お前のことが大嫌いだから
緑色に淡く輝く液体の中で深い眠りにつく少女は今、夢現の狭間を移ろいながら夢を見ていた。記憶にはない、でもなぜか鮮明に頭の中に映し出される封じられた過去。
幼い姿の自分は、いつもお腹を空かせていた。ほかにも一緒に生活している子供たちが何人もいるが、食事の時は自分だけ別の部屋だ。そこで出される食事は、見た目ではわからないようになっているが、とても食べられたものではない。どれだけ飢えようとも、『それ』に手をつけてしまえば何かが崩れていくような気がして。でも、結局は『喰え』と命令されれば逆らえないのだ。
しばらくして、見張り役の少し背の高い金髪の少女が、やつれた表情の少女に何かを手渡す。
『お菓子しかないけど、これ食べなよ。 美味しいよ』
そう言って手渡されたものは、赤い悪魔風のマスコットが描かれたスナック菓子だった。
液体の満たされたケージが鮮やかに発光し、意識のないはずのシロが苦しむように身をよじった。口のあたりから空気が泡になって漏れる。
険しい顔で武器を構える翔馬と閃人に、ミセルはいつもどおりの様子でゆらりと立ち上がった。
「一人で来る度胸なんてないとは思ってたけど、お友達は一人で足りるのかなあ?」
「悪いがシロを助けるのが最優先なんでな、正々堂々とかどうでもいいんだよ」
「あはは、なるほどねえ」
薄暗い部屋を見渡した感じでは、その広さは学校の体育館よりも少し小さい程度か。シロの囚われているケージ周辺を見ると、固形化された光の魔力で、まるでクモの巣のように糸が張り巡らされている。
恐らく一瞬の隙を突いてケージの破壊を試みても、しなやかな糸に阻まれかなわないだろう。シロの救出のためにはミセル打倒は避けられぬ道である。
魔力効率の悪いコモンファクターをこれだけ使用して消耗している素振りを全く見せないあたり、彼女の実力が伺えるだろう。
「このレベルでのコモンファクターの応用の仕方ァ……、見覚えがあるZe。 まさかこの姉ちゃんは服部君の……」
「ミセルは俺に今の戦い方の基礎になってる部分を教えた張本人だ。 乙部さんが俺向きに改良加えてはいるがな」
「もう一人の師匠ってわけかい」
翔馬が小さく頷いたあと、足へと魔力を集め始めたのを開戦の合図とするようにミセルも同じく魔力を纏う。彼女の足元から発生した淡い光はそのまま首元あたりまで湧き上がり、胸、前腕部、すね部分を守るように固体化、さらに首にふわりとマフラーのように巻き付き口元を隠す。
腿のホルダーに刺した25cmほどのナイフを右手に、左手に1m少々の槍を携えリーチを分かりづらくするため体の後ろへ。重心を低くし構えるその姿はまさに現代のクノイチといった様相である。
ミセルと翔馬はともに戦闘準備万端ながら、どちらもなかなか動きを見せない。そこで、牽制の意味を含めてか最初に閃人が動いた。手のひらにイヤホンのパットを添えて魔力を練る。それにより魔力を帯びた音波は敵味方問わず届く範囲に居るすべての者を襲う……、はずだった。
しかし、発動直前にミセルがゆらりとわずかに動いたかと思うと翔馬が即座に反応し、二人の姿が突如として消えた。そして次の瞬間には、閃人の目の前で二人のナイフがぶつかり合う。
二人の振るったナイフが火花を散らした後翔馬が押し負けて弾き飛ばされ、続いて閃人手にあったイヤホンが割れ砕け、さらに彼自身に左肩から右脇に抜けるように大きな傷が刻まれた。
傷の深さはそれ程ではないものの、ただ正面から突撃するのみで強引に突破できるということ自体が彼らの力の差を物語っているだろう。
「まいったな、どっちの動きも見えやしねェZe……」
