一、宮本武蔵の章
【天下無双】
一 宮本武蔵の章
武蔵は自尊心を酷く傷つけられて居た。
意気揚々と大坂の陣に参戦した。しかし豊臣家は武蔵を一雑兵として扱ったのだ。
大坂城に籠城した。だが何もせぬ内に和議が成立してしまったのだ。
何もしていない。武蔵は大坂城の中を、ただ右へ左へと走っただけである。
大坂の陣は冬の陣と夏の陣、計二度行われるのだが、この時武蔵が参戦したのは、始め開戦した冬の陣の方だ。
武蔵は大いに期待した。しかし豊臣家の武蔵への処遇は、納得のいくものでは無い。
戦働きさえ出来ずに戦は終わった。
兵法者として、名を馳せたつもりであったのだが、戦と言う大きな物から見ると、己一個人の価値のなんと小さなものか。
「俺はまだ、その域ではなかったようだ」
武蔵は失意のまま、大坂の地を離れることにした。
また流浪独歩の旅を続けるのだ。
「もはや豊臣も終りだろう、これから徳川の時代は盤石になろう・・・江戸へでも行ってみようか」
独り呟き、進路を東へ向けた。
年が明けて季節は二月に成った。寒さが身体に堪える季節に成って居た。
今日中に松原まで行けるだろうか。この寒空に野宿は無理だ。
東海より上に行くことはあまりない、江戸を訪れるのも今回でまだ二度目である。
江戸へ行き、その後は北陸まで旅をしてみようかと武蔵は考えて居た。
武蔵が開いた流派である、円明流を関東や東北の地まで広めるつもりである。
後に武蔵は流派を、二天一流と改名するのだが、この時期はまだ円明流である。
今時点で、宮本武蔵の名は天下に轟いて居るのだが、流派である円明流の名の方はそうでもないのだ。
武蔵個人の名は、兵法を志す者であれば知らぬ者は居ないだろう、しかし武蔵が使う流派名まで知る者は少ない。
武蔵は自分の流派を、一刀流や新陰流のように、浸透させたいと思って居る。
武蔵の流派は後の世では、廃れてしまって居る。
宮本武蔵と言う剣の天才以外の者では、武蔵の流派を使いこなせなかったのだ。
武蔵の円明流、二天一流からは、後世に至るまで終ぞ名人が育たなかった。
武蔵が求めた、二刀の剣を自在に操ると言う剣技を、武蔵以外は使えないのだ。
しかし武蔵は、自分が出来るのだから、人も同じように出来るのだと思って居た。
武蔵はその事を、最後まで気が付かなかったようだ。
悲しい事だが、天才とは孤独なのだ。
そうして居るうちに遠くから松原の地が見えて来た。幾つかの旅籠屋も見えて来る。
今日はここで宿を泊ろう。
武蔵は貧乏ではない、どちらかと言えば金持ちだ。路銀は沢山ある。
武蔵は剣だけではなく、絵や書、創作の才能もあり、宮本武蔵の名前が上がると共に絵や書、創作物の値も高値がつくのだ。
今で言うブランドである、路銀には困ったことがない。
この様に、才も名前もある武蔵なのだが、豊臣家が下した宮本武蔵への処遇は、余りにも低かった。
信長、秀吉の時代では、兵法者の評価は、それ程価値のあるものでは無かったのだ。
家康の時代に成って初めて、この兵法者の価値がクローズアップされるのだ。
時代錯誤、豊臣家の武蔵への処遇の低さはそこに在るのだ。新しい時代に乗り遅れてしまって居るのだ。滅びゆく家である。
だから武蔵は江戸へ行こうと考えたのだ。
柳生宗矩は元々の土地持ちであったが、小野次郎衛門などは、兵法者と言うだけで将軍家兵法指南役に投与されて居る。
これからは兵法者が価値を持つ時代が来ているのだ。江戸行きは正解だ。
それからもう一つ、これから先は気を付けなければ成らない事がある。
それは、名も無き兵法者からの試合は、受けない様にしなければ成らない。
何故なら己の名前を売る為、捨て身で試合を重ねて来たのだが、吉岡流や、佐々木小次郎の様に成るかも知れないからだ。
おかげで武蔵の名は上がり、天下無双とまで言われる様に成れたのだ。
