第三話
僕は考え込んで、黙り込んでしまった。
司令官はしばらく黙って僕を見ていたが、司令官の方から口を開いた。
「記者くん。日本海軍の役割は何だ?」
「お国を……、大日本帝国を守ることです」
司令官の当然すぎる質問に、僕は反射的に答えた。
「では、そのための具体的な方法は?」
「日本本土に向けて攻め寄せて来る敵国海軍の艦隊を迎え撃ち、撃滅することです」
司令官は僕の答えに微妙な表情になった。
学校の教師が生徒の答えに対して「間違ってはいないが、正解でもない」という時に見せる表情だ。
「記者くん。まあ、正解としておこう。君は専門家ではないのだからな。専門家であるはずの海軍将校にも、君とたいして変わらない認識の者は多い」
「はあ、そうなんですか」
僕はどう答えたら良いのか分からず。相槌を打った。
専門家である海軍将校に、新米記者である僕と認識が同じ人が大勢いるのは、喜ぶべきか悲しむべきか分からなかったからだ。
司令官は、さらに僕に対する質問を続けた。
それは単なる雑談と言うよりは、教室で教師から口答による試験を僕が受けているようだった。
「では、日本海軍が敵国の艦隊を全滅させたとして、何が起きる?」
「えっ!?それは……」
司令官が当然のことを尋ねて来るので、僕は少し戸惑いながら答えた。
「戦争が日本の勝利でおわるのでは?」
司令官は歯をむき出しにして笑った。
「記者くん。敵艦隊を全滅させたら、何故日本という国が戦争に勝ったことになるんだ?」
「えっ!?」
僕は司令官の質問に、ますます戸惑った。
日露戦争の日本海海戦で我が連合艦隊がロシア帝国のバルチック艦隊を艦隊決戦敗ったから、日本は戦争に勝利したのだ。
そんな当たり前のことを質問する司令官に、僕は困惑した。
僕の困惑している表情を楽しそうに眺めながら、司令官は口を開いた。
「記者くん。日露戦争の日本海海戦のことを考えていただろう?」
僕は、頭の中で考えていたことを正確に当てられたので驚いた。
この司令官は読心術を心得ているかとも思った。
「別に特別な能力を私が持っているわけじゃない。今までこの質問をした全員が日本海海戦のことを答えたから、記者くんもそうではないかと思っただけだ」
司令官は興味深そうに僕を見つめた。
「ふむ。世間一般の認識もそういうものなのか……」
僕は司令官のそのつぶやきの意味を聞こうとしたが、僕が口を開く前に司令官が新たな質問をしてきた。
「では、記者くん。今現在起きていることについて考えてみよう」
相変わらず司令官の僕への態度は、学校の教師を連想させた。
でも僕は司令官のその態度が不愉快では無かった。
強引に知識を生徒に詰め込む教師ではなく、本当の意味で生徒に知識を理解させようと努力する教師のようだったからだ。
「昨年昭和十六年十二月八日に、日本海軍はアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の戦艦部隊を真珠湾で壊滅させた」
司令官は歴史書を淡々と読み上げるように言った。
「それから約半年経過したが、何故この戦争は日本の勝利で終わらずに現在も継続しているのか?記者くんは、どうしてだと思う?」
僕の頭の中は混乱した。
日露戦争の日本海海戦のように、敵艦隊を壊滅させれば戦争は勝利で終わるという認識しかなかったからだ。
自国の艦隊が壊滅すれば、その国が講和を求めてきて戦争が終わるものだと思っていた。しかし現実には、米国は自国の太平洋艦隊の戦艦部隊が壊滅したのに講和を求める気配はまったく無い。
司令官に指摘されるまで、僕はそんな当たり前のことに気づかなかった。
何故、米国が講和を求めてこないのか?僕は頭を必死に振り絞って答えを出そうとした。
僕なりに考えた答えを口にした。
「司令官。米国にはまだユナイテッド・ステーツ級戦艦があるからでは?」
ここで、もし僕の書いているこの文章を読んでいる人がいるのならば、この先ユナイテッド・ステーツ級戦艦について書き連ねることを許してもらいたい。
僕が以前本で読んだことを、ほとんどそのまま書くだけなので周知の事実を書くだけで、ユナイテッド・ステーツ級戦艦についての新しい情報は何も無いからだ。
アメリカ海軍が保有する二隻のユナイテッド・ステーツ級戦艦。
これらの戦艦をアメリカが保有することになった原因は、やはりワシントン海軍軍縮会議であった。
交渉の結果、扶桑型戦艦と伊勢型戦艦の廃棄と金剛型戦艦を予備艦にすることと引き替えに、土佐型戦艦を保有するということで日本国内での議論が収まりそうになったところで、米国がさらに条件を出してきたのだ。
それは「十八インチ砲搭載戦艦二隻の建造保有を米国のみに認める」という物だった。
日本は当然驚愕した。もし、この条件が認められれば、日本が持てるのは十六インチ砲搭載戦艦までであるのに、米国のみがより威力のある十八インチ砲搭載戦艦を持つことになるからだ。
日本は米国の目論みを阻止しようと、同じく十八インチ砲搭載戦艦を持てない英国と協力しようとしたが、無駄だった。
米国は日本が気づかない内に、英国に根回しを済ませてしまっていた。米国は取引材料に第一次世界大戦時に英国に貸し付けた債権の一部放棄までしていた。英国は基本的に米国の提案した条件を認める方向で動いていたのである。
英国はもちろん自国にとって有利なように「米国の十八インチ砲搭載戦艦二隻は太平洋方面にのみ配備する」という条件で認めた。
