第13話
しばらく無言でいた小夜が溜め息を吐き、のろのろと「とりあえず、手がかりを探しましょうか」と言った。
「手がかりって、どう探す感じなんですか?」
地下5階までは、小夜の行動はやるべきことだけでなく、まるで進むべき方向も分かっているように迷いがなかった。
しかし、この階は手がかりを探す、と方針が漠然としている。
一抹の不安を覚えつつ奏太が尋ねると、
「ノーヒントに見える場合って、本を調べて探すパターンが結構あるんですが、今回はそれができないみたいので……あれの捕まえ方も分からないし、文字の取り戻し方も謎だし、いろいろと手がかりを探してみるしかないかな、って」
私あまり謎解きは得意じゃなくて、と小夜は肩を落とした。
あれ、と呼ばわれた犯人自体は、断続的にガチャガチャと気配をさせているが、姿は見えず、かつすぐそばで移動棚を動かしたかと思えば、次はどうやら隣の部屋、その次はまた隣のブロックの、というように動きも読めない。
所持して逃げているのか、どこかに隠しているのかによって、あれを捕まえるのか放置でいいのかも判然としない。
また、文字の取り戻し方も不明、文字が今どこにあるのかも見当が付かない。
どこかに掻き集められている形跡は見つからない。
蔵書は、6階だけでも相当な数になるだろう。
単純に、冊数かける1冊の文字数と粗く計算してみても、その膨大な文字が集まったら、1部屋が黒いもので詰まるくらいでは足りないのではないか。
にもかかわらず、いろいろと部屋を歩き回ってみても、それらしい小さな塊すら見つからない。
奪った文字をどういう状態で仕舞っているのか、元々この空間自体が常識外れであり、人間がする、物理的なものの隠し方に従って考えても意味がないとは思うのだが、どうしても目が隠し場所を探してしまう。
では、隠し場所は後回しにして、先に犯人を捕まえる方から考えると、こちらは捕まえるという着地点は明確だが、今度はどうやってという手段の問題が立ちはだかる。
犯人は見えない上に、動きが速くランダムのようで、今どこにいるのかを予想するのも難しい。
仮にどこにいるか把握できても、見えないものを手で捕まえられるものか。
イメージ上では、"できない"一択だ。
また、百歩譲ってラッキーで捕まえられても、形状が分からない以上むやみに触らない方がいいかもしれない。
ならば、捕まえるという選択はしない方が得策かもしれない。
そして、さまざまな"かもしれない"に押されて、振り出しに戻るのだった。
何か方法は、手がかりは、とハンドルを回して棚の間を覗き、時々本を手に取ってみたがどれも白紙が連なっているだけだった。
1室1室を隈なく歩き回り、6階の部屋をそろそろ制覇するかという段階になった頃に、踏み入れた部屋の、集密書架の陰に、閲覧机が1台置かれてあった。
閲覧机自体は図書館では全く珍しくないが、地下2階に降りてからは初めて見る、本棚以外の什器だった。
上棚はなく、天板がただ平らな木製の閲覧机は、右側に引き出しが3段ある勉強机タイプで、椅子はない。
机上に物はない。
引き出しを順番に開けていくと、一番下の段に細いものが1本だけ入っていた。
ノックすると尖塔形の先端が現れる。
「……ボールペン?」
「……ですね」
曇った白地にブルーグリーンの線が1本入った、クリップ付きのボールペンは新品ではなかった。
ノベルティとして配られるもののように量産味が強いものだったが、会社名や、何々記念という記載はどこにもなかった。
もしかしてそれも奪われたのかもしれない。
普通の図書館なら、誰かの忘れ物かと気に留めず、元に戻すか職員に渡すかというところだが、
「何でこんなところに」
「忘れ物、じゃないですよね」
「ないですね。ないです」
企画展示には、本1冊以外は持ち込みを固く禁止されている。
誰かが事務局の目を掻い潜って持ち込んだ可能性はゼロだ。
