第十二話
雑誌記者である僕は、大東亜戦争のミッドウェー海戦における第一防空戦隊司令官が、戦艦「扶桑」の乗組員だった頃に、航空機で上空から戦艦「扶桑」を眺めることで、それまで司令官が戦艦に持っていた印象が変化したところまでを前回に書いた。
前回は練習戦艦「比叡」の元艦長さんの日記からの抜粋だったが、それからの取材で司令官の「覚え書き」のような物を見つけた。
次からの文章からは、それを抜粋する。
次の文章で「私」とあるのは、司令官のことだ。
私が生まれ育ったこの国は、間もなくアメリカ合衆国との戦争を迎えようとしている。
私は大日本帝国海軍の海軍少将として前線で戦うことになるのだろう。
言うまでもなくアメリカ合衆国は、我が大日本帝国の十倍以上の国力を持つ国だ。
そのような国と戦争をすれば、「必ず悲惨な敗北を我が国はすることになる」と米国との戦争に反対する者もいる。
しかし、そのような悲観論は威勢の良い楽観論に押されて、米国との開戦に向けて我が国は突っ走っている。
そのことについて私がどう思っているのかは、ここでは書かない。
私がこの「覚え書き」を書こうと思い立った理由は、海軍軍人である私が戦場において、どのように戦おうとしているのかを書き残すことで、未来の人々に向けて何らかの参考になればと思ったからだ。
私が司令官を務めるのは、金剛型防空戦艦四隻で編成された第一防空戦隊だ。
第一航空艦隊の六隻の航空母艦を敵の航空攻撃から守るのを任務とする戦隊である。
第一航空艦隊の正規空母六隻、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」から発艦する攻撃隊は、米軍に多大な損害を与えることになるであろうことを、私は確信している。
世界の海戦史上に残る歴史的大戦果をあげるだろう。
そのことは、かつて航空機に深く関わっていた私としては、秘かに誇りとすることである。
しかし、アメリカ合衆国との戦争においては、私が指揮するのは、空母の航空隊でも基地航空隊でもない。
前に書いた通り金剛型四隻から成る戦隊である。
私は、かつて航空部隊の育成に専念していた。
もろもろの事情により、航空機から離れなければならなかったが、我が海軍の航空部隊が世界の海軍の中でもトップクラスに入る強力な「槍」になったと思っている。
私は最初戦艦の乗組員になることを希望して、その願いがかない戦艦「扶桑」に配属された。
しかし、ある時初期の「空を飛ぶだけのオモチャ」と大多数の海軍士官から言われていた航空機に初めて乗り、高い空の上から戦艦「扶桑」を眺めたら、私の内心に変化が起きた。
今まで戦艦に向けていた情熱が、急速に失われて行ったのだった。
そして周囲の反対を押し切って、当時は傍流だった航空機の世界に飛び込んだ。
そして長年の苦労の末、航空機による戦艦の撃沈が可能になるだけの物を開発することに成功した。
私は、それを無邪気に喜んでいた。
しかし、私が航空機から離れて、再び戦艦に乗り込んだ時に恐ろしい可能性に気づいた。
日露戦争以後、我が帝国海軍はアメリカ合衆国海軍を最も将来戦う可能性の高い相手として海軍の軍備を整備してきた。
太平洋を挟んだ隣国であるアメリカ合衆国も、我が海軍と戦う場合に備えて、海軍を整備している。
米海軍においても、私のような航空主兵主義者は多数存在している。
そして間違いなく、向こう側も我々と同じく戦艦の撃沈を狙っているだろう。
そして、私は演習で自分の乗り込んでいる「比叡」に航空機で攻撃させた時に、恐ろしいことに気づいのだ。
我が海軍の艦艇は、敵からの航空攻撃に対する本格的な対策をなにもしていないに等しいことをだ。
敵を攻撃する「槍」としての航空機の開発に夢中になっていて、艦隊の防空のための「盾」についてを忘れていたのだ。
もちろん、航空機の進歩にともない艦艇には高角砲や対空機銃を増設してはいる。
しかし敵の航空攻撃に対して、どう対応するのかについては、体系的にはまったく考えられていないのだ。
それに気づいた時から、私の艦隊防空について強化するための活動が始まった。
最終的には金剛型戦艦四隻を「防空戦艦」とすることで……。
ここから先の文章には、司令官の数年間に渡る苦労の末「金剛型防空戦艦」誕生にこぎつけるまでの出来事が書かれているのだが、あえて僕は割愛することにした。
なぜなら、その結果についてを僕は早く書きたいからだ。
第八話の最後で、米陸軍の爆撃機B17が爆弾を投下したところまでを書いたが、その続きを書くことにしよう。
米陸軍の爆撃機B17が高い空の上から爆弾を投下するのが見えた。
軍事については素人の僕の目から見ても、投下された爆弾は我が軍のどの艦にも当たらないと分かるほど下手くそなものだった。
例えて言うなら机に向かって座って書き物をしていると、書き損じてしまうこともある。
書き損じた原稿用紙を部屋の隅にあるゴミ箱に捨てようとして、立って歩いてゴミ箱まで近づくのも面倒くさくなるのもよくあることだ。
