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ー 聖女に毒を盛ったという前科




「スカーレット・ブルティア」


殿下は私の名前を言い放つと、冷たい瞳を私に向けた。


「君は聡明な人だと思っていた。本当に残念だよ」



◇ ◇



私、スカーレット・ブルティアは、子爵家に生まれた。


私が生まれる前から既に父は亡き者で、生まれて間もなく母が死んだ。

一人娘である私には兄弟もいなかった。

没落寸前の貧しい子爵家には使用人など雇っていなくて、行方のない私を助けてくれたのは母の姉である侯爵夫人だった。


私は伯母に引き取られ、侯爵令嬢として育った。


不妊症である伯母は御子を授かることがなく、侯爵家には跡取りがいなかった。

侯爵の弟は病弱であるし、元々親戚はそう多くはない。

だから私は時期侯爵として正しく振る舞い、子爵令嬢であることを隠していた。


まだ立つことすら出来ない頃に侯爵家に来たのだから、誰も私が子爵令嬢であることを疑いなどしなかった。



伯母は冷酷であり強い女性だった。

私を気にかけることなどなかったが、私を引き取り育て、教養を与えてくれたことに感謝していた。


物怖じなどしない伯母を尊敬していた。


それに比べ侯爵は酒に溺れていた。

伯母はそんな夫を嫌っていたし、私も父などと思ったことは一度もなかった。


そもそも屋敷の中で酒に酔っているのを何度か見たことがあるだけで、18年間、侯爵と言葉を交わしたことはない。


数少ない使用人の中で、厳しい教師によって勉学と作法に励み、私は完璧な淑女へと育っていった。


他人と関わることが殆どなかったせいか、学園に入学してから同じ学生と喋ることはなかった。

でも侯爵令嬢としての義務は果たしていたし、王太子の婚約者として立派であるよう行動には気をつけて過ごした。


文句の言いようなどない完璧な学園生活だった。





それなのに。


学園の卒業式___人生に一度の行事といえる、今日。


学園内の大きなホールで卒業生の皆が、豪華な食事を手に今この限られた時間を楽しんでいた。


普段のパーティーでは身分の近い異性とのみ共に踊ることを許されていた。だが卒業パーティーは身分も性別も関係ない。

つまりは女性同士、男性同士でも踊ることができる。


そんな特別な日に、賑やかなホールで、この幸せに包まれた空気を壊したのは殿下だった。


私は友人といえる者もいないし、特別今日を楽しみにしていたわけでもない。だからホールの端で白ワインを飲んでいただけで、別に卒業パーティーなどどうでも良かった。


それなのに、この殿下は。




だけど私を襲った感情は、苛立ちだけではなかった。


「失礼ですが、何のことで?」


冷静を装って問いた言葉に、殿下は当然のように告げる。



「誤魔化しても無駄だ。聖女が何者かによって毒を盛られた。___なあ、スカーレット、君だろう?」



ざわ、と、会場がざわつくのがわかった。


会話に盛り上がっているざわつきじゃない、皆、私と殿下を見ていた。



____負けちゃ駄目よ、スカーレット。


そう自分の言い聞かせながら、唇を噛みぐっと堪える。


こんなところで怯むなんて、侯爵令嬢として今までなにを学んできたというの。



「………失礼ですが殿下、誤解にも関わらず私を責められても困ります」


「誤解だって?」


私の言葉に殿下は眉をひそめる。

そうよね、今更殿下が私の言葉を信じるわけがないもの。


(………でも、譲るわけにはいかないのよ)



「ええ、私は正真正銘、聖女様に毒なんて盛っておりませんもの」


瞬間、殿下の堪忍袋の緒が切れる。


「ふざけるな!全部わかってるんだぞ、今まで散々聖女を虐め、脅してきたことを!」


(……………え?)


殿下の発言に私は驚いた。予想もしなかった言葉に聞き返す。


「虐め…脅したですって?」

「ああ、こちらには証拠があるんだぞ。言い逃れは出来ないな」


(嘘、そんな筈がないわ。虐めた記憶も脅した記憶もないもの)


ちらりと皆の方を横目で見ると、こそこそと話している声が微かに聞こえてきた。


「スカーレット様がそんなことするわけないわ。こんなに完璧な令嬢いないじゃない」

「そうよね、私もそう思いますわ」


(ほら!やっぱり私は完璧な…)


「でも、あのスカーレット様よ?正直怖いっていうか…性格も厳しかったし……」

「んー、たしかに…やっぱり本当なの?」


(まあ!簡単に裏切ったわね、あの令嬢方)


