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第九話

前回、ミッドウェー海戦において防空戦艦「比叡」の防空指揮所から、米軍の爆撃機B17の爆弾投下を僕が目撃したところで、一旦筆をおいた。


僕の書いた駄文を読んでくださっている方は、続きが気になっていると思いますが、ここで寄り道めいたことを書かせてもらいたい。


ここから書くことは他でもない。


第一防空戦隊司令官のことだ。


第一防空戦隊司令官の個人的な経歴については、ミッドウェー海戦前は調べる時間が無く、ミッドウェー海戦の後に本土に戻ってから調べようとしたのだが、軍事機密の厚い壁に阻まれ、個人的にも色々と忙しくなったため、調べるための時間がなかなか取れなかった。


ようやく余裕を持って調べることができるようになったのは、戦争が終わってかなり時間が経った後だった。


関係者の証言や戦後に公開された書類を調べた結果によると、司令官は海軍のエリートコースである砲術を専攻していた人だった。


しかし、海軍において当初は将来性が不確定だった導入されたばかりの航空機に興味を持ち、砲術から航空に専攻を変えたのだった。


周囲からは「エリートコースの砲術から外れることはないだろう」と引き止められたが、司令官の意志は堅く航空機の世界に飛び込んだ。


大東亜戦争開戦時に、日本海軍の提督では唯一自らの手で航空機の操縦をした経験のある人でもあった。


主な経歴では、基地航空隊の司令や航空母艦の艦長を歴任している。


ここまで調べたところで、僕は疑問に思った。


ミッドウェー海戦の時、司令官は金剛型防空戦艦四隻から成る第一防空戦隊の司令官をしていた。


経歴から見るのならば、海軍基地航空隊か空母から成る戦隊の司令官をしている方が自然に感じるが、第一防空戦隊の司令官をしていたのは、どういうことなのだろうか?


さらに調べていくと、その理由が分かった。


司令官は陸海軍で所有している航空機の一部共用化を提案していた。


海軍のみで使用する飛行艇などは陸海軍で共用しても意味は無いが、戦闘機などは陸海軍で共用することは大いに意味がある。


司令官は、そう考えたのだった。


似たような機体を陸軍・海軍で別々に開発しており、人員・資材・予算を投入していた。


酷いところでは、同じ航空機製造工場に陸海軍がそれぞれ航空機を発注していて、同じ工場の建物中で航空機を製造しているのだが、陸軍と海軍の製造設備の間に仕切りを設けて、お互いにどんな機体を製造しているのか秘密にしていたりもした。


司令官には、それが無駄遣いに思えたのだ。


「海軍の仮想敵国たるアメリカと陸軍の仮想敵国たるソビエト連邦は、共に我が国より強大な国力を持つ大国である。であるから、国力に劣る我が国における軍用機の開発・生産に向ける人員・資材・予算は効率化しなければならない。具体的方策としては一部の機体の陸海軍での共用化である」


その司令官の提案には、海軍内部からの反発は多かった。


海軍は陸軍とは政治的に対立することが多かったし、軍事予算を奪い合うようなこともあった。


海軍軍人の中には陸軍嫌いの人は多かったが、極端に言えば「親の仇」のように思っている人もいたのだ。


司令官は、そんな人たちを一人一人根気強く説得していった。


陸軍側でも海軍側と同じ理由で「海軍嫌い」の陸軍軍人は多かった。


司令官は、そのような状況で苦労を重ねて、海軍と陸軍の航空関係者の間に協力関係を築こうとした。


司令官の「陸海軍での航空機共用化」を目指した活動は難航したが、幸いにも海軍にも陸軍にも司令官の考えに賛同してくれる人が現れた。


伝統的に海軍では砲術、陸軍では歩兵がエリートコースであるため、新しい兵力である航空機に関わる軍人は、悪く言えば「変り者」、良く言えば「思考が柔軟な人」が多かったのだ。


司令官は苦労の末に海軍省・陸軍省から正式に認められた組織である「陸海軍航空機共同運用研究連絡会議」の発足にこぎつけ、その海軍側代表に司令官はなったのだった。


組織の正式名称は前記したように長い物だったので、省略して「陸海軍航空会議」と呼ばれた。


「陸海軍航空会議」の代表者である議長は、海軍側代表と陸軍側代表が輪番で月ごとに交代で務めることになった。


陸海軍どちらの人間が組織の長になっても反発があるので、こういった形になったのだった。


組織の目的は「陸海軍で共同で運用可能な航空機について研究すること」となっていて、まず手始めに陸上の基地から運用する戦闘機についての研究なされた。


その成果の一つが、大東亜戦争初期における傑作戦闘機である「零式艦上戦闘機」である。


零戦は、あまりにも有名な機体であるので、わざわざここで改めて書く必要もないくらいだが、海軍側が開発した戦闘機である。


長距離を飛行して敵地に進攻するのを目的とした戦闘機として開発された機体だ。


大陸における戦闘では、それまでの九六式艦上戦闘機では航続力が不足したため、奥地を爆撃する陸上攻撃機の護衛のために随伴することができず。陸攻部隊は護衛無しの丸裸で敵地に侵入せねばならず。敵戦闘機に大きな被害を受けていた。


