Ep.2
夕焼け空は──嫌いだった。
それは、なんでだろう?
俺がずっと小さかったガキの頃はさ、夕陽が沈む前には家に帰ってこいって言われてたんだ
だから、5時のチャイムがなる頃には、「あ、家に帰らなくちゃ」って、そう思ってた。
家に帰れば夕ご飯があって、母さんはもうお風呂に入ってて、その後にお父さんが帰ってきてみんなでご飯食べて、くだらないテレビを見て笑って。
はやくお風呂に入っちゃいなさいなんて怒られながら、そのくだらないテレビで笑って、なかなかリビングからも出られないんだ。
でも同時に、夕陽は終わりを意味してた。
もう、友達と遊ぶのはおしまいだよって、そんな、空虚なチャイムが街全体に鳴り響く。
おしまい、おしまい、おしまい。
おしまいなんだ。
───おしまい、なんだ。
「なあ」
───多分、これは俺の言葉だったと思う。
誰もいないはずの生徒会室で、俺はタバコを手に取りながら、隣にいる〝アイツ〟に言ったんだ。
「ああ」
〝アイツ〟は、やっぱりそんな素っ気ない返事を返してくる。
「なんでお前、こんなとこいんだよ。不法侵入だろーが」
「はっ、それが主人に対する口の利き方か? 雑魚が。身体に教えてやらんとわからんようだな」
「……おっまえ、世界が終わる3分前だってのに、そんな感じかよ。で、どう? 天才様もこの状況にはお手上げって感じですか?」
「……俺は諦めてない」
「諦めてない……ね……。でもさ、思い出に浸って生徒会室で夕焼け空を眺めていたって、世界はもう……前には進まないんだぜ?」
俺は悪戯に笑みを浮かべながら彼に言う。
「雑魚が、俺様に講釈を垂れる気か?」
「はは……で、どうすんのよ」
俺は生徒会室の窓から身を乗り出しながら、タバコの煙を吐きながら言う。
それに彼は俺の方へと一歩一歩近づいてきて……
「一本よこせ」
「お? 吸う?」
「いいからよこせ」
というので、俺は彼に一本タバコを渡してやる。
駅前のコンビニで買った、マイルドセブンだ。
「ほれ、火」
俺がそう言ってライターで火をつけてやると、彼はまた、「ああ」なんて素っ気ない返事をしながらその火を受け取って見せる。
そして、大きく深呼吸。
「…………くそが」
盛大にむせている彼を見ながら、俺は思わず吹きこぼれるように笑う。
「ばーか。慣れねえもん吸うからだよ」
「黙れ雑魚」
「世界滅亡前までボキャ貧なのね」
「おい、奏汰」
「んぁ?」
彼は、〝俺の名前〟を呼んだ。
やっぱり、俺なんだ。
「お前は、どうなんだ?」
「なにが?」
「……仲間はみんな死んだ。……もう、俺とお前だけだ。それで、……もう世界の寿命は2分を切った。お前は、どう思う? お前は…………」
彼にしては珍しく、ひどく、弱気な声だった。
最後の方は、本当に消え入りそうなほど弱々しい声で、そんなことを言ってきて。
それに俺は、ほんの少し頬を緩ませながら彼の方を向き、答えたんだ。
「ま、映画のワンシーンみたいでさ、悪くないよな。……こっからさ、俺たちが世界を救う……ってな感じの……」
「……ああ、だが……」
「悔いはないよ」
「…………」
「ま、隣にいる野郎がお前じゃなかったら、もっちっと幸せな最後だったのかもしれねえけど…………」
「はっ、吐かせ」
「……はは。なあ、お前はどうなんだよ」
「あ?」
「やっぱ、俺じゃなくてルナちゃんがよかった?」
「……よし、お前はひと足先に死ねるキャンペーンに当選したようだ。さあ、ありがたく首を差し出せ」
「うおぉい、おいおい冗談だって……ったく。………………ってかさ、俺たちって……」
「……なんだ?」
「……いや? なんでもねえよ」
「死にたくなければさっさと言え」
「いや……前にもさ、こんなことがあったような……」
「はっ、世界の終わりがそう何度もあってたまるか。馬鹿も大概にしろミジンコ脳」
「っるせーよ」
「だが……」
そう言って、彼は俺の首に手を回してくる。
彼に珍しく、肩に手を組みながら、少し、ほんの少しいつもは見せないような、そんな切ない表情を見せながら言う。
「……俺も、前にもお前と……こうやって死ぬ前に話してた気がする」
「……はは」
俺は、窓の外を眺めながら笑う。
笑うしか、なかった。
生徒会室の窓の向こう側では、世界が徐々に地平線を失っていくのだ。
まるで、暗黒の夜空が、星々を飲み込みながら迫ってくるように。
全てを無に帰す〝恐怖〟が、そこまで迫ってきているのだ。
たぶん、この世界の全てがあの虚無の海に飲まれるのに、もうあと1分と時間はかからないだろう。
いつもは強がって無理に気張ってる彼の手も、震えてるのが俺の肩越しでもわかる。
いや、俺だって震えていた。
もう、あとほんの、数瞬なのだ。
全てが飲み込まれるまで───。
全てが終わるまで───。
全てが、無に帰すまで───。
───こんなの、どうしろって言うんだよ。
最後に彼は、俺にこう言ってきたのを覚えている。
彼は肩を組んだまま、こちらを見ることなく真っ直ぐ、消えていく窓の外の世界を見ながら言ったんだ。
「……じゃあ、俺はそろそろ行く」
それはまるで、明日があるかのような言い方だった。
まるで、未来が、世界の続きがあるかのような言い方だった。
でもきっとそれは、彼なりの優しさだったんだと思う。
───夕焼け空は、嫌いだった。
もう、おしまいだよって、そんなふうに世界が語りかけてくるような気がしたから。
俺は、ただ……。
「……ああ、また」
たったそれだけの言葉を返した。
彼のあの言葉に、それ以上の言葉は必要がないと感じたからだ。
そして、彼はそれにもう一度返す。
世界が、虚無に飲まれる前の───
全てが飲み込まれる前の一瞬───
「……またな」
✳︎ ✳︎ ✳︎
────!?!?
