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苦手な方はご注意ください。

龍神様の贄僕

作者: 麦パン

神龍様が住むとされる洞穴に僕は生贄として村から追い出された。

発端は雨が降らなくなり、干ばつは起きたから。

畑で作物は育たず、川は干上がり魚も取れない。

山の恵も野生動物が食べつくし、人が食べれるものは少なかった。

村に残されたのは僅かな雑穀と塩漬けにした野菜や干した保存食ぐらい。

それでも生きていかなければならないので神頼みというわけだ。

神様なら雨を降らしてくれる。その願いを背負って僕はその洞穴までやってきた。


 「……意外と短かったなぁ」


 思い出すのはここに来るまでの短い人生の記憶。

僕は大きな国の戦争から流れてきて何でもするからと村に置いてもらっていた。

だが、何もできない無能な子供だと気づいた時村人の顔と声から感情が抜けた。

――その時の事を思い出すと胸が苦しくなる。

けど、生贄への出立前には今まで食べたことなかった美味しいご飯をくれた。

ツヤツヤとした美しい白米、ふっくら身の詰まった川魚、具沢山の味噌汁。

たらふく食べた。食べさせられた。

身体を念入りに拭かれ、髪を酒で洗われた。

服も肌触りの良い上等な真っ白な装束を着せられた。

村の人達のあんな笑顔は初めてみた。

生贄へと僕一人で旅立たせる村人達の顔に笑みこそあれど、涙などなかった。


 『お前のお陰だ』

 『君がいてくれたからこの村は助かるのだ』

 『あぁ、神よ! どうか雨のお恵みを!』


 僕を腫れ物として扱っていたくせに。

よそ者だからと誰も遊んでくれなかったくせに。


 「でも、美味し、かったなぁ……」


 涙が溢れる。嗚咽混じりに食べたものが出そうになる。

それを手で無理やり抑え、悪い記憶も良い記憶も美味しいこの思いも。

溢れないように。零さないように。必死に抑えて、声を押し殺して、泣いた。

白の正装を涙と涎まみれにしながらも身なりを整え、目的地を見上げる。


 「僕はもう死人なのだから。後悔も、ない」


 生贄に選ばれた日から死の覚悟を決めた。

正確に言えば戦争で村が壊滅した時には死ぬ覚悟をしていた。

なら、今更だ。

どうせ死ぬのならなんて色々考えてもだめだ。

――生贄として潔く死ね。

だけれど、せめてもの反抗として考えていたことがある。

それは――、


 「龍神様に雨を降らせないように頼んでみる……」


 蔑まれ、疎まれ、遠ざけられた僕は村の人達が嫌いだ。

ここまで生き延びさしてくれたことに感謝はすれど、この嫌な感情が消えることはない。

だから、せめて彼らの願いを叶わなくしてやる。

そんな小さな想いを胸に抱き、洞穴へと踏み込む。

中はとてつもなく広く、暗く、寒かった。

ここに龍神様がいるのなら納得するほどの妙な静けさと神聖な雰囲気を肌で感じた。



 「………誰だ」

 「!」


 くぐもった声が洞穴の奥深くから響く。

体中の毛が逆立ち、震えが止まらない。

それでも、行くしか無い。

覚悟をした。

したが、怖くないわけない。


 「あ、あの! 生贄にきたもので、す……」

 「生贄だと……?」


 荘厳な声の神龍様は未だ闇深き洞穴で僕の言葉を反芻していた。

そこからしばらく時間が立ち、僕はその間生きた心地がしなかった。

心臓が脈打ち、思わず呼吸を止めてしまうほどのプレッシャー。


 「ふん、まぁ、退屈しのぎにはなるか。奥に来い」

 「は、はいぃ!」


 不意に呼ばれて声が裏返ったが、そこから先は闇の世界。

昼を越えた外の青も入りこまない別世界だ。

そして、僕の死を待つ世界でもある。


 「どうした、早く来い」

 「――はい!」


 尊厳な声に背中を押され、僕は遂に龍神様と対面するのだった。






 「え?」

 「なにを突っ立ておる? ほれ、そこに座れ」

 「え? え?」

 「儂が許可しとるんじゃ、早う座らんかい」

 「あ、はい……?」


 そこに居たのは可愛らしい声で話す和装の少女が茣蓙(ござ)の上に鎮座していた。

頭の先から腰まで伸ばした長い白髪に赤い髪が混ざっている。

座っているからか身長は低く見え、その端正な顔立ちは村の女の人の何百倍は綺麗だった。

そして、特徴的な黄金の瞳。何者にも揺るがない金剛を想起させる。

だが、どれにも僕の想像していた龍神様像はなかった。

村の人達によれば山を七巻できるほどの長さの巨大な白亜の龍と聞いたが違うのだろうか。


 「さて、お前、生贄といったな」

 「は、はい! そうで、す」

 「自ら望んできたのか?」

 「……そうです」

 「――そうか」


 ――本当は違う。

無理やり生贄として村を追い出されたと言いたい。

でも、ここで変なことを言えば僕は殺されると村の人から聞いた。

だから、咄嗟に嘘を吐いた。

実際には吐こうとした。


 「望まぬ生贄に身勝手な雨乞の願いか。気に入らん、村の人間を殺すか」

 「え? ええええ!?」

 「それはそうだろう? お前、あの村から追い出されて私への供物にされたんだろう?」

 「なんで知って――むぐっ!」

 「龍神相手に隠し事が通じるとでも? ハッハッハ! 心を読むぐらいできんと神はやれんわ」


 びっくりした。咄嗟に手を口で塞いだがすべてお見通しであったのだ。