「ミセル相手に時間をかけて魔力を練るのは不可能だと思ったほうがいい。 あと、あの糸には触るなよ」
「どうなるかは大体わかるが、どっちかってェと服部君のが危ないだろう」
「引っかかるような真似はしねえよ。 だがどうするか……。 お前のサポートなしじゃキツイが魔術発動すらできない状況じゃ」
「ha!! 俺のことは気にしなくていいノヨ、足引っ張るような体たらくじゃついてきた意味も無ェ」
無理をするように微笑む閃人の言葉は、強がりにしか聞こえない。しかしそれでも、翔馬は彼の覚悟に無言で頷いた。
とはいえ何かしらの策があるだろうと思いきや、閃人は先ほどと同じように魔力を練り始める。
「君の魔術の範囲は確かに驚異だけど、発動に時間取れないと無視していいくらいの威力しか無いしなあ」
ミセルが少し呆れたように一歩足を踏み出したとき、動こうとする翔馬を腕で静止して閃人はニヤリと微笑んだ。
目にも止まらぬ速度で閃人へと斬りかかったミセルは、彼が前方に激しいシャウトをしたのと同時に半固形の何かにぶつかるようにはじかれた。盾、というには柔いものの、ミセル自身の超高速により衝突のダメージは看過できないほどだ。ミセルの顔にようやく少しの焦りが見え始めた。
「くっ、コモンファクターによる固形化……!? この一瞬でこれほどのものは相当訓練しないと……」
「ずっと前の話だがな、とある人に教わったのさ。 余裕見せてられるのもここまでだゼ姉チャンよ。 ヘラヘラしてないでいい加減に底を見せな」
「簡単に言ってくれるねえ? 私に本気を出させるということがどういうことかわかるかなあ」
「ha、月並みなセリフだナ!! だったらそれでもいいさ、負けた時の言い訳にも十分だ」
閃人が皮肉めいた笑いをこぼしながら言ったところでふと、ミセルの雰囲気が変わった。感じられる魔力が変わったわけでもなく閃人の煽りに怒りを覚えたわけでもない。ただいつものからかうような雰囲気が消え失せ、空っぽの表情で呟く。
「私がどんな気持ちで組織を裏切り橘さんの下で動いているのか、君たちには分かりっこないだろうね。 負けた瞬間に私は死ぬの。 だからいつもそれなりで誤魔化して生きてきた。 イオと戦った時も本気にはならず、キースの襲撃からも一人逃げて……」
「なんで親父達を売って橘のいいなりになんてなってる? 昔のお前は親父に認められたくていつも必死に頑張ってただろ」
「バッカらしいったらありゃしないよねえ? 必死になっても意味なんかありゃしないのに」
「あの時……、キース襲撃の前に何があった」
「さあねえ? 私を本気にさせたら教えてあげる」
翔馬の問の後、呆れたように小さく息を吐くとミセルはいつもの調子でからかうように返した。
翔馬と閃人を合わせてもミセルがまだ上手であることは確かながら、手を抜いて簡単に勝てるほどの実力差はないはずであるが。
会話が途切れたあと先に動きを見せたのはミセル、的に選んだのは閃人の方だ。音による広範囲の無差別攻撃及び先ほどの音の壁が厄介というのも確かだろうが、彼女が閃人を狙った理由はそれだけではない。
閃光のごとく一直線に閃人の前に立つ翔馬へと突っ込んでいった後、彼の右半身へ廻し蹴りを放ち軽く吹き飛ばした後、すぐさま左側に光の壁を作って足場にしそれを蹴って閃人へと突撃する。
翔馬が体勢を立て直す間もなく襲い来る閃光に、閃人は再び大きく息を吸い『声の壁』をもって迎え撃った。
それは襲い来る閃光の如き影を受け止めそして……、半固形の壁に激突した『それ』は形を崩して消えてしまった。
