第70話 配られるうどんの味
「おい、お前等!うどんが茹で上がったぞ!取りに来い!」
そう店の奥で叫んだのは楠木だった。相変わらず典型的なうどん屋の店主と言う格好でお蔦には見せなかった安心したような笑みを浮かべて楠木は店の奥から次々とどんぶりを取り出し男達に配った。
「うちの人の部下達は女の扱いを知らないからねえ……何か失礼なことは無かったかね、お蔦さん」
再びかっぽう着姿に戻ったレイチェルはそんなことを言いながら揚げ物をしていた。男達は楠木から次々とうどんを受け取るとさっそくそれを口に運んだ。
「『木下』の行方はいまだ不明。『須藤』は……まだアメリカの東和の駐在事務所の拷問室の中で生きているらしいが……何せ相手は米帝だ……どこまで持つか……たぶんアイツは死んでも俺達の事は話はしないだろうな。まあ話したところで俺達のしたことを考えれば銃殺刑以外の結論を連中が用意してくれるとは到底思えないが」
先ほどの芸術家風の男が楠木に向けてそんなことを口にした。
「そうか、おそらく『木下』は遼北にやられたな……。『須藤』のことは諦めるしかない。アイツも俺達の仲間だ。覚悟くらいはしてるはずさ」
うどんを啜りながら作業服の男がそんなことを口にした。
「俺の周りじゃ『地球鼠』の数が最近増えてるんだ。そっちはどうだ?」
「ああ、『近藤事件』の後に急に増えだした。始末するこっちの身にもなってくれよ。無駄な殺生はするなと言う隊長の教えもあるが、あの連中は一匹見つけるとどこかに三十匹は隠れてるからな。こっちも身を守らなきゃならねえんだ。無駄死にはしたくないからな」
サラリーマン風の男はそう言って大きなため息をついた。
「『地球鼠』?東和にもクマネズミやドブネズミは出るのかい?アタシは鼠が苦手でね」
お蔦はそう言って最後に差し出された小さめのどんぶりを受け取った。
「お蔦さん。地球圏や俺達を追ってる連合国のスパイの事を俺達は『地球鼠』と言うんだ。スパイなんて人間扱いしてやったらそいつ等を無残に殺す時に俺達の良心が傷つくだろ?こいつ等は鼠なんだ害獣なんだ。そう思い込まなきゃ俺達は生きていけない……あの桐野の野郎のように狂っちまう」
芸術家風の男は苦々し気な笑みを浮かべ得てうどんの汁を啜りこんだ。
「あんた達人殺しを今でもしているのかい?」
お蔦は恐怖に駆られてそう言った。
「ああ、しているよ。俺達は死ぬわけにはいかないんだ。隊長が命じるまで俺達は死ねない。隊長が命じたら喜んで死ぬ。今の隊長には絶対に果たさなければならない目的がある。それを達成するためには我々は何としても生きなきゃならない。だからそのためには俺達を捕えて裁こうとする地球圏や連合国のスパイの連中には死んでもらう……俺達だって辛いんだ。連中はどうだか知らないがね」
サラリーマン風の男はそう言うと背広の前を開けた。その左脇には小型拳銃が黒い光を帯びてぶら下がっていた。