だけど、それなら龍神様は全部わかってくれるはず。

村の人に仕返しをしたいという僕の気持ちを。

雨を降らせないように願う僕の思いを。


 「……はぁ、まぁいい。とりあえずこれ、もってみろ」

 「……? 鉄の板?」


 渡されたのはへんてこな形をした四角と丸で構成された鉄の箱。

だが、金属にしては軽くカチャカチャと音がなる。


 「この勝負でお前さんが勝ったらその心に秘めてる願いを無償で叶えてやる。逆に儂が勝ったらそう  じゃのぉ。儂に食われろ。それでいいか?」

 「! わ、わかりまし、た」


 何かはわからないがともかくやってみよう。

僕と龍神様(?)の眼の前にあったのは四角い箱。

その全面にガラスが取り付けられていて、その奥には美しい景色が広がっていた。


 「?」

 「あぁー、こういうのは初めて見るか。まぁ、童じゃからすぐ慣れるじゃろう。これは“げーむ”と言ってお前さんら人間が作り上げた代物じゃ」

 「げーむ? これを人が……?」


 摩訶不思議なものであるからてっきり龍神様の力の一片かと思ったが違うらしい。

それに人がこんなものを作れるのだろうか?


 「さては信じておらんな。まぁいい。さ、まずは練習を始めるぞ」

 「あ、待ってください!」

 「習うより慣れろじゃ」


 僕が静止しても龍神様はそのげーむとやらを始めてしまった。

箱の中のガラスの景色は風のように右に左に流れてゆく。

緑溢れる森の中か思えば、湖の中のような場所、この薄暗い洞穴のような場所も景色の中にあった。

その中で一人の男が立っており、それが不自然な格好で座ったり、立ち上がったりしていた。

拳を突き出したり引っ込めたり、よくわからない波動を手から出したり。

よく見ると龍神様も僕と同じ箱を持っており、それをやたらめったらと触ると、それに連動するようにガラスの中の人が動いていた。

それを見て僕は村に滞在していた行商団の中に居た操り人形師を思い出した。

彼は糸を操ってまるで人形が生きているかのように繊細に動かしていたが、おそらくそれと同じような仕組みなのだろう。


「関心している場合じゃない、えいっ!」


 僕が手元のへんてこな箱をがちゃがちゃ動かすともう一つの人がガラスの中に瞬時に現れ、右に左に動き出した。

箱の丸と四角をある程度動かすとどれがどの動きになるのかがおおよそ分かるようになった頃、龍神様から声がかかった。


 「そろそろ良いか小僧。やはり童は飲み込みが早いのぉ。では早速試合をしてみるか」

 「え!? 僕筋力も弱いので試合にもならないですよ……?」

 「馬鹿者! この流れならげーむで試合をするという意味に決まっておるだろう!」

 「ご、ごめんなさい!」


 勘違いをしてしまったがそれに本気で起こった様子はなく、暴力のない親しげな叱り方であった。

それが心地よく、母が生きていたらこんな感じだったのだろうかと思う。

が、そんな不敬な考えが浮かんだがすぐに首を振って追い払う。


 「――――では、始めるぞ」

 「……はい! お願いします!」











 「ふふーん。お前の負けじゃ。お前は願いを叶うことなく大人しく儂に食われよ」

 「……はい」


 げーむでの試合は完膚なきまでに負けた。

龍神様に言われたこの“こんとろーらー”と呼ばれる箱でガラスの向こうの人を勘で動かしているだけでは意味がなかった。

右往左往する僕が操作する男。

それに対し、龍神様が操作する男は華麗な動きで技を繰り出して、僕が操作するきゃらというらしいを倒した。

正直、試合にもなっていなかった。

立つことを覚えた幼子と拳法の達人が戦っているのを見ているような感覚になった。

だがまぁ、これで良かったのだ。

元々死ぬ予定ではあったし願い事も村人への仕返し程度に思っていたことだ。

悔いは――うん、ない。


 「……さて、儂に食われる前にお前に提案をする。然と聞き届けよ」

 「……?」


 それがどういう意味なのか。僕が理解出来ないでいる間に龍神様の赤く小さな唇が動いた。


 「まずこのげーむというのはな、人が世界の面白さの一部を技術で切り取って詰め込まれたものじゃ。お前はやっとこさ動かせるようになったが、儂はこのげーむと何千時間もやり込んでおる。じゃから勝てないのは当たり前じゃ。じゃが、もしも、お前が儂と同じく何千時間もこのげーむをやり込めばその勝敗はわからんじゃろ?」


 そう着物の両袖を広げ、独り言にしては仰々しい喋り方に僕は思わず息を呑み、考えてしまった。

――僕には力も知恵もない。

でも勝てるのなら。その可能性があるのなら。村の人に一矢報いる小さな願いも叶うかもしれない。


 「じゃが、人間の寿命は短い。本当に短い。この先何千時間も確実に生きていられるかは保証できん。お前の腹は今でこそ膨れておるが、その骨の細さと筋肉のつき具合からしてそう長くは生きられんじゃろ」


 僕の姿を上か下までしげしげと見つめ、顎に手を当てて考えるように唸る龍神様。

そして、ぽんっと手を叩き、怪しげな目つきと鋭い歯をむき出しにして嗤う。


 「お前、儂の下僕にならんか……?」

 「下僕……?」

 「そう。下僕じゃ。配下とも眷属とも違う。儂を崇め、儂を褒め称え、儂の為に生きる身分じゃ。一日中儂のことだけを考え、行動する。先んじて儂の行動を予測して、それだけの為に生きる。そうなればお前の寿命も健康も保証できる。どうじゃ? とても魅力的じゃろ?」