驚きを見せた一瞬の隙に閃人の体を複数回衝撃が襲い、少し遅れてその体に刻まれた無数の傷口から血しぶきが上がる。中でも脇腹に刻まれた傷はそう浅くはなく、絶え間なく血が滴り落ちる。
「分身でもしやがったってェのか……!? 確かに音の壁にぶつかる手応えが……」
顔を歪めて驚きの言葉を口にする閃人に翔馬が答えを言う。
「俺を蹴り飛ばしたあと、自分は光の壁の死角に潜んで人型にかたどった魔力の塊をお前にけしかけたんだ……。 俺やミセルみたいなスピードタイプじゃなきゃあの一瞬の攻防で囮かどうかなんてわからねーのも無理はない」
「へえ、よく見切れたねえ、えらいえらい。 まあでも女の子に軽く蹴られたくらいでリカバリーもまともにできないようじゃあ見えたところでどうしようもないけど、ね?」
「へっ、女の子は無理があるだろ。 もうすぐさんじゅ……」
そこまで言ったところで翔馬は光の矢のごとく飛んできたクナイをナイフで払った。
口調は穏やかなままほのかな殺気を孕んでミセルが言う。
「従姉弟の年齢も忘れちゃうなんて寂しいなあ」
「四捨五入すりゃ30じゃん」
「相変わらず生意気だなあ」
気の抜けたやりとりのさなか、ミセルは冗談半分に言っているだけだろうが、翔馬の方はそうでもない様子だ。冷や汗を垂らし、軽口を叩きながらも思考を巡らせる。
スピードもファクターの扱い方も、できることの範囲もミセルの方が上手。ほとんど完全なる上位互換であるかつての師を相手に、どうすれば勝てるのか。仲間が狙われるのがわかりきっていてもかばうことすらままならない。一対一では勝ち目はないが、閃人をかばってもジリ貧でじわじわと削られていくだけ。
冷静さを欠き始める翔馬の姿に、閃人はある覚悟をする。
「服部君ヨ、ちょっと耳ふさいで後ろでじっとしてNa」
「は……? 北上お前突然何言い出して」
「このままじゃ俺を守るためにアンタがジリジリ削られてくだけだし、しかも姉ちゃんにもうまい具合に逃げられてばかりだろうヨ。 だから俺が捨て身で削れるだけ削って……、アンタが勝てるラインまで持っていく」
「バカ、あいつは一人で食らいつけるような相手じゃ……」
閃人は翔馬の口を手でふさいで遮る。
「アンタにとっていま一番大切なことは何だ? シロって娘だけじゃねェ、さっさとケリつけねえと浪や雪菜チャンも勝ち目がねえ。 それにな」
翔馬の口から手を離すと閃人はにやりと笑った。
「ロックスターが無謀だからと引けるかヨ!!」
そう言って、両手に黒いオーラをまとう。音による衝撃波を得意としているが、彼のファクターもざっくりと分類すれば闇属性という型に嵌るものだ。そうは言っても音撃以外のファクターのレベルはファイブスターどころか並のSランクホルダー以下であるが。
「ふうん、なるほどそう来るかあ。 まあでも、お嬢でも追いつけない私を君が捉えることなんてできるかな?」
そう言って一瞬で距離を詰め神速の突きを放つミセルの一撃を、閃人が横に体をひねり寸前でかわす。そしてぐいっと踏み込んで彼女の耳元に近づくと、激しいシャウトを見舞った。
しかし、先程仕掛けてきたのは確かにミセル自身であったのだが、彼女は回避されたと感じた瞬間には既に分身を残して離脱していたのだった。音激を受けた分身が揺らめいて消えたところで閃人は背中を蹴り飛ばされ地面を転げながらもなんとか立ち上がった。
やはり一人では翻弄されるばかりで、とても見ていられない。そう思った翔馬がぴくりと動いた瞬間に閃人は激しく吠えた。
「来るんじゃねェッ!!」
「で、でもこのままじゃお前が……」
「アンタがいちゃ本気出せねえだろうがヨ。 いいから任せときな」
閃人が珍しく真剣な表情でつぶやき息を吐く。
