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第十一話

雑誌記者である僕が読んだ。「比叡」の元艦長さんの日記の九二式艦上攻撃機が艦橋をかすめた後、艦長室で司令官と二人きりになったところから抜粋しよう。






練習戦艦「比叡」艦長である私は、第一練習戦隊司令官と艦長室に入り、ドアを閉めると、口を開いた。


「司令官!悪ふざけは止めていただきたい!」


司令官は、顔に自分で塗ったケチャップを手ぬぐいで拭いていた。


「確かに、私は悪ふざけし過ぎたようだ。この通り謝る」


司令官はあっさりと私に向かって頭を下げた。


司令官の主張である「航空機の海戦における有効性」について激しく議論することになるであろうと予測して身構えていたので、私は拍子抜けして言葉が出なかった。


「爆弾も魚雷も積んでいない敵の艦上攻撃機が一機だけで戦艦を攻撃に来るなんて、まずありえないからな。次はもう少し実戦に近いものにしよう」


「司令官。それは、どういう意味なので?」


その時、背後のドアが外から開いた。


振り返ると、伝令がいた。


「見張長より報告!複数の航空機が本艦に向けて飛行中!」


私は急いで艦橋に戻った。


艦橋から空を見上げると、九機の航空機が飛んでいた。


九機の航空機は高い高度をぐるぐると旋回していて、低空に下りてくる様子がなかった。


まるで何かを待っているかのようだった。


「おー、来たな。予定通りだ」


司令官は信号拳銃を手にして、艦橋の窓から身を乗り出した。


信号拳銃からは発煙弾が発射された。


それが合図だったのだろう。


上空の航空機が旋回を止めて、降下してきた。


「対空戦闘!用意!」


私は命令を下した。


その後は散々だった。


航空機の投下した訓練用の模擬爆弾や模擬魚雷は、ほとんどが「命中」と判定される結果になった。


私は今まで航空攻撃に対する訓練は一応してきたが、それは実際には何も無い空中に敵航空機がいると仮定して、高角砲や対空機銃を向けさせたり、航空攻撃を受けていると仮定して、艦に回避運動をさせていた。


「畳の上の水練」と変わりがなかったわけだ。


自分が特に根拠もなく「航空機による攻撃で戦艦の撃沈は不可能」と主張していたのに気づいた。


もちろん。航空機に搭載できる航空爆弾や航空魚雷の威力では、戦艦による砲撃や駆逐艦による雷撃の威力よりは低いので、「戦艦を撃沈」するのは不可能だろう。


しかし、「損傷を与える」ことは可能だ。


航空魚雷を被雷して戦艦が沈むほどではなかったとしても、浸水により艦が傾斜すれば目標に照準できなくなるし、弾薬庫から砲塔まで砲弾を揚げる揚弾機が動かなくなる。


航空爆弾を被弾すれば、戦艦と言えども全てを装甲で覆っているわけではないから、どこかしらは壊れるし、艦橋がやられれば艦長以下艦の首脳部が戦死することあるし、艦に司令官が座乗していれば司令部全滅もありえる。


そのような状況で敵の戦艦部隊と砲撃戦をすることになれば、敗北は間違いないだろう。


そのような状況を避けるためには、敵攻撃機を撃墜するために味方の戦闘機が常に艦隊上空の制空権を取れるようにしなければならない。


いや、それより敵攻撃機が発艦する前に敵の航空母艦を味方の航空機による攻撃で撃破すべきだ。


それが成功すれば、陸地から遠く離れた洋上にて敵は航空機の運用が不可能になり、制空権は我が方が握ることになるから、敵の航空機は脅威ではなくなる。


そうなれば、敵の空母部隊を撃破した後で航空戦力に余裕があれば、敵の戦艦部隊を航空機で攻撃する。


敵の戦艦部隊に航空攻撃で損傷を与えて、味方の戦艦部隊が無傷のままで砲撃戦に持ち込むことができれば、勝利は間違いない。


いや、そうなれば敵艦隊の司令部は砲撃戦は不利だと分かるから、「撤退」を選択するのでは?