 そのまともな人として生きる事を辞めるような提案にどう返答すれば良いのか迷った。

安易に頷いていいものではないと理性が警笛を鳴らしていた。

龍神様の爛々とした金色の瞳は答えを待つように僕を見つめている。

それに急かされるように想いと言葉は途切れ途切れではあったが口から溢れた。


 「ぼ、僕は、生贄です。村の人達は雨が降らないと、困るんです。そのために生贄なんです。だから、僕は龍神様へと供物として、食べられないといけないのです……」


 少しの交流で龍神様に対して畏怖の念が薄れ、反対する意見を言ってしまった。

思わず、口を塞ぐが龍神様はむしろ言葉を続けるように顎をしゃくった。

それに応じて、呼吸を整え言葉を再度紡いだ。


 「……僕はいらない子なんです。元々生まれた村から戦火に巻き込まれ一人で逃げていました。よそ者として流れ着いた僕はあの村に居候する形で食料を分け与えてもらってこれまで生きてきました。仕事もこの非力な腕力じゃ何もできなくて。ただ、牧畜の糞尿の掃除も草むしり、備蓄の管理なんかもできればよかったんですが、それも満足にできなくて」


 何が言いたいのか。言葉がまとまらずに懺悔のように過去の悔恨を溢す。


 「……村の人達は最初だけ優しかった。僕が無能だと気づけばその眼には鬼が宿りました。村の子も僕と遊んでくれなくなりました。そんな日々が続き、牛舎で暮らし続け、自身の腹の虫が限界を迎え、水膨れし始めた頃に生贄の話が来たんです」


 涙を堪え、想いを口に出す。


 「僕はげーむには負けてしまいました。だから願うこともおこがましいとはわかっています。僕はせめてもの任された責務として、村の人の期待に応える為に僕は生贄になったのです。ですから、僕を食べてください龍神様。そして、村の人達に雨のお恵みを、どうか、どうか……」


 洞穴のヒンヤリとした空気が肺に入りながらも、頭を冷たい地面にこすりつけ、誠意を示す。

村の人達に生贄のあり方を、龍神様に頼む際の作法は教えてもらった。

土下座と呼ばれる姿勢で頼み込むことがもっとも相手に敬意を示せるということを。


 「……そうか。残念だ。ならば雨を降らすという願いもお前の願いも叶えてやることはできん」


 そう告げた龍神様の声は洞穴の冷たさを遥かに凌駕していた。

顔を、上げることができない。

先程まで気さくだった人のようだった龍神様が別人のようであった。


 「儂はお前に問うた。下僕にならないか、と。お前は村の人達の為の生贄だからなれないとそういう意味で捉えてよいのだな」

 「……はい」

 「お前は儂の望みを拒み、あくまでも村の人達の願いを尊重するのだな?」

 「…………はい」


 僕には肯定する、それしかなかった。

龍神様の下僕になればげーむを多くの時間を費やすことができ、龍神様に願いを叶えてもらう可能性もあっただろう。

龍神様の願いを断ってしまうのは申し訳ないが、村の人の為にこうするしかない。


 「お前、村人が怖いか?」

 「……は、い」

 「儂は龍神として崇められてきた。畏怖の対象としてだ。その儂よりも村人が怖いのか」

 「怖い、です。僕は、身勝手な自分の願いを叶えようとしてまで生き続けたくはありません。ただ、役目を与えられたのです。初めて、初めての仕事を僕は全うしたいのです……」


 喉から水分が抜けていくのが分かる。龍神様の言葉にすべて否定と感情で答えた。

僕はなんと返ってくるのかを震えて待った。


 「クククク、儂の願いを断っておいて、村の人の願いを優先して叶えて欲しいとは……」


 洞穴が震えた。僕ではない。

それが地震ではなく、龍神様が笑っている揺れだと気づいた僕は頭を引っ込め、身を縮めた。


 「――面白いな。全く持って面白い。礼儀も作法もまるでなってないが芯と気骨だけはある奴よ。なら、儂が折れてやろう。特別じゃぞ? お前が生贄として我に食われるという話と儂の下僕になるという話を組み合わせてだな……」


 しばらくの沈黙をもって、龍神様はパンッと手を鳴らし、喜色に満ちた声をあげた。


 「――生贄の下僕にならないか?」

 「生贄の下僕?」

 「そうだ。おまえが生涯すべてを賭け儂の下僕になり、その寿命が尽きたとき生贄として儂がおまえ を喰らう。そうすれば、村の人の雨乞の願いも叶うだろう」


 その提案は僕にとって虚をつかれることだった。

激怒して殺されると思っていたのに、龍神様は提案を変えてくれた。

龍神様が折れてくれるなんて思いもしなかった。

怒涛の展開に頭が付いていかない。

思わず、顔を上げるとそこには笑顔の龍神様が思案を巡らせてくれた。


 「雨を降らさないようにしてさらに村人を困らせたいというお前の願いもまた一興。じゃが、儂に良い考えがある。お前が生贄の下僕になって忠義を尽くして食われると約束すればそれを教えてやっても良い。どうじゃ、魅力的じゃろ?」