「本気、ねえ? 威力を出すには更なる魔力を引き出すしかないけど、私相手にそんな余裕が……」
「音は伝わる全てに襲いかかる。 そりゃ俺自信も同じだとは思わねえかい?」
閃人の一言だけで、ミセルはその意味を理解した。
「俺はファクター使うとき力の半分を『俺には届かないようにする』ことに割いてるのサ。 さあ……、根比べと行こうKa!!」
ミセルが走り出そうとしたその瞬間、爆音が鳴り響いた。建物自体を揺るがすほどの大音響。先に閃人の意図を汲んでいた翔馬はあらかじめ耳をふさいでいた様子だが、ミセルは一瞬判断が遅れた。
「うぐっ、あッ!? めまいとくらみで体がうまく動かない……!?」
音激を受けた瞬間に脳天を打たれたような激痛が襲い、耳を塞ごうとする手に力が入らない。
比較的影響の弱い閃人の背面に位置し、あらかじめ耳をふさいでいた翔馬ですら立っているのがやっとの衝撃、しかしそれは長くは続かない。
オーディオが破壊されてしまっている以上音源は閃人自身。そして閃人も人間である以上全力のシャウトはそう続くものではない。限界まで声を絞り出すも、ミセルに膝を付かせるには至らなかった。
息切れでシャウトが途切れ、紅潮した顔で息を吸い込む刹那、閃人を足元から光の刃が襲う。
ぐらりと体勢を崩しながらもなんとかこらえ再び叫ぼうとした瞬間には、既にミセルの接近を許してしまっていた。
喉に力を入れても声が出ない。ふと目をやると、紅い雫が滴り落ちている。
気付く間もなくナイフで割かれたのか、息も上手く吐けない。
あっけにとられている閃人の腹にミセルが蹴りを入れ、彼は大きく吹き飛ばされた。血を吐き倒れた閃人にはもう戦う力は残っていないだろうが、それでも彼は十分にその仕事を果たして見せた。ミセルの受けたダメージも軽くはない。
慌てた様子で青い顔をした翔馬が駆け寄ると、閃人は血でうまく出せない声を絞り出した。
「男を……、見せてこい……っ!!」
「北上……」
本来無関係であった閃人にこれだけの覚悟を見せられて、負けてなどいられない。
「ここまでお膳立てしてもらっちゃ、負けるわけにはいかねえよ。 なあ?」
「君と私の差がこの程度で埋まるかな……」
閃人を落とし一対一の状況でも流石に、ミセルに先程までの余裕はない。それでも焦りが見えるとまでは言えないが。
どちらかといえば、今の彼女は苛立っているように見えた。
這いずって壁際まで退避した閃人には、もはや二人の動きなど全く見えはしなかった。
姿が見えなくなったと思ったら何度か金属音が響いたあと、上空でナイフを受けられ横蹴りを食らった翔馬が地面を転がって着地。すぐさま追撃をかけてきたミセルの一撃が囮だと見抜き小さな風の刃でかき消したあと、すぐに身をひねって本体の槍による一撃を弾く。
そして前方に風の塊を大雑把に撃ち出して彼女を吹き飛ばし距離を取らせた。
先ほどまでより幾分かましではあるが、やはりダメージを受けているのは蹴りを受けた翔馬の方だけ。
「くっ……、あのダメージでもまだ追いつけねえのかよ……」
「諦めたらどうかなあ、わかってるでしょ? 君の力はすべてが私に劣る。 まあ君たちのことは始末しろとまでは言われてないし無様に逃げても追わないでいてあげるよ」
「北上にここまで繋いでもらって勝手に諦められるか……」
そこまで言ったところでふと翔馬は疑問を感じた。閃人のファクターは特殊ではあるが高レベルのものだ。
しかし戦闘技術、身のこなしについては五連星の中ではせいぜい十和と同等くらい。少なくとも自分よりかは下のはず。
