第五話
「キンメル長官!艦内に待避なさってください!」
アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊司令長官キンメル大将は、部下からの進言に首を横に振った。
「いいや、私はここに残る!」
キンメル長官は、戦艦「ユナイテッド・ステーツ」の露天艦橋で仁王立ちになっていた。
露天艦橋には天井も壁も無く、そこにいる人間は外にむき出しでいることになる。
「しかし、レーダーの反応によると、日本軍の攻撃隊が間もなく上空に到達します!ここにいては危険です!艦内に退避を!早く!」
キンメル長官は双眼鏡で上空を眺めたまま、部下に語り掛けた。
「昨年、一千九百四十一年の十二月七日……、あの我が国と日本が開戦した日……、私はハワイのオアフ島の陸上にある太平洋艦隊司令部にいた」
部下からは、後ろ姿しか見えないため表情は分からないが、キンメル長官は淡々とした感じで話し始めた。
「いつもと変わらぬ日曜日の朝が始まると思っていた。しかし、その日起こった事は今では世界中の誰もが知る通りだ」
キンメル長官の背中は、屈辱で震えていた。
「司令部の窓から日本軍の航空機により、我が戦艦部隊が次々と被弾し、沈没するのが見えた。戦艦部隊が全滅する中で、私のすぐ側を虫ぐらいの大きさの何かが高速で通り過ぎて行くのを感じた」
「それは、何だったのでしょうか?」
キンメル長官は、部下の質問に答えた。
「壁にめり込んだそれを見て何か分かった。日本軍の航空機の機銃から発射された弾丸だった。私を狙ったわけではなく、流れ弾が偶然に傍を通ったのだ」
「弾丸が逸れるとは、長官は幸運の持ち主なのですね」
「幸運……、幸運か……」
部下の言葉に、キンメル長官は苦笑した。
「その時は『何て、不運なんだ!』と思った」
部下は驚いた。
「何故?不運などと!」
「日本軍の銃弾に当たって死ねば『名誉の戦死』だ。だが、生き残れば『戦艦部隊を失った無能な司令長官』として処断される。そう考えれば、死んだ方がましだと思ったのだ」
「真珠湾での損害には、長官に責任はありません!日本が卑劣な騙し討ちをしたからです!正々堂々とした勝負であれば、我がアメリカ合衆国海軍が敗北することなど、ありえません!」
部下の言葉に、キンメル長官はうなづいた。
「そうだ。合衆国政府はそう考えて、私を太平洋艦隊司令長官の地位のままにしてくれた。我が国は民主主義国家だ。国民が正当な選挙により政府の代表者を選んでいる。私は国民の期待に応えのばならないのだよ」
部下は納得してうなづいた。
「長官は、常に最前線に身を置くつもりなのですね。分かりました。私もお供いたします」
「来たぞ!」
双眼鏡を覗いていたキンメル長官が声を上げた。
部下が空を見上げると、無数の黒い粒が見えた。
そして、航空機の発動機が奏でる爆音が近づいてきた。
キンメル長官が座乗している戦艦「ユナイテッド・ステーツ」のマストには、アメリカ合衆国の国旗である星条旗が掲揚されている。
キンメル長官は双眼鏡から目を離して、星条旗を見ると祈った。
「神よ。我が合衆国にご加護を……」
上空に目を戻すと、黒い粒は双眼鏡を使わずともハッキリと航空機だと分かる大きさになっていた。
すでに命令は下してあり、敵機を待ち受けるだけとなっていた。
キンメル長官は、自分の視線で敵機を射ち落とすかのように、にらみつけた。待ち伏せしていた米軍の戦闘機が、次々と日本軍機を撃墜していった。
米軍の戦闘機から逃れられた少数の日本軍機は、「ユナイテッド・ステーツ」に向けて爆弾を投下しようとするが、「ユナイテッド・ステーツ」の甲板上とミッドウェー島に設置された無数の対空砲・対空機銃によって全て撃墜された。
日本軍機は、「ユナイテッド・ステーツ」に指一本触れることができなかった。
その結果を「ユナイテッド・ステーツ」の露天艦隊に仁王立ちになったまま見届けたキンメル長官は、新たな命令を下した。
「全世界に向けて打電せよ!『ユナイテッド・ステーツ(合衆国)』は不沈なり!」
キンメル長官は、再びマストにある星条旗を見つめた。
「神よ。合衆国へのご加護を感謝いまします」
マストに翻る星条旗がスクリーンに大写しになり、この場面は終わる。
……以上が、戦争中に米国で制作・公開された映画「キンメル」の一場面だ。
もちろん。戦時中の日本では公開・上映はされず。僕がこの映画を見たのは戦後のことだった。
米国が国内での戦意昂揚のために制作された映画なので、事実とは異なる脚色もかなりある。
例えば、映画の中ではキンメル長官は「ユナイテッド・ステーツ」の露天艦橋にいるが、実際には比較的安全な司令塔の内部にいたことが戦後かなりたってから分かった。
露天艦橋でのキンメル長官と部下とのセリフのやり取りや、キンメル長官がマストの星条旗を見つめて神に祈るのは、完全な創作である。
しかし、キンメル長官が危険な最前線に我が身を置いていたという事実は変わらない。
司令塔にキンメル長官がいたことで、戦後の日本ではキンメル長官を貶めるような評価がされることがあるが、それは不当だと僕は思う。