長大な航続距離を誇る零戦が実戦投入されると、瞬く間に敵戦闘機を駆逐して、制空権を我が軍の物とした。


陸軍ではキ43の開発を取り止め、海軍の零戦を一式戦闘機「隼」として採用した。


(陸海軍航空会議では、陸海軍で使用する機体の名称も統一しようとしたが、反対が多く実現できなかった)


大東亜戦争の開戦と同時に行われた資源地帯の獲得を目的とした南方進攻作戦では、航続距離の長い戦闘機が求められたので、零戦・隼は期待に応えて戦いの空を縦横無尽に飛び回った。


零戦の反対の事例としては、陸軍側が開発したキ44、二式単座戦闘機「鍾馗(しょうき)」がある。


鍾馗は速度と武装を優先した邀撃用の戦闘機である。


邀激とは、味方の基地などを爆撃に来た敵爆撃機を迎え撃つことで、迎え撃つ戦闘機には爆撃機よりも高速と防弾装備された爆撃機を撃墜できる重武装が必要とされる。


陸軍側は、そのために「鍾馗」を開発し、海軍側は開発していた十四試局地戦闘機を取り止め、「鍾馗」を海軍局地戦闘機「雷電(らいでん)」として採用した。


陸海軍航空連絡会議は、このように活動しており、行く行くは軍の航空行政を完全に一本化して、「空軍省」を設けて、ドイツやイギリスのように、陸軍・海軍に続く第三の軍、「空軍」を建軍することを目標にしていた。


しかし、司令官は大東亜戦争が始まる数年前から陸海軍航空会議には所属してはいなかった。


それどころか、航空機に関わることを事実上一切禁じられていた。


その理由は、次のような物であった。


昭和十一年の初め頃、内務省警保局は、陸海軍の一部の将校によるクーデター計画があることを探り出した。


クーデター計画では、当時の総理大臣を初めとする内閣の閣僚を襲撃して殺害、帝都を制圧して「昭和維新」を成し遂げるという物であった。


政治的な目的を達成できるかどうかは、ともかくとして、軍事的には実行されたとしたら、総理大臣を初めとする重臣の殺害、帝都制圧は成功しそうな計画であった。


クーデター計画を主導したのは陸軍将校であったが、計画に賛同した海軍将校も多くが参加していた。


当初は陸軍歩兵連隊の一部が行動を起こす計画であったのが、計画を検討を重ねる内に大規模な物になり、海軍側では横須賀鎮守府の陸戦隊に所属する将校と連合艦隊旗艦戦艦「長門」乗り組みの将校までが参加していた。


もし、反乱軍が行動を起こせば、海軍は横須賀鎮守府の陸戦隊で反乱軍を鎮圧しようとするし、「長門」以下の戦艦部隊を東京湾に進入させて、砲列を反乱軍に向けることは誰が考えても明らかであった。


それを防ぐために反乱軍の海軍将校の役割は、横須賀鎮守府司令長官と連合艦隊司令長官を殺害し、海軍の指揮系統を混乱させることであった。


陸海軍の航空隊も一部が参加しており、帝都上空を制圧する予定であった。


皮肉なことにクーデター計画が露見することになったのは、計画が大規模な物になったため、秘密を知る者が多くなり過ぎ、そこから漏れたからであった。


クーデターは決行予定日が二月二十六日だったため、もし実行されていれば、二・二六事件と呼ばれていたであろうこの事件は、計画に参加していた陸海軍将校の逮捕・軍法会議・銃殺で幕を閉じた。


司令官はもちろんクーデター計画には一切関わってはいない。


問題になったのは、反乱軍の陸海軍将校が連絡手段として「陸海軍航空会議」を利用していたことであった。


「陸海軍航空会議」に所属している人間ならば、陸軍将校と海軍将校が頻繁に会っていても不自然には思われないため、隠れ蓑に使われたのだ。


クーデター計画が内務省によって暴かれた時の「陸海軍航空会議」の月番の議長がたまたま司令官であったので、責任を取ることになったのだ。


「あの人は、私たちのために犠牲になったのです」


戦後、当時司令官の部下だった海軍将校に会って話を聞いた。


「あの人は本当に航空機が大好きでした。他人が操縦しているのを見るのも、自分が操縦するのも大好きでした。その大好きな航空機から離れなければならなかっのは、さぞかし辛かったと思います」


部下さんは遠くを見る目になった。


「しかし、自分が責任を取らなければ『陸海軍航空会議』その物が潰されるかもしれない事態になっていたので、笑って私どもの前から去っていきました」


陸海軍航空会議を離れた後の司令官は、予備艦から復帰しようとしていた金剛型戦艦四隻から成る部隊に転任となった。


当時は戦艦部隊が本流、航空部隊が傍流だったので、表向きは「左遷」ではなく「栄転」であった。


しかし、司令官本人にとっては「左遷」以外の何物でもなかったであろう。


転任以後の司令官については、次回で書こうと思う。


金剛型戦艦四隻が「防空戦艦」となったは理由は、司令官が転任した以降の出来事にあるからだ。

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