 雨を降らせないようにする以外の方法なんて考えたとなかった。

龍神様の顔に嘘など一切ないように見えた。


 「儂の眼を見よ、おまえの答えを聞きたい」

 「……はい。僕は、僕は……」


 顔を上げるとずいっと龍神様の顔が僕に近づく。

端正な顔立ち、きめ細やかな白い肌に、人の心を暴く金色の美しい瞳。

そのすべてが僕の答えを待っていた。

ここで断る理由がない。

生贄としての役目を果たせ、村人に一泡吹かせるのなら、ならない選択肢はなかった。


 「下僕に……、生贄の下僕になります……」

 「ククク、よく言った! これでお前は儂の生贄の下僕じゃ。んー? 言いにくいのう。なにか、なにかないかのぉ……。そうじゃ! ――贄僕、とでも呼ぼうか」

 「贄僕……」

 「そうだ、おまえは今日から儂の贄僕じゃ」


 名前も呼ばれたことなかった僕に与えられたその呼び名に想わず胸が熱くなる。

贄僕。言葉を噛み締め、魂に刻み込む。

忘れぬように。忘れられぬように。強く、強く刻みつける。


 「では、早速行くぞ贄僕。前払いじゃ」

 「どこへですか? 龍神様?」

 「決まっておるであろう? 雨降らしにいくんじゃよ」









 「うわぁ……」


 感嘆の声を漏らし、眼下に広がるのは分厚い雲の海。

上を見上げれば天輪が白く輝き、澄み渡る蒼い大空がはるか先まで続く眺望。

そして、僕はそれを龍神様の頭に乗せてもらい眺めていた。

もちろん人間の姿から山を七巻するほどの巨大な龍の姿に変化されてからの話だ。


 「どうじゃ、すごいじゃろ?」

 「はい!」


 龍神様は嬉しそうな声で聞いた。それに僕は笑顔で応える。

そこには確かな安心感があった。孤独な僕にはなかった温かな居場所が。

そしてふと村の人が言っていた龍神様の姿はこの御姿だったのかと考えていると、クククと堪えるような笑い声が聞こえた。


 「怖いか、贄僕?」

 「いいえ。僕にとってはどれも付き従える龍神様です!」

 「ふーむ、そこは大切な~とか大事な~愛してるとか言ってくれれば儂への好感度とか親愛度が高まるんじゃがなのぉ」

 「親愛度ってなんなんですか?」

 「んあー、いい。気にせんでくれ。戯言じゃて。それよりほれ、この景色は今だけは贄僕だけのものじゃ」


 龍神様に改めて言われて眼に収める世界は美しいという言葉が相応しかった。

飢えに苦しみ、人に苦しむ生活で空を眺めることはなかったから。

床か地面、人の顔色しかみれなかったから新鮮で美しい空の世界は心が満たされた。


 「近い将来、人間は空を飛び、自由にこの景色を見ることになるのじゃが、今は独り占めできる天空の世界じゃ嬉しいじゃろ?」

 「それは違いますよ? 今は僕と龍神様二人だけの世界です。誰の邪魔もできません」

 「ッ――!?」

 「龍神様?」


 空を悠々と飛んでいた龍神様の動きがピタリと止まった。

そして、急に上下にうねるように飛び始め、僕は思わず悲鳴を上げてしまった。


 「……こやついつの間に歯の浮く台詞を……?」

 「どうかされました?」

 「ええい、いいから雨を降らしに行くぞ雨を!」

 「機嫌でも悪くされましたか?」

 「むしろ良い――って何言わせとるんじゃ、たわけは~~っ!」

 「えええええええぇ~~!?」


 僕の純粋な疑問に憤怒した龍神様は今までの遊覧飛行から急加速した。

必死に背中にしがみつき落とされないようにただ必死に堪え、しばらく時間が立つと動きが止まった。

乾きそうなまぶたを開くと、


 「――着いたぞ。贄僕、お前の村の上じゃ」

 「……そうですか」


 雲海を下った先にあったのは僕が追い出され、生贄に差し出した村があった。

食糧難で貧困する村に活気はなかった。

 だが、龍神様を見つけた村人が慌てて祈り、それに気づいた他の村人も家屋から飛び出し、空に祈り始めた。

言葉を投げかけることはしない。それが不遜に繋がるかもしれないから。

村人たちはただ、頭を垂れ、祈る。


 「――気に入らん」


 ぼそりと呟いた言葉は村人には届かず、僕にだけ聞こえた。

その不満と怒りの混じった声は村人には届かない。

そしてそれと同時に白く分厚い雲は黒く変色した雲に変質した。

ゴロゴロと音を立て、稲妻が走る雷雲が龍神様を中心に伝播し、空は黒色に染まった。


 「さらに生贄を増やすだと? ふざけるな塵共。生贄のその代償を甘んじて受けるが良い」

 「り、龍神、様?」


 怒りに満ちた言葉と雷が村に落ちるのはほぼ同時だった。

逃げ惑う村人。悲鳴を上げ地にひれ伏す村人。ただ、祈りを繰り返す村人。

僕が何を言っても龍神様は止まらなかった。

止めることはできなかった。


「雨も望み通り与えてやろう!」


 雷と雨は複合され、雷雨となり、気流をも産んだ。

複雑に絡み合った気象はやがて、嵐となった。

神の怒りだと誰かが言った。


 「どの時代でも気に入らん。神は人間にとっての舞台装置だとでも? ……くだらん。勝手に信仰して、自身らに知識と傲慢が蓄積すれば神を信じなくなり、自らが成長しただと? 不遜である。身を持ってその愚かさを知れ」


