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砂の都が眠る夜に  作者: たかのふ


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4/5

 王城の中は、奥に進むほど障害物が増えていった。

 落ちた階段。 崩れた壁の所々に残る回廊。 瓦礫の山に差し込む、あかあかと燃える夕日。

 そろそろ引き返しませんかと宥める周りを振り切るように、リュシアンは先へ先へと歩みを進める。 理性は侍従の声を肯定しながらも、焦燥が体を支配していた。


 幾つもの建物を抜けた頃には、陽がとっぷりと暮れていた。 息を切らした若者の前に、護衛の一人が小さなランプを差し出す。

 一同が立っているのは、中庭らしい空き地だった。 元は女たちの住む宮だったのだろう。 四方を囲む壁にわずかに残る華やかなレリーフや優美な曲線を描く窓枠、崩れた噴水と花壇のレンガが、乏しい明かりを受けて影を刻む。

 明かりを受け取ったリュシアンが、辺りをざっと見回した。 護衛の被る煤けたヘルメット。 後ろに佇む禿頭の巨漢。 そして――そして?


「……爺、爺やは?」


 主人に問われ、慌てて護衛たちが辺りを伺うが、見慣れた痩躯の姿はどこにもない。 最後尾を付いてきたはずのグロスも、今初めて彼の不在に気づいたように辺りを見回した。


「お前たち、爺を探し出せっ」


 護衛たちは一瞬躊躇したが、主人の剣幕に慌てて元の道を引き返していった。 残ったグロスがリュシアンに近寄り腰を折る。


「何をしているっ。 貴様も爺を探さんかっ」

「へい。 それで、ちょっと教えていただきたいのですが……」

「何をだ?」

「名を呼びかけながら探したいので、あのじいさ……お付きの方のお名前を」

「……っ」


 口を開きかけた若者の顔が、次の瞬間驚愕に強張る。


(名前……爺やの名前は、……何と言った? 判らない、覚えていないっ)


 幼い頃から自分に付き従っていた、腹心の筈なのに。

 最後に交わした会話を思い返す。

 坊ちゃまはよせと放った声に、彼が浮かべた表情は?

 背を向けて進んでも、遅れず後を付いてきた――どこまでも付いてくる筈の、あの彼は?

 よろりと力の抜けた体を、グロスが慌てて支える。 噴水の石組みに腰を下ろし頭を抱える若者の背を見下ろすグロスの目に、ふと小さく動くものが映った。


「……じいさん、か?」


 剣の柄を握る手に汗が滲む。 じりじりと近づく男の前で、影がゆるりと身を起こした。 闇の中で、自ら発光するように白い顔と、肩に沿って流れる豪奢な金髪。

 目の覚めるような美女が、不安げな顔をこちらに向けた。


(こいつ……妖魔か?)


 抜刀したグロスの前で、女がだるそうに辺りを見回す。 身をよじる動きに従い、夜着のような薄物を通して見事に盛り上がった胸が重たげに揺れた。

 飾り窓から漏れる光を受けて、噴水の飛沫がきらきらと輝く。

 遠く聞こえる緩やかな弦楽。 甘い花の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。

 女の目線は夢見るように定まらない。

 ごくりとつばを飲むグロスの背後で、どさりと尻もちをつく音が聞こえた。


「ひ……っ」

「ルシさまっ!」


 何が何やらわからないまま、グロスは一歩後ずさった。 首筋の産毛が一斉に逆立つ。

 女は何かを振り切るようにぐらぐらと頭を揺らしていたが、次第に瞳に光が宿りあごがしゃんと持ち上がった――そして、


「嫌あぁぁっ! 痛いぃぃっ!」


 金属に爪を立てるような悲鳴が、女の朱唇からほとばしった。 思わず緩んだグロスの手から剣が落ちる。 それを拾おうと膝を折ったグロスだが、そのまま腰を抜かしてへたり込んだ。

