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第5話

この部屋の書架は、側面と背面に板がないタイプで、本と上の棚板との間が、鋸歯状の空間になって、背中合わせになっている隣の書架と本の小口が見える。

本の高さによって鋸歯の深浅が異なるため、ずっと奥まで見通せるとは行かないが、高さがうまく合う箇所は、何台か先まで窺える隙間もあった。

その1つ、奏太が振り返って目の高さにある手のひら大の穴で、どこかで見たことのある茶色がかった濃い緑が、動いた。

思わず後ずさった背中が、書架の間の幅を誤ってぶつかり、ぎっ、と小さくない軋みが場に展開する。

あ、とそれに気を取られたのは完全に失敗だった。

前方、茶色が動いた辺りから獣の咆哮と、非常に重量のあるものが床を叩いた音と、間髪入れず、


「うわっ!?」


凄まじい力で書架が何台か薙ぎ倒された。

棚から飛び落ちて重なった本の山をメキメキと潰しながら、奏太の視野に侵入したのは、先程の図鑑、今まだ脇に抱えている図鑑で見たばかりの、目の上の短い角、鋸のような鋭い歯、3本の指に鉤爪を持つ、確か、アロサウルスという名前が付いた肉食恐竜だった。

ただし大きさは、本来は恐ろしく巨大なはずが、角が天井に触れない縮小サイズになっていた。

一瞬だけ、着ぐるみという疑いが浮かんだが、直後、尾が横凪に、書架をまた何台か破壊したのを見て即座に撤回する羽目になった。

音なのか匂いなのか気配なのかで、奏太を認識したそれは、映画で聞き覚えのある声で咆え、こちらに向かって来る。


「嘘だろ!?」


奏太は混乱しながらも、本能に腕を引かれて反対方向に走り出した。

明らかに着ぐるみのパワーではない、まさかロボットかと思う一方で、確かにさっきまでは何もなかった、こんなに大きなものが待機できるスペースも、入って来られるような扉もなかったはずだ。

縮小サイズとはいえ、通路にしか身体を嵌められないアロサウルスもどきは、隣の通路に移って姿が捉えづらくなった獲物に苛立ちの唸りを上げて、間の書架に突進し薙ぎ倒そうとする。

いくつかが将棋倒しになってその中に囚われそうになり、間一髪で逃げる。

書架自体が金属製な上に、本をぎっしりと詰めている分相当の重量があり、挟まれれば打撲では済まない、骨を折られるかもしれない。

もしあれがロボットなら、逃げ遅れてもドッキリ的に脅かされるくらいで済むはずだが、あの迫力はどうしてもドッキリには見えない。

図書館で本に乱暴する、明らかにやり過ぎな演出からも同じ印象、逃げなければいけないという危機感を覚えた。

ドッキリと油断したが最後、怪我では留まらないのではという警鐘が脳内で鳴っている。

姿を隠せる場所がないか探しながら割と必死に逃げているが、立ち並ぶ書架の風景はやはりどこまでも変わらず、また距離が取れないどころか、だんだん詰められている。

高校では帰宅部、専門通学と工場勤務で若干体力は付いていたが、本当に若干で、状況が理解できない焦りも作用して、息が上がるのがかなり早い。

アロサウルスもどきの、破壊を伴う追跡は確実に奏太を追い詰めていた。

並ぶ牙が目に入り、自分があいつの獲物、そう考えてしまいぞっとして、うっかりと足が縺れた。


「痛って!」


床はカーペットであり多少はクッション性があり、衝撃は大したことは無かったが、何も持っていなかった咄嗟に着いた右手を強く擦り、子指球の皮に擦り傷ができる。

怪我は小さいが地味に痛く、挫けそうになりながら起き上がったが、確実に足運びは鈍くなった。

リタイア、という言葉が現実の選択肢として浮上し、リタイアは絶対に嫌だ、そんなことを言っている場合かと、内心で葛藤が生まれる。

それが油断になった。

もどきが、咆吼しながら再び書架に打撃を与え、奏太は薙ぎ倒され速度が付いた金属から逃げ遅れた。


「い゛っ……!」


右の前腕にごつっと鈍い衝撃、ほぼ同時に耐えられない激痛が走り、息が止まりそうになって今度こそ床に、身体を強かに打ち付けた。

痛みに意識のほとんどを持って行かれている中、残りの正気が、もどきのいやにリアルな唸りと足音が確実に近づいて来るのを拾う。

あり得ない、あってはいけないけど、もしかして、本物。

その思いつきが、獰猛な牙と爪が奏太をざっくりと裂くイメージを形作った。


(やばい)


逃げないと、という焦りは身体にうまく伝わらない、起き上がれない。

痛めたところを押さえ倒れたままの奏太は、傍でひっくり返っている、『恐竜ってどんな姿をしていたの?』という呑気な表紙から視線を上げられない。

脳内は、やばいやばいの繰り返しで占領され、リタイアの存在を思い出す隙間を持たないまま、もどきが奏太が倒れて転がる通路に押し入ろうと、傾いた書架の間に身体を捻じ込むのを見た。

息は乱れ、喉が引き攣り、死ぬ、と思わず力一杯目を閉じる。



しかし、"その瞬間"は訪れなかった。

代わりに、少し離れたところから女の声がした。


「大丈夫ですか!?」


こっちに来たら危ない、そう言おうとしたが舌がもつれて形にできず、せめてと必死に目を開けると、不思議なことに、あのアロサウルスもどきの姿は忽然と消えていた。

拉げた書架、散らばった本、痕跡は確かにそこかしこに残っている。

ただ、当の破壊者だけが狭い視界のどこにも存在していない。

書庫の惨状が奏太の正気を証明していたが、あの大きさを一瞬で消したり隠したりできるような、例えば穴のようなものは絶対に無かった。

だとすればあれはどこに行ったのだろう。

人は混乱すると、既にある知識と常識に結びつけて都合良く解釈しようとするが、奏太もその例に漏れず、自分の考えの否定に走り始めた。

そもそも恐竜が現代に生きているはずはないし、10mと書いてあったものがあんなミニサイズな時点で本物のアロサウルスであるはずがない。

だとするとあれはロボットだと考えるしかないが、あんなリアルなロボットをこんな辺鄙な町の図書館で持っているものなのか、いやそれもあり得ない。

奏太が知らないだけで世界のどこかで開発はされているかもしれないが、それを地角町が持っているというのはいかにもおかしい。

高校のクラスメイトは、なりすましで参加すれば"ヤバい"ことになると奏太に警告した。

一介の町立図書館が、こういう異様を演じられる時点で既に、単に永久追放になるだけでは済まない予感がする。

まさか夢だったんじゃないよな、いや幻覚だったり、と奏太が痛みの合間に疑っていると、今の声の主らしき人物が、息を切らしつつ、書架の間を縫って駆け寄って来た。

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