第5話 急造キャッチャーから足の遅いレフトへコンバート
カウラの『スカイラインGTR』の後ろからは大野の大型の黒いピックアップトラックが現れた。運転席から顔を出した大野はにやけた表情で誠の後ろに隠れている西の顔をのぞきこんだ。
「聞いてたぜ、西。オメエは女を知ってるらしいじゃねえか。うらやましいねえ……後でどんなだったか教えてくれ。俺もモテない遼州人で童貞だからな。ああ、モテる地球人に産まれたかったねえ……まあ、甲武じゃ平民の男は口減らしで殺されるらしいが俺は長男だから口減らしにはあわないらしいからな。教えろよ!他の連中には内緒にしといてやるから。特に班長とかには」
ピックアップトラックの運転席から顔を出した巨漢の大野が最初に口にしたのはその言葉だった。
「大野先輩……その話は終わりにしましょうよ……前の部隊の技術士官の人が好き者で一回連れて行ってくれただけですから。しかも行った店は場末の岡場所でも一番安い店で、相手は年季明け直前のおばさんですよ……あまりいい思い出なんて……それでも聞きたいですか?きっと後悔しますよ」
西は照れつつ腕力では絶対にかなわない相手である同じ整備班員の下士官の大野にそう答えた。
「そんなことより、大野先輩がレフトを守るんですか?確かに合宿ではずっと外野の守備練習をしてましたもんね」
誠は西がこれ以上大野の口撃で火だるまになるのは見ていられないのでそう言って話題を変えた。
「そうだよ。俺の打撃は西園寺さんも捨てられねえ。なんでも今度いいキャッチャーが入るから安心して守備の負担の少ない外野を守って打撃に専念してくれだってさ。西園寺さんも西園寺さんだ。一体誰なんだそのキャッチャー。いい加減俺達にも教えてくれても良いじゃねえか。……アメリアさんの訳がねえよな。あの人絶対にサードのポジションは譲らねえから。でもそんなキャッチャー合宿には来てなかったぞ。誰なんだ?神前。オメエは西園寺さんのお気に入りだから知ってるんだろ?教えてくれよ」
大野はダウンジャケットの襟を弄りながら上目遣いに誠に聞いてきた。
「良いキャッチャー?そんなの聞いてませんよ。あれじゃないですか?アメリアさんは趣味の事で年中金欠で嘆いてますから、お金持ちの西園寺さんが大金渡してサードを諦めるように説得したとか。そうするとサードは誰が守るんだろう?ああ、パーラさんはキャッチャー以外の全ポジション守れるとか言ってたからパーラさんが入るのか。それなら納得だ」
誠は大野の言葉のその部分が気になって仕方なかった。誠は一応、千要草野球リーグでは注目のサウスポーとして知られていた。特に多彩な変化球と器用なマウンドさばきは後期のみの参加とは言え『リーグ屈指の左腕が現れた』と他のチームから警戒されるような存在だった。後期リーグの戦績では6回先発に登板して5勝1敗で防御率1.06である。後期リーグに限って言えば防御率トップなのは誠のちょっとした自慢だった。
誠の投球スタイルはリーグ屈指の球速とスライダーを中心とした多彩な変化球で相手を翻弄するタイプで。他チームのバッターはストライクに的を絞るもののそこで投げられた変化球について行けず次々と三振を奪った。それでも誠は満足していなかった。
誠の最高の決め球はフォークである。
ただ、そのストレートとほとんど変わらない球速と落差ゆえに捕れるキャッチャーが限られる。キャッチャーだけは絶対やりたくないというアメリアならば止めることは出来るが、他のキャッチャーではそのフォークとしては考えられない球速と落差から球を見失って後逸するのでリーグでは封印していた。
「恐らく今度の移動で明石中佐が戻ってくるんじゃないかな……あの人なら確かにあれくらいの球は平気で捕る。あの人は甲武の六大学野球では『史上最強の鏡大の四番捕手』と呼ばれた打棒と堅実なキャッチング、そしてあの体格にふさわしい人間離れした肩の持主だったからな。クバルカ中佐が異動出来て本局勤務になったから野球部からは外れてるけど、あの人は根っからの野球好きだから。本局の仕事をサボって試合に出てくれるんだろうよ」
大野は確信を込めた口調でそう言った。
司法局実働部隊の副隊長で機動部隊長を兼任するクバルカ・ラン中佐の前任者が現司法局本局外部交渉担当部の部長の明石清海中佐だった。
誠も何度かあった事が有るが二メートルを優に超える大男で、常にサングラスを被り、私服はやくざ同然で関西弁を話す明石にある種の畏怖を感じていた。
「明石中佐ですか……あの人やくざみたいでこわいんだよな……そんな人とバッテリーを組むの?サインを出されたらどんな嫌な球でも首を触れないよ」
誠は冷や汗を流しながらそうつぶやいた。
「明石中佐は『ワシはパイロットなんじゃ!事務仕事なんかできるか!とっとと『特殊な部隊』にワシを戻せ!』とか本局でごねてるらしい。あの怖い面で睨まれたら上層部もうちに戻さないと後が怖いんだろ?良いじゃねえか。あの人は最高のキャッチャーだぞ。しかも、班長なんか比じゃねえ長距離ヒッターだ。これで打倒『菱川重工豊川』の準備が整ったわけだ。西園寺さんはAクラスと言うが、俺は明石中佐が戻れば最低3位、上手くすれば万年2位の千要マートを倒すことだって夢じゃねえ。まあ、うちは出動があるから不戦敗が多くなるからそれだけが心配の種だけどな」
大野はそう言うと明るい笑顔を誠に向けた。