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第十四話

山口多聞提督が第一航空艦隊の航空戦の指揮を引き継いだ後の我が日本海軍の挙げた戦果は、ここでわざわざ僕が書くこともないほど有名な戦史であるが、一応書いておくことにしよう。


敵がミッドウェー海戦に投入した航空母艦の数は、アメリカ海軍が三隻、イギリス海軍が一隻であることが、偵察・通信傍受等により最終的に判明した。


アメリカ海軍の空母は三隻は「ヨークタウン」級空母であり、「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ホーネット」。


そして、イギリス海軍の空母は「インドミタブル」である。


我が海軍の空母部隊と英米連合空母部隊の対決は、結果から言えば我が海軍の勝利に終わった。


山口提督の勇猛果敢な指揮により、米空母三隻の撃沈に成功したのだ。


敵艦隊に残された空母は英空母一隻となり、その空母は撤退していった。(戦後になって分かったことだが、『インドミタブル』に搭載していたのは戦闘機のみだったため、米空母三隻が失われた時点で敵空母部隊は攻撃力を喪失していた)


「インドミタブル」を逃したことは残念と言えば残念ではあったが、これで我が海軍の勝利は確定したのであった。


山口提督は一定数の零戦を「防空専門」にしたため、「比叡」の防空指揮調整所の適切な指示により敵機の迎撃に成功した。


我が海軍が喪失した空母は皆無であった。


「大本営発表!我が帝国海軍は太平洋ミッドウェー諸島近海において、米英艦隊と交戦せり!敵空母三隻撃沈!我が軍の損害は僅か!」


僕はラジオで放送されるだろう大本営発表を想像して、それを声に出していた。


この時の僕の気分は、職業野球で好きなチームが勝った時、大相撲で贔屓の力士が勝った時、オリンピックで日本人選手がメダルを獲得した時のようだったと言えば、分かってもらえるだろうか?


僕は従軍記者として戦場にいるのだから、当然戦闘には参加していない。


「比叡」で取材した水兵さんたちの中には、僕より年下で、まだ子供のようにあどけない顔した人もいた。


僕は、その自分の弟のような年齢の水兵さんのように直接戦闘に貢献できないのだ。


僕は打点を取ることを期待されて打席にバットを握って立つ打者でも、勝ち星を期待される土俵の上の力士でも、国の威信を背負って競技に挑むオリンピック選手でもない。


観客席にいる観客、悪く言えば「野次馬」に過ぎない。


「大東亜戦争の火蓋を切ったハワイ諸島真珠湾奇襲以来空母機動部隊を率いた南雲忠一提督は、旗艦『赤城』艦上にて壮烈な戦死を遂げられました。南雲提督から指揮を引き継いだ山口多聞提督は見事に敵の航空母艦三隻を撃沈し、見事に南雲提督の無念を晴らしました」


僕は、雑誌に掲載することになるであろう僕の記事を口に出しながらメモしていた。


「真珠湾以降第一航空艦隊の『盾』となっている『比叡』以下金剛型防空戦艦四隻は、強力な対空砲火で敵の航空機を粉砕!海軍新型戦闘機隊も敵の航空機の迎撃に成功!敵航空隊は我が海軍の空母を一隻も沈めることができませんでした!これにより、我が海軍のミッドウェー海戦における勝利が確定し……」


ここで僕は、周囲の雰囲気に気づいた。


興奮気味に喋っている僕の方に、周囲の人たちの視線が集まっているのだ。


当たり前のことたが、「比叡」に乗艦している民間人は僕だけだ。


これも当たり前のことたが、「比叡」に乗船しているのは、僕以外は全員海軍軍人さんたちだ。


スポーツの競技場に例えれば、海軍軍人さんたちは競技をしている「選手」で、僕は「観客」だ。


競技場のグラウンドは選手で一杯なのに、広大な観客席に僕が一人ぼっちでいるような寂しさを感じた。


職業野球の試合や大相撲の取り組みに、僕は雑誌記者として記事を書くために見に行ったことがある。


その時、一部の観客が野球選手や力士に好き勝手に野次を飛ばしていた。


その内容は、ここで思い出して文章に書くのも嫌なほど、そばで聞いていて腹立たしい物だった。


練習や稽古で鍛えぬいた肉体や技を得るために、どれだけの努力をしたのか全く考慮していなかった。


「そんなに文句をつけるのなら!自分でやってみろ!」


と、言いたくなった。


殴り合いの喧嘩になったら確実に僕が負けそうな相手だったので、実際に言ったりはしなかったが……。


とにかく、その時僕は無責任な「野次馬」ではなく、雑誌記者として英語で言うところの「ジャーナリスト」であろうと思ったのだった。


それなのに今戦場で取材している自分は、どうなのか?


