二、伊藤一刀斎の章
二 伊藤一刀斎の章
儂はいったい何所へ向って居るのか。
己の剣を磨くための旅であったはずだ。
儂の剣はもうすでに、己が想像する高峰に到達して居るのだ。
何故まだ修行の旅を続けて居るのか。
一つの流派を打ち立て、それを弟子たちに譲り渡したと言うのに・・・
後は弟子たちで好きなようにしてくれたら良いと思って居る。
儂はもう剣を握ることに疲れたのじゃ。
兵法と言う修羅の道を歩むことに、本当に疲れてしまったのじゃ。
儂がこの世に残した剣は、例え名を変え、形を変えたとしても、未来永劫まで残るものであろうよ。そう言う剣を立ち上げたのだ。
儂の剣は、剣を学ぶ者の全てが扱えるように、解り易く工夫しておるからのぅ。儂のやるべきことはもう何も残って無いはずだ。
そうか、儂は自分の死に場所を探して居るのかも知れない。きっとそうじゃ。
武士を捨てて百姓にでも成ろうか、うむ、まぁそれも悪くはなかろう。
銭は在るのだ。何所かで土地でも買って畑を耕すのだ。剣を捨てて鍬を持つ。
そうやって生涯を終えるのも良いだろう。
幼い頃より、剣一筋に生きて来た。
いつも剣の事を考え、高い峰を目指し、日々精進を重ねて居ったものじゃ。
そして己の剣が、いつの間にか己の考える域に到達して居た事に気付いた時には、何やらずっと張詰めていた気持ちの糸が、プツっと切れてしまった様な感じであった。
まるで憑き物が落ちた様な気分じゃ。
物事を極めるとは、このような気持ちに成るのであろうか、考えても解らない。
しかし今は、剣の事は忘れて居たい。
儂はもう良い歳じゃ。余生はのんびりと暮らしたいものよ。剣はもうよい。
儂の剣は、きっと次郎衛門たちが広めてくれるだろうよ。次郎衛門とは、小野派一刀流の祖、小野次郎衛門の事だ。
一刀斎の下で修練に励み、次郎衛門は一刀斎より、一刀流秘伝を相伝したのだ。
余談になるが、一刀斎は生涯で一度も、一刀流を名乗った事が無いと言われて居る。
一刀流と言う言葉は、師を思う次郎衛門たちが、自分が流派を起こす際に当てはめた言葉なのであろう。
人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。
幸若舞の(敦盛)の一節だが、これによると、儂はもう死んで居ないとおかしい。
心の方は複雑な気持ちだが、身体の方はこの通りまだピンピンして居るわ。
昨年豊臣家が滅んでしまい、これで徳川家に弓引く大名はもう居ない。
これからは戦の無い、太平な世の中になるであろう。兵法だの剣だのは、必要が無くなるのだ。
実のところ儂は人殺しが大好きなのだ、いや、大好きであったのじゃ・・・
好き故に剣技も上達して行った。
儂の剣で人を斬り殺す瞬間などは、興奮して射精をしてしまいそうに成るほどだ。
きっと儂は変態なのだろう。
いつも、どうやったら美しく斬れるだろうかと、その事ばかりを考えて居ったわ。
美しく斬り殺すのは当たり前じゃからの、それは儂の作品に成るのじゃ・・・
今日まで何人斬って、魂を天に飛ばしたか解らんよ。百を数えて、それから数えるのを辞めた。キリがないからの。
剣の奥義などは単純明快じゃ。
まずは先手、そして手数の多さじゃ。相手より一太刀でも多くの刃を入れる事じゃ。
相手に先に抜かせてはならん、先手必勝とはよう言ぅたものじゃ、その通りである。
あと大事なのは、自分より強い者とは戦わないことじゃ。相手を見極めることじゃ。
これを我が流派では、見切りと言う。
儂はこの見切りが得意でのぅ。今までに一度も見切りを間違えたことがない。
今まで全勝で来られたのも、この見切りのお陰じゃ。
人殺しは何やら妖艶めいて居る。
殺せば殺すほどに刀が血を吸いたがるのだが、儂も満更それが嫌いではない。
しかし今まで百を超える命を飛ばして来て居るのじゃ、それがただで済むはずはなかろう。儂はそう考えて居る。
