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はなやしき

 志帆が民宿「やまや」に顔を見せたのはその翌日、午前八時頃のことだった。早朝に民宿を訪れた彼女は入口を潜るとまっすぐ階段へ向かって二階に上り、ギャレンの使っている部屋まで向かった。志帆は途中天音に出くわしたが、天音は志帆が真剣な顔ーー「仕事」をしている時に見せる厳めしい顔を浮かべている事に気づき、引き留めはせずに軽く会釈だけをして、彼女を先に進ませた。


「志帆か。どうしたんだ?」


 そうして志帆が目的地に到達した時、ギャレンはその広い部屋の中で煙草を吸いながら読書に興じていた。ギャレンは志帆の存在に気づいて煙草を灰皿に押しつけ、本を閉じて丸テーブルの上に置きながら彼女の方を向いてそう尋ねた。志帆はそこに立ったままギャレンを見据え、両手を腰に当てながら彼に言った。


「高遠雅が町から追放されたらしいの」


 ギャレンの顔が一瞬険しくなる。その後すぐに表情を和らげてからギャレンが志帆に尋ねた。


「本当か?」

「ええ、本当のことよ」

「どうしてわかった?」

「これでも私は公務員だからね。町の事は色々と耳に入ってくるのよ」


 志帆が肩を竦める。ギャレンは渋い表情を浮かべて志帆から視線を外し、テーブルに視線を向けながら呟いた。


「俺達のせいか」

「おそらくは。私達と関わってるところを誰かに見られて、それを告げ口されたんだと思う」

「でも誰が? 他の魔物じゃなさそうだが」

「そこまではわからないわ。でもとにかく、あの子は町から追い出された。それは事実よ」


 そこまで聞いたところで、再びギャレンが志帆の方を向く。彼の顔には悔恨の念がありありと浮かんでいた。

 そして志帆もまた、彼のその顔をじっと見返した。しかし彼女は彼の顔を見ても何も言わず、ギャレンはそのまま口を開いた。


「今彼女はどこにいるんだ?」

「それもわかってる。ソーニャの屋敷にいるみたい」

「ソーニャか」

「あの占い師の所なら、まだ安心よね」


 志帆がそう言って肩の力を抜く。ギャレンも同様に安堵のため息をつき、それから思い出したように彼女に言った。


「ところで、このことはまだ健児には話してないのか?」

「ええ、まだよ。今のところあなたが最初」

「そうか。それは良かった」

「彼には話さない方がいいかしら」

「今の所はな」


 ギャレンが答える。志帆もそれに頷く。それから志帆はギャレンを見ながら彼に問いかけた。


「それで、どうする? あなただけでも彼女に会ってみる?」

「ああ、そうしてみるよ。今もそこに?」

「今もいるみたいね。私の方から連絡してみるわ」

「頼むよ」


 スーツのポケットから携帯電話を取り出す志帆にそう答えながら、ギャレンがゆっくりと立ち上がる。そして背伸びをして体を解し、壁にの隅に掛けられていた上着を手に取る。


「もしもし? ソーニャ? 志帆よ。ダリアって言った方がいいかしら? ちょっとあなたの所に居候してる子の事で話したいことがあるんだけど」


 この時、彼らは二つの間違いを犯していた。そしてそれに気づかなかった。一つは志帆がこの部屋の入口のドアを開けっ放しにしていた事。


「……ええ。そういうこと。今からあなたの所に行きたいの。お邪魔してもいいかしら? ・・わかったわ。ありがとう。すぐにそちらに向かうから」

「ソーニャがなんだって?」


 そしてもう一つは、ギャレンと健児の部屋が隣同士であったことだった。


「雅がどうかしたのか?」


 志帆の背後に健児が立っていたのにギャレンが気づく。志帆は通話途中で体を硬直させ、健児は顔をしかめていた。

 何もかも手遅れだった。





 結局、問題の現場にはヒイラギのメンバー全員で向かうことになった。ついでとばかりに志帆もそれに同行した。ソーニャの住む屋敷は本家屋と中庭、そしてそれを取り囲む塀と門で出来ており、それは一面の花畑のド真ん中にぽつりと建っていた。

 彼らはその唯一の出入口である正門の前に「ケイト産」の車を停め、それから降りて門の前に立った。ギャレンが全員を代表してそれの横に据えられているインターホンを押し、それに向かって声をかけた。


「失礼、ミス・ソーニャはいるかな?」


 一拍間を置いて、そこから声が返ってきた。


「鈴蘭の花の味は?」


 ソーニャの声だった。緊張のない、とてもゆったりとした口調だった。ギャレンは一度口を閉じて考え込み、それから顔を上げてそれに答えた。


「甘い」


 またも一拍間が空く。その次の瞬間、甲高い音をあげて門が開いていく。全員の視線がそちらに集まり、それと同時にインターホンからソーニャの声が聞こえてくる。


「さあ、中へどうぞ」


 ギャレンが他の面々を見て頷く。そして彼を先頭にして門を潜り、中庭を抜け、屋敷の正面玄関口に到達する。

 彼らがそこに到達した所で、扉が勝手に押し開けられていく。健児達は一瞬身構えたが、その扉の向こうにいた人物を目にしてその警戒を解いた。


「なんだ、ヴィーか」

「お久しぶりです、ヴィー」


 そこにいたのは赤いフードを目深に被り、赤いボロ布で全身を覆い隠した一人の女性だった。その女性はそれまで表に出していた炎の触手を背中に引っ込め、本体は身じろぎもせずにフードの奥からじっと健児達を見つめていた。

