第七話
「プリンス・オブ・ウェールズ」がどんな戦艦であるかは、新米記者である僕であっても、もちろん知っている。
「プリンス・オブ・ウェールズ」は、言わずと知れたイギリス海軍の最新鋭戦艦である。
同型艦が五隻建造された「キング・ジョージ五世」級戦艦の二番艦であり、一千九百四十一年三月三十一日に竣工しており、まだ完成してから一年と少ししか経っていない。
基準排水量は三万五千トン、満載排水量は四万四千六百五十トン。全長は二百二十七・一メートル。全幅は……、いや、このような戦後に出版された軍事関係の本を読めば誰にでも分かる「プリンス・オブ・ウェールズ」の数値をここで並べても仕方がない。
「プリンス・オブ・ウェールズ」を発見した報告を聞いた時の防空戦艦「比叡」艦上の第一防空戦隊司令部の様子を次に書くことにしよう。
そこにいた報道関係者は僕だけなのだから、僕には書かなければならない義務があるだろう。
と言うより、僕は自分がこの目で見て耳で聞いた体験したことを書いて、それを誰かに読んでもらいたいという欲望を持っている。
「プリンス・オブ・ウェールズが居たのか……」
索敵機からの報告を聞いた第一防空戦隊司令官は、つまらなそうにつぶやいた。
それに対して参謀さんたちは、興奮気味に議論をしていた。
「大英帝国の皇太子殿下が、お出ましか!相手にとって不足は無い!」
この参謀さんが「大英帝国の皇太子殿下」と言ったのは、「プリンス・オブ・ウェールズ」は「英国皇太子」を意味する称号だからと、僕にも分かる。
「アメリカの誇る『ユナイテッド・ステーツ』とイギリスの誇る『プリンス・オブ・ウェールズ』両方とも撃沈すれば、世界の海戦史上に残る快挙になりますな!」
「ユナイテッド・ステーツ」は以前にも書いたように、アメリカ合衆国にとって象徴と言える戦艦であるし、「プリンス・オブ・ウェールズ」は戦艦の新造を禁止する海軍軍縮条約の期限が切れたため、イギリスが久し振りに建造した新型戦艦としてイギリス自身が大々的に宣伝していた。
「世界の三大海軍国と言われている日米英で、我が国こそが最強であることを証明する良い機会です!」
我が国がアメリカ合衆国、大英帝国と並んで「世界の三大海軍国」と言われているのは事実であるが、海軍軍縮条約では我が国は米英より不利な条件で条約を結ばされ、ここ数年の国際情勢では米英によってじわじわと我が国は追い詰められて、国際的孤立を深めていたので、軍人にも一般国民の間にも米英に対する鬱憤がたまっている。
そんな参謀さんたちをよそに、司令官は黙って何かを考えていたようだが口を開いた。
「通信参謀。敵の空母を発見したとの報告はまだ無いのか?」
議論に夢中になっていた通信参謀は、少し慌てて司令官の質問に答えた。
「えっ!?あっ!はい!今だに敵空母を発見したとの報告はありません!」
「そうか」
司令官はそう返事をすると、また黙り込んで考えているようだった。
「あのー、司令官。お尋ねしたいことがあるのですか?」
僕は思い切って司令官に質問することにした。
「何だね?記者くん」
考え事をしているのを邪魔してしまったので、司令官を不機嫌にしてしまうことを覚悟していたが、司令官が僕に向けた表情や声の感じでは不機嫌にはなっていないようだった。
僕は少し安心して質問を口に出した。
「司令官は『プリンス・オブ・ウェールズ』が、ミッドウェーの周辺の海域に存在していることを不思議には思っていないのですか?」
司令官は面白そうに笑った。
「それはもちろん。疑問には思っている」
「ですが、今の司令官のご様子から察すると、『プリンス・オブ・ウェールズ』について司令官はまったく興味をお持ちでないように見えるのですが?」
司令官は笑顔のまま僕に問い返してきた。
「記者くん。君は将棋か囲碁をするかね?」
司令官の質問の意図は分からなかったが、僕は素直に答えた。
「下宿している家のおじさんが囲碁も将棋も好きで、時々付き合わされます」
「記者くん。君が『付き合わされる』と言うことは、囲碁や将棋が嫌いなのかね?」
「はい、僕は囲碁はザル碁で、将棋はヘボ将棋なので勝ったことがないんです。同じ屋根の下に住んでいますので、おじさんの誘いだけは断ることができないんです」
「おじさんの誘いだけは断ることができない……、ということは、君は他の人からの囲碁や将棋の誘いは断っているのかね?」
「個人的な友人や勤め先の上司や同僚からの熱心な誘いからは、僕は逃げ回っています」
「何故?君の周りの人たちは、熱心に君と囲碁や将棋をやりたがるのかね?」
司令官のその質問に答えるには、僕は少し嫌な思いをしなければならないのだが、答えないわけにはいかない。
僕の内心の不機嫌さが、顔や声に出ないように注意して答えた。
「僕が滅茶苦茶弱いのを知ってますから、みんなは『勝利の快感』を味わいたいために僕を誘うんです。『敗北の苦杯』を僕は味わいたくないから逃げているんです」
司令官は笑った。
「記者くん。君の判断と君の周りの人たちの判断、どちらも正しい」
その言葉の意味がわからず僕はきょとんとした。