このままでは引き返せなくなるだろう。人ではない、何か別のものに成ってしまいそうな気がするのじゃ。
神仏などは信じて居らぬが、今まで殺めて来た数を考えると、やはりただでは済まぬと考えて居るよ。
今すぐにでも、剣を捨てなければ。まだ人の心が残って居るうちに捨てなければと、己の剣技が想像する高峰に到達した時より考える様になった。
だがまだ殺したいのう・・・
思う存分この刀で斬り殺したいのう。流石は一刀斎じゃと人から語り継がれる様な始末をしたいのじゃ。
剣の天才だと、天下無双だと呼ばれて居るのだ、ただ斬るだけではダメじゃ。
始末は美しゅうないといかん。
儂ほど名前が売れて居ると、中々儂に挑戦してくる者は居らぬが、しかしそれでも敢えてこの儂に挑戦して来るものは居る。己の腕に自信があるのじゃろぅ。
儂はそう言う輩を始末するのが、殊のほか好きでのう。一瞬の内に技量を見切り、相手が抜く前に儂の刃を叩き入れるのじゃ。
己が斬られた事に気付かぬ内に死んでいく者も沢山居るわ。
儂の剣はまず急所を狙うからのう。受け太刀など殆んどしたことが無い。
一刀の元に仕留める、これが美しい始末の付け方じゃ。受け太刀などはするものではない、儂の剣は返す刀も攻撃じゃ。
おっといかん、こうして考えて居るだけで、何やらむずむずして来る。興奮して股間部分が硬くなって居るわ。
儂が普通の人と違うと気付いたのは、立ち合いで初めて人を斬った時だった・・・
あの時もこうして股間が硬くなり、射精をしておったよ。儂がまだ子供のころであり、それが性の目覚めであった。
想えばその時から何かに取り憑かれたようになり、剣一筋に生きて来たのじゃ。
普通の男児が女人の裸体に興奮するのと同じ様に、儂は殺人に興奮を覚えたのだ。
しかし時間をかけて殺すのは、儂は余り好きではない。殺すのが速ければ速いほど、興奮の度合いも上ると言う訳じゃ。
儂の好みに合わせて、弟子達にも徹底してそれを学ばせて居る。
一に先手、二に手数、返す刀は全て攻撃じゃと。今から斬るぞと言う気迫は、それだけで相手に圧力を与えて有利になるからの。
先程まで剣を捨てて、百姓でもやろうかと考えて居たのだが、どうやら剣を捨てるのは無理なようじゃ、いや、剣じゃない。人殺しを辞める事は無理じゃ。
まだ大丈夫と思って居ったが、どうやら引き返す事は出来ないようじゃ。
もはや儂は人では無い。人の皮を被った化け物じゃ、鬼じゃ。殺人鬼じゃ。
きっと儂がこの様な癖を持ち合わせて居なければ、今の様に強くは成れなかったであろうよ。好き故に上達も早かった。
刀とは所詮人殺しの道具であるし、剣術とは人を殺す技である。
それを極める者が、人殺しが好きであって悪いはずはなかろう。
殺人鬼である儂の剣が、弱いはずもなかろうよ。癖のお陰で、普通の人間ではとうてい到達出来なかったであろう、高峰の部分まで儂は登り詰める事が出来た。喜ばしい事だ。
そんな風に考えてみると、今まで見えなかった部分が見えて来た様な気がする。
悟りに似た様な感じである。
儂は開眼したのかも知れんのう。
そうとなれば、ここは余りにも人が少な過ぎる、もっと人の多い所へ行かねば。
江戸へ行く事にしよう。
江戸ならば、命知らずの兵法者に事欠くことはなかろう。
次郎衛門を訪ねて行くのも良かろうよ。
久方ぶりに奴の顔でも見に行くか。奴は儂が家康様に推挙して、今では将軍家剣術指南役をして居ると聞く。一門の武士に成って居ろう。
そうと決まれば善は急げ、じゃ。ここ三カ月は人を斬って居らぬからのう。儂の愛刀も早く血を啜りたいと泣いて居るわ。
つい一刻ほど前までは、剣は捨てるつもりで居ったのじゃが、儂がその気に成った瞬間に、この愛刀は儂におねだりしよるわ。
可愛い奴よ、もう少し待って居れ、その内たらふく啜らせてやるからのう。