炸裂ギロチン
持ち上げられたギロチンの刃がレール伝いに落ち、断頭台に載せた富士見野健児の首を斬り飛ばした。
赤竜の月の第十五日。雲一つない青空の広がる、蒸し暑い真夏日の出来事だった。
「ここに天誅は下された!」
健児の横に立つ処刑官が声高に叫ぶ。その腰箕だけを身につけた厳めしい体つきの人間は、自分の隣にある首の切り落とされた胴体を踏みつけ、自分と処刑具と死体を取り囲むようにこの広場に集まった群衆をぐるりと見渡しながら、力の限りに叫んだ。
「この男は愚かにも我が国に伝わる秘宝を盗み出し、あの歪みの向こうにある異世界へと持ち出そうとした! 全く万死に値する行為である! そして実際にその罰が、こうしてくだされたのだ! お前達もこうなりたくなければ、大それたことを考えるのはやめる事だ!」
処刑官が目を細め、鷹のように鋭い目で群衆を睨みつける。即席の処刑場となった広場に集まった者達はその目を見て萎縮し、怯えたように肩を竦めた。
しかし中には、親の仇を見るような目つきでその処刑人を睨みつける者もいた。そうした反抗的な態度を見せたのはほんの一握りであったが、彼らのその敵意と憎しみは本物であり、そしてそれ以外の怯え竦んでいた者達も、その目の奥にそれと同じ憤慨と怒りの炎を蓄えていた。
処刑人に心から信服していた者は皆無であった。
「お前達は我々の庇護下に置かれることで、初めて安全を確保されるのだ! 死にたくなければ我々の命令に従うのだ! 下々の民は王族に仕え、王族のために使われる! これこそが正しい国の在り方なのだ!」
しかし処刑人はそんな群衆の静かな怒りには気づかず、勝ち誇ったような声でまくし立てた。そしてなんの反応も返してこない「搾取対象」を前にして疎ましげに鼻を鳴らし、威嚇するように健児の首なし死体を再び踏みつける。ブーツが背中を踏みつけ、鉄の塊で肉を叩きつける鈍い音が響く。
刹那、広場の外で爆発音が轟いた。
「なんだ!?」
処刑人が驚いた声を上げる。その声は裏返り、そして同時に両手で頭をかばい、身を守るように背筋を曲げる。そこにそれまでの虚勢はどこにも無かった。
「なんだ!? どうなってる!? おい!」
そしてその処刑人は怯えきった声のまま、広場の外周で見張りに立っていた兵士に声をかける。兵士はすぐにそれに反応し、処刑人に言葉を返す。
「はっ! なんでしょうか!」
「何が起きたか教えろ! 周りを偵察するんだ!」
「はっ!」
鎧で身を固めたその兵士達の行動は迅速だった。その場で回れ右をし、それまで見張っていた群衆に背を向けて柵で囲われた広場の外に目を向ける。本当ならばこの後、全部で十六名いた兵士の半分は広場に残り、もう半分が広場の外に偵察に向かう事になっていた。
しかし兵士の一人が「それ」を見つけたのはその直後だった。それはもうすぐ目の前まで来ていた。
「なんだあれは!」
最初にそれに気づいた兵士が声を上げ、他の兵士達も次々とそれに反応する。群衆達もまたそれに反応し、兵士達と同じ方向に目を向ける。
そして一斉に驚愕の声を上げる。
「なに?」
「な、なんだあれ!」
「新種のモンスターか!?」
田舎の小村を治めていた彼らは、外の世界の情勢に疎かった。そこに住む村人も、それを統治する貴族も、自分達の世界が他の世界と繋がったことに気づいていなかった。
だからそれの存在を明確に理解することも出来なかった。
「なんてでかいんだ」
「あんなもの見たこと無いぞ!」
そこにあったのは一両の戦車だった。回転する砲塔とキャタピラを備え、うなり声を上げながらこちらに突進してくるそれは、当然ながら「こちら側の世界」の物では無かった。それは歪みの向こうにある、魔法の存在しない「向こう側の世界」で作られ、そこで「エイブラムス」と呼称されていた鋼鉄の戦闘兵器であった。
そしてその戦車は同時に、「向こう側」で大量生産されている同タイプの物と決定的に異なる特徴を備えていた。砲塔の天辺、出入り口であるハッチの部分から女の上半身が生えていた。その様子はまさに半人半馬のようでもあった。
その耳の尖った全裸の女は全身をエイブラムスと同じカーキ色に染め上げ、そして片手に持った拡声器を使って前に見える広場に向かって声を張り上げた。
