第18話
大きく手を振る子供達にじゃーねーと見送られ、タラップを5mほど降りていくと、コンクリートの地下道に出た。
蛍光灯が両脇に、適切な間隔で付いているためそれほど暗さはなく、一本道で迷う余地はなさそうだった。
暗いのは小夜の表情で、歩みは進めているが全集の表面をひっきりなしに手で払っている。
「川上さん、あの、大丈夫ですか?」
「え、はい、あの……私は大丈夫、です」
答えとは裏腹に、小夜は全く大丈夫ではない調子で項垂れている。
私は、という限定が気にかかり、奏太は遠慮がちに
「さっきの茶髪って、その、この後って」
と切り出したが、小夜は特別な反応は示さず、「リタイアになると思います……」と上の空のままだった。
「そういえば俺達、っていうか……失格にはならなかったですね」
失格になるなら第一には小夜だということを失念していた奏太は慌てたが、小夜は気にした様子はなかった。
「まあ、一応あの人を直接攻撃したわけじゃないですし、先に手を出して来たのあっちなので……。他の人の足を引っ張って先に進もうとするの私大嫌いなので、申し訳ないけど自業自得です」
「前にも誰かに引っ張られたことあるんですか」
「……あります」
そう答えて小夜は力なく目を伏せた。
間接的に茶髪を攻撃した形になったのを、もしかして悔やんでいるのかと思ったが違うようだ。
まあそもそも、リタイアだけで済んでいる気がしないけど、と奏太は乾いた笑いを隠す。
茶髪の言うことが正しくて、奏太を拘束したのが『他者に危害を加える』には当たらないのであれば永久追放処分を食らうことはないのだろうが、先生の下敷きになって無傷、ということはあり得ず、追放されようとされまいと変わらない結果になった。
あの"先生"もトラップであり、どの程度強固な実態を持っているかは不明だが、少なくとも倒れ込んだ時の音と衝撃は非常に重たかった。
棍棒を受け止めた棚は、天板を砕き、棚板をへし折るまで止まらなかった。
身体の上にあれが降って来た末路はどうなるか。
我ながらぞっとする想像を続ける気は、流石に失せた。
小夜の方は、随分とドライに見えるが、それこそ、何度も妨害されて針が振り切れたのかもしれない。
身の危険の大きかった奏太は、もちろん茶髪に同情するつもりは全くなかった。
ただその一方で、他の参加者の足を引っ張ってまで最終攻略を得たい気持ちは分からなくはなかった。
1日1人までと決まっているなら、他者を出し抜かないと栄光を、『未来の出来事に関する情報を1つ得られる』という常識ではあり得ない、考えられもしない特権を、他者に攫われる恐れがある。
その情報を使って、大それた、良からぬことを考えている輩であればあるほど、事務局の監視からどうやって逃れるかに知恵を注ぎ、やっきになって他者を潰そうとするだろう。
もちろん、出し抜いても攻略できるかは別だが、レベルが高い常連なら、先を越されないように打てる手は全て打つだろう。
まあ俺はやらないけど、と奏太はしれっと圏外へ脱出する。
奏太はその前の、前の前の、前をいくつ並べれば正確になるのか測れない段階だが、将来レベルアップができた時にも、汚いやり方を使うつもりはない。
そんな手段を取らなくても、正攻法で最終攻略常連になれている手本が目の前にいる。
奏太は、1日1人が確定情報となった今、今回の最終攻略は諦めた。
最初の方に、最後の最後で小夜を裏切るのは心が痛むと悩んでいたのは、傲慢にも程があり、思い出すのも恥ずかしかった。
茶髪に見抜かれたのは忌々しいが、自分は確かにコバンザメだった。
小夜にここまで連れてきてもらっただけの、幸運で無力な初心者だ、最後に裏切るという発想自体が愚かに過ぎる。
ただ、諦めはするが、その分、次回に向けて何かは掴んでおきたい。
単独で攻略するこの企画展示で、小夜の立ち回りを目の当たりにできるのはレア中のレアで、二度と訪れはしないだろう。
"思い入れのある本"選びという大問題は、今日が終わってから考えるとして、それ以外の要素を、今のこの機会に、学べるだけ学んでおきたかった。
「えーと、さっきの、物理攻撃って」
奏太がとりあえずの疑問を口にすると、小夜は、突如として絶望感の滲んだ早口になった。
「いや、あの、する気はなかったんです。本で叩くとかするつもりはなかったんです。でもあんまりに頭に来てて、あと私達も危なかったし、ついというかうっかりというか……やってしまったというか、本は叩くものじゃないというか、ああいうことさせられてすごく腹が立つっていうか、本に申し訳ないというか、ごめんなさいというか……」
輪をかけてしおしおとなった小夜に、だからさっきから本を撫でてたのか、と奏太は合点が行った。
見た感じ、傷が付いたりはしていないようだったが、大事な本をそもそもハエ叩きのように使ったことを猛省しているのだった。
奏太は、うっかりの威力じゃないよな、と地下7階での一部始終を思い出す。
子供達からせがまれたのがきっかけではあったが、小夜は迷うことなく読み聞かせに応じ、終了後は、子供達が走り始めてすぐに行動を起こし、"先生"がああいう化け物じみた存在でも、驚いた様子がなかった。
他の階でも要所要所でそうだったが、最初からギミックを知っているような正確な挙動だった。
それに、あの一撃。
本を直接ぶつけたのではないのに、あの威力。
ぶつけてもこつっと当たって終わり、のはずが、巨体を昏倒させる威力を発揮した。
もしあれが使えるようになれば攻略で一気に有利になるだろうし、強者感も出る。
好奇心が遠慮を踏み越え、奏太は期待の眼差しで小夜を見た。
「あれってどうやってやるんですか」
小夜は慌てて「いやいやいやいや真似しちゃダメです」と手を振って否定した。
「あ、あれは非常事態にぽっと出ちゃっただけなので、そもそも本で人を叩くとか普通にダメです、物もダメです、企画展示じゃなくても」
「あれって、本を読み上げていろいろやるのと同じ仕組みなんですか」
「同じです、応用編です。でもダメですよ頼っちゃ。私だって、普通に攻略してたらあれはやりません」
「もし、あの茶髪野郎がいなかったとして、あの先生に襲われたとしても?」
「してないです。ちゃんと普通に何とかします」
と小夜はきっぱりと言った。
同じ仕組みと聞いて奏太はがっかりした。
結局、本を読み上げて何某かの力の出現をまず成功させられないと、あの離れ業はできないらしい。
2人の進路には、地下道の終わりを告げる鉄扉が、既に姿を現している。
「じゃあ、さっきの直方体とか、太った奴のでかい木槌とかは?ああいうのはどうやって呼び出すんですか」
「呼び出し方、ですか」
途端に困ったような顔になった小夜に、奏太は食い下がった。
「本が先なのは分かります、分かってるんですけど、例えば次の回にその本を持ち込んだとしても、自分で何もできる気がしないんです。あいつらも、思い入れっていうのを形にして木槌とかを呼び出したんですよね。頭の中でどんなふうに考えれば形になるんですか、何か特別なことしてるんですか」
英和辞典だから試してもダメだったのならばともかく、根本的に何か間違っているなら次回も惨憺たる結果になる。
どうしても正しいやり方を知らなくてはならない、と前のめりの奏太に対し、小夜は本当に申し訳なさそうに
「うーん……私実は、何かを呼び出すっていう使い方、1度もしたことないんです」
と言いながらドアノブを捻りながら押した。




