最終話
大東亜戦争において新米の雑誌記者だった僕が、自身の経験に基づいて書いたこの雑文も今回が最後になります。
「自身の経験」と言いながらも、ミッドウェー海戦の最終局面では気を失っていた身ではあまり偉そうな事は言えないのですが、自分なりに集めた資料に基づいて、小説風に次から書こうと思います。
少しでも軍事に興味のある人ならミッドウェー海戦の事など周知の事実ですので退屈でしょうが、よろしければ最後まで読んで下さい。
ミッドウェー海戦における最終局面は、日本海軍が金剛型防空戦艦四隻、米海軍がユナイテッド・ステーツ級戦艦の一番艦「ユナイテッド・ステーツ」一隻を主力とする対決となった。
戦艦の数では日本海軍が四隻、米海軍が一隻なので、軍事に関する知識がまったく無い人が聞けば、日本側が圧倒的優位に思えるだろう。
しかし、少しでも大東亜戦争における日本海軍と米海軍の戦艦についての知識を持っている人ならば、そう思うことは無い。
なぜなら、金剛型防空戦艦は十四インチ砲搭載戦艦で、ユナイテッド・ステーツ級戦艦は十八インチ砲搭載戦艦だからだ。
十四インチ砲と十八インチ砲では、一発の砲弾の威力は格段に違う。
もちろん。十八インチ砲の方が威力は上だ。
それに一般的な戦艦の防御力は、「自艦が搭載する砲の威力に砲戦距離で耐えられること」であるから、「ユナイテッド・ステーツ」の装甲は十八インチ砲の威力に耐えられるようになっている。
つまり、金剛型防空戦艦の十四インチ砲では、「ユナイテッド・ステーツ」の装甲を貫通することはできないのだ。
それでも、四隻対一隻という数の優位で何とか押し切ることはできると考える人もいるだろう。
確かに艦の数では四対一だが、この場合は日本側は必ずしも数の優位を確保できていなかった。
周知の通り、ユナイテッド・ステーツ級戦艦は十八インチ砲を一基の砲搭に連装で搭載している。
砲搭を四基搭載しているから、合計八門の十八インチ砲を搭載していることになる。
それに対して金剛型防空戦艦は、「戦艦」だった頃には十四インチ砲を一基の砲搭に連装で搭載していて、四基だから一隻で八門搭載していることになる。
金剛型戦艦四隻合計では、十四インチ砲三十二門ということになる。
十四インチ三十二門対十八インチ砲八門ならば、数の差で対抗可能とも考えることはできる。
しかし、それは金剛型が普通の「戦艦」のままであった場合の話だ。
金剛型は「戦艦」から「防空戦艦」に改装されたの理由は、航空母艦の護衛のためだ。
空母の最大の脅威は敵の航空攻撃であるから、対空砲と対空機銃が増設されたのだ。
増設のスペースを確保するために、金剛型は四隻とも第二砲搭を除いて十四インチ砲はすべて撤去したのだ。
金剛型防空戦艦一隻につき二門だから、四隻合計で十四インチ砲八門ということになる。
防空戦艦四隻で戦艦だった頃の一隻分の十四インチ砲しかないのだ。
ミッドウェー海戦で戦艦「ユナイテッド・ステーツ」の艦橋にいたある士官は、戦後の回想で
「コンゴウ型四隻を視界に納めた時、自分が鋭い大きな牙を持つ獰猛な一頭の巨大な肉食獣になったように感じた。相手は同じ肉食獣が四頭たが、小さな牙しか持たず。哀れにもこちらの餌食になるのを待つだけの獲物にしか見えなかった」
と書き残しているほどだ。
金剛型防空戦艦四隻は、そのような状況で戦艦「ユナイテッド・ステーツ」との戦闘に突入した。
戦艦同士の砲撃戦と言うと、お互いに砲門を向け合い、砲が火を吹いて砲弾が発射され、海面に落ちた砲弾が水柱を作り、敵艦に命中した砲弾が艦上構造物を破壊し、火災が発生する中でなおも砲は火を吹き、どちらかが力尽き海中に没するまで戦いは続く、というのを思い浮べるだろう。
しかし、この時の戦闘の様相はいささか異なっていた。
「ユナイテッド・ステーツ」は八門の十八インチ砲の砲身を高く上げた。
映像にすれば勇壮と言うしかない情景である。
八門の砲は、すべて同じ目標に向けられていた。
縦一列になって航行している四隻の金剛型の先頭の艦にである。
艦隊戦の定石として縦一列の陣形(海軍用語では単縦陣と言う)では、一番先頭の艦が司令官の座乗する旗艦ということが多いからである。
キンメル提督は敵の司令部を真っ先に潰すことで、敵が混乱することを狙ったのだった。
実際に、この時先頭にいたのは「比叡」であり、第一防空戦隊司令官が座乗していた。
その「比叡」は「ユナイテッド・ステーツ」に対抗して、二門だけの十四インチ砲を相手に向けていた。
その二門が火を吹き……、はしなかった。
発砲したのは「ユナイテッド・ステーツ」の方が先だった。
だが、飛翔した八つの砲弾は一発も「比叡」に当たることは無く、八本の水柱を作るだけであった。
戦艦同士の砲撃戦で初弾命中が起きるのは、よほどの幸運がなければならないので、この結果はおかしくは無い。
しかし、この結果の主な原因は別にある。
「比叡」は一切砲撃せずに、回避運動に撤していたのだ。
続けての「ユナイテッド・ステーツ」の砲撃もまったく当たらなかった。
普通、戦艦同士の砲撃戦では、お互いに一定の進路を一定の速度で進むことになる。
そうしなければ、まともに砲弾を命中させることができないからである。
前記した米海軍士官の回想では、次のように書き残している。