持ち込めたとしても、何故ここに置いて去ったのかの説明が付かないし、そもそも事務局が会場チェック時に見落としはしないだろう。
だとすると、これはわざと仕舞われたものだ。
「あ、書ける」
奏太が先端で親指を少し擦ってみると、太めの黒いラインが着き、これでインク切れで捨て置かれている線も消えた。
小夜が、「何でボールペンなんだろう」と呟いた。
曰く、この図書館の閲覧スペースではそんなに厳しくはされないが、小夜の大学の図書館では、書庫内に鉛筆以外の筆記用具、ボールペンや万年筆などはインクで本を汚す恐れがあるとして持ち込み厳禁だという。
地角町図書館の書庫は閉架なので、利用者は普段は入室できないが、本の保存を目的とする以上、ルールは同じだろう。
同じなら、書けるボールペンが書庫内にわざと設置されているのは何か理由があるはずだ。
小夜が考え込んでいる間に、奏太は閲覧机の周囲をもう一度見回した。
書く物があるということは、書かれる物があっても良さそうだが、カウンター前に置いてありそうな用紙類は一片も見つからない。
引き出しを抜いて奥まで覗いても何もない。
ボールペンの軸を回して開けた中から、ヒントのメモが出て来るという仕掛けもない。
いや、紙自体はあるのだ、腐るほど。
本棚という本棚に、今はノートと化してしまっている冊子がびっしりと詰まっている。
これらに何か書け、ということなのだろうか。
何を、という肝心なところのアイディアは皆無だが、当たらずとも遠からず、完全に的外れではない気はした。
気はしたが、例えば1冊を抜き、白いページにぐるぐると書くとする。
その後文字を奪い返し、無事に本が元に戻った時、そのぐるぐるはきっと紙面に残ったままになる。
……本に悪さをしたということで、とんでもないトラップが襲ってくる予感しかしない。
奏太は身震いをして、抜いた引き出しの前に屈んだまま、だんだん難しい顔になっていく小夜をよそに、自分の英和辞典を閲覧机に置き、開いてみた。
さっき確認した時と変わらず、たまに挿絵がぽつぽつと現れるが、白いページが延々と続く。
裏表紙の裏に書いていた自分の名前も消えていて、印刷の字だけでなく、手書きの下手文字も持って行ったのかよと呆れるとともに、少々イラついて、ほぼ同じ位置にもう一度フルネームを綴った。
綴ってから、これは文字が戻って来たら重なってしまうのでは、と気が付いたところで、異変は起こった。
どこかの部屋で移動棚が鳴り始めた。
音が次第に大きくなっている、と気づくうち、この部屋の、端のブロックの移動棚が、次にすぐ隣が、ガチャ、ガチャ、ガチャと端からこちらに近づいてくる順に、素早く忙しなく鳴った。
それは2人の隣の、最も近いブロックに移っても止まらなかった。
奏太のすぐ傍の1台が、ガチャガチャガチャン、と激しく揺さぶられ、奏太はあれこれまずいんじゃ、と地下2階を思い出して肝を冷やしたが、そこで連鎖は突如終わった。
カチャ、カチャ、と余韻で両隣に触れている棚に呆然としながら、心臓が早鐘を打っていることにやっと気づいていると、小夜が立ち上がりながら、「びっくりした……」と呟いた。
「今の、明らかに近づいて来ましたね」
「晴山さん、今って何かしてました?」
「いや特に。ちょっと試し書きだけ」
答えた奏太が書いたところを見せようと英和辞典を開くが、
「あれ、ないな」
裏表紙の裏にもどこにも、たった今記したばかりの名前が見当たらない。
「ないんですか?」
「何だよ、まさかまた盗られたとか?」
「盗られた……」
奏太が念のため、とぱらぱらとページを捲っている間、小夜は瞬きもしないでしばらく静止していたが、ばっと顔を上げて、
「それ、それです!」
と大きな声で言った。
今日一番の声量にたじろぐ奏太に、小夜は身を乗り出して、「手がかり、それですよ!」と目をきらきらとさせた。
先程、自分の本も略奪の対象だったと気づいた後とは正反対、地下5階までの自信というか、安定さを取り戻したようだった。