英雄の凱旋
夕陽が、古都ゼニスラードの石畳を血のように染め上げていた。
ライオネル・ブレイクウッドは、その光景を城壁の上から見下ろしていた。彼の背後には、同じく戦場から帰還した百人にも満たない兵士たちが、疲弊しきった顔で黙りこくっている。彼らは皆、かつての戦友を何人も失い、ただ静かに故郷の空を眺めているだけだった。
「ライオネル様、本当にこれでよかったのでしょうか」
そう呟いたのは、まだ年若い部下のカインだった。彼は、つい先日まで「英雄」と讃えられた自分の主君が、この停戦協定を心から喜んでいないことに気づいていた。
「これ以上、血を流さずに済むのだ。これ以上、悲しむ人間を増やさずに済むのだ。これ以上、何が望める?」
ライオネルはそう答えたが、その声には確信がなかった。
三年に及ぶ対アズライト王国との戦争は、セレスティス王国の勝利で幕を閉じた。少なくとも、表向きはそうだった。しかし、勝利の代償はあまりにも大きかった。国土は荒廃し、財政は破綻寸前。民衆は疲弊し、多くの貴族たちは私腹を肥やすことしか考えていなかった。
ライオネルは、そんな貴族たちを軽蔑していた。
彼は、貴族の血を引かない、ただの実力で成り上がった騎士だ。戦場では、敵味方関係なく、多くの人間の命を救った。その功績が認められ、若くして騎士団長の地位を与えられたが、その栄誉は、彼にとってただの重荷でしかなかった。
「お戻りになられましたか、英雄殿」
城門から、一人の男が優雅な足取りで近づいてきた。セレスティス王国の王太子、レオンハルト・フォン・ハーディンだった。その顔には、戦争の疲れなど微塵も感じられない。
「王太子殿下」
ライオネルは恭しく頭を下げた。部下たちも一斉にひざまずく。
「ご苦労であった。貴殿のおかげで、我がセレスティス王国は勝利を収めることができた。民衆は貴殿の凱旋を心待ちにしているぞ」
レオンハルトはそう言いながら、ライオネルの肩をポンと叩いた。しかし、その瞳は、ライオネルを品定めするかのように冷ややかに光っていた。
「勝利ではありません、殿下。ただの停戦です。我々は、多くのものを失いました」
ライオネルは、あえてそう答えた。王太子に不遜な態度であることは承知の上だった。
レオンハルトの表情が一瞬だけ凍りついた。しかし、すぐにいつもの柔らかな笑顔に戻る。
「…そうであったな。しかし、貴殿がもたらした功績は、この国の未来を明るく照らすものだ。今夜は祝宴を用意した。貴殿のこれまでの労をねぎらうためだ」
そう言って、レオンハルトはライオネルの返事を待たずに去っていった。その背中には、まるで何もかもを見透かしているかのような不気味な気配があった。
ライオネルは、残された兵士たちに解散を命じ、一人、城の最上階にある自室へと向かった。窓の外には、すでに日が落ち、古都の街並みが静かに闇に沈んでいる。
『英雄』。その言葉が、耳の中で不愉快な反響を繰り返す。
貴族たちは、自分を英雄として祭り上げることで、戦争の責任から逃れようとしているのだ。自分たちの手は汚さずに、自分のような便利な道具を使おうとしている。
ライオネルは、腰に佩いた剣の柄に手をかけた。この剣は、かつて師匠から受け継いだものだ。師匠は、彼に「剣は人を救うためにある」と教えた。
本当にそうだろうか。
この三年間、彼がこの剣で救った命よりも、奪った命の方がはるかに多い。そして、その命を奪った先には、血と泥にまみれた「平和」があるだけだった。
その時、扉がノックされた。
「ライオネル様、イザベラ様がお見えになりました」
従卒の声に、ライオネルはわずかに表情を和らげた。
イザベラ。
彼がこの泥まみれの現実に、唯一、心の安らぎを求めていた存在だった。