第十話
予備艦状態であった金剛型巡洋戦艦四隻は、海軍軍縮条約に従い主砲塔と機関の一部を取り外していた。
具体的には、十四インチ砲連装砲塔四基で合計十四インチ砲八門のところを、第三砲塔と第四砲塔を取り外して、十四インチ砲を四門にした。
機関は一部の取り外しや変更で、二十五ノットあった速力を十八ノットまで落とすことになった
これでは当然実戦には耐えられないので、金剛型四隻は巡洋戦艦から「練習戦艦」に艦種変更となった。
一般的な練習船は、海での船の運用技術を乗組員が身につけるための物であり、航海術や機関の取り扱いを習得する。
練習戦艦の場合は、主砲を初めとする軍艦の兵装の運用に習熟するための物である。
金剛型巡洋戦艦四隻は全て練習戦艦となったが、実際に練習戦艦として使われていたのは、「比叡」一隻のみであった。
他の三隻、「金剛」「榛名」「霧島」は書類上は練習戦艦となっていたが、練習艦として使われていたことは一度もなく、軍艦として維持するための最低限の人員が配置されているだけであった。
そのため天皇陛下の御召艦も務めた「比叡」に配属されるのは、海軍将兵にとって名誉なこととされていたが、「比叡」以外の金剛型練習戦艦に配属されるのは、「左遷」だととらえる風潮もあった。
もちろん、海軍当局が金剛型練習戦艦を特に冷遇していたということではなく、軍縮による海軍予算の大幅削減によるものであった。
海軍軍縮条約の期限が切れれば、金剛型四隻は練習戦艦から「練習」の文字をはずした「戦艦」に改装する予定であった。
大東亜戦争初期において第一防空戦隊司令官として活躍することになる司令官が、金剛型四隻から成る第一練習戦隊司令官に着任したのは、ちょうど条約の期限切れを迎えようとする頃だった。
海軍としては、金剛型を改装により主砲を八門に戻し、機関を出力の高い物と交換して、速力三十ノットの「高速戦艦」として実戦部隊に復帰させる計画であった。
司令官が練習戦隊の司令官に任命されたのは、元々の専攻が砲術だったため、その能力を生かしてもらうためであった。
本人にとっては不本意なことに、航空の世界から離れなければ司令官であったが、練習戦隊司令官に着任すると、腐ることもなく精力的に仕事を始めた。
まず、練習戦隊で唯一実働状態にあった「比叡」に乗り込み、そこに戦隊司令部を置いた。
司令官は長年航空機に関わってきたため艦船勤務は久しぶりであり、海上での勘を取り戻そうとしていた。
「比叡」は未だに練習戦艦であり、艦上では様々な訓練が行われていた。
その訓練を見ていた司令官は、一つの問題点に気づいた。
訓練時間のほとんどは、主砲による敵艦への砲撃訓練に割かれているのであった。
「比叡」には、敵の航空機を攻撃するための対空砲である高角砲や対空機銃も装備されているが、それを使用しての訓練時間は僅かであった。
航空機に関わってきた者として航空機の威力を知る司令官は、それを問題視して対空訓練の時間を増やそうとした。
しかし、部下たちの反対にあった。
多くの海軍将兵は、戦艦の主砲による敵艦への砲撃をなによりも重視していた。
「主砲による砲撃こそが海軍の華であります。他のことは些事にすぎません」
と言い切る者までいた。
司令官としての権限で強制的に対空訓練の時間を増やすことはできたが、訓練をする当人たちが納得しなければ成果が上がらないので、司令官は粘り強く部下たちを説得することにした。
部下たちと話しているうちに、司令官は自分との意識の違いが分かった。
部下たちの主張を要約すればこうであった。
「航空機による攻撃で戦艦を撃沈することは不可能である。だから対空訓練ごときに訓練時間は割けない」
司令官自身は
「航空機による攻撃で戦艦の撃沈は可能である」
と考える航空主兵主義者であったが、欧州での二度目の大戦が始まる以前のことであり、世界中のどの国の海軍も実戦で「航空機による戦艦の撃沈」を成し遂げてはおらず。特に大艦巨砲主義者からは「机上の空論」と言われるのが常であった。
航空主兵主義者と大艦巨砲主義者の間でのこの議論は、海軍省や海軍軍令部、それに連合艦隊司令部の会議室から場末の居酒屋まで、お互いの主張が平行線のまま激しくおこなわれており、時には殴り合いの喧嘩になるほどであった。
であるから、司令官は「航空機での戦艦の撃沈は、可能か?不可能か?」の議論を部下たちとする気は無かった。
そんなことをしても不毛であるし、下手をすると本来味方であるはずの「比叡」の乗組員と精神的に敵対してしまうかもしれないからである。
司令官は議論ではなく、行動することにした。
「あの時の出来事は、今でも何と言ったら良いのか、分かりません」
当時の練習戦艦「比叡」の乗組員だった人に、戦後インタビューしたところ、苦笑しながら語ってくれた。
そのインタビューの僕の記録を次から載せることにしよう
「私は『比叡』の艦橋に配置されている『艦橋付き士官』でした。ある日の敵戦艦に対する砲撃を想定した訓練中のことでした」
この訓練では主砲塔を旋回させたり、砲身を上下させたりはするが、実際に砲弾を発射することは無かった。
砲の砲身は、一発砲弾を発射するごとに段々と磨耗していくので、砲身命数と呼ばれる寿命があり、寿命が尽きれば新しい砲身と交換されることになる。
砲身の交換には当然予算と手間が掛かるため、実弾射撃訓練は滅多に行われなかった。
「私は艦橋から見える第一砲塔と第二砲塔の動きに注目していました。私は戦艦の艦長になりたくて、難関である海軍兵学校を受験したのです」
「比叡」の艦橋付き士官となってからは、秘かに内心で自分が艦長であるかのように妄想することもあった。
(敵戦艦に向けて、射ち方、始め!)