俺は、心が破れるほど激しく波打つ動悸と息切れで目を覚ました。
「……はぁはぁ…………っはぁ、はぁ、はぁはぁ…………」
目を見開き、胸を握り締めながら震える手でベッドのシーツを掴む。
背中から肩にかけて冷や汗が滲み、悪夢の熱がまだ身体を支配している。身体を起こす。
ひどい、夢だった。
ここのところ、毎晩のように繰り返す悪夢だった。
世界が消える、悪夢。
跡形もなく、星の海に世界が呑まれ、なにもかもが、はじめから存在しなかったかのように、消え去っていく夢。
見る夢は、何パターンかあれど、決まって最後は、必ず同じ結末を迎える。
仲間は死に、家族は死に、友達は死に、なにもなくなった世界で、最期を迎える。
それはひどく、ひどく悲しい結末だった。
「……夢、なんだよな」
静寂に包まれた部屋の中で、掛け時計が秒針を恐ろしいほどに正確に刻む音のみが、チッ、チッ、と響き渡る。
部屋の外では、なんの音もしない、だからこそ、余計にその秒針の音が、自分の不安を、恐怖を掻き立てた。
胸元を握りしめていた手を緩め、そのまま手を当てたままゆっくりと、深呼吸をする。
そして、自分の脈が落ち着いていくのを確認して、携帯電話を見る。
ディスプレイに刻まれた時刻は、3時45分。
「……微妙な時間だな……」
すっかり、目が覚めてしまった。
今から眠るには……いや、悪くはないかもしれないが、またあの夢を見るかもしれない。
息が詰まるほどに苦しいあの悪夢を見てもう一度朝を迎えるのは、自分にとってはあまりいいものではなかった。
「……でも、寝なきゃ」
そんなことを呟きながら、勉強机の上に置いたペットボトルを手に取り、水を飲む。
とても、喉が渇いていた。
起きた時の俺の脈は、秒針が一度鳴る合間に3度は刻むくらい恐ろしいほど早く、息苦しかった。
多分、寝ている時の俺は恐怖のあまり酸欠になり、口で息していたのだろう。
毎晩毎晩、こんな夢を見てうなされていては、そりゃ昼間に寝不足になるのも無理はないだろう。
仮に眠っている時間でさえ、それは起きている時間以上に体力を消耗しているような気すらしたから。
なにも音がない、秒針の刻む音のみが静かに響き続けるこの部屋でもう一度眠りにつくのは自分にとっては至難の業だ。
放課後のあのカラオケ、実際めんどくさかったし、気まずかったし、誠はうるさかったけど、それでもこういう時間はあの誠のうるささが少し恋しくなるほどだ。
静寂は、苦手なのかもしれない。
あの夢を、思い出してしまうから。
世界の全てを無で包み込む、あの悪夢を。
虚無の空が、残酷に降り注いできて、地平線をも呑み込んでしまうあの、悪夢を。
「……そうだ」
勉強机の上のリモコンを手に取る。
ボタンを押す。
テレビをつける。
すると1秒ほどの間が空いて、テレビがつく。
奏汰の部屋の、ベッドの丁度対角線にあるブラウン管テレビは小学生になったばかりくらいの頃に買ってもらった、今では少し型落ちしたもので、画質もお世辞にも良いと言えるものではない。
この時間に当然、なにか面白い番組がやっているわけでもなく、俺はテレビを入力切り替えをして、HDMIに接続する。
部屋のテレビは、最近買ってもらったDVDプレイヤーが接続されており、そこには友達から借りたDVDが挿入されていた。
とはいえ、今から身体を起こしてDVDを入れ替えたりでもしたら余計に目が覚めてしまうだろうし、奏汰はそのままベッドから動くことなく、リモコンでDVDプレイヤーを操作する。
DVDプレイヤーに挿入されていたのは、2002年の日本のドラマ映画、「明くる日の雨」というものだ。
内容は、とてもシンプルなものだ。
主人公の女の子は、差別の多い村で生まれた。
2007年の現代では考えられないが、まだこの村にはカースト制のような身分制度的部落差別が根強く残っており、その子の母親は村でも被差別身分であり、父親が誰かすらも分からなかった。
その子は差別を受ける母親を救うために、あの手この手で奮闘する。
