5話.天ぷら
私はいつもの河原でよもぎにこう尋ねる。
「天ぷらを食べてみたいんだけどおすすめの野草とかあるか?」
よもぎは「それならば」といった口ぶりでこう答える。
「すぐそこに伊木山があるじゃろ?そこにワシの師匠がおるのじゃ。山の地形や山菜の場所に詳しいから一度聞いてみたらどうじゃ?」
私は、よもぎに師匠がいるという衝撃の事実を受け驚きつつも重ねてこう質問する。
「よもぎが伊木山で案内してくれたらいいんじゃないか?ついでに師匠に会いに行ったらいいだろ。」
よもぎは首をブンブンと横に振る。
「ワシは「ワラビ先生」の前だとちと調子が狂ってしまってな。端的に言うならば、ワシを溺愛し過ぎていてベタベタされて困るのじゃ。」
よもぎは顔を赤らめながらそう言った。私が言うのも気が引けるのだが、よもぎのこういう表情は新鮮でいじらしく、改めて250歳とは思いもしない程の美少女なのだと思った。
「ちなみに、「ワラビ師匠」は伊木山のどの辺にいるんだ?」
よもぎは山の地図を取り出し、指さした。
「熊野神社から山道を進み、山の中腹辺りに洞窟があるのじゃ。そこに見た目の齢はおぬしと同じくらいの女性が居るから分かりやすいじゃろう。」
私はよもぎと軽く言葉を交わした後、直ぐさま山の方へと向かった。熊野神社は昔からタクとユウの3人でよく遊んだものだ。ただ、夜になると人知れず寂しげな女性の歌声が聴こえてくるという心霊現象があるらしく一人で山へ向かうのはいささか気が引けるものだ。登山ということで、久しぶりに身体を動かすのも悪くないものと思いつつ春の自然の美しさに見惚れながらあっという間に洞窟へと辿り着いた。すると噂をすれば、洞窟の中から歌を詠む声が聞こえる。
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝む」
柿本人麻呂の一人で寝る夜を寂しく想った和歌であるが、こうして誰もいない山の中で聴くと身も毛もよだつものである。なるほど、噂の心霊の正体は「ワラビ師匠」だったのか。間もなく洞窟の中から青髪で長髪の美しい女性が姿を現した。
「あら、貴方は私のことが視えるのね?どんなご要件かしら?」
落ち着いた美声が響き渡る。私はコンマ数秒硬直し、「ワラビ師匠」の容姿の余りの美しさに目が眩んだ。
「実はよもぎの師匠だと伺ってな。よもぎにはお世話になっている。実は貴方に聞けば天ぷらにすると良い山菜が聞けると聞いてやって来たんだが、教えてはくれないだろうか。」
すると、彼女は目を輝かせながらこう言う。
「あら!よもぎちゃんの知り合いなのね。よもぎちゃんは元気にしてる?よもぎちゃんに会えないことを寂しく思いつつ、いつも和歌を口ずさんでは昇華していたのよ。取り敢えず私に着いて来てちょうだい。」
どうやら、「ワラビ師匠」がよもぎを溺愛しているのは本当らしい。和歌の内容からすると、「溺愛」というよりは「恋い慕っている」と言った方が良さそうか。よもぎがこの人を避けている理由が少しばかり理解出来た気がした。
山道を2人で進んでいくと、湿った斜面の岩陰に一際変わった模様の植物が目についた。彼女が口を開く。
「これがユキノシタよ。冬の雪の下でも逞しく葉を落とさずに生えていることが名前の由来よ。この植物は天ぷらにもってこいなのよ。」
私と彼女はその場にあるユキノシタを一斉に摘み出した。別件だが、私は気になっていることを彼女に問いかける。
「よもぎは250歳らしいんだが、貴方は何歳なんだ?もしくは幽霊か?」
彼女は余裕のある笑みを浮かべこう静かに言う。
「レディーの年齢を聞くのはデリカシーのない人ね。ふふふ。いいわ、答えてあげる。私は500歳、よもぎより二倍も長生きしてるわね。私は伊木山の管理人。そう、山神よ。」
どうやら私は神と対話しているらしい。死を前にした経験があるからだろうか、それともよもぎの「普通」に慣れているせいからなのか不思議とあまり驚くことはなかった。
「やはり、環境破壊を進めている私たち人間が憎いのか?」
彼女は冷静にこう答える。
「動物にも動物の住処が必要なように人にも人の場所が必要だもの、仕方ないわ。でも、人には際限のない「欲」がある。満たされている資産家でさえも現状以上の裕福さを求めてしまう。これが動物とは違う人間の性というもの。必要な分だけの人為的撹乱なら仕方ないけれど、欲求の先にある贅沢は見過ごせないわね。」
私は人間を代表して彼女に謝りたい気持ちになった。確かに彼女の言い分は的を射ている。彼女は何事もなかったかのように再び声を掛けてきた。
「次の山菜に行くわよ。」
じめっとした岩場を後にし、暫く進んでいくと日当たりの良い林に辿り着いた。彼女はしなやかな手で若芽を摘み取る。
「これはなんという植物なんだ?」
彼女は答える。
「タカノツメよ。この木の冬芽が鷹の爪によく似ていることからそう名付けられているのよ。」
私はよもぎといい、その師匠である「ワラビ師匠」の博識さに関心しつつ、若芽を袋いっぱいに採取した。
洞窟へと戻り、彼女は竪穴式住居にあるような炉にやや古風な鍋を置き油を注いだ。どこからともなく小麦粉と卵と水を混ぜ合わせ、タカノツメとユキノシタに手早くそれを絡め油に投入した。それらはすぐにカラッとした衣を纏い彼女はそれを嬉しそうな面持ちですくい上げ須恵器のような古風な皿に盛り付ける。結構な年代物の須恵器だろうから、フリマアプリに出品したら高く売れそうだな、というある種、罰当たり的な考えが一瞬頭をよぎったが、それよりも目の前にある絶品に目を見張った。きつね色に揚がったそれらは料亭の山菜メニューのように美しく洗練されており、さすがは師匠なだけはあるなと思った。
「いただきます!」
私はまずはユキノシタから口にした。葉にクセが無く、サクッとした軽い歯触りが何とも癖になり箸が進んだ。それを一瞥した師匠はクスッと嬉しそうに笑う。
次にコシアブラを口にする。爽やかでかつ清涼な風味で、セリやウドに似た至高の味わいに感激した。私はあっという間にそれらを完食した。
「ワラビ師匠、今回は本当にありがとう!美味しい手料理まで振る舞ってくれて感謝しかない。」
彼女は照れくさそうな笑みを浮かべながら、私を山の麓まで見送った。私にも、彼女のように料理が上手く美人で理知的な女性がいればいいのにという幻想を抱きつつ、相手が「神様」なのでそれは泡沫の夢物語だと直ぐさま察し諦めながら悲しげな足取りで帰路に着いた。