灰色の獅子の孤独
ロシュフォール伯爵の死後、王都の混乱は頂点に達した。伯爵は、自ら命を絶つ直前に、密かに記した書簡を王都の新聞社に送っていた。そこには、王太子レオンハルトの不正や、戦争を強行した貴族たちの陰謀が、詳細に記されていた。
王都は、一触即発の事態に陥った。
民衆は暴動を起こし、貴族の屋敷を襲撃した。王太子は、自らの権力を守るため、軍を動員し、市民を武力で鎮圧しようとした。かつてライオネルが恐れた、血の流れる内乱が、現実のものとなった。
ライオネルは、その光景を、王都を一望できる丘の上から見下ろしていた。彼の傍らには、ヴァルガスが使っていた杖が、静かに立てかけられている。
「ヴァルガス…これが、お前の望んだ復讐か…」
ライオネルは、虚空に向かって呟いた。
彼は、復讐を成し遂げた。王太子を窮地に追いやり、不正を暴き、貴族たちを破滅させた。だが、その代償として、多くの血が流れた。彼の信じた「平和」も「正義」も、もはやどこにも見当たらない。
その時、一人の女が、ライオネルの元へとやってきた。イザベラだった。彼女の顔には、憔悴の色が濃く、その瞳には、深い悲しみが宿っていた。
「ライオネル…なぜ、こんなことを…」
彼女の声は、震えていた。
「この混乱は…あなたが望んだことなの?」
ライオネルは、イザベラの問いに、何も答えることができなかった。彼女の父親を死に追いやったのは、彼自身だ。その罪は、永遠に彼を苦しめ続けるだろう。
「この世界には、正義なんてない。ただ、誰かが誰かを傷つけ、そして憎しみが生まれる。…俺は、その連鎖を断ち切るために、この道を選んだはずだった…」
ライオネルは、絞り出すように言った。
「あなたを信じていたわ…あなたは、この世界を変えられると信じていた。でも…あなたは、お父様を死に追いやった。あなたは、ヴァルガスと同じ、憎しみに囚われた獣になってしまったのよ」
イザベラの言葉は、ライオネルの心を切り裂いた。彼女の言う通りだ。彼は、復讐の果てに、憎むべき相手と同じ、醜い存在になってしまった。
ライオネルは、イザベラの瞳をまっすぐに見つめた。そこには、愛と、絶望と、そして、深い悲しみが入り混じっていた。彼は、彼女を抱きしめることも、許しを請うこともできない。
彼は、彼女の元を、静かに去るしかなかった。
内乱は、数ヶ月にわたって続いた。
その間、ライオネルは、王都の影で暗躍し続けた。彼は、王太子レオンハルトの権力基盤を完全に破壊し、彼の腹心たちを次々と失脚させた。やがて、追い詰められた王太子は、自らの保身のために、国外への逃亡を試みた。
その夜、ライオネルは、王都を抜け出そうとする王太子を待ち伏せていた。
「ライオネル…なぜだ…なぜ、私を裏切った…」
レオンハルトは、血まみれの顔で、ライオネルを睨みつけた。
「俺は…裏切られた。お前が、ヴァルガスを殺したあの夜から…」
ライオネルは、静かに剣を抜いた。
「貴様は、この国を血で染めた。すべての罪を、償ってもらう」
ライオネルとレオンハルトは、最後の戦いを繰り広げた。その戦いは、かつての騎士道精神とはかけ離れた、ただの憎しみと復讐のぶつかり合いだった。
そして、ライオネルの剣が、レオンハルトの心臓を貫いた。
「…俺は…この国の…王に…なれたはず…だった…」
レオンハルトは、そう言い残すと、その場に崩れ落ちた。彼の瞳は、虚ろなまま、星空を見つめていた。
ライオネルは、王太子の遺体を、ただ見下ろしていた。復讐は、終わった。彼は、憎むべき敵をすべて打ち倒した。しかし、彼の心は、満たされるどころか、深い空虚感に襲われていた。
彼は、ヴァルガスの復讐を果たした。ロシュフォール伯爵の罪を、王太子に償わせた。だが、彼の手には、何が残されたのだろうか。
血と裏切り、そして、孤独だけが、彼の傍らにあった。
ライオネルは、剣を鞘に納め、王都を後にした。彼の背中は、まるで、この世界から、すべてを失ったかのように、静かで、そして、どこまでも孤独だった。
彼は、英雄でも、悪魔でもない。ただの、一人の男として、終わらない旅路を歩み続ける。
灰色の獅子は、二度と、故郷の地を踏むことはなかった。