 見開いた目の前で、若者だった主人の体がみるみる萎びていく。


「な……何が」

「あ……あぁ……」


 グロスが、主人の顔と己の手を交互に見る。

 リュシアンも己の手に目を落とし、わなわなと震えた。

 痩せ細った腕が持ち上がり、褪せた白髪を掻きむしる。

 女も自分の己の体を抱いて、悶え苦しんでいた。 二人の様子が目に入らないかのように、いやいやと首を振る。


「嫌……嫌よ、また繰り返すの? もう死なせて……っ起こさないでっ」


 呆けたように呟く女の姿も、みるみる老婆に変わっていった。 黄ばんだ白髪が手に沿ってはらはらと抜け、薄物から覗く肌も痩せ枯れていく――


 ザクザクと芝生を踏みしめる音に、リュシアンがのろのろと顔を向けた。

 背の高い壮年の男が――長く自分に仕えてきた忠実な男が、変わらぬ緩い笑顔を浮かべ、倒れた彼を見下ろしている。


「あ……じい、や」

「おや、まだ息がありましたか。 さすが私のお育てした坊っちゃんはお強い」


 そう呟き、男はうっそりと笑う。

 窓から漏れる光の帯が、浅く皺を刻んだ頬に影を作った。 半白髪の頭を持ち上げ、光溢れる宮殿に目を向けて。


「坊ちゃまの読まれていた書物には記されておりませんでしたが、ずっと昔からこの土地は、大いなる力を持った精霊様に支配されておりました」


 聞き手の相槌を待たず、男は淡々と続ける。


「いつの間にやらはびこった人間に土地を荒らされ、怒り狂った精霊さまの力によって一度この地は滅ぼされました。

 しかしそれは諸刃の剣。 振るった力によって、精霊さまの身も少なからず痛めつけられました。

 精霊さまが癒やしの眠りについた後、残った人間たちは精霊さまが再び力をつけぬよう無数の欠片に分け、それぞれの身の内に抱えて慰撫することにしたのです」


 それが、古から伝わる精霊信仰の始まりですな――呟く男の目の前で、窓の明かりが一つまた一つと消えていく。


「数千年もの間に、精霊さまは人間にとって無害な存在に代わり、少しずつ大地に溶けて行きました。

 しかし、人間というものはどうにも愚かなものですな」


 最後の明かりが消えても、男の体は薄っすらと身の内から発光していた。


「五百年前、時の皇帝が精霊様の眠る森に目をつけた。 皇帝はあろうことか自らを神と称し、精霊信仰を邪教と決めつけたのです」


 聖地の森は荒らされ、無理な改宗で信徒の体から精霊の欠片が剥がされた。

 痛みと怨みに染まった欠片は、精霊の本体に寄り集まり――


「かくして、帝国は一夜にして滅びました。

 しかし、怨みに染まった精霊様の御心は、帝国程度の命では贖いきれませんでした。

 三度の眠りについた精霊様の褥は、今度は足を踏み入れた者の生命力を吸い取る餌場となったのです」


 これが、荒野の真の姿。

 男は、ゆっくりと主の前に膝を付いた。

 もう、動かなくなった骸に。


「私はね、精霊さまも大切ですが、人間の営みもそれなりに愛しているのですよ」


 崩れた宮と噴水に目を細め、


「精霊さまの糧は、信者の祈りと生きとし生けるものの命。

 この荒野がある限り、もう精霊さまを心から慰めようとする者は出ないでしょう……だから、我々はそれを利用することにしたのです」


 表には決して出てこないが、謎めいた荒地の奥深く足を踏み入れる者は絶えない。

 周辺の国々が、領地が、命知らずの冒険者たちが、まだ見ぬ謎を追い求めて密やかに荒地を彷徨う。

 精霊信仰の信者は、今も市井に紛れて人々の欲をくすぐり、荒地に人を誘い込むのだ――


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