興奮からさめて我に返ると、今までの僕の言動が恥ずかしくなった。


僕が心掛けていた「ジャーナリスト」としてではなく、まるで「野次馬」のように興奮して騒いでいたからだ。


僕は周りの海軍軍人さんたちが、どんな目で僕を見ているのか知るのが怖くて、メモ帳に目を向けたまま、顔を上げることができなかった。


「記者くん」


第一防空戦隊司令官の声がした。


司令官に声をかけられたのに目を合わせないのは失礼なので、僕は恐る恐る顔を上げた。


司令官は歯をむきだしにして笑っていた。


その笑顔は馬鹿にしたような感じではなく、いつものように僕に対して好意的な感じだった。


「記者くん。君が心で感じた事を正直に口に出すのは悪い事ではない。世の中には本音を隠して、心にも思っていないことを言う人が多すぎるからね」


笑いながら軽い冗談のように司令官は言うと、今度は少し真剣な表情になった。


司令官は僕の左胸を指差した。


「その上で、心の赴くままに感情だけで語るのではなく……」


続けて僕の頭を指差した。


「せっかく人間には、他の動物にはできないほど複雑な事を考えることのできる頭脳を持っているのだ。有効に使わなければ、もったいないと思わないかね?」


司令官の言葉に僕は頭を下げた。


「司令官のお言葉!深く心に刻んでおきます!」


司令官は、また歯をむき出しにした笑顔になった。


「さて、君の取材に協力することにしよう。何でも質問してくれ」


「では……、えーと……、えーと……」


僕は何を質問するか考え込んだ。


せっかく司令官が気を遣ってくれたのだから、適切な質問をしようと思ったのだ。


「あの……、ひょっとしたら……、軍事機密に触れるかもしれない質問なのですけど、よろしいでしょうか?」


「ああ、構わんよ」


「お答えいただけたとしても、検閲で雑誌に載せるのは駄目だと言われるかもしれませんから、記事にはできないかもしれませんよ?」


この当時は、ラジオ・新聞・雑誌といった報道機関は、すべての放送や記事の内容は事前に軍や内務省の検閲を受けていた。


検閲を通らなければ、報道することはできなかった。


「記事にできなかったとしたら、メモとして残しておいてくれ」


「あのー、検閲で不許可になった事をメモとして残しておくと、色々ですね……」


僕は言い淀んだ。


僕の勤めている出版社の編集部の先輩で、大東亜戦争が開戦する少し前に退職することになった先輩がいた。


表向きは「一身上の都合」自主的に退職したということになっているが、会社の方から首になったのだ。


それほど親しい先輩ではなかっので詳しい事情は分からなかったが、色々な噂か社内を飛び交った。


反戦的な内容の記事を書こうとしたという噂もあった。


警察や憲兵が、編集部にある先輩の机の中のメモまでも調べに来たりまでした。


そのメモに書いてあったことに不味いことがあったらしい。


先輩は、警察や憲兵からの取り調べを受けて逮捕されることはなかったものの、会社には居られなくなってしまったのだ。


先輩が今どうなっているかは、僕は知らない。


関わり合いなることで、僕まで巻き込まれるのが怖かったのだ。


誰でも自由に発言することが許されている社会の人が、これを読めば「それでもジャーナリストか!」と非難するかもしれない。


それに対しては、「そういう時代だったのだ」と僕は言うことしかできない。


言い淀んでいる僕に、司令官は冗談のような口調で話し掛けた。


「メモに残すことができないのならば、頭の中に残しておいてくれ。頭の中では何を考えようと自由だ」


司令官は僕に近づくと、他の人に聞こえないような小声で言った。


「いつの日か、今のような状況は終わりを告げて、自由な報道が当たり前の世の中が来るだろう。それは数十年先のことになるかもしれないが、その時が来るまでしっかりと覚えておいてくれ」


僕は声に出して返事はせずにうなづいた。


「では、司令官。あらためて質問なんですけど、えーと、ですね。要するに、ですね……」


僕は質問をうまく言葉にすることができず。言葉に詰まってしまった。


司令官は、僕を急かすような態度にはならずに、鷹揚に構えていた。


「つまりですね。アメリカ海軍の空母を三隻沈めましたけど、これで終わりなんでしょうか?」


「これで終わりとは、どういう意味なのかな?」


「まだアメリカ海軍の戦艦『ユナイテッド・ステーツ』とイギリス海軍の戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』が健在ですけど、そちらの方は、どうするのですか?」


「どうするんだと、記者くんは思っている?」


司令官はニヤニヤと笑いながら質問に質問で返してきた。


僕は相変わらず防空指揮所にいる。


露天のため眺めが良いので、周囲がよく見える。


僕が乗っている「比叡」は、「赤城」に近づいている。


味方の空母四隻は全て沈まずに済んだが、ただ一隻「赤城」のみは自力航行不能なほどの損害を受けてしまった。


それで「比叡」が「赤城」を曳航することになった。


曳航するための作業を見ながら僕は考えた。


「ひょっとして……」


「ひょっとして……、何だね?記者くん」


僕は、ためらいながらも自分の考えた結論を口に出した。


「あの……、これで終わりなのでしょうか?」


「終わりとは?」


「アメリカ海軍の空母を三隻も沈めましたから、この戦果に満足して、これで日本に帰ることになるのでしょうか?」


「さて、記者くん。これから日本に帰ったとしても、記事にできない話をするぞ」


司令官は、ミッドウェー海戦の目的を話始めた。

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