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アザとー式作文講座

アザとー式作文講座(久々のカメラワーク理論!)

作者: アザとー

ご注意:実際に日本語知ってる人が見たら、目エ剥いて怒るほどの屁理屈です。ごめんなさい。

 久々にカメラワーク理論を引っ張り出してみよう。

 実は、この理論の前にはどれほどの詩的表現も、練った言い回しも不必要。文章というのはカメラワークを、そしてカメラアングルを指定するための記号に過ぎないという、禁断の理論である。

 そのために永く封じられていたテクニックを、ここに啓いてみようと思う。 

 ARE YOU READEY? じゃなくてもすすむのだ!


 アザとーも油断をするとやらかしてしまうのだが、以下の文章を一読して欲しい。


<森は静寂に包まれていた。夜風はそよりと吹きすぎた。黒い影と化した木々が脅すようにそびえていた。

後に知った。この森には人を喰らう魔が隠れ住むという言い伝えがあった。今思えば、あの時はその魔形の微細な呼吸など感じていたのではないか、そう思えて仕方がないのであった。>


 はい、とばし読みしてしまった人……アンタは正しい! 実はこの文章、全ての文末を『た』で統一したために、非常に見苦しいはずだ。笑うなかれ。これは敢えて大げさに書いたが、実は「あっちゃ~。やらかしてるなあ」という文章はあちこちで見かける。

 はっきり言おう。文章の7割以上を「た」で締めて許されるのは、相当の文章力を必要とする難事業だ。なぜなら、「た」は音楽で言うところの休符に相当し、そこでぷつりと文章の流れが断ち切られるゆえに、リズムが単調になりがちなのだ。

 ならば『相当の文章力』を持たぬアザとーがどうするか……それこそがカメラワーク理論というテクニックの使いどころである。

 

 例文をもう一つ。


<彼に会ったのは昭和39年のことであった。東京オリンピックが開かれた年でもあった。浮かれたおのぼりさんたちの中にあって、暗い表情を浮かべている彼は異質であった。>


 全て過去を語っているのだから、間違いではない。抑揚でごまかしの効く音読的にも、おかしなところは一つもない。ただ、リズムがね~。

 つるるる、たん。つるるる、たん……これ、五行で飽きるぜ。

 実はカメラワーク的に言うと、「あった」は静止画を表す記号である。そう考えると、上記の文章は静止画を次々に切り替えるスライドのようなものだ。使いようによっては効果的だが、長時間の視聴には向かないであろう。

 ならばどうするか、語尾を「あった」が連続しないように書き換えればいい。


<彼に会ったのは昭和39年、東京オリンピックが開かれた年でもあった。浮かれたおのぼりさんたちの中にあって、暗い表情を浮かべている彼が異質だったのを覚えている>


 実はこれ、文法的な話をすると並列関係にあった文章を……とかって理屈もあるのだが、アザとー、感性で文章書くから、興味ない。

 むしろそのぐらいなら、実践例をもう一つ挙げる。


<昭和39年のことであった。それは東京オリンピックが開かれた年でもあった。

お祭り騒ぎに浮かれたおのぼりさんたち。そんな中にあってさえ、彼は暗い表情を浮かべている。>


 これは並列の文を保ったまま……なんて正当な理屈はちゃんとお勉強が出来る人に任せて、カメラワーク理論でこの文章を啓いてみよう。

 映画などでもそうだが、『架空』を写すカメラには過去にまで取材に出かけるという機能が備わっている。現代に突っ立ったまま、過去を遠景で映す必要などないのだ。だから過去を現在形で書くことが許されている。それどころか、心象風景にして「~だったように記憶している」とか、推測を交えて「~だったのであろう」にしてもいいのだから、ちょろいモンだ。

 大切なのは「た」で締める文章を減らすために、カメラマンが動けってことよ?

 ただし、カメラマンがどこにいて、ファインダーがどちらを向いているかの指示がないと、物語は迷子になる。だから上記の2例には、きちんとバミり的な要素を入れた。

 <彼が異質だったのを覚えている>は、覚えているのだから立ち位置は現在。そして記憶の話をするのだからフォーカスは過去。

 <そんな中にあってさえ、彼は暗い表情を浮かべている。>は、その前部分で昭和39年にフォーカスをあて、さらに暗い表情を浮かべた男を現在形で映すことによって、カメラがすでに過去に入り込んでいることを示している。

 お分かりだろうか。こうする事によって続く物語を『現在の話として書くことが許される』ように組んでしまうのである。さすれば自ずと「た」で締める必要がなくなるのだ。


 もちろんこれは小手先のテクニックでしかない。なぜなら文章表現に正解などないからであり、敢えて「た」締めを多用するなんてのは上手な物書きさんには良く見られるテクニックだからだ。ただ、アザとーレベルの文章では「た」は見苦しい締めになりがちなので、最低限、連続させないようには心がけている。

 まあ、「た」締めを効果的に使おうと思えば……冒頭の文章をちょいちょいっといじって


<夜風はそよりと吹きすぎた。黒い影と化した木々が脅すようにそびえていた。そして、森は静寂に包まれていた。

あの森に人を喰らう魔が隠れ住むという言い伝えがあることは、後になって知った。今となっては、その魔形の微細な呼吸など感じていたのではないか、そう思えて仕方ない。>


かなあ?


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