第137話 『理想』と『現実』
「僕から見ると義基お父様は理想を夢見すぎている。その理想に人が心から共鳴してくれる、今はうわべだけでもいつかは心からそれを支持してくれるようになると信じすぎている。それが僕の出した結論だ。人間は理想では生きていけない。だから、現実を一歩一歩身に着けていく必要がある。丁度僕達のように……僕が理想を実現しようとすれば君を傷つけることになる。だから僕は君に僕の理想を語ることは有っても現実にそれを実行することは無い。ただ、理想は語らせてほしい……現実だけを見ていたら人間は駄目になってしまうからね」
かえではそう言って無邪気な笑みを浮かべた。
「かえでさんの理想って……僕と結婚することですか?」
誠は恐る恐るそう尋ねた。茶漬けの湯けむりが誠の顔を覆っていた。
「それは僕の一面の理想でしかないよ。君も知っての通り僕は快楽至上主義者だ。だから君と快楽の沼におぼれる生活をするのも僕ん理想の一つであることは間違いないし、それが一番の目的なのは認めるよ。でも、僕も甲武の国に貴族として産まれた。甲武の国の在り方について色々考える機会もあった。そして軍の中枢部を見て、そして政治の一面を見てそれを変えて甲武と言う国を理想に近い形にする必要があると考えるようになった。これまで君に語ってこなかった僕のもう一つの理想主義者としての一面を君に知ってもらいたいんだ。僕は貴族なんだ。責任ある立場でその力を利用する義務が生まれながらに与えられている。だからその責務は果たさなければならない。これは僕の運命だし、僕はそれを受け入れている」
かえでは茶漬けの上に乗せられたアジを口に運びながらそう言った。
「甲武をまとめるには今不在の関白太政大臣の地位を埋める必要がある。その地位に付ける人は今のところ一人しかいない。しかし、その人にその任に務まる度量は正直見受けられない……だから僕はその大事な人を守り、育てていく必要がある」
かえでの言葉は決意に満ちていた。
「それって西園寺さんの事ですよね。たしかに今のままのあの人に一国の最高指導者が務まらないのは僕にでも分かります。でも、かえでさんでもあの西園寺さんをどうにかする事って出来るんですか?あの人ガサツを通り越してもう犯罪者の域まで達してますよ」
誠は粗暴、短絡的、考え無しのかなめに貴族の最高の位が務まるとは到底思えなかった。
「だから僕が補佐するんだ。そしてかなめお姉さまには知ってもらう。自分の能力の限界を……かなめお姉さまは現実をただ現実としてしかとらえることが出来ない。僕がかなめお姉さまに再会した時。あの人は8年前に別れた時から何一つ成長していなかった。いや、君と出会うまでのかなめお姉さまはそれどころか逆にその心は相当に荒み切っていたらしい。その意味では君はかなめお姉さまを救ってくれたんだ。今のお姉さまは僕と別れた時のお姉さまと大して違いは無いからね。妹として感謝の言葉しかないよ。つまり君はそれだけお姉さまを成長させた……それは妹として感謝しておくべきところかもしれないね。さすが僕の『許婚』だ」
かえではそう言って誠に笑いかけた。
「確かに僕と最初に会った時の西園寺さんってなにか目的を見失った抜け殻みたいに感じました。でも、最近は生き生きしています……もしそれが僕がきっかけならうれしいです」
誠はどんぶりに残った最後の飯を掻きこむとそう言ってかえでに笑いかけた。