「富士見野健児! プランBだ!」
その声は広場にいた全員に等しく響き渡っていた。しかしその言葉の意味を正しく理解できた者はいなかった。
一人を除いて。
「強行する! 帰ってこい!」
ケンタウロスのように戦車と融合した女が再び叫ぶ。直後、処刑人の横にいたそれががばりと立ち上がった。
「え」
それに気づいた処刑人がそちらへ目を向ける。そして次の瞬間、見なければ良かったと心から後悔した。
「は、え」
たった今自分が殺したはずの首なし死体が、悠然と立ち上がっていたのだ。その死体は切断面から血を流しつつ、しかし明らかに健康体そのものの機敏な動作で足下に転がる自分の首を掴み、次に落ちたままのギロチンを断頭台から引ったくった。ギロチンの刃自体は固定されておらず、また刃を納める枠組みも非常に脆かったので、首なし死体が軽く力を込めるだけで簡単に抜き取ることが出来た。
そうして死体が自分の首と自分を殺した刃を回収している間、処刑人はすっかり腰砕けになっていた。彼は尻餅をつき、呆然とその死体の動きを見つめるだけだった。
「突っ込むぞ! 死にたくなかったら逃げろ!」
そんな死体めがけて、件のケンタウロス戦車の中から別の声が響いた。それは年期の入った、活力に溢れる男の声だった。そしてその言葉通り、戦車は全くスピードを緩めないまま広場の中に突入した。
外部からの侵入者を防ぐために十重二十重に置かれた柵は、その巨大な鉄塊の前にはなんら効果を発揮しなかった。そしてチャチな玩具を薙ぎ倒しつつ進軍していく未知の恐怖を前にして、群衆と兵士は完全に恐慌状態に陥った。
彼らは悲鳴をあげながら、戦車に牽かれまいと自分たちから左右にどいて道を開けていった。その姿はまさにモーゼが海を割っていくかのようであった。
そうして何の障害も無く首無し死体の元まで到達した戦車は、彼の目の前でドリフトをかまし、ちょうど側面を向く形で彼のすぐ眼前に停止した。
「健児! 乗れ!」
戦車の上から上半身を生やした女が叫ぶ。首無し死体は頷き、首と刃を持ったまま戦車の砲塔の上に乗る。
「乗ったぞ!」
「よしケイト! 出せ!」
健児が叫び、同時に戦車の中から件の男の声が響く。刹那、その戦車と融合した女、ケイトと呼ばれた女は上体を捻り、それにあわせて戦車もその場で方向転換を行う。左右のキャタピラがそれぞれ反対方向に動き、百八十度回頭する。
「離脱だ!」
「ハイヤー!」
戦車の中の声に続くようにケイトが叫ぶ。彼女は言葉と同時に騎手が馬に鞭打つように腕を動かし、そしてそれを合図に戦車は勢いよく走り出した。
「……」
一瞬の出来事だった。処刑人とその配下の兵士、そして広場に集まっていた群衆達は、その魔法のような光景を呆然と見つめているだけだった。
「中には入れないのか?」
広場を脱し、ある程度その広場のあった村から離れた所で、首無し死体の持つ生首が口を開いた。胴体と切り離されてなおその顔は生気に満ち、その目には確固たる意志が宿っていた。
その首は確実に生きていた。
「定員オーバーだ。タンクデサントで我慢しろ」
「追っ手も来てないようだ。俺のガイアはそう囁いている。だからそこに残っても問題は無いぞ」
そしてそんな喋る生首に対して驚く素振りも見せずに、ケイトが前を向いたまま言葉を返す。さらにそれに続くようにして、戦車の中から渋い声が聞こえてくる。その戦車の中の声に反応するように健児が問いかけた。
「今ガイアはどこにいるんだ?」
「脇腹だな。機嫌も良さそうだ」
「悪魔に機嫌の良い日なんてあるのか?」
男の声にケイトが返す。それから彼女は手に持っていた拡声器を素手で引きちぎり、一口サイズにまで細かくしてからその無機物の塊を口の中に放り込んだ。
「プラスチックはまずいな」
口の中でバキバキと固い物を噛み砕きながら、カーキ色に染まった女が不満げに呟く。その姿を後ろから見ていた首無し死体、もとい富士見野健児は、「エルフは鉄嫌いじゃないのかよ」と小声で放った。
「私は他の奴とは違うんだ。そうでなければこんな所にはいない」