 その女性に向かって健児が安心したように呟き、幸子が親しげに声をかける。ヴィーと呼びかけられた女性はほんの僅かに頭を下げ、それから何も言わずに彼らに背を向けた。背中に隠した触手は完全に姿を消しており、見ることは叶わなかった。


「ついて来いってことだろうな」

「相変わらず無口な奴だ」


 その背中を見ながらギャレンが呟き、ケイトがため息混じりに言った。その間にもヴィーはすたすたと前を進んでいく。健児達も取り残されまいと急いでその後を追いかける。

 ヴィーはやや早足で屋敷の中を進んだ。扉を開けて廊下を進み、やがて突き当たりの左にあるドアの前で立ち止まってそちらに体を向ける。

 健児達も続けて足を止める。ヴィーは一度顔を動かしてフードの奥からそれを見届けた後、顔をドアに向けなおしてドアノブを掴んだ。鍵はかかっておらず、ヴィーが軽く力を込めてノブを回すとそのドアは簡単に開いた。

 ヴィーがドアを押し開け、室内に入る。健児達もそれに続く。部屋の中は広く、ドアの向かい側の壁は一面ガラス張りになっていた。そこから見える中庭の風景と外から射し込む日光によって、室内は明るさと清潔さ、そして開放感に満たされていた。

 そしてその部屋の中央にはソファとテーブルが置かれ、右隅には黒塗りのグランドピアノが置かれていた。左側には本棚が置かれ、その中には大量の本が収められていた。


「お久しぶりですね、皆さん」


 その部屋の奥から聞き慣れた声が響く。ギャレンがインターホンで聞いたのと同じ声だった。彼らは声のした方へ目をやり、ソファに深々と腰掛けていた者の姿を視界に納めた。

 声の主、ソーニャはテーブルの上に置かれた水晶玉とにらめっこしながら、そのまま健児達に声をかけた。



「あなた方が今日ここに来られた理由はわかっています」

「だったらわざわざ合い言葉で確認する必要も無かったんじゃないのか?」

「一応の確認です。万が一ということもありますからね」


 ギャレンの言葉にそう答えながら、ソーニャが水晶玉から目を離して立ち上がる。そして尻尾を楽しげに振りながらピアノに近づき、カバーを持ち上げて鍵盤を露わにする。


「雅は今どこにいるんだ?」

「地下です」


 健児の問いかけに答えながら、ソーニャが慣れた手つきで鍵盤を順々に押していく。ソーニャは特定のメロディを奏でる訳でもなく淡々と音を鳴らしていき、そして十回音を鳴らした次の瞬間、彼女の傍にあった床が音を立てて割り開かれていった。開かれたその床の奥には地下に続く階段があった。


「あの子、どうやら神器の一つに好かれたみたいでして。周りの迷惑にならないよう、地下でそれの相手をしてもらっているんです」

「お相手はどんな神器なんだ?」

「楽器です。それもかなり五月蠅いタイプです」


 ケイトの問いに対し、ソーニャが微笑みながら答える。そしてなおも笑ったまま、健児達を見ながら彼女が言った。


「さあ、こちらです。高遠雅はこの奥です」





「FOOOOOOOOO!」


 階段を下り、地下室に続く分厚いドアを開けた彼らを待っていたのは、雅の雄叫びだった。恥と外聞を投げ捨てて感情を爆発させたような、甲高い叫びだった。

 そしてこの時、彼女は一個のエレキギターを抱えていた。


「もっと! もっとッ! あたしはもう止めらんないぜッ! HOOOOOO!」


 アンプに接続することもせずに弦をかき鳴らし、私服姿のまま天を仰いで雅が叫ぶ。狂ったように頭を振り回し、無茶苦茶に指を動かし、ギターと地声による「セッション」をこれでもかと言わんばかりに披露する。

 その非常にかしましいギターと雅の声は、共に十分な広さと明るさを持った地下室の中に猛然と響き渡った。部屋が震動する程の大音響だった。一応、それらの音は四方を取り囲む白い防音材が全て吸収していったのだが、雅はそんなことお構いなしに演奏と絶叫を止めなかった。途中で最後に中に入った志帆が扉を閉めたが、雅はその音に気づくこともなく演奏を続けた。

 こんなアグレッシブな彼女は見たことない。その姿は、もはや健児の知る雅ではなかった。


「なんだこれ……」

「共鳴したようです」


 その様を見て唖然とする健児にソーニャが答える。そして来客が来たことにも気づかずギター演奏を止めない雅を見ながら、ソーニャが続けて言った。


「あの神器の波長と雅さんの波長がぴったり重なったんですよ。ベストカップルという奴ですね」





 雅がそんな狂った演奏会を終えて彼らの存在に気づくのは、それからたっぷり五分経った後のことだった。

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