 龍神様の言葉に心に一切の曇のない憤怒が嵐となり村を襲った。

そして、しばらくしてからその嵐はまるで嘘のように消え去り、元の青空が世界に戻った。

村人達は畏怖に震え、その身体をただ縮こまらせた。

僕はその光景をただ、眺めているしかできなかった。


 「――ふん。これで、しばらくは神を道具のように扱わんだろう」


 そう呟くと龍神様は僕を乗せたまま元の洞穴へと戻っていった。


 ――空には巨大な虹の軌跡が残され、後にそれは天災の虹龍とよばれ後世に伝承されてゆくのだった。











 「……怒ってますか」

 「……もう怒っておらん」


 洞窟で僕は人の姿に戻った龍神様に想わず聞いてしまった。

返答はそっけなかったが、その言葉の裏を返せば怒っていたことは明確であった。

理由を考えたが僕にはわからなかった。

だから、


 「なんで――どうして、怒っていたのですか」

 「わからんのか?」

 「その、ご、ごめんなさい。わからない、です……」

 「…………」

 「えぇと……」


 沈黙が洞穴の空気を支配し、その空気を切り裂くように龍神様は口を開いた。


 「贄僕。お前の名は?」

 「……ないです。あったのかもしれませんが、母にも、誰にも呼ばれたことがありませんでした」

 「そうか。――わしはそこにも怒っておる」

 「ごめんなさい……」

 「お前が謝ることではないわ! 村人に儂は怒っているのじゃ」

 「村の人に……?」


 その言葉の意味がわからず首をかしげていると、龍神様は白髪に赤い髪が混じった美しい頭部をガシガシと掻きむしる。


 「教養も無ければ、察しも悪いものか。いや、おまえには聞こえてなかったなあの村人の声が」

 「……声、ですか?」

 「あぁ。あやつらは祈りながらこう言った。『あの童では満足いただけませんでしたか。ならば、変わりの童を生贄に捧げましょう。どうか、怒りをお沈めください龍神様』とな」

 「他の、生贄……」

 「お前を生贄に捧げたことが龍神の気に触れ、村人の前に儂が現れたと解釈したようじゃな。――全く以てくだらん」


 腕を組み、ガジガジとギザギザな歯を噛み合わせイライラした様子の龍神様。

だが、その姿に僕は心が打たれた思いだった。

――僕の為に怒ってくれていたのだ。

それに気づけば嬉しく、恥ずかしく、心の中に暖かいものが溢れてくる。

これがなんなのか。知らないけれど、大切にしたいと感じた。


 「なに腑抜けた顔でニヤついておるのだ贄僕」

 「あ! いえ、その嬉しくって。龍神様が僕の為に怒ってくれて」

 「ふん! 気づくのが遅いわ! で? どうする贄僕よ。お前の望みは叶ったぞ?」

 「望み……」

 「そうじゃ。雨を降らすという願いが叶ったぞ。嵐という形じゃがな」

 「……」


 確かにそれは村人が望む願いだった。

疎外され、身よりもない僕を最低限生き延びさせてくれた村の人。

彼らに任された、信頼された生贄という使命。

だけど、龍神様は怒りで嵐を起こし、雨は振ったけれど村はかなりの被害を受けた。


 「――龍神様。願いを叶えてくれますか?」

 「あぁ、嵐は起こしてしまったが、あれは八つ当たりみたいなものじゃが、願いは願い。お前が生贄の任を果たし、儂の下僕となったのならお前の村人への報復の案を進呈しよう」

