?」

「そうだ。そしてその魔物化が原因で、彼女は生まれた里を出て行くことになった」

「もう昔の話だ」


 その健児の解説に反応したケイトが、諦めに似たような顔でそう答える。雅は何か聞いてはいけない事を聞いてしまったような思いを抱き、目の前のエルフを気味悪がるよりも前に後悔と謝罪の念を抱いた。その顔は明らかに申し訳なさに打ち沈んでいた。


「気にしなくていい。もう済んだことだ」


 そんな暗い顔をする雅にケイトが問いかける。口調はいつも通りだったが、その口元は嬉しそうに緩んでいた。初対面の他人が自分の境遇を知って、それでなお嫌悪を抱かなかったのは久しぶりであった。素の自分をいきなり見せなければいいだけの話ではあるが、それでも自分が否定されないというのは嬉しいものだった。


「さあ、行こう。ここで待ってても始まらないからな」


 そんな彼らを見ながら、ギャレンが不意に声をかける。残りの面々もそれに頷き、次々とジープに乗り込んでいった。そしてギャレンが運転席に、ケイトが助手席につき、残りの面々が後ろの席についた後、ギャレンはおもむろにケイトの方を向いて言った。


「今日は俺が運転する」

「いいのか?」

「ああ。お前は休んでろ。融合は疲れるだろうからな」

「ならそうさせてもらう」


 ギャレンの提案に素直に頷いたケイトが、そう言って背もたれに身を任せて目を閉じる。後ろでそのやりとりを聞いていた雅は、隣の健児に小声で話しかけた。


「まだ何か力を持ってるの?」

「ケイトは自分が生み出した物体と融合して、自分の体のように操ることが出来るんだ」

「なんでもありなのね」


 感心したように雅が呟く。そこに嫌悪の響きは欠片も無かった。一方でギャレンは刺しっぱなしのイグニッションキーを回し、エンジンをかけてから大声で言った。


「よし、行くぞ! しっかり掴まってろ!」


 そして一気にペダルを踏む。ジープは前置きもなしに急速発進し、その突然の急加速を受けて雅は体が後ろに押しつけられるような感覚を味わった。しかし悲鳴は上げず、とっさに歯を食いしばってそれに耐えた。叫ぶ余裕も無かったのだ。

 この車にシートベルトが無いこと、そしてマニュアルではなオートマチック車であることに気づいたのは、彼女の体がスピードに慣れた直後の事だった。

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