「自分の巨大な牙を相手の内の一頭に突き刺そうとするが、相手は避けるばかりで上手くいかない。相手も向ってくるなら、まともな勝負ができるのに忌々しく思った。一頭に手間取っている内に、他の三頭が自分の脇腹に貧弱な牙を向けてきた」
「比叡」が回避に撤している最中に、他の金剛型三隻「金剛」「榛名」「霧島」は「ユナイテッド・ステーツ」に向けて代わり番こに砲撃をしていた。
例えば、「金剛」が一回砲撃している間は、他の二隻は次の砲弾の装填作業をしている。
「金剛」が発射したら、間髪を入れずに弾込めの終わっている「霧島」が撃つ。「金剛」は装填作業に入る。
次は「榛名」が撃つ、そして、また最初に戻って「金剛」が撃つ。
これを繰り返すことで、間を開けずに「ユナイテッド・ステーツ」を砲撃したのだ。
この時の金剛型三隻の砲撃を戦国時代の武将織田信長が、「長篠の戦い」で行った「鉄砲の三段撃ち」になぞらえて、「金剛の三段撃ち」と呼ぶ者もいるほどだ。
もちろん。この策を考え指揮をしたのは、「比叡」に座乗する第一防空戦隊司令官である。
たが、「ユナイテッド・ステーツ」は武田騎馬隊のようにたやすく全滅できる相手では、もちろん無かった。
十四インチ砲弾では「ユナイテッド・ステーツ」の装甲を貫くことはできず。
金剛型は防空艦としての役割を重視されていたため、対艦用の撤甲弾はほとんど積んでおらず。
この時、砲撃していた弾は対空用の榴散弾だったため、最初から装甲を食い破ることは望めなかった。
「ユナイテッド・ステーツ」の装甲されていない艦上構造物をいくらか破壊したが、十八インチ砲の火力はまったく衰えなかった。
しかし、キンメル提督にとっては「比叡」には命中弾を得られず。一方的に金剛型三隻から砲撃されているのは、かなり忌々しかったようだ。
砲撃を「比叡」への一斉射撃から、四基ある砲塔の個別照準射撃に切り替えたのだ。
この時の場合は一番砲塔を「比叡」に、二番砲塔を「金剛」に、三番砲塔を「榛名」に、四番砲塔を「霧島」に向けたのだ。
当然、一隻の敵艦に向けられる砲は二門だけだから、命中率は著しく落ちる。
それでも、キンメル提督は四隻すべてを攻撃することを優先したのだ。
しかし、今度は金剛型四隻とも回避することを選択したのだった。
「ユナイテッド・ステーツ」の砲撃は、やはりまったく当たらなかった。
「ジャップのコンゴウ型四隻は何がしたいのだ?このままでは、こちらがコンゴウを倒すことはできないかもしれないが、向こうもこちらを倒すことはできないしゃないか?」
そういう疑問がキンメル提督の頭の中に浮かんだ。
もし、「ユナイテッド・ステーツ」のレーダーが砲撃で破壊されることが無く、機能を維持していたのならば、その疑問には簡単に答えは出ただろう。
戦場に接近してくる別の艦隊が存在していた。
金剛型四隻が時間稼ぎをして、待ち望んでいた存在が戦場に到着したのだ。
それは、連合艦隊司令長官山本五十六が率いる日本海軍最強の戦艦部隊である第一艦隊であった。
山本提督が座乗する連合艦隊旗艦の艦名は「大和」、日本海軍初の十八インチ砲搭載戦艦が敵に対してベールを脱いだ瞬間であった。
その後の戦闘については、周知の歴史的事実であるから、ここでは細かく書かない。
戦艦「大和」以下第一艦隊の砲撃による「ユナイテッド・ステーツ」の撃沈でミッドウェー海戦は日本海軍の勝利で終わった。
しかし、大東亜戦争は日本の敗北で終わっている。
連合国との講和条件で獲得した領土をかなり手放すことになり、帝国陸海軍も縮小することになった。
第一防空戦隊司令官は、戦後に設立された防空を主な任務とする帝国空軍で本土防空のための組織を作り上げることに尽力した。
その彼も十数年前に亡くなり、僕はこの文章を記念艦となった「比叡」の防空指揮所で書いている。
他の金剛型はすべて戦時中に失われて、生き残った金剛型は、この「比叡」のみである。
帝国海軍全体で生き残っていた他の戦艦「大和」は、米国に賠償として持っていかれてしまった。
「比叡」は戦艦としては古すぎるため米国は関心は持たず。日本の手に残ることになったのだ。
僕もすでに「老人」と呼ばれる年齢になり、足腰が弱っているのでエレベーターはあるが、防空指揮所まで昇るのは辛くなっているのだが、ここからどうしても見たい物があった。
沖合いに目を向けると、巨大な艦が航行していた。
それは数年前に米国から返還され、帝国海軍に復帰した戦艦「大和」であった。
最近、日本の領土を脅かしている海上勢力に対して示威行動に向かうのだ。
戦艦はすでに時代遅れの代物であるが、その迫力は他の艦では代えがたく、「大和」に比べれば小舟しか持たない海上勢力は、「大和」の姿を見ただけで退散するほどだ。
もちろん。「大和」には最新技術をもちいた軍艦が護衛についている。
今や日本の同盟国となった米国が開発した艦隊防空システム、「イージス・システム」を搭載したイージス防空巡洋艦「比叡」だ。
記念艦「比叡」の名を受け継いだ艦だ。
ミッドウェー海戦以来の第一防空戦隊司令官の意志は、今も受け継がれている。
僕は、そう信じている。
ご感想・評価をお待ちしております。
これまで読んでくださった皆様。
本当にありがとうございました。