そうすると、戦艦同士の砲撃戦の前に航空戦で海戦の決着はついてしまうことになる。


……と、ここまで考えたところで、私は顔をしかめた。


この考えは、「航空主兵主義者」が常日頃主張しているものと変わらないからだ。


自他共に認める「大艦巨砲主義者」である私が、「航空兵主義者」と同じ結論に達したのが不愉快だった。


しかし、不愉快だからと言って現実から目を背けるような愚か者にはなりたくなかった。


おそらく司令官は、自身の目論みが当たったので得意気になっているだろう。


「空襲」を受けている間は、あえて見ていなかった背後にいる司令官の顔を見ることにした。


振り返って司令官の顔を見て、私は驚いた。


得意顔をしているだろうと、私は思っていたのだが、その反対で何か重要な失敗をしたかのように顔は青ざめていた。


「艦長……」


司令官が私に向けた声は弱々しかった。


「はい、司令官。何でしょうか?」


「艦長……、私はとてつもない愚か者だ」


司令官の意外な発言に、私は戸惑った。


「私は、これでも海軍の中では航空機について詳しい人間のつもりだ」


「はい、存じております」


「だが!こんな簡単なことに、今の今まで気づかないとは!」


司令官は制帽を頭から脱いで、頭をかきむしった。


「私が元々は砲術だったのに、航空に移った理由は話したことがあったかね?」


「いいえ、ございません」


「そうだったな、良い機会だから、話すことにしよう」


司令官は艦橋の中を見回した。


「私の子供の頃の夢は、このような戦艦の艦長になり、そして戦艦部隊を率いる提督になることだった」


私は少し意外に思った。


航空主兵主義者は「戦艦は、いずれ無用の長物になる」と主張している者が多いので、司令官もその一人だと思っていたからだ。


「私が海軍で最初に配属された戦艦は『扶桑』だった。今では馬鹿にする者も多いが、あれは良い艦だった」


司令官は過去を懐かしむ顔になった。


ワシントン海軍軍縮条約の影響で廃艦となった扶桑型戦艦二隻と伊勢型戦艦二隻は、今では大艦巨砲主義者の間でも低い評価を下す者が多い。


特に扶桑型戦艦は、十四インチ砲連装砲搭六基を備える竣工当時は世界最強の攻撃力であったが、さまざまな問題を抱えていた。


防御面では、主砲搭六基を艦全体にわたって搭載していたため重要区画が広く、その分装甲が薄くなってしまった。


攻撃面では、十二門の主砲から一斉に射撃すると爆風が艦全体を包む問題があった。


速力も低速なため、艦隊を組むと他の艦の足を引っ張る可能性があった。


そのため、廃艦にならなければ、装甲の強化、機関の改良の大改装が行われただろうと言われている。


「そんな無駄な予算を使うぐらいなら、新型戦艦を建造した方が良い。軍縮条約で扶桑型と伊勢型が廃艦になったのは、むしろ厄介払いができた」と言う者までいる。


だが、私は「扶桑」好きだ。


「扶桑」が廃艦になる少し前に、配属されていて強く印象に残っていた。


私も「扶桑」に配属されていたことを司令官に話すと、「扶桑」の思い出話で盛り上がった。


私と司令官が、仕事に直接関わること以外で会話をするのは、これが初めてだった。


今は、写真でしか見ることのできない失われた「扶桑」の思い出話をひとしきりした後で、私は気づいた。


「そう言えば、司令官が砲術から航空に移られた理由を、まだ聞いていませんでしたね」


「ああ、それは……」


司令官は話始めた。


以下の文で「私」というのは司令官のことだ。






私は子供の頃から、高い所からの眺めが好きだった。


小高い丘や、少し高い建物から見える街並みが、箱庭のように見えるのが面白かった。


そうすると、英国の小説「カリヴァー旅行記」の主人公のように、自分が巨人になったように思えてたのだ。


大人になって、海軍軍人になってからも、それは同じで、「扶桑」のなるべく高い所に登り、周囲を眺めるのが好きだった。


他の海軍艦艇や民間の商船が小人のように見えて、自分が小人の国に迷い込んだガリヴァーになったようで気分が良かった。


ある時、「扶桑」その物をなるべく高い所から眺めたくなった。


それで海軍航空隊の海軍兵学校で同期だった人間に話をつけて、航空機の複座の機体の後部座席に乗せてもらうことにした。


「お前も、航空機の素晴らしさに気づいたのか!歓迎するぜ!」


同期の者は大変喜んで、私の頼みを聞いてくれた。


この頃の私は飛行機の操縦をしようとは、まったく考えておらず。当然、操縦はできなかった。


ただ単に「運転手」として、同期の者を使おうとしているだけなのだが、もちろん、口には出さなかった。


同期の者は少数派である航空に、私が興味を示したので単純に喜んでいた。


私は飛行服を着て、飛行帽をかぶり、飛行眼鏡をつけて航空機の後部座席に乗り込んだ。


発動機が始動して、プロペラが回りはじめ、滑走路を機体は走りだした。


機体が空高く上がると、同期の者は私に話し掛けてきた。


「どうだ?空を飛ぶのは、気持ち良いだろ?」


座席は覆いの無い開放式の物だったので、周りの景色が良く見えた。


風は遠慮なく座席に入ってくるが、それがむしろ心地好かった。


「ああ!最高に気持ち良い!」


私は本心から、そう答えを返した。


高い所から眺める景色が大好きなのに、航空隊に入ることをまったく考えなかった自分が不思議に思えたぐらいだった。


しばらく飛んで洋上に出た。


洋上には多数の海軍艦艇や民間の商船が見えた。


それらがすべて子供の小さな玩具のように見えた。


「ほら、見えてきたぞ。あれが、今お前さんが配属されている戦艦『扶桑』だ」


「えっ!?どこだ?」


私は一瞬どの船のことを指しているのか分からなかった。


「ほら、あれだよ」


操縦席から突き出された腕の指す方向を私は見た。


確かに、そこにあるのは「扶桑」だった。


空中から見る「扶桑」はあまりにも小さくて、私の印象と異なったので初めは分からなかったのだ。


私は巨人の国に迷い込んだガリヴァーの気持ちになった。


「ガリヴァー旅行記」で主人公ガリヴァーは、小人の国から帰った後の次の航海で巨人の国に迷い込むのだ。


小人の国では巨人として大きな力をふるったガリヴァーは、巨人の国では一転して無力な小人になってしまうのだ。


私の中の戦艦と航空機に対する意識が変わり始めるのを感じた。

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