「アイツ、あの時ミセルの攻撃よけられる前提でカウンター仕掛けてたな……。 結局分身には引っかかったものの、最初は見えなかったはずの動きに大分ついていけてたのは……、自分から仕掛けず迎撃に集中できていたからだ。 ……、スピードで張り合うから負けるのか。 それが自分のスタイルだと決めてほかの考えにいたらなかった。 ファクターは下位互換でも、ほかに一つでも俺がミセルに勝ってる事は……」
「……? 何を独り言言ってるのかな」
「ははっ、今回は完全に北上のおかげで助けられてばっかりだ。 まだ一人じゃ勝てそうにはねえな」
「何その勝利宣言みたいなノリ、ムカつくなあ」
ミセルはとうとう、舌を鳴らしあからさまな苛立ちを見せた。それを見て翔馬は、少し嬉しそうな様子で言う。
「お前が俺に冗談抜きでイラついてんの見るのは初めてだな。 余裕なくなってんじゃねえのか?」
翔馬の煽りに、ミセル苛立ちを隠さないまま仕掛ける。対して、今までスピードで張り合おうとしていた翔馬が一歩たりとも動かない。ただ、真剣な眼差しのままあたりをきょろきょろと見渡しているようだ。
そしてミセルが仕掛けた瞬間、翔馬はすぐさまくるりと一回転半体を回した。
最初の一回転目、左手でナイフを投擲して分身をかき消し、正確にミセル本人を迎撃できる場所で止まるともう一本のナイフを右手で背中側のホルダーから抜いて槍の一撃を受ける。そして翔馬が握った左手をぐいっと後方へと引き寄せると、ミセルの顔が激痛に歪んだ。
「つうっ!? ナイフを投げた時に具現化した魔力の糸で紐づけを……!?」
「初めて俺の攻撃で血を見せたな……。 こっからが本番だ」
「調子に乗るなッ!!」
分身をかき消すため投げたナイフと左手を魔力の糸でつないでおき、手繰り寄せる要領で斬りつけたのだ。ミセルは槍を大きく振り翔馬をはじき飛ばす。ついに、彼女の顔に明確な焦りが浮かんだ。
「どうして……、まさかこの程度で私の動きが鈍るはずが……」
「お前の動きは大して変わっちゃいねーさ。 ただ、俺がスピードで競り合うのを諦めたのさ」
「なんだって?」
「お前の速さは確かにとんでもねえ、光速ってのは流石に盛り過ぎだけどな。 だから、追いつくのは諦めた。 音、気配、魔力……、追いつくことを諦めただそれだけを追い、打ち合いはしない。 迎撃の最初の一瞬に全神経を集中させる」
「まさかスピードタイプの癖に動く気すらない、と?」
「お前の動きは基本仕掛けるとき以外全てフェイント……、足を止めて冷静になれば仕掛けてくる瞬間は掴める。 捉えられればあとは……、腕の問題だろ?」
「技術では私に勝ってるって? 舐めた口をッ!!」
ミセルが再び姿を消すも、次は翔馬が余裕を見せ微笑んだ。
彼が右前方に小さく風の壁を展開した瞬間、その直前で小さく光が跳ねた。その瞬間に翔馬が左手のナイフを振り抜くと、慌てて槍を構えたミセルと衝突し、体勢の悪いミセルの方が押し負け槍を落とした。
ミセルが壁に激突するのを慌てて避け、方向転換して向かって来るのを読んだのだ。
「なんで、どうして……」
「俺に戦いの型を教えてるのが誰だと思ってんだ。 っつっても素じゃまだ勝てねーだろうけどな。 何をそんなに焦ってんだ? イオさん相手にはテキトーに戦って負けても気にしなかったくせに」
「うるさい!! お前だけには……、私はお前のことがずっと大嫌いだったんだ……!! 仕方なく面倒見てただけの世間知らずのお嬢様……。 私はただ、ボスに認めて欲しくて……っ!! 約束通りに、キース襲撃前何があったのか教えてあげようか?」
息を乱しながら搾り出すようにつぶやいたミセルの脳裏に、忌々しい過去が蘇る。冷静さというか、飄々とした態度を崩さなかった彼女の異変に、翔馬は息を呑んでその次の言葉を待った。
