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溺れる灰  作者: 水園ト去
溺れる灰
57/114

8-6

 マリアノフ。四十日間の断食が続く光臨旬の最中。ラナ復活祭まで三十日が残っている十一月だった。厳しい寒さの中、エリオットは居酒屋、鏡亭で食事をしていた。世間は断食中なので、肉やチーズ、獣脂を使った野菜の炒め物は出てこない。許されているのは水、パン、少量の酒と魚類。

 エリオットはパンとマスタードで味付けした燻製ニシンをビールで流し込んでいる。

 楽園派の阿片事件から半年以上が経っていた。

「相変わらず貧乏臭いものを食ってるな」

 エリオットの隣に腰掛けてきたのはアンナだった。

「あんたか」とエリオット。

「久しぶりに会ったってのにそれか」

「あんたといるときは必ず騒動になるんでな」

「無事に帰れるといいな」

 それからアンナは主人を呼びつけ、ワイン、ミートボール、チーズを頼む。

「すいません。今は出せないんです」と主人。

 荒野で四十日間断食したラナ様に倣っての光臨旬だ。肉料理を出したら罪になる。

「私は異教徒だ。構わず持って来い」

 アンナは相変わらず強引だった。

 しばらくするとテーブルにワイン、ミートボール、チーズがやってきた。

「どうしたんだ、急に」とエリオット。

 全く連絡を取っていなかった。阿片事件が終わり、マリアノフの指名手配も解除、名誉の回復が取り計らわれた。アンナへの借金も返済し、もう縁が切れたはずだった。

「お前、今は何してる」

「食事だよ」

 燻製ニシンを口へ運んだ。

 アンナはそれを見ながら、人差し指でテーブルを叩いている。エリオットは燻製ニシンを飲み込んでから喋り始めた。

「仕事は手広くやってるよ」とエリオットはいった。

 禁止されている肉料理がテーブルの上にある為、エリオットたちは他の客の視線を集めた。居心地が悪い。

「具体的にいえ」

「マリアノフに徴兵されると、支給される長槍代の十五グルテンが初任給の四十グルテンから差し引かれる。新兵にとっては大きな出費だ。だから俺は列に並んでいる新兵に声を掛けて、長槍を十二グルテンで売ってる。支給品は断って俺から買った方が安い」

「仕入れは幾らだ」

「十グルテン。二割の上がりだ」

「お前らしい」

「それだけじゃない。夜警の義務を免れたい市民は大勢いる。そんな奴らの為に一回当たり八十ペニィヒで代わりの人間を探してる」

「小銭だな」

「数をこなせば馬鹿に出来ない。男が一人で暮らすには十分だ。どうせ夜は暇なんでね」

 カテリーナは最近、別の町へ嫁いだ。何もかもがそれなりにうまくいっている。「あんたのほうは、どうなんだ。取立ては上手くいってるのか」

「大きな仕事が入った」とアンナ。

「目が金貨になってる」

「ペドラサの銀行関係だ。キテロの支店長が本店に隠れて、借金を重ねていたしくてな。その債権の一部が回ってきた。取立てに行く」

 ペドラサもキテロもサウスタークの町だ。

「ペドラサかキテロか」

「ペドラサだ」

「随分遠いな」

「向こうは会計の本場だ。これはでかい仕事になる」

「それでどうしてその話を俺に」

「お前も来るかと思ってな」

 アンナはワインに口をつけた。「貧乏だろ? 馬は用意してる」

「あんたも素直にいえばいい。俺に来て欲しいんだろ」

「願っているのはそっちだ。お前の目も金貨になってるぞ。来ないか?」

「悪い。もう博打は止めたんだ」

 エリオットはいった。

「そうか」

 アンナは立ち上がった。「感動したよ」

「達者でな」

「ごちゃごちゃ言わず食ってろ。その肉は奢ってやる」

「ありがた迷惑だ。今は光臨旬だぞ。断食中だ」

 テーブルのミートボールとチーズを見た。

「戯言を。じゃあな」

 アンナは店を出た。

 一人になったエリオットは他の客の視線を集めていた。

「なんだよ」と呟く。

 食事をしている気分じゃなくなった。

「みんなで食ってくれ」とエリオットは周りにいう。「みんな、肉が食いたいだろ?」

 エリオットはテーブルに硬貨を置いて、立ち上がった。

 外に出る。夜の街だった。冷たい夜風が首筋をなぞった。反射的に身体を震わす。

「どうかしたか?」とアンナ。

 息が白い。

「見送りだよ」

 エリオットは答えた。

「律儀な奴だ」

 歩き出す。

「今度の馬の名前は?」

 エリオットは尋ねる。

「くだらないことを聞くな」とアンナ。

「もう二度と喋らない」

 そのまま二人は黙って別れた。


                                <了>

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