5話 森の奥で待ち受ける者
土と血肉を融合させた新しい身体を得た私は、洞窟の内部――ダンジョンコアとしての自分の“本体”を残しつつも、外の世界へ自由に動き回れる準備を整えた。
前の土ゴーレム的な身体よりはずっと機敏で、しかも多少の衝撃なら“血肉の膜”が衝撃を吸収してくれそうだ。とはいえ、あくまで再現された疑似的な肉体。過信は禁物だと自分に言い聞かせる。
洞窟の出口へと足を運ぶ。先日、ホーンラビットと死闘を繰り広げた場所だ。
視界に広がる鬱蒼とした森林は相変わらず光量が少なく、わずかな日差しが木々の合間を抜けて地面を照らしている程度。
私はそっと腕を上げ、手のひらを見つめる。以前のような硬い土の塊ではなく、少し赤みを帯びた粘土質の表面が、うっすらと人間の皮膚を思わせる。
しかし指を曲げ伸ばしすると、関節の中から土の粒子が落ちそうになってギシギシと軋む音がする。まだまだ改良の余地ありだ。
「とはいえ、動きやすさは段違いだな」
屈伸運動をしながら軽く跳ねてみる。ホーンラビットの「瞬発力」がどこまで反映されるのか分からないが、少なくとも以前の身体のように“ドスンドスン”と重々しく動く感じは消えている。
「ふむ、これなら森の奥まで探索しても、ホーンラビットのような敵に対抗できそうだ」
私は軽く息を整え――もっとも呼吸する必要があるのかは自分でも疑問だが――、森の中へと足を踏み出した。
森の深部へ
背の高い木々が生い茂る場所を、慎重に進んでいく。落ち葉や枝を踏みつけると音が出るので、なるべく静かに足を運ぶように心がける。幸い、足裏の“土+血肉”が柔らかいせいか、思ったより足音を抑えられるようだ。
視線の端に、先日見かけた白毛のリスのような魔物が木の上をすばしっこく走っているのが見えたが、こちらをチラリと見ただけですぐに逃げてしまった。やはり私の姿は“謎の生命体”のように見えるのだろう。そりゃそうだ、顔だって土の表面に最低限の凹凸をつけただけで、人間らしい造作とは程遠い。
「ま、いまさら見た目を気にしても仕方ないか」
この森に、どんな魔物が生息しているのかは分からない。先日のホーンラビット程度なら対処可能だが、それ以上の強敵が潜んでいても不思議ではない。ここは慎重かつ大胆に――危なくなったらダンジョンに逃げ込めばいい。
見覚えのない魔物との遭遇
しばらく森を進むと、突然、背後から大きな羽ばたきの音が聞こえた。
「……なんだ?」
振り返ると、そこにはコウモリのような翼を持ちながら、頭部だけは鳥のように鋭いくちばしがついた小型の魔物が飛んでいる。大きさは私の頭ほどだが、翼を広げると体長以上の幅がある。
その魔物は「キィッ!」と甲高い声で鳴き、私に向かって勢いよく急降下してきた。
「うわっ、いきなりだな……!」
咄嗟に身をかがめると、魔物のくちばしが私の肩付近をかすめる。そのまま森の地表スレスレを滑空し、再び舞い上がって距離を取った。どうやら威嚇や奇襲が得意なタイプらしい。
「こいつ、空を飛んでるし厄介そうだな……」
地面に足がついていない相手との戦闘は、土の地形操作が使えない分だけ面倒だ。洞窟の中ならともかく、ここはダンジョンの外。思いどおりに地面を変形させることはできないし、自分の身体を動かして対処するしかない。
「でも、俺には“水魔法”がある……!」
スライムを取り込んだことで得た能力を試すときだ。森の中には湧き水や小川はないが、先ほど歩いてきた道中で葉や苔に含まれる湿気がわずかに集まっている。それを無理やりかき集めるイメージで意識を集中する。
“ビチャッ……ビチャビチャッ”
足元や木の根元に染み込んだ水分が、土の表面に凝縮されて現れ、私の足元に水たまりが生まれ始める。量としてはささやかなものだが、弾丸として撃てるくらいにはなりそうだ。私は少量の水の玉を手のひらに浮かべ、飛びかかってくるコウモリ鳥のような魔物に向けて一気に飛ばした。
「行けっ……!」
水の弾丸は空気を切り裂き、魔物の翼を掠める。しかし、すばしっこく飛ぶ相手に直撃は難しい。
「キィッ!」
魔物は甲高い声をあげつつ、再度こちらへ突っ込んでくる。すると、私の新しい身体がまるで動物的な“第六感”を覚醒させたように瞬間的に跳躍した。
「うおっ……」
この“瞬発力”は明らかにホーンラビットから得たものだ。ギリギリのタイミングで魔物のくちばしを避けると、空振りした魔物は地面すれすれを滑空していく。
「悪いが、もう一発だ!」
私は手の平に集中してもう一度水弾を作り出し、同時に地面を蹴って跳躍。相手が飛び去る背後を狙い撃つ。
“バシッ!”
