英雄の凱旋(続き)
ライオネルは扉を開け、そこに立つイザベラの姿に安堵の息を漏らした。三年の月日は、彼女を少女から、凜とした美しさを備えた女性へと変えていた。
「ライオネル…」
イザベラは彼の無事を確かめるように、一歩近づき、その手に触れた。彼女の手は温かく、ライオネルの冷えきった心に、ようやく血が通うような感覚をもたらした。
「会いたかった、イザベラ」
ライオネルがそう言うと、イザベラは悲しげに微笑んだ。
「私もよ。でも…あなたの顔、疲れているわ。英雄の凱旋とは、こんなにも重いものなのね」
彼女の言葉に、ライオネルは返す言葉がなかった。イザベラは、ライオネルの心の奥底に渦巻く苦悩を、言葉にしなくても理解しているようだった。
「お父様は、もうすぐお帰りになるわ。そして…あなたと、ある話をするつもりよ」
イザベラの言う「お父様」とは、セレスティス王国の有力貴族であり、彼女の父であるロシュフォール伯爵のことだ。彼は、ライオネルを騎士団長に抜擢した人物であり、ライオネルにとって恩人でもあった。
しかし、その言葉の響きは、ライオネルの心をざわつかせた。
「どのような話だ?」
「それは、お父様の口から聞いてほしいわ。ただ…あなたを助けるための話だと信じている。この国の…そしてあなたの未来のためにも」
イザベラはそう言うと、ライオネルの手を握りしめた。彼女の瞳には、かつての幼馴染への純粋な想いと、貴族社会のしがらみに囚われた苦悩が入り混じっていた。
「分かった。君の父上を待とう」
ライオネルがそう答えると、イザベラは安堵の表情を見せた。しかし、彼女の口から出た次の言葉は、ライオネルの心を再び凍りつかせた。
「…ヴァルガスにはもう会った?」
ヴァルガス・デ・ラ・クルス。ライオネルのかつての戦友であり、唯一、心を許せる親友だった。戦争の英雄であるライオネルとは対照的に、彼は戦場で受けた傷が癒えず、今も療養生活を送っている。
「いや、まだだ。彼に会うのは、少し気が引けてな。俺だけが無傷で帰ってきたようなものだから」
ライオネルはそうごまかしたが、本当はヴァルガスと会うのが怖かった。ヴァルガスは、戦場で多くのものを失った。彼の片足は、もう二度と元には戻らない。そして、何よりも、彼の心は深い闇に沈んでいるようだった。
「…彼は、変わってしまったわ」
イザベラは静かに言った。
「以前、お見舞いに行ったの。彼の目を見て、分かったわ。彼は、この国のために戦ったのではなく、ただ、貴族たちが安全な場所で笑っていることに怒りを感じていたのよ」
ライオネルは、イザベラの言葉に息をのんだ。ヴァルガスは、確かにそうだった。戦争の英雄として祭り上げられ、功績を讃えられる自分を、彼はどう思っているのだろうか。
「それに…」
イザベラは、さらに声を潜めた。
「彼は、ロシュフォール家だけではなく、他の貴族たちとも頻繁に会っているらしいわ。…何か、不穏な動きがある」
その言葉は、ライオネルの胸に突き刺さった。
英雄として祭り上げられ、王太子からは不気味な歓迎を受け、そして親友は闇の中で何かに手を伸ばしている。
ライオネルは、自分がこの国の貴族たちの、醜い権力争いの渦中にいることを改めて自覚した。彼が信じていた「平和」は、誰かの策略の上に成り立っている、脆い砂上の楼閣に過ぎないのかもしれない。
その時、従卒が扉を叩いた。
「ライオネル様、ロシュフォール伯爵様がお見えになりました」
運命の歯車が、静かに、しかし確実に動き出したのだった。