司令官は話し続けていた。
「君の周りの人たちは『勝つ確率が高い』から、君と囲碁や将棋で勝負をしようとしているんだ。君は『自分が負ける確率が高い』から勝負から逃げているんだ」
司令官から「勝負から逃げているんだ」と否定的な意味で言われたと僕は思ったので、恥ずかしさでうつむいてしまった。
「おい、おい、記者くん。『勝負から逃げているんだ』と言ったのは悪い意味じゃないよ。むしろ判断としては正しい物だと、私は言ったんだ」
「でも、司令官。『勝負はやってみなければ分からない』ってよく言われているじゃ、ないですか?」
「相撲や野球のような運動競技や、囲碁や将棋のような元々は盤上の遊びだったものは、負けても命を失うわけではない。だが戦争は違う!」
今まで笑顔だった司令官は真剣な顔になった。
「戦争は勝敗に関係なく、人命や財産に多大な損害をもたらす。だから、ただ勢いに任せて戦争を始めてはならないのだ!少なくとも『勝てる可能性』をできるだけ高くするように努力しなければならない」
司令官は厳しくした表情を緩めた。
「まあ、長々と話してしまったが、私が囲碁や将棋に例えて何が言いたいのかと言うと、『プリンス・オブ・ウェールズ』や『ユナイテッド・ステーツ』と言えども、戦場という盤上にある一つの駒、一つの碁石に過ぎない。相手がどういう意図で盤上のその位置に、駒や碁石を置いたのか読み取らなければならない」
「僕は将棋や囲碁で相手の意図を読むのが苦手でして……」
「イギリスの戦艦である『プリンス・オブ・ウェールズ』がミッドウェーの周辺にいるのは、米英の間での政治的取り引きのような物があったのだろうが、今はそれは考えることではない。『ユナイテッド・ステーツ』と『プリンス・オブ・ウェールズ』がミッドウェーにいる理由について私は推測した」
「司令官のお考えになられた推測とは、何でしょうか?」
「囮だ」
司令官のその発言に艦橋の中は騒然となった。
ここで少し話が逸れることになるが、戦後になって判明したミッドウェー海戦に『プリンス・オブ・ウェールズ』が参戦した理由について書いておこう。
第二次世界大戦について少しでも興味を持っている人たちには当たり前の知識なので退屈だろうから、知っている人は読み飛ばしてもらっても構わない。
大東亜戦争の開戦前に、大英帝国のチャーチル首相は英国の植民地であるマレー半島のシンガポールに戦艦を派遣する計画を持っていた。
イギリス海軍側の計画としては旧式戦艦数隻を派遣する予定であったが、チャーチル首相の考えは異なっていた。
最新鋭戦艦である「プリンス・オブ・ウェールズ」を派遣することにこだわったのだった。
チャーチル首相は、我が国が戦争に踏み切らないための抑止力としてシンガポールへの艦隊派遣を重視しており、旧式戦艦よりも新鋭戦艦である「プリンス・オブ・ウェールズ」の方が抑止力としての効果が高いと考えていたのであった。
イギリス海軍側は、我が国の友邦であるヒトラー総統率いるドイツ第三帝国の海軍との死闘が続いているため、最新鋭戦艦を亜細亜に派遣することには反対したが、チャーチル首相は反対を強引に押しのけた。
その結果、新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と旧式だが高速で有力な巡洋戦艦「レパルス」、そして航空母艦「インドミタブル」を主力とする艦隊がシンガポールに派遣されることになり、その艦隊を指揮するイギリス東洋艦隊司令長官にはフィリップス大将が任命された。
しかし、亜細亜への航海の途中で空母「インドミタブル」が座礁事故を起こした。
修理には一ヶ月弱かかると判断された。
替わりの空母は都合がつかず。空母「インドミタブル」抜きで他の艦だけシンガポールに先に移動することも考えられたが、「洋上を航行中の戦艦を航空機で撃沈することはできない」というのが当時の軍事的常識だったとはいえ、洋上航空兵力を一切持たない状態でいるのは不安があり、「インドミタブル」の修理が完了するまで、「プリンス・オブ・ウェールズ」以下他の艦も待機となった。
待機している内に大東亜戦争は英国が予想したよりも早く開戦となり、マレー半島は我が帝国陸海軍の協同作戦により電撃的に制圧され、大英帝国にとって亜細亜における重要拠点であるシンガポールも陥落してしまったのだ。
結果的に「プリンス・オブ・ウェールズ」以下の艦は遊兵になってしまった。
しかし、チャーチル首相はこの状況でも冷静に判断した。
我が軍により真珠湾で多数の戦艦を失ったアメリカに対して、「プリンス・オブ・ウェールズ」を増援として売り込んだのだ。
もちろん。イギリスにとって対ドイツ戦を遂行するために必要な多大の物資と引き替えにだ。
アメリカ側は、これを了解した。
フィリップス大将は、イギリス東洋艦隊司令長官から改めてイギリス太平洋司令長官に任命され、「プリンス・オブ・ウェールズ」に座乗して、ミッドウェーに向けて出港することになったのであった。
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