そういう時には、書き損じた原稿用紙をボールのようにクシャクシャに丸めて、野球のピッチャーになったような気分で、座ったままゴミ箱目がけて放り投げる。
狙い通り見事にゴミ箱に入って、ストライクが決まると気分が良いが、はずれて床に落ちてしまうと、結局は立って歩いて拾いに行かなければならない。
そうなると、なんだか気まずい。
多分、あのB17の乗組員も、そんな気まずい思いをしているのだろう。
僕は、そんなことを考えながら落下してくる爆弾が海面に落ちて水柱を上げるのを眺めていた。
その後も、米軍は散発敵に航空攻撃をしてきたが、我が軍の損害は皆無だった。
この時、防空指揮所にいた僕は知らなかったが、「比叡」艦内の奥深くでは、防空戦艦として最も重要な「兵器」が機能していた。
それは「防空指揮調整所」であった。
僕が防空指揮調整所のことを知ったのは戦後のことで、この時は欠片も知らなかった。
防空指揮調整所は存在そのものが軍事機密に指定されており、僕に親しげな態度を見せる司令官もまったく教えてはくれなかったのだ。
防空指揮調整所の詳細については、戦後出版された「比叡の防空指揮調整所の戦い ある下士官の回想」から引用しよう。
ここは防空戦艦「比叡」の艦内にある防空指揮調整所。
艦内で最も奥深い場所にあり、最も安全な場所にある。
もちろん。軍艦における「安全」とは、あくまでも比較の問題で、ここも危険な場所であることは変わりない。
しかし、下士官にすぎない自分が司令官や艦長より比較的安全な場所にいるのは、ここに配属された最初は何だか不自然な感じがした。
しかし、今では納得している。
防空指揮調整所は、「比叡」以外の金剛型防空戦艦三隻にも設けられており、「比叡」の物の機能が失われた場合は他の艦が機能を引き継ぐ、金剛型が最後の一隻になるまで防空指揮調整所は機能し続けるようになっている。
そこに配置されている自分は、機能を維持するための人員としているのだ。
だから、比較的安全な場所にいるのは「役割」のためだと割り切ることができるようになった。
それでは、防空指揮調整所の役割について具体例をあげて説明しよう。
防空指揮調整所には、電波探知機や見張員の探知した敵の航空機の情報が集まってくる。
「比叡」からの情報だけではなく、第一航空艦隊全艦からの情報が集まってくるようになっている。
防空指揮調整所には大きな台があり、その上には味方の艦船、航空機、敵の航空機をあらわす駒が置かれている。
集まってきた情報に従って駒を動かすのだ。
地方人(昔の用語で民間人のこと)ならば双六や将棋を思い浮べて、海軍軍人ならば図上演習を思い浮べるだろう。
下士官や水兵の動かした盤上の駒を見て、「防空指揮調整者」は敵味方の現状を把握して、防空戦について「指示」を出すのだ。
この部屋には窓は無いので、敵を直接肉眼で見ることはない。
引き金を引いて、敵に向かって砲弾を射つこともない。
だが、防空戦において最も重要な役割を果たすための「頭脳」である。
「頭脳」として判断を下すのが、この部署の長である「防空指揮調整者」なのだ。
防空指揮調整者は、元航空機操縦士の佐官である。
彼は、味方の艦艇が防空戦に適切な位置に移動するように指示を出すのだ。
以上に引用したように、防空指揮調整所は、米軍が導入した戦闘指揮所CICの初歩的なシステムだと言えよう。
もちろん。防空指揮調整所の発案者は司令官だ。
それ以前は、個艦単位でバラバラにやっていた防空戦を艦隊として一元化することで、艦隊防空能力は一段と向上したのだ。
空母を護衛する金剛型防空戦艦以外の駆逐艦などの艦艇も可能な限り高角砲や対空機銃を増設している。
「盾」としての司令官の構想が実現して、具体的な形になった物だった。
しかし、司令官の構想は実現できずに、諦めなければならなかった物も多かった。
「防空指揮調整所」という名称と、そこの長が「防空指揮調整者」という役職名になったこともそうだ。
最初、司令官は「防空指揮中枢所」で「防空指揮官」としようとしたのだが、佐官が艦隊の防空戦の指揮官になるのは艦隊司令長官に対する一種の越権行為ではないか?という意見が出た。
それで「防空指揮調整者」は、艦隊司令長官から「命令」により、防空戦を調整するようになることになった。
これだけならば実質的な問題ではなかったが、一番重要な問題があった。
防空指揮調整所は当然防空戦のために空母に搭載されている戦闘機も指揮下に入れようとしたのだが、第一航空艦隊司令部からの猛烈な反対を受けたのだ。
第一航空艦隊司令部は、航空機に関する指揮権は手放そうとしなかった。
結局、防空指揮調整所が戦闘機を防空戦に使うには、「第一航空艦隊司令部の同意が必要」ということになった。
それが、ミッドウェー海戦での我が日本海軍の悲劇につながることになる。
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