第32話(囮)
「てなわけだ」
「うっそ。まさかマンドラさんが領主様だったなんて…」
そんなこと、欠片も聞かされてなかったんですけど。
朧過ぎる記憶を必死に辿ってると、周囲のオッチャンたちからの好奇の視線をびしびし感じる。
「兄ちゃん、レイス様知らねえってのに、マンドラ様知ってんのか?」
「お店開くときに、色々、色々縁があってね」
「へえ! 見かけによらず、いいとこの坊ちゃんか!」
「あ、あははは…」
オッチャンたちからこの街について話を聞くと、色々分かってくる。
例えばマンドラさんが思ってた以上に偉い人だったり、賊一味らしいレイスさんたちと、そのマンドラさんは深い関係にあるとか。
その偉い人と仲良いフリギアは一体なんなのか、とか。
「領主様って言ってもよ、一応、ハーフェ様が統治していることになってるんだな。マンドラ様やユト様は陰ながら支えているってところか」
「でも、実際は対等なんだよね」
「そうそう。だから余所の権力者が余計な手を出そうものなら、この三家に潰されるってわけだ」
なるほどなるほど。マンドラさんが言ってた『三家』ってこのことだったのか。
…今頃理解しても、遅いような気もするけどさ。
「余所様のことなんざ知らんが、やっぱグリスは変わってるんだな」
「そうだなあ、珍しいとは思うよ。三つの家が協力して街を……ん?」
鍛冶の音とは関係ない、異音が聞こえたような。
「どうした兄ちゃん?」
「オッチャン、なんか聞こえない?」
「そうか?」
僕が訊ねると、オッチャンたちは作業の手を止めて耳を澄ませる。中には、格子に顔を押し付けて通路を確認してるオッチャンもいたり。
「そういや…」
「聞こえるな」
なにやら遠くの方から怒鳴り声と、金属音、そして壁に何かが衝突するような、つまり物騒過ぎる音が聞こえるんですけど。
全力で気のせいと思いたかったけど、実際聞こえてるし…これは……あれだね、あれだ。
「仲間割れか?」
「穏やかな雰囲気じゃねえのは確かだな」
「短い間だったけど、君たちともお別れだね……」
口々に憶測を出すオッチャンたちを前に、それが何か理解しちゃった僕は、後ろ髪引かれる思いで各種鉱石から手を離…
いや待とう。手を離そうとしていた鉱石を目の前に持っていく。
一つぐらい懐にいてれも…いいですよね?
それでも人生最大の自制を発揮して、鉱石から手を離す。ああっ、もって帰りたい!
「…いやいや! 誘惑に負けるな僕! 銀鉱石が待ってるじゃないか!」
「兄ちゃん、大丈夫か?」
「大丈夫! 何でもないよ! …それにしたって、早過ぎやしない?」
ううむ、激しい音と怒号、罵声からして相当の乱戦みたいだけど、どっちもこんな騒音立てるほど人数揃えてたっけ?
通路には見張りとか監視とかいなかったのにさ。
フリギアは自分たちだけで突入するって言ってた覚えがあるのにさ。
「一体どうなってる…」
困惑しつつ耳障りな音を立てる鎖を引きずって、格子越しに現状確認。
「…っと」
思わず身を引く。
視界入ってすぐの通路に、黒装束の人が血塗れで倒れてれば驚くね、うん。
明らかに、フリギア言う『賊』っぽい格好だ。
「なんだなんだ?」
「おい一体どうした」
「おいっ、見ろよ! あいつら、やられてるじゃねえか!」
「うおっ、本当だ!」
いつの間にか鍛冶の音は完全に途絶え、オッチャンたちは皆、この事態を喜びの表情で歓迎している。
途切れ途切れに聞こえてくる声からして、襲撃者、もといマンドラさんたちは、まず僕らを拉致してきた黒装束たちを排除するらしい。
確かに僕らは部屋の中にいて、ある意味安全だけども。
「でも、後回しってことだよね? 酷くない?」
ぶつくさ文句言ってみると、通路の奥で血糊を払ったフリギアらしき人影が見えた。
というか青い刀身が見えたからフリギアだって分かったんだけど。
「おおい、フリギア! こっち、こっち!」
試しに手を振ってみると、向こうも気付いて手を動かす。うん、あれはフリギアだ。間違いない。
コクコク首を振ってから部屋の奥に引っ込む……これで一先ず安心だ。
「こりゃあ! 助かったってことか?」
「んだな!」
「でも、まだしばらく大人しく…」
言いかけ、周囲の音が変わったことに気付く。
武器と武器が交差する音じゃなくて、低い唸り声に耳が痛くなるような遠吠え。
加えて何かが壁へと叩きつけられる音に、止めとばかり獣の声が何重にも、荒々しく響き渡る。
「な、なんだ? この声?」
「犬? いや、狼っぽいのがいるぞ!」
「狼だって? なんでこんなところに!」
オッチャンたちも何が吼えているのか分からないみたいで、恐怖半分好奇心半分で鉄格子から確認している。
っと…狼っぽい? ぽい?