きれいに直撃――とまではいかないが、魔物の翼を大きく揺らした。体勢を崩した魔物はそのまま森の地表に叩きつけられ、悲鳴のような鳴き声をあげる。
「……よし、今だ!」
魔物がもがいている隙に、一気に距離を詰める。今度は擬似身体の腕を伸ばし、土と血肉を混ぜた“触手”のような形で捕まえた。魔物は翼をばたつかせ、鋭いくちばしで私の擬似腕を突こうとするが、土と血肉がゴリゴリ削られながらもなんとか耐える。
「くっ……結構痛い。いや、痛覚はないんだけど、削れる感覚がイヤだな……!」
それでも、捕まえた相手を離さずに力を込める。翼を折りたたませるように締め上げ、動きを封じた。最後に、多少強引なやり方だが、首元を掴んで一気に地面に叩きつける。
“メリメリッ!”
嫌な音がして、魔物がピクリとも動かなくなる。勝利したものの、私の擬似腕もひどく削られた。腕の表面はぼろぼろで、血肉部分が露出し、赤い筋がちぎれてしまっている。
「ふう……やれやれ。こんな弱そうに見える奴でも、対空戦は厳しいな」
とりあえず、これも生存の糧だ。ダンジョンの外では魔物を取り込めないが、捕獲した“死体”を洞窟まで運べば、再び吸収するチャンスは得られる。
私は倒れた魔物の死骸をなるべく傷つけないように抱え、ゆっくりと洞窟の方向へ向かい始めた。
道中での不穏な痕跡
洞窟へ戻ろうと歩を進める途中、わずかに獣臭と焦げ臭い匂いが入り混じった“残り香”のようなものを鼻で感じた。もっとも鼻があるわけではないのだが、どうやら血肉部分が外部の情報を捉えているらしい。
「……なんだ、この匂いは?」
私が匂いを辿って森を少し横道に逸れると、そこには何本かの木が焼け焦げ、地面に大きな爪痕のような引っかき傷が幾重にも残されていた。木の幹には赤黒い液体が飛び散り、明らかに最近ここで激しい戦闘があったと分かる。
「まさか……人間か何かが戦ったのか? それとも、魔物同士?」
地面には血の跡や焼けた肉のような塊がこびりついている。大きな足跡もあるようだが、私には何の生き物か判別がつかない。ただ、少なくともホーンラビットや先ほどのコウモリ鳥のような小型魔物の仕業ではなさそうだ。もっと大型で、しかも火を扱うか、あるいは火に対抗しなければならない状況があったと考えられる。
「こっちに深入りするのは危険かもしれないな……」
私は肩に担いだ魔物の死骸を見やり、腕の損傷具合に顔をしかめる(顔らしき部分を歪める、が正確かもしれない)。ここに長居するのは得策ではない。まずは洞窟に戻って、傷の修復と魔物の吸収――もしくは解析に取りかかったほうがいい。
「よし、引き返そう。また後で探索するかどうか決めればいい」
そう判断し、私は大きく迂回しながら洞窟へ向けて慎重に歩を進めた。先ほど飛びかかってきた空飛ぶ魔物がいるくらいだから、同じ仲間が襲ってくる可能性もある。なるべく足音を立てないように、周囲を警戒しながら一歩ずつ。
どうにか洞窟の入り口まで戻ってきた私は、倒した魔物の死骸を引きずるようにして内部へ運び込む。
ダンジョン内部は私の“縄張り”といえる空間だ。コアがある中心部へ近づくほど魔力の反応が強く、私が意思を集中すれば地形をある程度まで操作できる。