 「あ、ありがとうございます」

 「ふむ。まずは、演技じゃな」

 「演技?」

 「贄僕よ。これから忙しくなるぞ?」


 龍神様が告げた演技の花が咲くのは2年もの歳月が経った後だった。







 村は大騒ぎであった。

空を見上げれば、遥かに大きな龍神(バケモノ)が雷雲を纏っていたのだから。

山を七巻するほどの巨体。白い天鱗に覆われた分厚い胴体、牡鹿のような頭部に生えた角は赤く、太く、巨木のような大きさであった。

固い鋼のような鋭い牙と爪を持つその龍神が金色の瞳を開き村人に眼で問うていたように見えた。

答えに間違えれば死が待つだろう。

あまりの気迫に村人すべてが家屋から飛び出し、地に伏せ、謝罪と祈りを捧げた。

そして、誰もがその答えを一つに絞った。絞ってしまった。


 『あの童では満足いただけませんでしたか。ならば、変わりの童を生贄に捧げましょう。どうか、怒りをお沈めください龍神様』


 村長が、農民が、村人が、村を守ろうとする大人の思いが一つになった。

そうして、怒りは鎮められ――なかった。


 白かった雲は暗雲に変わり、雷を纏って雨となる。

強風と混ざり、雨は嵐となりて村を襲い、村は壊滅的な状態になった。

ひたすらに地面に頭を擦り付ける村長。

逃げ惑う村民。

逃げ隠れて怯える童たち。

それがどれだけ立っただろう。

白亜の龍神は気がつけば、嵐を引き連れ、村の上空から消え去っていた。

その痕跡に戻った青空に大虹が架かっていた。


 「虹の龍……虹龍神(こうりゅうじん)様……」


 こうして、決してよそ者の生贄を捧げてはいけない。さもなけれれば虹龍神の怒りが起こる。

そんな龍神様の怒りの後、雨が降った。

村人は歓喜した。

久々の雨だ。喜び、舞い踊り、神に祈りを捧げた。

雨は続き、それが半月ほど続くと、雨は止み、空が晴れた。

そして、大きな虹が架かった。

喜びは畏怖に変わった。


二年前の災害、いや神災のことを思い出したからだ。


【虹がある所に龍神様在り】


 そんな伝承が広まっている最中だったこともあり、人々は怯えた。

だが、虹が出たのは神災の後であったので神の怒りが過ぎ去った兆候だと村長が唱えると、村人は安堵の息を零した。

そこから二年の年月が経ち、村は発展していた。

飢え死ぬことなく、畑も回復し、村人の数も増えていた。


 そこに、一人の足音が。

一喜一憂する村人らに小さな足音が忍び寄った。

ピシャリ、ピシャリ。

何かが近づいてくる。

それにいち早く気がついたのは村の門兵だった。

門兵は村の唯一の出入り口に現れた子供に優しく声を掛けた。


 「どうしたんだい坊や。もう龍神祭なら始まるところだぞ? 外で遊ぶのもいいがずぼ濡れなのはいけない風邪を引いてしまう」


 子供は外套のフードを深く被り、そのすべてを濡らしていた。

水たまりにでも嵌ったのだろう。俯き、今にも泣きそうな雰囲気を門兵は感じ取った。


「ほら、まずは、外套を脱げ。そしたら俺の家が近くにある。そこで服を乾かしてだ、な――」


 門兵は言葉を失った。

外套を脱がせた子供の顔に見覚えがあった。

村にいたこども。だが、もういないはずのよそ者の子供。


「門兵さん、ありがとうね。また、優しくしてくれて」

「――なっ!?」


 絶句し、思わず仰け反り尻もちをつく。

まだ、雨に濡れた地面にズボンを濡らすがそんなことはどうでもいい。

どうしてだ?

()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?


「ふふっ、いい顔」


 子供らしからぬ悪辣な顔で少年はピシャリ、ピシャリと村の中に侵入してゆく。

村の広場から聞こえる楽しそうな歌声に合わせて、足音も軽やかに踊る。

はしゃぐ大人と子供に紛れ、混ざりに行く死人。

門兵だけはかろうじて眼でそれを見届けると、大きく唇を噛んだ。


「弱い大人の罪だよな……化けて出ても仕方ない、か」


 門兵は空を見上げ、晴れ続ける空を見上げる。

そうだ。考えればおかしかった。

雨がやんでしばらく日が経つのに雨で身体を濡らしているなんて。

だが、それも遅い。

生贄の子供は復讐しにきたのだ。

自らを見捨てた大人たちへ。

貧困と焦燥が起こした神への供物という名の罪。

それがこの亡霊を招き入れたのだろう。


「だだあぁ、神よ」


 神が通り去った兆候だとしても、吉兆だとしても。

空に罹る虹を祈るしかなかった。

その祈りと同時に村の中から悲鳴が起こり、騒ぎになるのはほぼ同時であった。











 出立の際、門兵の人だけは僕に優しく出送ってくれた。

雨よけの小さな外套もくれたし、頭を撫でて、声を掛けてくれた優しい人。

でも、僕を生贄に送ったのは事実であったのでこっそり近づいて脅すだけにしておいた。

龍神様曰く、『ホラーゲームでは化けて出てくる子供っていうのは顔を隠して行くのが鉄則なのじゃ』とのことだったが、それがどういう意味かわからなかったのであの登場の仕方が正解なのかもわからない。