その呟きを聞きつけたケイトがその耳と同じ様に口を尖らせる。健児の生首は「悪かった」と素直に謝り、その一方で首を持ち上げて自分の胴体と接続させた。
接合部から勢いよく血が噴き出す。ケイトは眉一つ動かさなかった。そして首と胴がくっついた次の瞬間には傷口が一瞬で消えていき、ここに来て富士見野健児は「完全な人間」の姿を取り戻した。
「呪いの影響だったな」
「そうだ。お前と同じでな」
「鉄の女か」
健康体となった健児の言葉にケイトが無言で頷く。その顔は神妙な面持ちとなっていたが、しかし拡声器を食べる手は止まらなかった。
「健児、例の物は持ってきたか?」
その時、女エルフと健児の間にあった砲塔のハッチが開き、そこから一人の男が声と共に姿を現した。それは短く刈った茶色の髪と水色の瞳を持つ壮年の白人で、目元や頬にはそれまでの気苦労を示すように皺が刻まれていた。その成熟した顔にはある種の大人の威厳が漂っており、それこそ健児やケイトは自分の子供であるといっても通用するほどであった。
そしてその声はそれまで戦車の中から聞こえていたものと同じであった。
「ギロチンの刃だ。大丈夫か?」
ハッチから顔を出した男が健児にそう言った。首を繋げた健児はもう片方の手に持っていたギロチンの刃を持ち上げ、アピールするように答えた。
「大丈夫、ちゃんと持ってきてるよ」
「それが神器か」
戦車を前に走らせつつ、自身は腰を捻ってそれを見ながらケイトが言った。そしてエルフは今度は視線を下ろして壮年の男を見つめ、彼に向けて尋ねた。
「これがどういう物なのか、わかっているのか?」
「いや、今幸子が調べている最中だ。具体的な効果はまだわかっていない」
「ただの処刑道具じゃないのか?」
「呪いの産物がそんな単純な物じゃないだろう」
ケイトの問いかけに男が返し、さらにそれに健児が問いかける。同時に健児は男の出した「幸子」という言葉に反応し、脳裏に一人の女性の姿を思い出した。その女性は和服を身につけ、手に酒瓶を持っていた。大酒飲みの魔法使い。それが彼の知る大和幸子の姿だった。今もそれは変わってないだろう。
そんな時、健児の発した言葉に、今度はケイトが眉をひそめながら返した。すると男はその言葉に対して首を縦に振った。
「神器には必ず、何らかの特殊な力が宿っている。例外は無い。だからそのギロチンにも何か変わった能力がついているはずだ」
「それがわからないって言うのは不気味だな」
「全くだ」
男の言葉に健児が顔をしかめる。そして健児の返答にケイトが前へ向き直りながら同意する。
この時、彼女の視界には一面の荒野が広がっていた。村を出た頃から既に見えていたその景色は、まさに雑草すら生えない乾いた大地だった。これも呪いの産物なのだろうか。自分の住んでいた里から「地球」という異世界に直接転移してきたケイトは、そうぼんやりと考えた。
開けたハッチ越しに戦車の中から着信音がしたのはその時だった。
「なんだ?」
「幸子からだ」
健児が最初にそれに気づき、次に白人の男が気づいて戦車の中に体を引っ込める。そして男は狭苦しい戦車の中で音を立てていたその通信端末を手に取り、それを耳に当ててそれに対して何事か話しかけた。しかしキャタピラの動く音が間に割って入り、外にいた健児とケイトがその内容を聞くことは出来なかった。
「その神器の特性が判明したそうだ」
そんな二人に向けて、再びハッチから顔を出しながら男が言った。前を向くケイトが「本当なのか?」と尋ね、そのエルフの背中を見ながら男が言った。
「ああ本当だ。サー・ギャレンは嘘はつかん」
「英国紳士の矜持ってやつか」
「そういうことだ。それと幸子もこっちに向かっているそうだ。ドラゴンに乗ってこっちに向かっているらしい」
健児の台詞にその白人の男、ギャレンが答える。ついでにギャレンは自分達の仲間の一人がこちらに向かっていることを告げ、それを聞いた健児とケイトは同時に空を見上げた。
「ところで、そのギロチンの能力は何か言われてないのか?」
そうしてドラゴンの姿が見えないか確認しながら、ケイトがギャレンに尋ねる。ギャレンは顎に手を置き、何かを思い出す素振りを見せながらそれに答えた。
