6話.進むべき道
あれから1年後、私は小説を書き始めた。よもぎと出会うことで数多の野草を教えて貰ったこと、野草や自然を通して忘れかけていた大切なことに気付かされたこと、そんなことを書き起こしている。
朝食に白米とイタドリのシーチキン煮を用意する。イタドリはついこの間、よもぎと河原で採取したものだ。別名「すかんぽ」とも言うらしく、竹のように中が中空であることから名付けられたみたいだ。そのため、イタドリを折ると「すぽんっ」という心地よい音が出るため大変愉快である。
思えば、私は自殺を決意していて、それほどまでに精神的に参ってしまっていた。しかし、今なら分かることがある。「部活」、「学校」、「職場」、「サークル」といった社会的コミュニティーから一度抜け出してしまえばいとも簡単に自分は「無かった人」になる。そのため今、人間関係で悩んでいる人はどうか思い悩まないで欲しい。ストレス原因である場から抜け出し、逃げることで、もしかしたら人生は遠回りの道を選ぶことになるのかもしれない。しかし、確かに特急の新幹線で目的地に直ぐに着いてしまうのもいいが鈍行列車で窓の景色を眺めながら、時には親切をしてあげたりして貰ったり、隣のおじいちゃんと何気もない会話を交わしたりと、そんなゆったりの人生の旅も良いものに私は思う。超特急で人生を渡り歩いてきた人はもしかしたら、その過程を知らないために困っている人に親切に出来ないかもしれない。もちろん、私は人よりも苦労して死のうとまで考えた経験があるから同じように困っている人がいれば一緒に考え、悩みを聞いたりや、遊びや食事に付き合う選択肢も選ぶことができる。人生において、遠回りを選ぶことで何も「責め」を負うことはない。むしろ超特急よりも良い景色が見られることだってある。
私は遠回りを選ぶことで、よもぎと出会い、野草を知って死なずに済んだのだから。どうか人生で悩んでいる人には自信を持ってほしい。
 
朝食を済ませ、家のポストからおもむろに新聞紙を取りに行く。すると1枚の封筒が届いていた。
開いてみれば、この間応募した「小説家応募」サイトでの採用の知らせだったらしい。
私は胸を躍らせながら、再び原稿の前に向かった。死のうとしていた私の人生はこれから始まる。明日も私はよもぎと野草を摘み、時には友人たちにそれを振舞ったり、色んな料理をしていくのだろう。そう、「我らの食草記」はこれから綴られていくのだ!
 