「皆さん格子から離れて牢の奥へ! 近づいたら切り裂かれる!」
唸り声に混じって突然、女性の鋭い声に続いて澄んだ音が数度連続する。
そして、燃えるような赤い長髪と青い目をした女性が、僕を拘束していた女性が姿を現す。相変わらずの威圧感だけど、その表情はどこか必死。
彼女が姿を見せた途端、オッチャンたちの歓喜の声が飛び交う。
「お、お嬢!」
「お嬢だ! おい見ろよ、お嬢だぞ!」
「やっぱお嬢は俺たちを助けるために…!」
お嬢、レイスさんはオッチャンたちを確認すると、一瞬だけ表情を緩めて正面に向き直る。
「え……ええ! そうです! ですから皆さん下がって!」
「おう!」
オッチャンたちの声が部屋の奥に引くのと同時、後方へ回避したレイスさんと…黒い影が姿を現す。
跳躍した影を、レイスさんが臆せず武器を手に迎撃する。
「部屋の奥まで下がって!」
「え? ちょっと、なんで、こんなところに…?」
いるはずのない、赤黒い体毛に赤い目をもつ狼たち。その体長も僕より大きい。
部屋の前で、三頭のソレとレイスさんがぶつかる。
「くっ、一体どこから…っ」
レイスさんは狭い室内を考慮してか肘ほどの長さの短剣を左右の手に持ち、ソレらに戦いを挑んでいる。
けど、逆にその刀身が短すぎてソレの胴体に届かない。届く直前で軽々回避されている。
それでも必死の表情で自分たちを害そうとしている人間を馬鹿にしたように、三頭は少しずつ、少しずつ前進していく。
心なしか、その赤い眼は嘲笑に歪んでるようにも見える。
…なんて暢気に分析してる場合じゃない! そもそも武器が当たっても意味がない!
「えっと!」
レイスさんは運よく僕の部屋……牢屋の前にいる。それなら!
切り合うレイスさんの意識に割り込めるように、思いっきり叫ぶ。
「レイスさん! そいつらに普通の武器じゃ無理! 中入って!」
「なっ? 貴方…下がってください!」
格子越しに僕が叫んでもソレらに視線を固定したまま。レイスさん、戦い慣れてる。
けど、それじゃあ駄目だ!
格子戸に手をかけて手前に押し開く。
「いいから! マンドラさんとか魔法が使える人を待って!」
「え? マンドラ、様…っ?」
開ききった扉から手を伸ばし、無理矢理レイスさんの腕を引っつかんで中に引き込む。
抵抗できずにレイスさんはよろけつつ牢の中へ。
「貴方! 何故っ?」
「早く奥に!」
すぐさま飛びかかってくるソレらの鋭い爪が追いつく前に、扉を閉める。
「よっこいしょぉ!」
最後に鉄格子同士を接着しなおす。ふふん、どうだ!
