最終章──通信の空白と判断の不在
06:12 JST──フィリピン海。
艦内に残る非常灯が、断続的な影を操舵室に投げていた。電源系統は冗長系すら過熱状態にあり、分電盤の再起動も見送られた。指揮系統、CIC、リンク共有、衛星通信──すべてが断絶していた。
穂高副艦長は、灰色の戦術データリンク用コンソールを前に、ただ沈黙していた。指揮所には、命令を受けるべき士官も、入力待機中のオペレーターもいなかった。
艦内の通信網すら、数分前から回復の兆しを見せていない。主通信機器が熱ストレスで遮断され、冷却ファンの故障により中枢機器が自動シャットダウンしたためだ。
戦闘情報官・甲斐二尉が低い声で言った。「副艦長、艦外通信、再接続不能。内部データバスに干渉ノイズが残ってます」
「レーダー? ソナー? 自艦センサだけでも動いてるか」
「センサーノード6は応答あり。が、統合処理ユニットが遮断されており、操舵系に情報を送れません」
つまり、見えても“操れない”状態だ。
艦の巨体は、無音のまま洋上に漂っていた。電磁的にも、人的にも、もはや「判断主体」が存在しなかった。
その瞬間、ドアが開き、工学科の最古参曹長・矢部が口を開く。
「副艦長……機関制御盤、完全に逝きました。AUXポンプからの電送回路も焼けてます。残燃料を使い切ったら、艦は漂流します」
穂高はうなずく。
「了解……じゃあ最後に、エンジン停止後、自動で起動する無電源ログモジュールを起こしておいてくれ」
「記録ポッド……ですか」
「誰かが、どこかで、これを読むかもしれない」
彼の視線は、CICだった場所──ただの焼け焦げた空間に向けられた。
06:21 JST──
米艦隊のリンク画面上、海自の艦番号がひとつずつ“グレーアウト”していく。
それは、死んだのではない。ただ、命令を“受け取れなくなった”だけ。
だが、それは戦場において「死」と同義だった。
この日、日本艦隊は一発のミサイルによって、指揮と通信という“存在証明”を失った。
そして、それを復旧する技術も、制度も、誰も持っていなかった。