そう妄想している最中、見張員からの慌てた声での「……の方向から!航空機接近!」の報告に、私は顔を上げた。
艦橋の窓から見張員が報告した方向を見ると、海面すれすれを一機の航空機が飛んでいた。
明らかに「比叡」に向かって飛んで来ている。
「対空戦闘!用意!ただし、敵味方の確認ができるまで射ち方待て!」
私は思わず大声を出していた。
大声を出してすぐに「しまった!」と思った。
自分が「比叡」の艦長になっているという妄想に浸っていたので、自分が艦長であるかのように命令をしてしまった。
艦橋にいる他の人たちが、「この男は何を言っているのだ?」という目で私を見た。
特に艦長は怒った目で、私をにらみつけた。
士官としては下っ端にすぎない私は、気まずくて恥ずかしかった。
「艦長、命令はどうした?」
司令官の声がした。
艦長は私から視線をはずすと、司令官の方に向けた。
私も司令官の方に顔を向けると、司令官は悪戯を企んでいる子供のような顔になっていた。
その顔で、私はすべてを察した。
あの航空機は、司令官の差し金なのだと。
「対空戦闘用意……」
同じく察したらしい艦長が命令を口から出したのと同時に、艦橋のすぐ外を航空機の発動機が奏でる爆音が通り過ぎて行った。
航空機を見るとほとんど艦橋にぶつかりかねないほど、ギリギリを飛んでいてた。
航空機は、私は航空機の識別はこの頃は苦手だったので後から分かったのだが、九二式艦上攻撃機だった。
三人の搭乗員たちは、艦橋にいる私たちに顔を向けていた。
飛行帽と飛行眼鏡をしているので、表情はよく分からなかったが、明らかに悪戯が成功した子供のように口は笑っていた。
九二艦攻の後部座席の搭乗員は、旋回機銃を私たちの方に向けていた。
もちろん。実際に機銃から弾丸が発射されはしなかったが、銃を向けられるのは気分の良いものではなかった。
「うわー、やられてしまったあー」
宴会で素人がやる寸劇のセリフのように棒読みの声がした。
司令官の声だった。
そして司令官は、わざとらしく背中から床に倒れた。
倒れたというより、床に寝転んだような感じだった。
床に仰向けになった司令官は、懐からケチャップの容器を取り出した。
中身を出すと、ケチャップを司令官は自分の顔に塗りたくった。
「おい!みんな!司令官が戦死したぞ!」
司令官はおどけていた。
艦橋にいた人たちは、みんな笑った。
付き合いでの笑いでも相手を馬鹿にしたような笑いでもなく、みんな心から楽しく笑っていた。
この時、「比叡」をかすめるように飛行した一機の九二式艦攻は、やはり司令官が呼び寄せたものだった。
司令官は「陸海軍航空会議」に所属していた頃につちかった人脈を使ったのだ。
「司令官、お話があります」
みんなが笑っている中で、艦長だけは真剣な表情だった。
司令官は艦長にうなづくと、二人で艦長室に入って行った。
「艦長室では、司令官と艦長の二人きりでしたので、お二人の間に何があったのか、具体的なことは私も知りません」
ここで艦橋付き士官さんのこの出来事の証言は終わっている。
続いて僕は、当時の「比叡」の艦長に会ってインタビューしようとした。
しかし残念ながら、艦長さんは戦死されており、直接話を聞くことはできなかった。
ご遺族を訪ねたところ、艦長さんは個人的な日記を残されており、ご遺族の了解を得て、当日分を次から転載する。
某月某日 晴れ
今日は朝から良い天気だった。
空は雲一つ無いほどの快晴であり、海上にはほとんど風は無く、波は穏やかであった。
日露戦争の日本海海戦におけるあまりにも有名な電文「本日天気晴朗なれど、波高し」の真似をするとすれば、「本日天気晴朗にして、波穏やか」と言ったところだろう。
今日は、主砲の砲撃訓練の予定が組まれていた。
快晴で波が穏やかならば、事故が起きる危険は少なく、順調に訓練を進めることができるだろう。
この時の私は、そう思っていた。
練習戦艦「比叡」の艦長として、大艦巨砲主義者として、敵艦との砲激戦を想定した訓練は、なによりも重要視していた。
その価値観が、ひっくり返ったのが、この日起きた出来事だった。
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