光の学校 光の悲しみ
光の家だけのボランティアだけでは、自分自身の世のため人のため精神は満足できない。
なので、今日は光から聞いた、光自身が通っていた高校に、用務員としてやってきたのだった。
「ここなら、二つの目標をこなせるな」
最初に光から学校の事を聞いたとき、露骨に嫌そうな顔をされたのだが、それはきっと、この学校に光の不登校となった原因が存在しているからだろう。
「行くのは構わないし止めないけど……また来てね……それと」
出会ってそろそろ一週間がたつというのに、光はまだ安心していないようであり、部屋から去る時はいつも次来る時のことを心配される。しかし今回は、まだ何かあるようだ。
「あの学校には"闇"があるわ……気を付けてね」
闇? 闇とはいったいなんだ?
聞き返しても、思い出したくないと頭を横に振るので、それ以上は聞かなかったが、あの長い黒髪をクシャクシャにしてまで思い出したくないような記憶のあるところに、今から俺が向かうのは、心底心配だろう。
なので、今の問いには、心配をかけないように返した。それに、本来の目的は純粋なボランティアなどではないのだ。
まず一に、光を引きこもりにしたであろう原因を探る為という目的があり、あわよくば学校に復帰させて梅さんともども幸せになってもらう事も考えている。
そして、仮にそれがうまくいかなくとも、健全なボランティアなので、世のため人のため精神は満たされるので、このボランティアは願ったり叶ったりなのだ。
「それにしても、大きな学校だな」
三階建ての校舎が三つ縦に並んでおり、その校舎間を透明なガラスの通路が通っている。プールと体育館は別の建物が用意され、全体を包む白く潔癖な雰囲気が校門前まで漂ってくる。とにかく頭が良くなくては入れないような、清潔感も設備も充実した学校だった。
「光の言っていた闇っていったい……」
この綺麗な学校からは、光の言う"闇"など、微塵も感じられない。むしろ感じられるのは、輝かしい学校と生徒たちの鼓動が響きあっている"輝き"だった。
そんなことを校門の前で考え込んでいると、教師らしい黒いスーツに身を包んだ大柄な男が迫ってきていることに気づく。
「君、ここの生徒かい? だとしたらとっくに授業開始時間だよ?」
身長は百八十を超えているだろうか、とにかく威圧感が強い相手が出てきた。ということは、もしかしたら自分は不審者か何かかと勘違いされているのかもしれない。
「えっと、本日からボランティアで校内の清掃を行うことになった日陰野景春といいます」
昨日電話で話は通しているはずなので、これで何とかなるはずだ。
案の定、黒スーツの男はハッとした様に目を開き、その威圧感を心なしか引っ込めたように感じる。
「ああ、すまないね。君が"アルバイト"で来てくれた……」
「ボランティアです」
すぐさま返す。
「いや、しかし……」
「ボランティアったらボランティアです」
またもすぐさま返す。実際、電話でのやり取りの中でもボランティアかアルバイトかでかなりもめたのだが、最終的にはこちらの気迫勝ちとなり、晴れて一円ももらわない学内清掃が決まったのだった。
それがまだ先生たちに伝わっていなかったのだろう。この先生ともめていると、もう一人、白い白衣に身を包み、肥え太ったという表現が正しすぎるくらい太っている眼鏡の男が歩いてきた。
「やぁこんにちわ、君が景春君だね」
白衣の男が出てくると、黒スーツの男はスッと横にずれて、俺と白衣の男との境界をなくした。
「そうです。先日お電話を送りましたが、ボランティアで校内清掃をする日陰野景春と言います。まだ通知が行き届いていないようですね?」
ここでもまたアルバイト扱いされるのは御免なので、先にくぎを刺しておく。しかし
「ああ知ってるよ、なんでも、お金はいらないからボランティアをさせろと、ここら一体の福祉施設を渡り歩いているんだろう?」
こんなんところにまで自分の妙なうわさが流れていることに面喰いつつ、話は続いた。
「えーとね、僕はここの付属の大学からきている、いわば教授でね。菅原先生とでも呼んでくれたまえよ」