けれど結局、その子がまだ8歳の頃に殺されてしまって。
そのことはその子は知らず、神様の元へ出掛けていったと村の住人から聞かされていた。
それを信じたその子は母親の為に、誰よりも勉学に励み、村から出る。
村から出て学を身につけたその子にとって、母親がもう殺されていたことを知るのに、そう時間はかからなかった。
それでも、自分を愛してくれた母親の為に生きて、友達を作って、周りと変わらない生活を送ろうとする、そんな人間ドラマ───「うん暗いね!?」
思わずそんなことを言いながら、身体を起こす。
いや、このドラマ映画が嫌いなわけではない。
むしろ、好きな部類だ。
けれどなんか、今見たら別の意味で別の悪夢を見てしまいそうだ。
「……寝れねーじゃん」
✳︎ ✳︎ ✳︎
───翌朝。
いつの間にか意識を失っていたようで、今度は特に夢を見ることもなく目を覚ました。
寝ていたと言うより、気絶していたというのに近いのかもしれない。
ただ、最後に記憶にあるのは午前5時半。
うっすらと窓の外、カーテンの隙間から明るい光が部屋の中へと差し込み始めた時間帯。
そして、午前7時前に母親に叩き起こされる。
「そんなん、眠いにきまってんじゃん……」
教室の机で突っ伏しながら、呟く。
もうあと2,3分で朝のホームルームが始まるというのに、身体を起こす元気がない。
「……くそー、だりー」
「おーい、起きろー」
軽快な声が、自分の意識を揺さぶる。
「……んだよ」
「お前、また夜更かしか?」
声の主は、同じ1年1組の、汐留悠真だ。
身長182センチ。肩まで届く茶色がかった髪が光に柔らかく揺れ、黒目がちな瞳はどこか少年のような透明感を持つ。
笑うと白い歯が光り、頬の横に小さな皺ができる。
スタイルは均整が取れ、制服はきちんとしているがネクタイが少し緩く、ラフさも感じさせる。
まるで光の中に立つ彫刻のような佇まいだが、雰囲気は温かく、自然に人を惹きつける。
ちなみに、誠は2組の生徒だ。
「……夜更かしといえばそうなんだけどさ」
「はは、つーか、じゃあまた夢か?」
「……そんなとこ」
「夢……ね」
「心の中でばかにしたろ?」
「若干ね?」
「うるせえ」
「いやいや、でもほら、そういうクソしつこい夢ってさ、ドラマとか映画だと予知夢ってこともありえるじゃん?」
「予知夢……?」
「そうそう、ひょっとしたら正夢になっちゃったりとか、そういうのもあり得るんじゃねーの?」
「いやいや……」
世界が消える夢が予知夢とか、馬鹿にもほどがある。
「ない話ではないんだぜ?……例えばさ」
悠真がなにか例をだそうと話を続けようとするが、奏汰は身体を起こして悠真の顔を凝視する。
そのあまりの凝視っぷりに悠真は怪訝そうな顔で笑みを浮かべる。
「ええーっと、そんなに俺イケメン? いや俺どっちかと言うと女の子の方が……いや、どっちかというとっていうか女の子一択なんだけど……」
なんかバカみたいなこと言ってるいるが、それを無視して、悠真の顔を凝視したまま奏汰は言う。
「なあ、悠真」
「告白は受け付けねーよ?」
「あの夢に出てきてたの、お前じゃないよな?」
「……は?」
あの夢の中に出てきたもう1人の男。
自分の隣にいたもう1人の男。
あれが誰なのか、思い出すことができない。
記憶に靄がかかっているのか、はたまた夢の中のあの男の顔に靄がかかっているのか。
けれど、あの男は恐らく……というか十中八九、誠ではない。
「って、やべ! ホームルームはじまっぞ!」
そう言って慌てて悠真は俺の席から離れていく。
しかし、奏汰は悠真がいた場所から、誰もいなくなった目の前から視線を外すことなく、思考を巡らせる。
記憶を辿る……。
記憶を───。
記憶───。
急に、脳が焼けるほどの熱さに襲われる。
頭が──揺れる。
だめだ、限界なのか──寝不足が──。
「くそっ……」
そして突如、視界が暗転した。
奏汰はそのまま、崩れ落ちるように教室の床に倒れ伏せた。