「ああ聞いてるぞ。確かなんだったかな」
「勿体ぶってないで早く言ってくれ。あんたまだ四十二だろ。ボケる程歳取ってないはずだ」
「百年生きるお前には言われたくないな。ええと確かな……」
ド忘れした白人に対して不満を口にした健児にそう言い返してから、ギャレンが再度考え込む。それから数秒後、「ああ思い出した」と明るい声を出してからギャレンが言った。
「その神器な、確か炸裂ギロチンというらしいんだ。効果はな」
「効果は?」
ここに来てケイトも待ちきれなくなったのか、彼の台詞に自分の言葉を挟みこむ。それに対して「ちゃんと言うから黙ってろ」と疎ましげに返した後、ギャレンが健児を見ながら言った。
「それで切られた人間が爆発するんだ」
「え」
「ちなみに爆発するタイミングは、そいつがその血器の能力を知った時らしい」
次の瞬間、五体満足を取り戻した健児の体が爆発四散した。
全身を赤く染め上げた竜の傍らに立ち、その堅い鱗に覆われた顔を優しく撫でていたその女性が目の前から近づく戦車の姿に気づいたのは、それから十分後の事だった。その女性は桜色の和服を着付け、髪を耳元で短く切り揃えた、幼さの残る顔立ちを持つ少女だった。
そしてその体もまた、顔と同じように未熟さを残していた。中身は既に大人であったが、その体は中学生と言われても反論できない程の矮躯であった。
「あ、来た」
その少女はここまで自分の乗ってきた竜から手を離し、代わりに足下に置いてあった日本酒の一升瓶を手に取ってその戦車に近づいた。その酒瓶は栓が抜けており、中身は半分無くなっていた。
「皆さん、お疲れさまでした」
自分の目前で停まった戦車の側面に移動し、砲塔の方へ視線をあげながら少女が言った。そして砲塔の頂上を視界に収めた瞬間、その端正な顔を僅かにしかめた。
「どうかなさったのですか?」
その視界に映っていたケイトとギャレンの体は全身真っ赤に染まっていたからだ。それこそ、それまで自分が傍に寄り添っていた竜と同じくらいに赤く、その顔と体に誰かの血をべったり塗りたくっていた。
女エルフと英国紳士の間に座っていた健児だけが血に染まっていなかったのが、余計に不思議だった。一方で健児は一人ふてくされた顔をしていた。
「修羅場か何か乗り越えてきたのですか?」
「まあ、そうなるな」
そしてすぐに表情を元に戻し、不思議そうに問いかける少女に対して、ハッチから顔を出していた血濡れのギャレンはそっぽを向きながら答えた。彼と同じく血化粧を施したケイトは前を向いたまま何も言わず、無傷の健児が彼らに替わって少女に言った。
「細かい説明は後でするよ。幸子は扉を開いておいてくれ」
「お二人は大丈夫なのですね?」
「ああ。途中でちょっとゴタゴタしたけど、今はもう大丈夫。早く帰ろう」
「わかりました」
幸子と呼ばれたその少女は健児の言葉に応えた後、手に持っていた一升瓶をラッパ飲みしながらもう片方の手を目の前にかざした。
直後、彼女の目の前に金色に光る渦が出現する。彼女の隣にある戦車が丸ごと入り込める大きさの渦だった。
「さあどうぞ」
そして渦の安定性を確認した後、手を降ろして酒瓶の中身を飲み干してから幸子が言った。それを見た健児は無言でケイトの肩を叩き、意図を察したケイトは同様に無言のまま戦車を動かした。幸子は竜を指さし、それを光の粒子の塊に変えて雲散霧消させた後、戦車の上に乗って共に渦へと向かっていった。
「さあ帰ろう」
「任務達成ですね」
無傷の健児と幸子が言葉を交わす。その間にも戦車が渦の中へゆっくり進んでいく。戦車は搭乗員を載せたまま苦もなく渦の中へ入り込み、そして車体全てが中に進入した後、渦は音もなく消滅していった。
何の痕跡も残らなかった。後には周りと変わりのない荒野だけが広がり、そこに馬に乗った件の処刑人が配下を連れてやってきた時には、彼らのいた気配はどこにも無かった。
「いない?」
「そんな馬鹿な」
「これはまるで」
それはまるで魔法のようであった。
神器審問団ヒイラギ。
二つの世界の接続によってこの世に出現した「神器」を探索し、危険だと判断された物を回収するその組織の存在を彼らが知ったのは、その後のことであった。