まだ組織が健在であった頃。敬愛する組織の長は、事務所の廊下で早めに仕事を終えた彼女に気づくことなく、幹部の中年男と言葉を交わす。
『ボスよ、あんたはこのままいずれはミセルに若の右腕を任せるつもりで?』
ふたりの会話にドキドキしながら通路の角に身を潜ませて聞き耳を立てるミセルは、続いた言葉に凍りついた。
『俺の地位を狙う弟の娘なんぞに幹部を任せられるか。 翔馬が使えるようになったらやつは適当に切り捨てるさ。 まあ、しばらくは便利に使わせてもらうがな』
ミセルは情緒不安定な様子で笑いながら言う。
「私がどれだけ努力してきたか……、それなのに長の子供に生まれたというだけのお前の存在をどうやっても越えられない!! 何をしても認められない私の無力を、何もせずとも次期頭目ともてはやされたお前に分かるもんか……!!」
「それがお前の本音か。 まさか昔から本気で嫌われてるとは思ってなかったよ。 ちょっと、ショックだな。 なんで橘に手を貸す?」
「あのあと事務所を飛び出した私にあの人はSEMMの襲撃があることを伝えた。 ……、折原と並び称される程の化物が投入される予定で、逃げ延びることがほぼ不可能であることも」
「不可視のキース、か」
「そしてなぜそれを私に伝えるのか聞いたら彼はこういった」
──────僕は天才が好きなんだ。 そんな場所は捨てて、僕の隣に来るといい。
ミセルは顔を伏せて呟く。
「私は誰かに認めてもらわないと己を保てないような人間だった。 今思えばそれをあの人はよくわかっていたんだろうねえ」
ミセルの自虐的なつぶやきに、翔馬は呆れたように息を吐く。
「……、お前と俺は本当に、正反対なのにおんなじだ」
「何が言いたいのかな……?」
「認められるのとそうじゃないのとじゃ確かに違うさ。 でもな、どれだけ頑張っても『ボスの息子』としてしか評価されない気持ち……、努力していても何もしていなくても一定の評価……、その虚しさが分かるか?」
「っ!?」
「何をしても無意味だって似たような悩みで、それでいてその大元は真逆。 あの時の俺は……、お前だけは俺自身を見てくれてると思ってた。 『お前なんかただの世間知らずのお嬢様だぞ』って親父の存在なんか関係なしに馬鹿にしてきたのはお前だけだ。 次期頭領に媚び売るだけの連中なんてどうでもいい、俺はお前に認めてもらいたかった。 俺がお前自身を誰よりも認めていたからこそ」
そして翔馬は悲しみを孕んだ声で続ける。
「俺はお前の眼中にも入ってなかったってことだ」
どれだけ努力しようが正当な評価をされないという自らが受けた絶望を、自らも翔馬に与えていたというのか。
そう、自分は彼の姿を誰よりも近くで見ていたのに。今、ミセルはかつて頭目に受けた裏切りを、同じように行ったに等しいのだ。
息を乱す彼女からはもはや冷静な言葉は出てこない。
「う、うるさい!! お前に認めてもらったからなんだって言うんだ!? そんなものなんの価値もないんだよ!!」
「ああ、そうだろうよ、わかってる。 橘も親父もある意味で才能ある人間であるのは俺自身わかってる。 今の俺にその価値がないことも」
ミセルは怖気づいたように冷や汗を浮かべて彼の言葉を待っていた。そして、翔馬が叫ぶ。
「だからここでお前を倒して、改めて言ってやるんだよ!! この俺様が!! 認めてやってるんだろうがって上から目線でなッ!!」
叫びとともに、翔馬は全力で魔力を練り上げる。彼の煽るような叫びに苛立ちながらも、ミセルは
呆れるように笑った。
「私相手にそんなことしてる余裕があると思ってるのかなあ!?」