「こんにちは」


 僕がしばらく祭りに混ざり踊っていたが、気づかれなさそうなので一人の村人――牛舎で働いていたガタイのいい男に声を掛ける。

へべれけに酔った男は焦点の合わない眼でこちらを見つめ、じぃーと見つめると誰なのかわかったようで酔いが覚めた表情でひっくり返った。


 「ひぃ!?」


 祭りの朗らかで楽しい雰囲気から一変、陰険な雰囲気に打って変わった。

僕が逃げ出してきたのだと思ったらしい。

だから、門兵さんのときとは違う言葉で語りかけてみる。


 「雨を降らせたのは僕がお願いしたからですよ? でも、僕がここに逃げ込んだことを知れば龍神様は怒って僕を探し出すでしょうね」


 その言葉に村長が生唾を飲んで、僕の前に出た。


「……探し出してお前を殺すのか?」

「いいえ? 僕がここにいれば自ずと龍神様が生贄として僕もろとも他の童を殺すかもしれない」

「村を追い出された生贄が儂ら村人を脅す気か? 雨を降らせるためならなんでもする。人の命がかかってたんだ」

「……僕は人じゃなかったんだね」

「っ! 大体、よそ者を入れてやったのはワシの寛大さ故! だからお前が無能だとわかっても生贄としての価値はあると思ったから生き延びさせてやったんだろうが!」

 「そうだそうだ!」

 「まさかお前が逃げたから村が嵐の目にあったんじゃねぇだろな!」

 「あれだけ優しくしてやったのに!」


 そう激昂する村長に当てられてほかの村人からも怒号が飛び交う。


 「……じゃあ、僕は殺されるためだけに生きてきたの?」

 「そうだ。それ以外にお前に何ができる。無駄飯喰らいのよそ者が」


 その吐き捨てた言葉と感情は僕の心に深く刺さった。

龍神様の暖かい想いとは違うがこれも本音の感情なのだろう。

槍のように冷たい言葉の棘。

暖かい龍神様と正反対さに僕は村人のことがよくわかった。


 「……龍神様に僕は食べられたんだ」

 「なに?」

 「痛かった。苦しかった。熱かった、寒かったんだよ?」

 「なにを言ってるんだ、お前、元にここに逃げこんだんだろう? ふざけたことをいうな!」

 「――二年も子供が森の中で生きていけるわけないだろ」

 「っ!! まさか亡霊!?」


 村長は顔をひきつらせて、一歩身を引いた。

村人全員が酔っている。正常な判断が出来ていない。

龍神祭とかで酒だけでなく、場の雰囲気そのものに酔っているのだ。

門兵の人だけが僕の事を幽霊かなにかだと思っていた。

さらに言えばそれも性格なな判断ではないのだけれど。

そして、僕が両手を上げると昼の世界は暗雲立ち込める影の世界になった。


 「僕は龍神様にお願いしたんだ。『生き返らして欲しい』って。雨が降ったのは偶然さ。僕がこうしてここにいるからね」

 「何が望みだ? 何でもやろう! 村はもうお前をよそ者とは呼ばない! 迫害もしない! そうだろ皆!?」


 同意を求め頬が赤い村人達は戸惑いながら首を縦に振り肯定する。

僕は言葉の語気を緩めない。


 「僕は龍神様に生き返させてもらったこの瞬間の為に死んでも良い!」

 「……やめろ。来るな……! 悪かった、悪かった!」

 「許さない、許さない、許さない、許さない!」

 「来るな、来るな来るなぁあああああ!」


 尻もちを付き、それでも逃げようとする村長に近づく。

やっと酔いが覚めた村人たちも同じ様に怯えて逃げ出した。

誰もが僕の姿を見て、悲痛な表情で見つめる光景は心の中のわだかまりが少し和らいだ気がした。

そして、僕がその手を伸ばしたその瞬間、大きな極光が村を飲み込んだ。


 「は?」


 ――光が徐々に弱まってゆくとそこには村長と村人達だけの姿があり、先程までのいた亡霊のの姿はどこにも無くなっていた。

村人たちは呆けてただ口から空気を漏らすように声を出した。

祭りの会場には先程までの青空が広がっていた。

が、このときまた門兵だけが空を見上げていたので気付いた。

祈っていた虹が独りでに動いていることを。

そして村から生贄自体の制度とよそ者への偏見が無くなったそうだ。











 「ク、クククク! 良い演技であったぞ、贄僕?」

 「龍神様のご指導ご鞭撻のお陰ですよ」

 「クククそれほどでもあるがのぉ!」


 大空を駆ける虹の龍。

その頭部に乗る僕は先程までの村人とのやり取りを思い返していた。


「最初は驚いたぞ。あそこまでセンスが無いとは……」

「ははは……」

「でもしっかり恐ろしい顔をしていたぞ? よくやったな」

「そう、でしたかね。ありがとうございます」


 ――僕は村に雨を降らせるための生贄だ。それは変わりない。

村の人達から受けた負の感情は心にくすぶり続けたまま消えることはない。

だけど、ここまで生かしてくれたのは事実もまた消えないのだ。

これらをすべて解決するには、僕が生贄としての義務を果たして、死ぬこと。

そして、村人達に少し怖い目にあってもらうこと。

それが龍神様の贄僕としてのけじめのつけ方だった。

……二年も演技に時間がかかるとは思ってなかったけど。


 「どうじゃ少しは気は晴れたかのぉ? 本当は儂が滅ぼしてやりたかったんじゃが……」

 「いいえ。僕は直接聞きたかったんです。村長や村の人達の真意を」

 「そうか」


 そう短くやり取りをして、大空を泳ぐ龍神様。

頭の上は暖かく、眠たくなるようなそんな居心地の良い場所で。


 「疲れて眠いか?」

 「はい。少し……」

 「なら、これだけ聞かせてくれ」

 「はい?」

 「お前はこれからも生贄を続けるのか? もう、その必要はないだろうに」


 その答えを出すのに時間はかからなかった。

僕はお仕事を終えた後の眠気なんかを彼方に吹き飛ばし、即答した。


 「そんなの続けるに決まってるじゃないですか。僕は贄僕として名付けられましたから。親には親孝行、いや生贄の下僕として贄孝行させてもらいます!」


 ふんっ、とふんぞり返って答えると、龍神様の頭部が震えた。

まるで地震のような振動が続き、


 「クハハハハハハハハハハハ! 贄孝行? やはり、お前は面白いやつよ! よし、決めた。――贄僕よ、我とともに世界を巡らんか?」

 「世界……、ですか?」

 「あぁ! 世界は広い!」


 雲海を突き抜けて急降下、海面ギリギリを泳ぐ龍神様。

なんとか角にしがみついていると、海面から空飛ぶ魚やクジラが顔を出した。


 「海だけじゃない! 街も広いぞ!?」

 「わぁああああああ!」


 はしゃぐ僕に龍神様は世界を見せてくれた。

巨大な闘技場と呼ばれるものをシンボルマークにした都市や戦いに明け狂う国なんかも見せてくれた。


 「じゃが、飛び回るだけじゃあ面白くないのぉ」

 「龍神様?」


 しばらく世界を飛び回っていた龍神様は緑溢れる草原の大地に着地した。

そして、人間の姿に戻った。竜人化と呼ぶらしい。


 「贄僕よ。世界とはただ見て触れるだけでない。そのものを体験することが重要なのじゃ」

 「……体験」

 「そうじゃ。人並み外れた体験をお主に与えてやろう。じゃが、わかっておるな? お前の最後は儂が喰らってやる。再度問おう。おまえは死ぬまでは贄僕として尽くすと誓えるか?」