と……いうような事を考えたのは戦後のことで、ミッドウェー海戦の時に、防空戦艦「比叡」に乗っていた僕は、敵国の提督であるキンメル長官について、そのように考える未来が訪れるとはまったく微塵も思っていなかった。
ミッドウェー島の戦艦「ユナイテッド・ステーツ」への空母艦載機による攻撃が失敗した後、「比叡」の艦橋では、参謀さんたちが激しい議論をしていた。
「後方にいる主力部隊の戦艦部隊と合流して、『ユナイテッド・ステーツ』に砲撃戦を挑むべきです!」
参謀さんの一人の発言に、他の参謀さんが反論した。
「いや!それでは、時間が掛かり過ぎる!この『比叡』を含めた金剛型戦艦四隻でミッドウェー島に突入するのは、どうだ?砲撃力に差があるとはいえ、四対一だ。良い勝負ができると思うのだが?」
「駄目だ!駄目だ!相手は十八インチ砲搭載戦艦で、こっちは十四インチ砲搭載戦艦だぞ!こっちは相手の装甲を貫けないのに、相手は紙のように、こちらの装甲を貫けるんだぞ!こっちは相手の十八インチ砲弾一発でも当たれば、致命傷になりかねん!」
「せめて金剛型四隻が、防空戦艦に改装される前の砲撃力を維持していれば、四隻合計で十四インチ砲三十二門ですから、手数で何とかなったかもしれませんが……」
「やはり、金剛型の主砲の一部を撤去して、対空砲や対空機銃を増設したのは間違いだったんじゃないか?戦艦が対艦攻撃能力を弱めるなんて、本末転倒だ!」
もちろん僕はただの従軍記者だから、参謀さんたちの議論には参加できない。
司令官に呼ばれていなければ、本来この場にいることもできないのだ。
その司令官は、参謀さんたちの議論には参加せずに、黙って耳を傾けているようだったが、突然僕の方に目を向けた。
「記者くん。我が第一防空戦隊のことを、本土の新聞・雑誌・ラジオは、どのように報道しているのかな?」
参謀さんたちは、自分たちが今している議論とはまったく関係無いことを、司令官が僕に質問したので驚いて議論するのを止めた。
僕も司令官がこの場で、この質問をする意図が分からないので、戸惑った。
「どうしたのかね?記者くん。君の勤めている出版社が出している雑誌の記事を、そのまま言ってくれれば良いんだ」
司令官はニコニコと笑っていた。
司令官の質問の意図は、相変わらず僕には分からないが、雑誌の記事について話すだけなら簡単なので、僕は口を開いた。
「金剛型防空戦艦四隻、『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』から成る第一防空戦隊は、第一航空艦隊の『盾』であると報道されています」
「『盾』とは、何を守るたもの『盾』なのかね?」
司令官が合いの手を入れた。
「第一航空艦隊の航空母艦六隻、『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』『翔鶴』『瑞鶴』を強化された対空攻撃能力で守る『盾』です」
「何故?空母六隻を守らなければならないのかね?」
「空母の飛行甲板は、敵弾を一発被弾しただけで航空機の発着艦が不可能になるほど脆弱です。航空機の運用能力を空母が維持するためには、敵の航空攻撃を撃退しなければなりません」
「何故?空母は航空機の運用能力を維持しなければならないのかね?」
「それは……」
司令官があまりにも分かり切ったことを質問する意図はまだ分からないが、雑誌の記事を読んで丸暗記していることを、僕はそのまま答えた。
「空母の艦載機は、敵戦艦の射程距離から攻撃できる最も長い『槍』だからです」
司令官のニコニコと笑っている笑顔は大きくなった。
「その通りだ。空母艦載機は『長槍』だ。世界最強と言われるユナイテッド・ステーツ級戦艦の十八インチ砲と言えども切っ先は鋭くとも『短剣』にすぎん」
参謀さんたちの一人が、司令官に質問した。
「つまり、我が第一防空戦隊はあくまで空母の護衛に徹する。ということですか?」
「その通りだ」
その参謀さんの顔は悔しそうだった。
「悔しいではないですか!第一艦隊の戦艦に乗り込んでいる将兵からは『空母のお守り役』などと馬鹿にされているのですよ!『ユナイテッド・ステーツ』に一番近い戦艦は我々なのですから、名誉挽回の絶好の機会だというのに!」
興奮している参謀さんに対して、司令官は冷静に答えた。
「第一艦隊の戦艦は、敵の戦艦と砲撃戦をするのが役目だが、金剛型は『防空戦艦』に改装されたことで、敵の航空機と戦う『対空大型戦闘艦』になったんだ。役割を間違えちゃいかん」
参謀さんは尚も何か言いたそうだったが、司令官はそれを遮るように言葉を発した。
「それより、ミッドウェー島に『ユナイテッド・ステーツ』が待ち伏せしていたことで、一つ重大な事が分かった」
「それは何ですか?」
「我が大日本帝国海軍の暗号は、米国に解読されている」
司令官の声は、新聞の見出しを棒読みするかのようだった。
しかし、その言葉に参謀さんたちは激しく動揺した。
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