「そう思うなら来いよ。 そうしたら魔力を練るのをやめてまた迎撃に集中するだけだ」
「っ、それはっ……」
「傷も消耗もお前のほうが大きい、長引かせれば俺の勝ちだ。 でも俺ものんびりやってはいられねえ。 だから、ここで決めねえか?」
「……、私が避ければミナのケージに直撃だねえ?」
「壊されると困るから、糸で守ってんだろう?」
「……、ほんと誰かに似て性格の悪いこと。 いいよ、受けてあげる」
そう言って、ミセルも同じように魔力を練る。感じる魔力の強さ自体は、どちらも同じほどだ。
勝負が決まるこの正念場で、翔馬は何故だか嬉しそうですらある。いつも適当にあしらわれからかわれるだけだった相手が、今必死の表情で自分と死闘を演じている。
ただ本気で相手してもらうだけのことを、かつてのあの時、どれだけ望んだことだろう。
「ファクターの性能はお前のが上だけど……、単純な力比べしたことはねーよな」
「動きや体力は落ちていても、これならさほど影響もない。 君が私に勝てることなんてないって改めて教えてあげる!!」
そう言ってミセルが巨大な光の刃を放ち、翔馬も同じく風の刃で迎え撃つ。発動時の規模はほとんど同じ。しかし、時とともにその優劣ははっきりと目に見える。
「嘘、私が……、押されてる!?」
「ファクターは心を映す鏡……、今の俺が何人分の思いを背負ってると思ってんだ……。 今のお前に、一人きりのお前に勝てる道理があるかああァァァァッ!!」
すべての思いを込めた一撃は一気に光の刃をかき消し、咄嗟に槍で受けたミセルを弾き飛ばしてさらに光の糸を引きちぎって彼女の体を強烈にケージへと叩きつけた。ミセルが軽く血を吐いて地面へと崩れ落ちる。
しかしその衝撃にもケージは無傷だ。ただのガラス製ではないだろうことはなんとなくわかっていたが。
勝利の余韻に浸る暇もなく、翔馬は急いでケージの下部の液晶パネルの方へ小走りでかけていった。
「やっぱこれ魔力耐性ありやがんな……。 どうすんだ、こんなもん力ずくで割るなんてできねーぞ……」
「無理やり壊そうとしても一時間以上かかるよ」
不意に声をかけられ、翔馬はゾクリと身震いした。先程まで死闘を演じていた相手の声。まさかまだ動けるというのか。しかし身構える翔馬に、腕を押さえながらフラフラと立つミセルは疲れたような声で言う。
「パスワードは『ミドガルズオルム』……、ヨルムンガンドの別名だよ」
すんなりとパスワードを教えるミセルに、翔馬はある確信をした。
「お前……、実験体時代のシロを知ってるな?」
「どうしてそう思うのかな?」
「お前が話した本音を考えると……、二対一だろうと俺にだけは負けたくはなかったはずだ。 途中戦況が変わってからいきなり必死になったのもそれがあったからだろ。 でもそれなら最初から本気でやらなかったのは何故か? 俺のこと舐めてかかってたとしても北上に関しては大して情報もなかったはず。 じゃあなんで本気でやるのをためらってんのか……」
「気のせいだよ。 そもそもこの子を橘さんに実験体として差し出したのは……、私なんだから」
ミセルの言葉に、翔馬と閃人は驚愕の表情を浮かべた。
「私が憎い? 殺そうと思えば殺せるよ、今ならねえ」
「……、今はそんなことしてる暇はねえんだよ」
俯いてそうつぶやくと、パスワードを入力した。
ケージを満たす薬液が下部のホースから排出されていき、空になるとガラス管の一部が切り取られるように開いた。急いで床に横たわるシロの体を翔馬が抱き上げた。
ほどなくして、その瞳がうっすらと開かれる。
「夢を、見てたの……、昔の夢。 とても辛くて、でも私は優しい人達に囲まれていた」
