表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/4

* 無自覚なヒントおばさんと意外な縁 *

「はぁー……」


真実子は、掃除道具を小脇に抱えて、廊下をとぼとぼ歩いていた。

気合いを入れて現場を調べたというのに、結局、決定的なものは見つからなかった。


(……なんか、肩透かし)


気になったことといえば、ローテーブルに落ちていたチーズの食べかすくらい。

けれど、それもワインを飲んでいたのなら自然なことだ。

つまみとして食べていたのかもしれない。

チーズを盛り付けた皿は見当たらなかったが、それも証拠品として回収したのだろう。


(……さすがにドラマみたいにはいかない、か)


小さく息を吐いたそのとき――

廊下の突き当たり、壁際にしゃがみ込んでいる人影に気づいた。


「……え?」


こんな時間に、こんな場所で?

思わず足を止めた真実子は、様子をうかがいながらそっと声をかけた。


「大丈夫ですか?」


その男性が顔を上げた。

――リディアの婚約者、セドリックだった。


「あっ……! すみません、具合が悪いのかと……」


「いや、大丈夫。驚かせてしまってすまないね」


セドリックは苦笑しながら、自分の前を指さす。

その指先には――小さなネズミが、ちょこんと立っていた。


(……ね、ネズミ!?)


驚きのあまり、声が出なかった。

けれど、セドリックは柔らかく笑って言った。


「たまにね、この廊下で見かけるんだ。……なんだか愛嬌があってね」


手に持っていたのは、小さなチーズの欠片。

彼はそれをそっと床に置くと、ネズミが近づいてきて、ちまちまとかじり始めた。


「こうして時々、チーズをあげているんだ。……そしたら、少し懐かれたみたいでね」


そう言って微笑む彼の表情に、真実子の胸がほっこりとあたたかくなる。


(優しい人なのね……)


ひとの見えないところで、小さな命にも気を配れる――

そんな彼の優しさに、真実子はほっこりと心を和ませた。



* * *



翌日。

昼食の片付けも終わり、午後の仕事が始まるまでのひととき。

真実子は、メイド長オルガの部屋で、執事イーヴリンと三人で紅茶を囲んでいた。


「ほらほら、マティルダさん。クッキーいっぱい食べてね〜!」


オルガはご機嫌な様子で、大皿の上のクッキーを真実子の方へ押しやった。


「いつもいい働きしてくれてるから、私からの――ご・ほ・う・び、よ♪」


ウインクを添えて、口いっぱいにクッキーをほおばる。

その勢いだと、ご褒美を渡す前に本人が全部食べ尽くしてしまいそうだ。


「メイド長の言う通りです」


イーヴリンが、紅茶をひとくち含んでから真面目な口調で続ける。


「第一、ちゃんと食べているんですか? こんなに細くては、いつ倒れてもおかしくない。

仕事に支障が出ては困りますから、栄養はしっかり摂ってください。あなたは、もうこの屋敷の一員なのですから」


イーヴリンの声は、いつも通り厳しい口調だった。まっすぐな視線とともに、まるで上司が新人を叱るような厳格さ。


「それに……」

と、彼は視線を落とし、少しだけ語気を和らげた。


「今朝も厨房で、パンとジャムだけだったでしょう。あれでは午前の仕事すら乗り切れません。

しっかり食事を取って、体を温めて、睡眠も……そう、睡眠も大切です」


まるで母親のような勢いで真面目に続く“生活指導”に、真実子は思わずぷっと吹き出しそうになった。


(……ほんと、真面目でいい人だわ)


胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていく。


「もっと、メイド長のように、たくまし――」


「……イーヴリン?」


オルガのカップを持つ手が、ピタリと止まった。

にこにこしているのに、なぜだろう、空気が急に冷えた気がする。


「い、いえ、その……つまり、健康的で……っ」


しどろもどろに言い訳を始めるイーヴリン。

紅茶をこぼしそうになり、慌ててカップを置く。


その様子を見て、真実子は思わず吹き出しそうになった。


(この2人、いいコンビだわ……)


怖いもの知らずの陽気さと、几帳面すぎる杓子定規。

タイプはまるで違うのに、不思議と息が合っている。


(こういう人たちに囲まれて、私、今ここで生きてるんだなぁ……)


クッキーを一つ口に運びながら、真実子は心の奥にじんわりとしたあたたかさを感じていた。


気を取り直したように、オルガの手がまたクッキーへと伸びた。


「そういえば、ヴィダル様のこと……まだ調べてるんですって?」


「はい。なんか引っかかるんですけど、特にこれといって証拠もなくて……」


「なるほどねぇ〜」


クッキーをボリボリとかじりながら、オルガは大きく頷いた。


その音を聞きながら、真実子はふと目線を落とす。心の奥に、抑えていた不安が、またひとつ顔を出す。


(セオリー通りなら……"あの人"が真犯人ってことになる)


