第四話
ミッドウェー島への攻撃隊が発艦した後、僕は防空戦艦「比叡」のあちこちを取材のために歩き回っていた。
士官・下士官・水兵と、できる限り話を聞いてみたが、ほとんど全員が、この作戦の成否について楽観視していた。
「無敵の第一航空艦隊」「世界最強の空母機動部隊」といった真珠湾攻撃以来、新聞・雑誌・ラジオが連日報道したお題目を、当の第一航空艦隊に所属している本人たちが、心の底から信じているようだった。
僕も取材のために今回「比叡」に乗り込むまでは、そう思っていた。
でも、司令官と出会って会話をしている内に、僕の考えが少しずつ変わっていくのを感じている。
司令官自身が、この作戦の成否をどう思っているのか分からないし、僕もそこまで深くは聞くことはできない。
しかし、司令官との会話の印象からすると、この作戦を楽観視していないのは確かだと思う。
だけど、それが分かったからといって、ただの新米記者にすぎない僕にできることは何も無いし、何も思い付かない。
僕は取材を続けるしかなかった。
「米海軍で口の悪い水兵たちから、ユナイテッド・ステーツ級戦艦の『ユナイテッド・ステーツ』と『モンタナ』が何と呼ばれているか知っていますか?」
「いや、知らん。何て、呼ばれているんだ?」
僕は、手が空いている数名の水兵さんたちと会話していた。
この数名の水兵さんたちには、僕が持参した饅頭や煙草を渡してある。
少しでも機嫌を良くして、取材に応じてもらうためだ。
僕はそこまで気が回らなかったのだが、出発前に編集長から忠告を受けたのだ。
軍艦では乗組員は三度の食事は支給されるが、お菓子や煙草のような嗜好品は、自分のお金で艦内にある売店(軍隊では『酒保』と言う)で買わなければならない。
水兵さんたちの中には給料のほとんどを実家に送金していて、嗜好品を購入する余裕の無い人もいる。
そのため、お菓子や煙草を「お土産」として渡すと喜ばれることが多い。
編集長の記者時代の経験からの知恵だそうだ。
今のところ、編集長からの忠告は効果が有り、水兵さんたちへの取材は順調に進んでいる。
水兵さんたちから、僕が一方的に話を聞いてるだけなのも何なので、僕から「ユナイテッド・ステーツ級戦艦」についての知識を披露した。
「『ユナイテッド・ステーツ』は『ホテル・ユナイテッド』、『モンタナ』は『レストラン・モンタナ』って呼ばれているそうです」
「へーっ、それは何で?」
「それはですね……」
僕は落語家が落語のオチを言うときのように、間を取ってから答えた。
「我が海軍の『長門』『陸奥』が連合艦隊旗艦を交代して務めたように、『ユナイテッド・ステーツ級戦艦』二隻も米海軍太平洋艦隊旗艦を交代で務めているんです。太平洋艦隊司令長官が乗り込むわけですから、艦内にある司令長官用の部屋は軍艦としては豪華ですし、海軍長官などの政府高官が来艦することもあるわけですから、艦内で高官に食事を出すこともあるわけです。それに備えて一流の料理人もいます。だから『ユナイテッド・ホテル』『レストラン・モンタナ』って呼ばれているんです」
水兵さんたちは、僕の話に笑った。本当に僕の話が面白かったどうかは分からない。僕がお土産を渡したので、調子を合わせているのかもしれない。
僕は続けて他の「ユナイテッド・ステーツ級戦艦」の情報を披露した。
「他にも『ユナイテッド・ステーツ級戦艦』は、『ウエスト・コースト・ガード』なんても呼ばれているそうです」
「ウエスト・コースト・ガード」という言葉の意味が分からなかったらしく、水兵さんたちはきょとんとした。
「その言葉なら、俺も知ってるぞ」
僕の背後から声がした。
僕の前にいる水兵さんだちが、慌てて敬礼をした。
僕が後を向くと、見覚えのある下士官さんがいた。
確か司令部付きの下士官さんだ。
下士官さんは、僕に目を合わせて話を続けた。
「『コースト・ガード』とは米国の沿岸警備隊のことだ。『ウエスト・コースト』とは米国の西海岸のことだ。海軍条約の関係もあるが、西海岸からほとんど動かないユナイテッド・ステーツ級戦艦を『西海岸沿岸警備隊』と皮肉って米海軍の水兵たちが言ってるんだ」
水兵さんたちは、下士官さんの言葉の意味がイマイチ分からなかったらしく、迷うような顔をしていた。
今度は下士官さんは、水兵さんたちに笑いながら視線を向けた。
「ウチのトコの『柱島艦隊』みたいなモノだ」
水兵たちは、ようやく納得したらしく笑った。
「『柱島艦隊』って、何ですか?」
僕は、その言葉を聞くのは初めてだったので、反射的に質問した。
「記者さん。柱島がどこにあるかは、知っているか?」
「もちろんです」
広島県呉港の近くにある広島湾内に、柱島という幅約ニキロメートルの小さな島がある。
その柱島付近が、日本海軍の艦艇停泊地になっている。
連合艦隊旗艦「長門」以下、数多くの艦艇が停泊している場所だ。
「開戦以来、柱島にいる我が海軍の戦艦部隊は、ずっと柱島で待機している。実戦で活躍しているのは、空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦などで、この金剛型防空戦艦四隻を除いた戦艦は、一切戦局に寄与していない。そのことを皮肉って『柱島艦隊』と言われているんだ」
僕は笑った。
下士官さんは、僕に近づくと真剣な表情になって耳打ちした。