「さて……改めて、取り込んでみるか」
すでに死骸はほとんど動かないが、薄っすらと残る魔力がダンジョンの内壁へ吸い込まれていくのを感じる。
スライムやホーンラビットを取り込んだときと同じように、死骸が徐々に溶けるように消えていき、その力がコアへ流れ込む――私の意識へと統合されていく。
「……くるぞ」
脳内に、猛禽類が獲物を狩る瞬間のイメージが焼き付く。
コウモリのような 反響定位らしき感覚も断片的に伝わってくる。
どうやらこの魔物は飛行と鋭い聴覚を持ち、奇襲戦法を得意としていたらしい。
「これで“飛行能力”を再現できるか……?いや、翼を物理的に再現しなきゃ無理か?」
いくら力を取り込んだとはいえ、私はまだ“翼”の構造を作るノウハウを持っていない。
そもそも自分の身体は人型をベースにした“土と血肉のキメラ”だ。
だが、いずれ“翼を持つ擬似身体”を作り出せる可能性はあるだろう。
「できることが増えるのは嬉しいが、まずはこいつから得た情報をちゃんと消化して、何に活かせるか考えないとな」
体内――というかダンジョンコアに蓄積された魔力が増えたせいか、少しだけ大きくなった感覚がする。
まるで自分の背が伸びた時のような。人間だった頃の記憶が希薄なので自分の中にある背が伸びた感覚というものが正しいかどうかは分からないが。
私は改めて先ほど見た“焦げ跡”の光景を思い出す。あの大きな爪痕と焼け焦げた木々、血臭の残る地面……何者がそこを通り、戦闘したのか。
大型の魔物同士の争いかもしれないが、そこにもし“人間”が絡んでいるのだとすれば、いずれ私のダンジョンが発見される可能性も否定できない。
「人間……か。もしかすると、この世界には冒険者とかダンジョンを攻略する連中がいるかもしれないな。ゲームやファンタジーみたいに」
自分がダンジョンコアである以上、彼らからしたら“討伐対象”となるかもしれないし、うまく話ができれば交渉の余地があるかもしれない。
だが、いずれにせよこちらが弱ければ一瞬で蹂躙されるだけだろう。
「強くなるってのは、やっぱり大事だよな……」
私が一人ぶつぶつと呟いていると、先ほど“産み出したスライム”がコアの近くをプルプルと動き回っていた。
少し前に生まれたばかりなので愛嬌がある。また、こちらに対して特に敵意はないらしい。
どこかの隙間から苔を吸い取っては、またコアの近くでのんびりしている。
「本当に自由だな、お前は……」
スライムは私の声に反応したのか、“ぷるん?”と首をかしげる(首があるのかは不明だが)。なんともマイペースな様子だ。
こういう魔物なら、いずれ私に懐いて一緒に行動してくれるかもしれない。
スライムと同じようにホーンラビットを産み出すことも理屈では可能だが、性格次第では凶暴だったり、私に懐かなかったりする危険性もある。
偶然生まれたスライムは幸運にもおとなしい魔物だったが、ホーンラビットを今産み出すのは危険だ。
「コウモリ鳥も産み出せるか試してみたいが……今は控えておこう。飛び回る魔物が増えたら管理が難しくなる」