立ち振る舞い、しゃべり方、そういうところからにじみ出ている"自分は偉いオーラ"に加え、大学の教授ともいう雰囲気がなんとも鼻に触る相手だったが、今までのボランティアでこんな人間には腐るほど会ってきたので、そこは軽くお辞儀をして済ませた。
「自分はまだ教師生活二年目の新人で、黒木と言う」
菅原の挨拶が終わると、横にどいていた黒スーツの男が前に出てきて、話し始めた。
「担当科目は体育、担当部活は文芸部だ。何かあったら私の所に来なさい」
なんか矛盾してないか? なんて思いつつ、両方と握手をすると、早速校内の説明のため、黒木先生と共に校内へ通された。
広く空調のきいた、静かな雰囲気のある職員室で学校の見取り図を見たときは、本当に目が回りそうだった。なにせ校舎が三つあるのだ。これを全て頭に叩き込んで、尚且つクラスごとの授業予定と照らし合わせて清掃をしなければならない。
これらを知った時、ここでのボランティアは今までとは段違いに難しい物であると悟った。
「なんなら、今からでもアルバイトにするよ?」
「……結構です」
見取り図の前で説明してくれていた黒木先生が、心配そうにこちらにささやくが、こちらにも譲れないものがある。
「世のため人のため……まぁ今回は学校のため生徒のために、頑張ります!」
こちらの気合にとうとう根負けしたのか、黒木先生は微笑みながら手を差し出してくる。
「君みたいな青年は珍しい。先ほども言ったが、何かあったら私の所へ来なさい。あ、もし」
そこで話が区切られ、見取り図の方へ黒木先生が振り返り、三つあるうちの一つの校舎を指差した。
「職員室に私がいなかったらここに来なさい」
そう言って指差された場所は、『文芸部室』と書かれていた。
「わかりました。何かあったら行きますね。それじゃ……始めますか」
一呼吸入れて、清掃用具を取りに行くため、用務員室へと向かったのだった。
学校での清掃ボランティアは、週三回となっている。だが、光の家に行くボランティアは、一応毎日となっていた。
「それじゃ、失礼します」
学校の半分ほどを掃除して回ったころ、時間が来たので用務員室に戻ってきて、帰ることにした。
「もう五時か……今から光の家に行ったら遅いかな」
不安になるが、逆に行かなかったら行かないで、また不安になるだろう。それに、「また来てね」と言われてしまっているので、その期待を裏切るわけにはいかない。
「疲れたけど、行くかー」
慣れない場所でのボランティアで疲労した体を奮起し、光の家へと向かうことにした。
光の家につき、ベルを鳴らす。いつもなら梅さんがしわくちゃの笑顔で出迎えてくれるはずだが、今日は反応が無かった。
「……留守かな?」
ドアから離れ、二階を見上げてみる。洗濯物は干されたままで、もしかしたら買い物かもしれない。
そんな時、ズボンのポケットに入れていた、携帯の着信音が、メールが来たことを知らせる。
取りだして見てみると、この前アドレスを交換した光からだった。
『来たの?』とだけ書かれたメールが目に移り、すぐさま返信を打ち込む。
『来たよ、開けてくれる?』
返信を送って数十秒した後、目の前の黒いドアが小さく開いた。
「どうぞ」
小さく開いた隙間から、か細い声でそんなこと言われても、まったく出迎えられてる気はしない。とりあえず、軽く肩をすくめてドアノブに手を掛けた。
「お邪魔します」
どうも梅さんは買い物に出ているようで間違いはなかったらしい。
「丁度いい時に来たわね」
光はというと、ドア越しの時の奥ゆかしい態度はまるでなく、この前の様に精神病で沈んでいるわけでもなく、出会った日と同じような、どこか大きな態度だった。
「今、ブログの更新をしていたの」
そういい、机の上に置いてあるノートパソコンをこちらに向けてくる。開かれていた画面には『灰色の屋敷』と書かれた、重々しい雰囲気のあるページが乗っていた。
「へぇ……お前こんなのやってたんだ」
よく見てみると、なにやら小説が乗っているようで、拍手や応援といった項目には、様々な感想が乗せられている。
「ずっと部屋にいると暇だからね。それに、元々こういうのは得意だったから……
」