ここまで名前が売れたのだ、名も無き兵法者と試合をする利益は、なに一つ無い。
もし負けてしまえば、その時点で積み上げて来たものが、取って代わられる。
昔の自分がそうであった様に、どんな手段を使って来るか解らない。
これからは失うものが大きすぎる。
負けるかも解らない試合は、もう出来ないだろう・・・
「巌流・佐々木小次郎との決闘が最後だな」
武蔵は呟いた。
今までの様な気持ちではダメだ。常に細心の注意を払い、行動せねば・・・
だからと言って逃げ腰、弱腰では、相手になめられてしまうだろう。
その辺りのさじ加減が難しい。
「親父、部屋は空いて居るか」
松原で一軒の宿を見付けて、店主に声をかけた。
「はい、いらっしゃいまし、空いとります」
武蔵は店主に案内されて、一つの部屋に落ち着いた。
武蔵が旅仕度を解いていると、店主が話しかけて来た。
「お客はん、お食事はどうされまっか」
「ここに運んでもらおう」
「はい、わかりました・・・」
店主がまだ何か言いたそうにして居る。
「どうかしたのか」
「お客はん、大坂城から来たのでっか」
なるほど、そういうことか。
「如何にも、大坂城から引き揚げて参った」
「あいや、やっぱりそうでっか。大きな戦がやっと落ち着いたと喜んで居たのですが、実はまだ終わってへんらしいと言う噂があるのですわ。ホントのところどうなのでしょう」
店主が不安そうに聴いて来た。
「今のところ和議が成立致して居るが、近い内に必ずまた戦になろう」
武蔵は自分の見解を述べた、この見解は正解で、数か月後に大坂夏の陣が開戦する。
武蔵の言葉に、店主はがっくりと肩を落とし、退室して行った。
もう一度戦は起る、それは間違いないだろう。しかし武蔵は、もう戻るつもりは無い。
豊臣家には愛想が尽きた、大いにプライドも傷付いた、時代に乗り遅れて新しいものを投与しない、滅びゆく家なのであろう。
豊臣家に見切りを付け、武蔵は江戸行きを決意した。
三月下旬、武蔵は江戸へ入った。
寒さが身体に応える季節であったが、それも緩み、もう春が訪れようとして居た。
街道をゆるりと通り来たが、そろそろ桜の花が咲こうとして居た。
江戸の町は活気があり、以前に武蔵が訪れた頃より随分と大きく成って居た。
実は江戸に武蔵は知り人が多い。
武蔵の武勇伝を聴きたがる諸大名は多く、そう言った大名や小名、旗本の江戸屋敷を訪ね歩くと、何日でも滞在を乞われる。
旅の途中で作成した絵や書、時には刀の鍔などが、飛ぶ様に高値で売れて行く。
この為、旅の路銀に事欠くことはない。
活気ある江戸の町を歩いてみると、何やら楽しい気持ちに成って来た。
大坂などへ行かず、始めから江戸へ来るべきであったと、少し後悔をした。
「いや、自分の行動に後悔などあっては成らぬ。全て意味があると考えよ」
そう自分に言い聞かせて反省をした。
武蔵は縁を頼り、さる旗本の屋敷に逗留することにした。
「いつまででも、逗留なされよ。しかし、また大阪で戦があるでな、今はバタバタとして居る。しかし気にされることは無い」
その旗本はそう言って武蔵をもてなした。
「さような時期にかたじけなく御座います」
武蔵は旗本の行為に甘える事にした。
大坂の戦とは、大坂夏の陣である。
いよいよ家康が、豊臣滅亡の仕上げにかかるのだろうと武蔵は思った。
豊臣の様な特別の大名を置いて居る事が、徳川家にとって利するものは何もない。
豊臣の名が残って居る限り、いつまた豊臣恩顧の大名達が反旗を翻すか解らない。
旗頭の芽は摘んでおかねば成らない。少なくとも家康が生きて居る内に、それをやらなければ成らない。家康はそう考えて居る。それで徳川幕府は盤石な物に成るのだ。
新しい時代が生まれるには、古い時代が終らなければ成らない。
新しい時代の芽吹きと、古き時代の滅び、その両方を感じた。
武蔵は何とも言葉に出来ない様な気持ちに成り、空を見上げた。