第11話
「まあ、こんな感じです」
「いやどんな感じ!?」
ふうっと息を吐いて振り向いた小夜に、奏太は思わず突っ込んだ。
確認すると、さっきのアロサウルスもどきも、同じように撃退したそうだ。
小夜は、本に力があることを見える形で証明したつもりで、それで全てなのだろうが、さっきから常識外れな体験は何度もしている奏太は、見せられて証明完了、はい終わりで納得できるはずもない。
今の三角錐や最初のアロサウルスもどきのようなトラップが、どういう仕組みで"現実に存在"して、それを撃退した力は、まさか超能力と呼ばれるものではないのか。
「トラップって何でできてるんですか、ていうかもしかして参加者って皆、超能力者、なわけじゃないですよね……?」
鼻デブの巨大木槌を思い出しながら尋ねると、小夜は「もちろん違いますよ」と慌てて首を振り、
「何でできているのかは誰も解明したことはないと思いますが、私はトラップも本の力が源じゃないかな、と思ってます。企画展示中は、自分が持って来た本の力を借りて、普段は絶対にできないことができるようになるじゃないですか。この書庫にある本はどれも誰かの思い入れを受け取って来たんだろうな、そう考えると、図書館は力の集まりで、集まった力が不思議な現象を引き起こしてもおかしくないな、って」
「いや普通におかしいです」
奏太は熱弁が終わるが早いか否定に走った。
「それに、できないことができるようになるって言われても、俺できないんですけど」
奏太の卑屈を、初参加だし仕方ないですよとか慰められる予想を立てていたが、小夜は真面目に
「いえいえ、晴山さんもできます。企画展示の中なら誰でもできる下地があります」
と言った。
「え、嘘、いや、俺普通に無理ですって」
「それは今日初めて知ったからでしょう、誰でも最初は信じられなくて、無理だと思うんです。そこを、自分の本を信じて、無理じゃない方に舵を切れば必ずできます」
「本を信じる、つったって」
「本への思い入れを形にして押し出すイメージです。この部分が特に好き、逆にここが気に入らない、でもいいです。晴山さんの辞書って、どういう思い入れがありますか。英語好きだったとか、パラパラ漫画を描いて楽しんでた、とか」
と、小夜は奏太が掴んでいる英和辞典に視線を移した。
「パラパラ漫画って、本自体とはあまり関係なくないですか」
「それでもいいんです。思い入れのところはそれで合格じゃないかな」
中学に上がる時にお勧めの中から親が選んだそれは、初学者向けの、装丁に凝ったところの一切ない、量産味溢れる一冊だった。
中学高校で機能を発揮するどころか、ほとんど学校のロッカーを住処としていて、時間は経っているが折れも汚れも少なく、線すら引いたことがないので大分新しい。
辞典ゆえ英単語や例文の知識は詰まっているのだろうが、自分には親しくない。
選んだ理由も、分厚い、ただそれだけだ。
思い入れなど欠片もない。
小さい期待は、灯ってすぐに萎む運命だったようだ。
「本を持ち込めるって、そういう意味だったんだ……知ってたらもっとまともなの持って来たのに」
まともな、と言ったのは強がりで、その実何も思い浮かんでいない。
自分の本、紙の本なんて後はもっと新品の古典の辞書くらい、という惨状で、親の本は何かはあったはずだが興味を持ったこともない。
表立った参加資格は地角町民であることだが、本に親しんでいないと不利も不利、スタート地点にも立てていないのも同じなのだ。
鼻デブが馬鹿にしてきたのも、根拠があったと言うしかなかった。
「いや、別に読書家じゃなくてもいいんですよ。数は少なくとも気に入ってる本があればいいんです、それこそ漫画でも。実際週刊誌を持ち込んでる人も見たことありますし」
「漫画かあ」
漫画はコンスタントに読んでいるが、アプリで流し読むものがほとんどながら、中にはこれは課金して読み続けたいと思うものもある。
ただ、これは熱い、夢中になって読んでいるという作品にはまだ出会っておらず、小夜が一番大切だという思い入れのところが壊滅的だった。
「まず紙に切り替えるところからかなあ……」
と落ち込んだ奏太に、状況を察したらしい小夜が、「こ、これいいなと思ったものから買うといいんじゃないですかね」と慰めようとした。
*
いろいろ起こる、と小夜が言ったとおり、地下5階の迷路を抜けるまでに、トラップには何度もぶつかった。
三角錐のような有形の化け物だけではない、道なりに角を曲がったら4階の通路が幻覚になって現れたとか、行き止まりを引き返したら退路が塞がっているとか、底が見えない穴から這い上がる手が伸びてきた、だとか。
その間に、もう1度呼び出しチャイムが鳴り、誰かに失格を告げるのが聞こえた。
2人は急いでその場から離れたが、誰とも出会うことはなかった。
小夜がトラップを問題なく対処して、文字通り道を切り開くのを何度か見ていると、奏太は何となく自分にもできそうな気がしてきた。
できる下地があると断言されたせいだが、我ながら単純すぎる。
構えて、本の中のフレーズを読み上げればいいなら、と何か強そうな単語はないか、と辞典をパラパラ捲る。
歩きながらだと書面が揺れて見づらく、知っている単語があまりないのもあって、これだというものになかなか行き当たらなかったが、"P"のページに"Phoenix"という単語を発見した。
フェニックス、火の鳥だ。
小夜は思い入れと言ったが、要するにイメージができればいいんじゃないだろうか。
せっかく初参加しているのに、行動せずに終わるのは惜しい、経験者の小夜がいるので失敗してもリカバリができる。
進路にみっちりと収まり身動きが取れなくなっているヘラジカ、つまり襲い掛かって来られないトラップに出くわしたところで、奏太は思い切って、「俺、試しにやってみていいですか」と申し出てみた。
小夜は目を丸くした後、すぐに輝かせて「もちろん、どうぞ!」と場所を譲った。
ヘラジカは元々体高3メートルという巨大哺乳類であり、本棚に挟まっている目の前のトラップは若干小型だが、自由が利く頭部を動かして角を振り回し、興奮気味にこちらを威嚇している。
でもトラップだ、と奏太は自身に言い聞かせてから、ヘラジカもどきの正面に立ち、小夜の真似をして、英和辞典を開いた。
震える喉で息を吸い、吐く。
声色を繕って、呪文を唱えるならこういう感じか、と気を高ぶらせながら、発声した。
「フェ、ニックス!」
目の前のもどきは、興奮気味にこちらを威嚇し続けている。
つまり、特に何も起こらなかった。
概念としての火の鳥は強いかもしれないが、そのイメージが自分の持つ本に由来していないと効果がないことを証明した形になった。
「……かっこいい、って思ってるだけじゃダメだって理解で、合ってる……?」
「えっと、あ、合ってます合ってます!」
自分の本でもどきを容易に仕留めた小夜は、さらに落ち込んだ奏太を懸命に慰めた。