そう言うと、光は少し表情を暗くした。
「あー、えと……すごいな、沢山応援されてるじゃないか!」
拍手の項目は更新をしなくても三ケタはあり、応援のメッセージも今日の日付の物が多い。
「……昔、小さいけど賞とかも取ったことあるわ」
「それはすごい!」
無駄にこちらが元気なのは、ここ数日光と話していて分かった事があるからだ。
光は、いったん気持ちが沈み始めると、あっという間にこの前の様になってしまう。つまり、気持ちが沈むと、うつ病の様になってしまうのだ。
だから、俺は全力で光の事を褒め称え、少しでも気分が回復する事を願う。例えるなら、 凍てついた水面を溶かすように、今は沈み始めた光の事を暖かく褒めるのだ。
「何がきっかけで小説とか書くようになったの?」
心なしか光の表情が戻ってきた時、つい、ふとした疑問を投げかけてみてしまった。
嫌な予感はしていたのだが、案の定、光は緊張を飲み下すような表情をして、それまで普通に話せていたのに、言葉に詰まっていた。
「……父のせいよ」
やがて、重苦しい沈黙の後に、光はポツリポツリと語りだした。
「知ってるでしょう? 私の父は私を育てるのに疲れて、親子の縁まで切ってこの家に押し付けた……」
それは、光の悲しい過去の話だった。母は不倫し、残された父にも捨てられ、この家に置いて行かれた、一人の少女が抱えるには大きすぎる悲しみだった。
「それでね、私気づいたの。おばあちゃんはどうしたって私より早く死ぬ。そしたら私はどうやって生きていけばいいのかなって……」
きっと答えは、厳しい現実を知るだけになるだろう。両親もいなく、身寄りもない。そして、もう生きていこうと思えば生きていける年齢なのだから、保護も少ない……。
「だから、考えたの……こんな私でも、弱い私でも生きていける方法を」
そこで光は、パソコンの画面に目を向けた。
「結局、考え付いたのはこんなものだけどね……それでも…なぜだか小説だけは、私を受け入れてくれて……」
愛おしむ様に、パソコンの画面を指で撫でる姿は、ひどくひどく悲しげで、儚くて……。
これも、光が引きこもった原因の一つだろうか? なんて思うが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「まだ、希望はあるさ」
しかし、そんな悲しく儚い姿を見ていても、気休め程度の事しか言えない自分が、無性に腹立たしかった。
だから、必死に考えた……解決策を。
「梅さんともさ、話し合って、お互いを理解すればきっと……」
そう言ったところで、光はフッと、自嘲気味に笑った。その表情は、まるで世捨て人の様だ。
「もう、"やりなおせない"よ……なにもかも……それに」
そのままの口調で、光は小さくつぶやいた。
「おばあちゃんには、もう迷惑かけたくないから……」
それは、きっと光の本心だったのだろう。思いつく限りのことを発して発して、最後に出てきた本音なのだろうと、この時は、なぜかすぐに理解した。
「……ねぇ、明日また、来てくれる?」
しばしの沈黙の後、光はいつもの問いを投げかけてきた。返す言葉もないので、無言で頷いて返す。
「なら、話したいことがあるから……またこのくらいの時間に来て」
そう言うと、光はベットの方へと、歩いて行ってしまった。
「また、明日」
そう言い残すと、俺も部屋を後にする。
「……くそっ」
無力な自分が悔しい。何が人助けだ、何が吸血鬼だ、何が人間になりたい吸血鬼だ……一人の少女の悲しみさえ、受け止められないんじゃ、そんなのただの与太話じゃないか……。
"やりなおせないわ"……光の言葉が頭の中をグルグルと回る。違うと言いたい。それに、苦しんでいるなら苦しいと言ってもらいたい。人間なんだから……心を持った、気高い生き物なんだから……。
……そうだ、確かに俺は吸血鬼で、彼女は人間だ。自分は彼女とは違う生き物で、その溝は思っているよりも深いのかもしれない。それでも……この悲しみを感じる場所は、一緒のはずだ……心は、一緒のはずだ。
「明日は……必ず……」
光の家を後にするとき、明日は光の悲しみを受け止めると、決心した。