十八インチ砲搭載戦艦は設計上、パナマ運河を通行可能な艦の横幅である約三十三メートルを越えてしまうため、パナマ運河を通過することはできず。一度太平洋に配備されてしまえば、大西洋に移動するには南アメリカ大陸を大きく回らなければならず。移動に時間が掛かるため英国本土にとっての脅威度は減るからである。
もちろん。日本はさらに慌てることになった。
太平洋方面にのみ配備するということは、対日戦のための戦艦であることがハッキリしたからだ。
それならば、日本も十八インチ砲搭載戦艦を保有できるように交渉する……、とは行かなかった。
もし仮に米国が日本に十八インチ砲搭載戦艦二隻の保有を認めるのならば、国力に勝る米国はその何倍もの隻数を保有することは分かりきっていたからだ。
もともと、軍事費の増大による国家財政の破綻を避けるのが目的だったので、日本は新たな建艦競争を米国とするわけにはいかなかった。
結局。米国へは「十八インチ砲戦艦二隻は平時は、アメリカ西海岸のみ配備する。ハワイ・グァム・フィリピン等の太平洋の米国領土への配備は行わない」という条件を受け入れさせるので、精一杯だった。
こうして米国が建造することになった十八インチ砲戦艦二隻は、一番艦が「合衆国」その物を意味する「ユナイテッド・ステーツ」と名付けられ、二番艦は州名から「モンタナ」と名付けられた。
世界で二隻だけの十八インチ砲搭載戦艦は、アメリカの新聞から「ビッグ・ツインズ」との異名で呼ばれ、アメリカ国民にとっては自国の守護神であり、日本国民には恐怖の象徴であった。
と……誰もが知る一般常識を書き連ねたが、僕と司令官の会話に戻る。
「米海軍には、まだユナイテッド・ステーツ級戦艦二隻が健在だから、というのが記者くんの答えか?」
「はい。司令官。真珠湾湾奇襲の時には、ユナイテッド・ステーツ級戦艦は二隻ともアメリカ西海岸にいたので討ち漏らしてしまいました。あの怪物二隻が存在する限り、米国の戦争を継続する意欲が失せることはないのではないでしょうか?」
司令官は僕の答えをうなづきながら聞いた後、唐突に別な質問をしてきた。
「君は今、どこに住んでいるのかね?」
「東京市内です」
司令官の今までの会話とは関係無さそうな質問に、僕は少し戸惑いながらも答えた。
「一人暮らしかね?実家かね?」
「僕の実家は東北の田舎なので、東京の親戚の家に住んでいるんです」
「その親戚の家族構成は?」
「お爺ちゃん、お婆さん。お父さん、お母さん。小学生の男の子と女の子が一人ずつです」
「家庭内の会話でユナイテッド・ステーツ級戦艦が話題になることは、あるかね?」
「もちろんです。お爺ちゃんから小さな女の子まで、連日の我が国の連勝の報道に喜んでいますが、ユナイテッド・ステーツ級戦艦を鬼ヶ島の鬼のように思っていますよ。退治しなければ日本に平穏な時は訪れないと思っています」
「なるほど。日本の一般家庭の認識はそうなのか、参考になる」
司令官はうなづいた後、さらに僕に別に質問をした。
「今、米国ではユナイテッド・ステーツ級戦艦について、どう報道されているのか、記者くんは知っているかね?」
「えっ!?それは……」
戦時中なのでアメリカのラジオ放送を聞くことはできないし、アメリカの新聞・雑誌も手に入れて読むこともできない。
「中立国経由で手に入れている情報によると……」
僕の答えを待たずに、司令官は話を続けた。
段々と分かってきたが、司令官は僕と言葉のキャッチボールをすることで、自分の頭の中を整理しているようだ。
「アメリカのラジオ・新聞・雑誌ともに真珠湾奇襲で戦艦部隊が壊滅したことを報道した。アメリカ国民の精神的な衝撃は大きかったようだ。しかし、米国政府はユナイテッド・ステーツ級戦艦が健在なことを盛んに宣伝して、国民の動揺を抑えることに成功したようだ。ここまでは分かるかね?記者くん」
僕はうなづくと、司令官は話を続けた。
「米太平洋艦隊司令長官のキンメル提督は更迭の話もあったらしいが、ユナイテッド・ステーツ級戦艦が健在なおかけで、首の皮一枚で繋がったらしい。もし、ユナイテッド・ステーツ級戦艦が存在しなければ、米国民の戦意は今より低かっただろうから、戦意高揚のために米海軍は投機的な作戦を実施したかもしれん」
「司令官。投機的な作戦とは例えば、どのような物なのでしょうか?」
「空母で日本本土を空襲するような作戦だ」
「ハハハ、そんな馬鹿な作戦いくら何でも……」
司令官が面白くなさそうな顔になった。
僕は司令官を馬鹿にするような笑い声と話し方をしてしまったことに気づいて、慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません!失礼しました!」
司令官は宴会で自分の素人芸が受けなかった人のような顔になった。
「私こそ悪かった。これに懲りずに、これからも私との会話に付き合ってくれたら嬉しい」
戦後になって分かったことだが、米国は航続距離の長い陸軍の爆撃機を空母から発艦させて、東京などの日本本土の都市を空襲することを国内の戦意高揚を目的として計画していた。
ただし、ユナイテッド・ステーツ級戦艦が健在なため、戦意高揚のために投機的な作戦を実施する必要性は低いと判断されたため中止された。
昭和十七年六月五日早朝、空母四隻からたくさんの飛行機が飛び立った。
空中で大編隊を組むと、ミッドウェー島に向かって行った。
ミッドウェー島への攻撃隊であることは、事前に教えてもらっていた。
この飛行機の大編隊を阻むことのできる者など、この世に存在しない……。この時の僕は、そう思っていた。
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