 風が草を撫で、小さな花が揺れる。

竜人化した龍神様の長く美しい赤髪混じりの白髪が揺れる。

金色の強い意思の籠もった瞳に圧倒される。

だが、僕に迷いなんてなかった。

龍神様が差し出す小さな白い手を僕はすかさず取った。


 「はい! 龍神様! 僕は贄僕として、死ぬまでお付き合いいたします!」

 「つ、付き合うぅ!? 馬鹿者! 付き合うとは言っとらんだろう!? あくまでも生贄じゃ! 下僕じゃ!」

 「はい! 龍神様の贄僕ですよね、わかっております!」

 「全ッ然わかっておらんのぉ!」


 僕は首をかしげ、頬を赤らめた龍神様としばらく手を取り合っていた。

そして、その手を見つめ慌てた様子で僕の手を龍神様は引っ張った。


 「ふん! 気に入らんガキじゃ。――じゃが、楽しい時間が過ごせそうじゃ」

 「これからどこへ?」

 「決まっておる。時代と世界の旅じゃ」


 龍神様に引っ張られ、僕はわずかに宙に浮いた。

少女姿の龍神様の筋力が成せる技ではないらしく、二人でふわふわと空に浮かび始めた。

そして、龍神様が片方の着物の袖を広げる軌跡に沿って巨大な虹が現れた。


 「これは虹じゃ。見たことはあるじゃろ?」

 「はい。ですが、これと世界の旅になんの関係が――」

 「ふん。せっかちなやつじゃのう。結論を急ぐでない。いいか、虹というのは本来気候現象じゃ。本来この様に乗ることも、ましてやその上に乗ることもできないんじゃよ」


 そういい、僕と龍神様は虹の上に降り立った。

龍神様は僕の手を引いて、その金色の瞳をキラキラと輝かせながら僕に説明してくれた。


 「虹に乗りたい。雲を食べたい。お化けと友だちになりたい。子供が持つ無知ゆえの憧れと好奇心。まだ、知り得ない可能性への希望。端的に言えば幻想的なことがここでは度々起こる」

 「なるほど?」

 「今はわからんで良い。体験するといったじゃろ。贄僕。お前が儂と過ごすとこんな些事を遥かに凌駕する出来事に見舞われるんじゃて。なぜそうなったかと考えるより、そういうものと思っとったほうが良い」

 「なるほど! 龍神様が凄いことしていると捉えれば良いのですね!?」

 「ぐふっ!? そ、そうじゃ。あと、そんなキラキラな目で見るな儂の心がなぜか痛い」

 「痛いのですか!?」

 「あ~! その目じゃその目! それをやめんか!」


 虹の橋の中間――頂点までこのようなやり取りが続き、龍神様は諦めたようにはぁとため息を溢す。


 「……さて、ここから虹を下る。その先に何があるか見えるか?」

 「えぇ……と、雲と雷……? ですか?」

 「そうさな。じゃ、あれに突っ込むぞ」

 「えぇえええええええええ!?」


 せっかく登った虹の橋を勢いよく飛び降りる龍神様。僕はガッシリ手を引っ張られているので龍神様に半ば引きずられているような形で虹の橋から急降下した。

向かう先は虹の橋の最終地点である雷がビカビカしていてもくもくの雲で覆われた未知の世界。

空を手を繋ぎながら降下するという未知の体験に恐怖しながらも僕の内心はワクワクしていた。


 「あれは、他の虹に繋がる時間虹の入口じゃ!」

 「なんですかそれ!?」

 「簡単に言えばタイムスリップできる虹じゃ!」

 「たいむすりっぷってなんなんですか!?」

 「時間遡行空間の入口の方がわかりやすいかのぉ」

 「もっとわかんないです~~!」

 「ハッハッハッハッ! ほれ、もうすぐ新しい世界へと向かうぞ!」

 「うわああああああ!」



 笑顔でごまかされた僕は龍神様と二人で時間と世界を旅することになったのだった。

まだ見ぬ世界に胸の高まりと龍神様の手の温もりを感じながら――、


 「ふふふ、楽しみだなぁ」

 「儂もじゃ」


 そうして僕は龍神様と出会った――贄僕となった世界から旅立ったのだった。

夏ぐらいをイメージした作品です。

続きがあるとすれば、龍神様の過去のお話や現代世界に馴染めない贄僕くんの話とかですかね。

ではまたどこかで。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

おまけ


「贄僕、飯」

「今日は目玉焼きとウィンナーです。龍神様」

「贄僕、風呂」

「洗って、もう入れておきましたよ龍神様」

「贄僕、寝るぞ」

「もう湯たんぽも用意してますよ龍神様」


 ――できる男になってしまった。

いや出来すぎる男に育ててしまった。

龍神としての威厳も何もなく、ただジャージで過ごす毎日。

尽くされ続ける毎日。

何もしないで贅肉が増えていく毎日……。


「どうしたんですか?」

「いや、なんか、駄目な龍神になっているような気がしてのぉ」

「そんな事無いですよ。龍神様はいつでも素敵で可愛らしいのですから」

「かはっ!」

「龍神様!?」


 こういう風には育てた覚えがないのじゃが……。

まぁ、いいか。

これはこれで良い日々かもしれんのぉ。


 「あ、でもあんな布面積のない赤い下着はどうするんですか」

 「――え゙?」

 「あ、いえ。押し入れに隠されていたやつなんですがあれ、洗わないと思いまして……、――龍神様? どうして顔を真赤にして怒っているのですか? あ、ちょっ! その手に握る包丁はお納めください! 振り回さないでください! 危ないです!」

「うるさい! それを儂に返せ」

「ひぃいいいい!」


 ――儂は育て方を間違えたのかもしれん。

そう思い直し、秘蔵の勝負下着は見つからないように隠し持つようにしたのだった。

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