第133話 多くの出会いの機会を持った先輩として
「じゃあ、小鉢の……これはフキノトウの白みそ和えだね。二月だから。東和ではもうそんな季節なんだね。甲武ではこのような季節のモノは楽しめない。良い心遣いだ。この苦みは甲武でも金さえ出せば味わえるが、東和でははるかに少ない出費でより本物に近い味が味わえる。この幸せはたぶん君には分からないだろうな」
そう言うとかえでは小鉢に手を伸ばした。誠も合わせたように小鉢に手を伸ばす。
箸でみずみずしい胡麻和えにされたフキノトウを掴んで口に運ぶと苦みと甘みが口いっぱいに広がった。
「たしかにおいしいですね。苦みが有りますが、味噌の甘みも有って気になりません。僕はあまりこういったおしゃれなものは口にしないのですが、それでもおいしいです」
誠は思ったことを素直に口に出すことが出来た。
「それは良かった。酒は……止しておこう。君が言うように警察官が飲酒運転などという犯罪を犯したら洒落にもならないから。それに昼間から飲酒と言うのは軍人としてはあまり褒められたものでは無いからね。軍人は何時でも戦う覚悟が出来ていなければならない。だから常に昼間は理性的にあるべきなんだ。まあ、僕の場合それが性的快楽を求めてしまうことが有るが、それは僕自身の個性というものだから出来るだけ我慢するようにしている。それが僕の主義だ」
かえではそう言って誠に笑いかけてきた。それはデパートで見た淫らな痴女のそれでは無く、純粋無垢な少女のそれだった。
「かえでさんはワイン以外の酒はあまり飲まないんですか?」
誠の言葉にかえではにっこり微笑んだ。
「そうだね。ただ、こういう和食にはクバルカ中佐では無いがいい和食が似合う。でも、ワインの中にも和食に合うものもあるよ。今度君にも紹介してあげよう。ただ、僕は酒で理性を失うことはあまり好まない。ただ、性的快楽で理性を失うことは大好きだ。僕は自分が淫らな女だと言うことは自覚している。ただ、君には僕はそれだけの人間ではないことを知ってもらいたいと言うのが今日の本題なんだ」
かえでは一度妖艶な笑みを浮かべた後、すぐに好奇心旺盛な少女の笑顔を取り戻した。
「僕は海軍の司令部勤務を三年ほどしていてね。そこで多くの人と会った。また父……ああ、僕には実の父である西園寺義基と義理の父である嵯峨惟基……隊長がいるんだけど、義基父、実の父の方だ、その関係で政治家関係の人間とも出会う機会が多かった。その点では僕は君より人の本質を知るという意味では恵まれた環境があった。そしてその出会いで多くの事を学び、多くの反面教師に出会った」
かえでの表情が突然曇った。誠は小鉢を食べ終えて静かにかえでの顔を見つめた。
「反面教師……ですか……」
誠にはかえでの言葉の意味が良く分からなかった。
「そうだ。軍の中枢部、そして政治の頂点。そこには立派な人がいると信じている人が多いが、事実は違う。反面教師。見習ってはならない人間のあってはならない姿をした悪魔たちがそこでは大きな顔をして暮らしている。多くの人は彼等がいかに汚れた人間かということを知らない。新聞に出てくるのは奇麗に脚色された表面だけだからね。でも裏の顔は……とてもじゃないが見ていられない。思い出すだけで不愉快になるようなことを僕は何度も経験してきた」
かえでが若干強い調子でそう言った時、ふすまが開かれ、これまで来ていた仲居と少し若いこれも和服の清楚な女性が本を持って現れた。
「まずはアジのナメロウと野菜の煮つけになります」
二人は誠にするとあまり食べ応えの無さそうな二品をテーブルに並べた。
「ここのナメロウはみそ仕立てでね。そのみそに秘密が有るんじゃないかと言うのがクバルカ中佐の見立てなんだ。僕も以前食べたが、それは大層おいしかった。君も試してみると言い」
かえではそう言うと仲居たちが出て行くのを確認した後、ナメロウに箸を伸ばした。