――真実子は小さく首を振った。


(ううん、あんな人がそんな事をするはずがない……。それに、証拠と動機がないもの……)


迷いと葛藤で思考が絡まりかけたそのとき――


「あ! そうそう!」


間の抜けた明るい声が部屋に響いた。オルガがぽんと手を叩き、隣に座るイーヴリンに話しかける。


「ねえイーヴリン。あれ、やってくれた?」


「……あれ、とは?」


真顔のまま問い返すイーヴリンに、オルガは肩をすくめて笑う。


「もう、忘れちゃったの〜? 壁の補修よ、補修! あちこちネズミが穴あけちゃって困ってるのよ〜。もう、クッキーが何枚犠牲になったか……!」


その言葉を聞いた瞬間――


真実子の中で、いくつかの点が弾けるようにつながった。


ヴィダルの部屋。

密室。

チーズ。


『こうして時々、チーズをあげているんだ。……そしたら、少し懐かれたみたいでね』


(……!)


真実子は勢いよく椅子を蹴って立ち上がった。


「メイド長、お手柄です!!」


「え? な、なにが?」


「私、ちょっと行ってきますっ!」


クッキーの残りを尻目に、真実子は勢いよく部屋を飛び出す。


「あっ! クッキーなくなっちゃうわよ〜〜〜!」


その声が追いかけてきたが、もう真実子の耳には届いていなかった。



* * *



オルガからヒントを得た真実子は、再び調査を行なった。


ヴィダルの部屋。

床に控えめに置かれた植木鉢。三本脚でわずかに浮いていた。

その中央下――壁の継ぎ目に近い床板に、直径数センチの穴が隠れるように開いていた。

よほど注意深く見なければ気づかないような位置だ。


しゃがみ込んで覗き込む真実子。

その目が、静かに細められる。



隣室。

こちらにも同じような小物棚が、床近くに設置されていた。

どかしてみれば、そこにもやはり、同じサイズの穴。


空気の流れが、かすかに鼻先をかすめた。



隣室前、廊下。

「ええ、その方なら確かに……その日、この部屋でお泊まりになったわよ」

聞き込みに答えたのは、年配のメイド仲間。


真実子は、短く礼をして――そしてまた、ひとつ頷いた。



再びヴィダルの部屋。


窓のレバーが、わずかに震え――次の瞬間、**「カチッ」**と音を立てて倒れた。

クレセント錠が、内側から確かに閉まった音。


真実子は、ゆっくりと窓に近づいた。


ふと、レバーの付け根に目を凝らす。

そこには、ごく細い糸の繊維が一本、絡みつくように残っていた。

さらにその周囲には、わずかな摩擦の跡。

人の指ではつかないような、尖った力で引かれたような擦れ。


真実子は、小さく頷いた。


「よし……これで、トリックは解けた。あとは――動機ね」


小さく呟いたその時、ドアがノックされ、オルガが姿を見せた。両手に、布袋を抱えている。


「マティルダ。悪いけど、これね〜、ルドエール大聖堂に持って行ってくれる?

旦那様の葬儀のことで、大聖堂にお渡しするお金なの〜」


「はい。分かりました」


袋を受け取り、真実子は大聖堂へと向かった。



* * *



祭具室の扉を開けると、そこには――あの優しいシスターがいた。


「あ……」


「いらっしゃいませ。どうかなさいましたか?」


変わらない、静かで澄んだ声。


「葬儀のお礼金です。……メイド長に届けるよう言われて」


「まあ、ご丁寧にありがとうございます」


シスターは両手で布袋を受け取り、深く頭を下げた。

真実子も会釈して踵を返しかけた、そのとき。


「失礼しまーす、お届けものです!」


軽い声とともに、郵便配達の青年が祭具室にひょっこり顔を出す。手には一通の封筒。


「手紙、こちらにお預かりしてます」


青年が差し出した封筒を、シスターが少し驚いた様子で受け取った。その一瞬。


封筒を受け取ったとき、真実子の目にふと左上――差出人の名前が入り込んだ。


「……えっ」


思わず声が漏れた。


「このお名前……」


その瞬間、シスターの手がぴくりと震えた。


「あっ、ご、ごめんなさい……つい、目に入ってしまって……

あの……お知り合い、なんですか?」


静かな空気の中に、ピンと一本の糸が張る。


シスターは、まるで打たれたように真実子を見つめ――

すぐに俯き、何かを整えるように微笑み直した。


「……ええ。幼いころからの、幼馴染なんです」


その瞬間――

真実子の中で、いくつもの点が音を立ててつながった。


ヴィダルの婚約破棄。

大聖堂の中庭での奇妙なやり取り。

そして、この手紙。


(そういうことだったのね……)


真実子は、真正面から、シスターを見つめた。


「お願いがあります」


「……え?」


シスターは少し驚いたように、真実子の顔を見つめ返した。

ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。


次回エピソード

* エピローグ 〜崖〜  *


よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