「へへん! 入ってこれるものなら入って来い!」
言葉が分かるのか、三頭は僕やレイスさんに殺意に満ちた目を向けつつ、何度も格子へ体当たりを食らわせる。
けど格子や壁が振動するだけ。
何度も何度も繰り返し、ようやく爪や牙が届かないことを理解した様子で、しばらくすると、怒りの唸り声を上げて走り去っていった。
「よしよし! 危なかったね、レイスさん」
レイスさんの腕から手を離し、笑う。うん、一仕事したあとは気分がいいね。
けども、レイスさんは僕と鉄格子に視線を彷徨わせるだけ。
「……あ、貴方、今何を…合鍵をこの短時間で……作っていた…?」
「レイスさん? 大丈夫? 怪我痛い?」
「い、いいえ。私は無事です」
僕の問いかけに、それよりも、と気を取り直した様子で口を開く。
「何故私を助けたのですか」
「そりゃあレイスさんはいい人だ、ってオッチャンたちが褒めちぎってたから」
ねえ、と周囲へ問いかければ、すかさず歓喜の声が返ってくる。
「兄ちゃん何したかしらんが、よくやった!」
「おいっ! お嬢は無事なんだろうなっ?」
「無事だ無事! なんか知らんが無事だぞ!」
「お嬢、なんか言ってくれよ!」
「は、はい…」
レイスさんが無事だと言えば、四方から歓喜と労わるような声が飛び交う。
「よかった、よかった!」
「良くねえ! お嬢がケガしちまったんだぞ!」
さらに興奮するオッチャンたちから目を離し、困惑した表情を浮かべるレイスさんに笑いかける。
「レイスさん、いい人じゃん。ね?」
「…まったく。理由になっていないです」
眉を寄せてたレイスさんは、言いつつも握りしめていた武器を下ろす。
「ですが、まだ外にアレが放置されてることに変わりは…」
「さっきも言ったけど、普通の武器じゃ、ね。今さ、マンドラさんたちが掃討してるはずだから、待ってよ?」
それでも警戒を解かないレイスさんに安心してもらおうと、耳寄り情報を教えてあげる僕。
途端、弾かれたように僕へ顔を向ける。ちょ、ちょっと、視線が怖いんですけど!
「マンドラ様がっ? 本当にっ?」
「う、うんそう。僕を囮に使ってね」
「貴方、が?」
「そ。あ、レイスさん、ほら、色々聞きたいことあると思うけどさ」
今にも飛びかかりそうなレイスさんを制して、続ける。
「何かさ、オッチャンたちに言うことあったりするんじゃない?」
ふと、やることが一つ増えたことに気付いたから、悪いと思ったけどレイスさんへそう促しておく。
すると彼女は一瞬動きを止めた後、剣を地面へ置き、通路に向けて頭を下げ…叫ぶ。
「皆さん! 申し訳ありませんでした!」
「お、お嬢……?」
「ユトの、いいえ! 私のせいで皆さんが…」
「お嬢は悪くねえよ。坊ちゃんが、あの坊ちゃんのしでかしたことなんだろ? 信じたくないけどさ…」
「ユト様、変わっちまったよな、ホント…」
オッチャンたちは口々に頭を下げたレイスさんへ慰めの言葉をかけるけど、かけられた方は顔を俯かせたまま、肩を震わせる。
「ユトは…あの子は、あろうことかコルノとヴィオラをどこかへ拉致して、私へ協力するよう…私は、私は兄弟可愛さに…」
「いいってことよ! 俺ら、誰も死んでねえし!」
「丈夫さだけが取柄だもんな! ははっ!」
盛り上がるオッチャンたちの声を脇に、そこら辺に転がってた鉱石を再度手に取る。
意識を集中すれば、欲しいモノが含まれていることが分かる。けど。
「無駄に精製されてるからなあ。嬉しいけど、嬉しくないなあ」
壁へ寄っかかって、小細工に集中する。
レイスさんは声を詰まらせ、何度も何度も頭を下げているようだ。
「申し訳、ありません! 皆さんになんとお詫びれば…」
「ちょっ、お嬢、泣かないでくださいよ! まるで俺らが苛めてるみたいじゃねえですか!」
「てめえの顔じゃ、ホントそうだよな」
「んだとぉ! 今言ったやつ、後で覚えておけよ!」
上手くいくかも分からない小細工だけど……頭が痛い。
「分離せよ、分離せよ、形成せよ……うう、痛い」
鉱石をとっかえひっかえ掴んでは床に置く。
僕の呟きは、誰にも聞こえない。
「なあお嬢。一体ユト様は何をしでかすつもりなんだ?」
「それは…」
「武器作らせて、近くの村でも襲う気か?」
「実は私も、分かりません。ユトは私に目的を伏せていましたので…」
「でもよ、武器作らせるってことは、よからぬこと、考えてるってことだよな」
「お前、余計なこというなよ! 単なる金儲けかもしれねえだろ」
「あ、悪ぃ」
遠くから、複数の足音が聞こえてくる。どうやら掃討を終えたっぽい。
「お、助けが来たぜ」
「おおい! こっちだ、こっち!」
締め付けられるような頭の痛みに眉をしかめつつ、ふと気付いたので問いかける。
「ところでレイスさん、ここの…牢の鍵、持ってる?」
「は、はい。牢は私が管理していますので」
気を取り直したレイスさんは目元を拭うと、懐から鍵の束を取り出す。
そのまま鉄格子の隙間から手を伸ばして鍵を開くと、通路へ出て行った。