…ま、全員顔を覚えたし。

すうっと息を吸い込むと、私は断言する。


「そういったことは一切行っていません」


「なんだって!?ここまできてまだ口答えするのか!」


殿下の怒り具合には、私が引くほどだった。

まだ物心がついて間もない頃から殿下とは婚約していたけれど、彼は責任感のあるお方だ。


私に初めて会ったとき、殿下は優しく笑いかけてくれたもので。そんな笑顔に安心したのも事実だった。


殿下は学園に入学した頃から、突然私に対して冷たくなったけれど。でもこんな風に、私を否定したりすることはなかったもの。婚約者としての責任は十分に果たしてくれていた。


だからこそ、聖女に危害を与えた私を許せなかったのかもしれないけど。


(聖女を虐めていないのは事実よ)


「私はただ本当のことを申しているだけです!その、虐めたとか脅したとかいうことは聖女様直々に聞いたことで?」


殿下は言葉を詰まらせた。


「……いや、聖女と同じ寮の令嬢たちからだ」


殿下の言葉に私はやっぱり、と唾を飲み込んだ。

ほらね、あの令嬢たちには何だか嫌な感じがしていたのよ。


「それで殿下は、その令嬢方の言葉を信じるのですか?」


「違う、そんなことでは正確な根拠にはならないからな。明確な証拠はちゃんとある」


殿下は一枚の小さな紙を取り出した。写真だ。


「いやそれが何の証拠になりま……っ!?」


カラーではっきりとそこに写っていたのは、間違いなく私だった。いつの間に撮られていたのか。


「この写真の君は靴箱の前にいるが…スカーレットのクラスではない。しかも位置的に聖女の靴箱になる。

最近聖女の靴が頻繁に無くなっていた。きみの手に持っている靴は聖女のだろう?」


たしかに私が手に持っていたのは聖女の靴だった。

でもこれは決して隠したわけじゃなくて、何故か靴箱から落ちていた靴を拾ってあげただけで。


(………っ、嵌められたわね)


誰かに嵌められたのは人生で初めてだ。悔しさでぎりっと歯を食いしばる。


「確かに聖女の靴です。でもこれは、床に落ちていた靴を拾っただけで」


「醜い嘘はやめろ」


周りにいる人たちも皆、私よりも殿下を信じているようだった。


周りからの信頼が厚い殿下と純粋な聖女。


こんな写真があるにも関わらず、誰が私を信じるいうのか。


(聖女が仕掛けたわけではないようね。

殿下も周りの方々も私を信じていないだけで、何も知らないみたいだし…となれば、やっぱり仕掛けたのは聖女と同じ寮のあの令嬢方よね、証言もあるし。一体何のために…)


「とりあえず、その聖女様に会わせて下さい」


「君みたいな心が汚れた人を、聖女に会わせたくはないね」


「本人直々に確認したいのです」


「すまないが無理だ。聖女が今どこにいるかわかる?」


そうだ。聖女は今、海外に留学中なのだ。

将来有能な成績を残すと言われている聖女。周りからの意見もあって、遠い国で沢山のことを学んでいる。


周りの冷たい視線に、私は急になんだか怖くなった。

(私のことを…見てくれる人は、誰もいないのね)


せめて国外追放に、そう願ったけれど。

いくら生きていても聖女に毒を盛ったとなれば、それはもう牢獄行きだろう。


(…残念な人生だったわ、本当に)


「捕らえろ」


殿下の命令に従って、へなへなとその場に座り込んだ私を、王室専属の騎士たちは取り囲んだ。





抵抗しても普段から鍛えている騎士に適うはずがなくて、諦めた私は暗い牢屋へと入れられた。


狭い牢屋に唯一あるのは、鉄格子のはめられた小さな窓のみ。そこから見える満月が綺麗だった。


食事は硬いパンで、時々腐りかけの林檎。

もちろん、私に会いに来てくれる人などいない。


(硬いパンばかり食べていると、林檎が美味しく感じるものね…)


前までは林檎は嫌いだった。

苦手を克服したからと、嬉しくはないけれど。


それにしても、聖女は何も聞かされていないのだろう。

あれから帰ってきていてもおかしくないけれど、聖女が姿を現すことは一向になかった。




そして牢獄に入れられて、半年ほどが経っただろうか。


冬になるとガラスのない窓の牢屋は凍りそうなくらい寒くて、石の床は冷たい。



「……………っ、」


限界まできていた私は牢屋の中で倒れた。

凍りそうな身体が動かなくて、床に触れた腕も足も、もう冷たさを感じないほどに麻痺していた。


(…………………私、死ぬのね)


私はただ、意識がなくなるまで、思うように動かない指先を眺めるしかなかった。


残念な人生だった、本当に。



(虐めても、脅してもないわよ。まあ…)





聖女に毒を盛ったのは本当だけれど____




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