「シロ、目が覚めて……!?」
「あ、れ……? 翔馬、泣いてるの?」
「バッカこれはあれだ……、その……。 ちょっとは格好いいセリフ考える暇をくれよな」
「なにそれ」
シロはいつものようにかろうじてわかるくらいの笑みを浮かべた。そこでふとミセルがいた方へ目を向けた翔馬がつい叫び声を上げる。
彼女は手にしたナイフを首筋にあてがっていた。
ガラスの壁に阻まれる位置にいる翔馬には、それを止める手立てがなかった。それでもシロを床に寝かせ青い顔で走り出した時、壁に横たわっていた閃人が何かをミセルの方へと全力で投げつけた。そしてまもなくして、部屋全体を揺らす大音響が響き渡る。音楽を鳴らした状態で携帯電話を投げたのだ。
直撃を受けたミセルはたまらずナイフを手放し、それは首筋を薄く割いて床で金属音を鳴らした。
駆け寄った翔馬が彼女の肩を掴み声を荒げる。
「何考えてんだお前!! なんであんなことしたっ!!」
「私はもう何もない……、ヨミもイオもつれてきたのは私……。 ボスの命で協力関係にある橘さんに素材を提供しろと指示されて、ただの承認欲求のために……。 そこまでして得たものも、今失った。 これ以上何しろって言うのよ!?」
「そう思うなら償いをしろよっ!! シロのために、ヨミのために、できることがあるのに死ぬのがお前の償いか!?」
「それを二人は望みやしない!! 憎いに決まってる……」
ミセルの懺悔に翔馬も思わず言葉を失う。しかしそこで、シロが思わぬ行動に出た。ケージを出ると、ミセルの下まで歩み寄る。
「シロ、動いて平気なのか!?」
「大丈夫」
一言だけ答えると、ミセルの耳元で彼女だけに聞こえるように囁いた。
「実験の時のこと、眠っている間に思い出した。 私はみんなと違う。 あなたが私たちを助けてくれようとしたのを知ってる。 私だけは『無くしてない』の」
その意味深な言葉の意味は、聞こえていたとしてもミセルにしか伝わらなかっただろう。ミセルは崩れ落ちるように俯き、嗚咽を漏らした。
そしてほどなくして立ち上がると、部屋の出口へと向かって歩きだした。
「ミセル!!」
「大丈夫、頭冷やしてくるだけ。 罪は償うよ。 逃げもしないし……、死んだりもしない」
そして少しだけ黙ると、少し不本意そうな声色でこう言った。
「少しは男らしくなったんじゃない……、『翔馬』」
師弟関係になった頃からずっと呼んでもらえなかったその名前。感極まって、翔馬はそのまま何も言葉が出せなかった。
そしてしばらく、シロと傷があらかた塞がった閃人が翔馬を微笑ましく見守った後、思い出したようにシロがつぶやく。
「そういえばほかのみんなは?」
翔馬が少し考えていると、閃人がシロの問いに答えた。
「浪と雪菜チャン以外は支部長から勝利報告が来てるZe。 ったく、画面がヒビだらけになっちまったヨ」
先ほどミセルに投げつけた携帯を拾って閃人が言う。
「乙部さん来てたのかよ。 つーかなんでケータイなんか持ってきてんだお前」
「俺からしたら武器になり得るもんだからNa」
状況を理解していないシロからすれば閃人からの報告は優勢に思えるかもしれないが、その残る敵が一番危険であることはなんとなく理解しているようだ。
「浪たちの相手は……、博士なの?」
「そうだ。 お前から魔力を吸って無限に再生するのを止めるため、俺たちふたりがこっちに来た」
「それでもまだ……、『あの子達』が犠牲になってる」
「止めてくれるさ。 あいつらだったら」
「わかってる。 二人共、負けないで……!!」
かつて自分たちを苦しめた狂人の異常さを知るが故に、シロは祈るように呟いた。