「記者さん。『柱島艦隊』のところは、海軍にとってあまり良い話ではないから記事にはしないでくれ。それと、司令官が呼んでいる。艦橋に来てくれ」
僕が下士官さんに連れられて艦橋の内部に入ると、司令官と参謀たちがいた。
雰囲気は、やや暗かった。
「おう!来たか!記者くん!」
司令官が僕に声をかけた。
司令官だけが他の人たちと違い、奇妙なぐらいに明るかった。
司令官の明るい表情は、僕が下宿している家のおじさんに似ていた。
僕のおじさんは、ご近所の厄介ごとが好きなのだ。
単に「厄介ごと好き」と言うと語弊があるが、例えば近所で火事が起きると、おじさんは真っ先に飛び込んで行くのだ。
単に野次馬として見物しているわけではない。
消化活動をしたり、住民の避難誘導をしたり、焼け跡の後片付けをしたりしている。
それも渋々嫌々ではなく、明らかに喜んでしているのだ。
「何故?喜んで、そのことをしているのか?」と、おじさんに聞いたことがある。
そうしたら、おじさんは笑って答えた。
「『厄介ごと』は起きない方が良いが、起きないことを神や仏に祈っているだけでは駄目だろ?『厄介ごと』が起きてしまった時は、慌てふためいているだけでは何も解決しない。起こってしまった『厄介ごと』がどうやったら解決できるのか、考えて行動しなければならないのだよ」
それならば「何故?嬉しそうに笑って、それをするのか?」とも質問した。
おじさんは答えた。
「本心では嬉しくなんか無い。怖いし、時には面倒くさくなって他人に押しつけたくなる。だけど、『誰が他の人がやってくれる』では駄目なんだ。『自分が、やらなきゃないない事なんだ』。やるときに怯えた顔をしていては、妻や子どもが不安になるだろう?だから、私は無理して笑っているんだ」
おじさんの言葉が頭に浮かんだので、司令官と目が合うと、思わず僕はこう言ってしまっていた。
「司令官。厄介ごとが起きたのでしょうか?」
司令官の笑いはますます大きくなり、対称的に参謀さんたちはますます暗くなった。
参謀さんたちの中には、「厄介ごと」を起こしたのが僕であるかのように、僕をにらみつける人までいる。
どうも僕の言動は司令官を上機嫌にして、参謀さんたちを不機嫌にしてしまうらしい。
「記者くん。君の言う通りだ。『厄介ごと』が発生した。戦争そのものが巨大な『厄介ごと』なのだから、『厄介ごと』が起きない方が変なのだがな」
司令官は、僕に現状の説明を始めた。
早朝、第一航空艦隊の空母四隻から発艦したのは、ミッドウェー島への攻撃隊であった。
攻撃の目的は、ミッドウェー島にある米軍の航空兵力を奇襲攻撃により、米軍の戦闘機が飛び立つ前に地上撃破し、さらに地上施設を攻撃し、航空基地としての機能を喪失させることであった。
当然、攻撃隊は戦闘機である零式艦上戦闘機、爆撃機能である九九式艦上爆撃機、攻撃機である九七式艦上攻撃機で編成されている。
零戦は敵戦闘機を撃滅し、九九艦爆と九七艦攻は敵の地上施設に爆弾を投下することが任務である。
九七艦攻は敵の艦船を攻撃する時には、爆弾ではなく航空魚雷を装備することが多い。
敵艦の装甲を貫くことを目的にした徹甲爆弾もあるが、魚雷を命中させて敵艦の舷側に穴を開けた方が、敵艦が艦内に海水が侵入して、浸水により敵艦が沈む可能性が高いからである。
しかし、この場合はミッドウェー島の地上施設を攻撃するのが目的だったので九七艦攻は全機地上攻撃用の陸用爆弾を装備していた。
しかし、ミッドウェー島上空に攻撃がたどり着いた時、艦攻の搭乗員たちは自分たちが陸用爆弾しか装備していないことを悔やむことになる。
なぜなら、ミッドウェー島には一隻の米海軍の戦艦が存在していたからだ。
その戦艦は他でもない。「ユナイテッド・ステーツ級戦艦」だったからだ。
日本海軍将兵だけではなく、日本国民にとっての恐怖の対象であったユナイテッド・ステーツ級戦艦がただ一隻でいる。
その光景を見て、ミッドウェー攻撃隊の指揮官が命令違反を承知で、ユナイテッド・ステーツ級戦艦に攻撃目標を変更してしまったのは無理もないと言えるだろう。
しかし、それは米海軍の罠であった。
ユナイテッド・ステーツ級戦艦に装備されていた対空レーダーで我が攻撃隊を探知して、敵戦闘機隊が待ち伏せており、我が攻撃隊は大きな損害を受けた。
敵戦闘機隊を潜り抜けることができた少数の艦爆・艦攻はユナイテッド・ステーツ級戦艦に爆弾を投下するための進路に入ったが、ユナイテッド・ステーツ級戦艦の甲板上とミッドウェー島にハリネズミのように設置されていた対空砲・対空機銃に阻止されてしまった。
我が軍は結局この攻撃では、ユナイテッド・ステーツ級戦艦に指一本触れることはできなかった。
我が軍の残存機が撤退した後、ミッドウェー島にいるユナイテッド・ステーツ級戦艦から明らかに我が軍にも読ませる目的で、大出力で平文(暗号文では無いということ)の無線通信が発信された。
「我は米海軍太平洋艦隊司令長官キンメル大将。現在ミッドウェー島に停泊している『ユナイテッド・ステーツ』に座乗。日本軍の航空攻撃は退けた。日本軍の航空機は卑劣な騙し討ちでなければ、我が戦艦を沈めることは不可能だと証明した。『ユナイテッド・ステーツ(合衆国)』は不沈なり」
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